実験6
料理人として貴族たちの集会に加わる事にしたデンカとビショップが訪れたのは、ヴァミアの町の中でも一際大きいレストランだった。貴族に料理を振る舞うにふさわしい腕を持っているか、このレストランで実際に料理させて決めるらしい。
デンカが周囲を見回せば、数十人の男女が集まっている。急な話にしては多くの人が集まっているが、中には料理の経験すら無さそうな者が混じっているくらいで、質が良いとは言えないだろう。
「これなら問題無さそうだね」
「大丈夫っすか? あね――ボス」
ビショップが姉御と言いかけるが、ボスと言い直す。
現在の状態でビショップがデンカを姉御と呼べば無用な注目を浴びることになっただろう。それは大の男がデンカのような少女を敬って呼んでいるからではない――デンカが男の格好をしているからだ。
今の彼女は肩までかかる黒髪を一つに束ね、男物の服にズボンをはいている。胸は少ないほうではないのだが、さらしを胸に巻くと違和感が無い程度の大きさにはできた。
デンカの顔は鋭い目付きもあって、元々中性的な男子と言っても差し支えない見た目だった。男に間違われて女子に告白される事を防ぐために髪を伸ばした、というエピソードもあるほどだ。
もっとも、髪を伸ばしても彼女を慕っている女子は減らなかったが……。
「言い間違えたら頭吹き飛ばしちゃうよ」
「冗談きついっしょ……」
今回の料理人の募集にあたってデンカが男の姿をしている理由は一つ。
貴族がデンカの顔を見て、継承戦初日にリリアの隣にいた事に気が付く事を出来るだけ防ぐためだった。会場の隅にいた彼女たちを覚えている可能性は高くないが、姿はある程度変えておいたほうが安全だろうとデンカは考えていた。
「――、――、ウワガミ デンカ、……」
そして暫くしてデンカの名前が呼ばれて、彼女が料理をする順番が来た。一度に全員を審査する事ができないので、同時に六人ずつ呼び出しているのだ。
部屋に入ると、いかにも料理が好きそうな、料理をしていそうな男二人が見張る中で、六人は料理の様子を披露させられた。使う食材は様々なものが用意されており、作る物も、その種類も自由だ。
「貴様! 料理人ですらないだろう!」
「ガルス鳥の肉の焼き加減が足りてマセェン、この程度の実力で採用なんてアリエマセェン……」
審査員らしき男たちがそんな落胆の声を上げる中、料理を完成させる事なく退出を命じられている者は何人もいた。中には料理人として仕事をしている者も居たのだろうが――その中にあっても、デンカの能力は突出していた。
火力を考慮し、調理器具の熱伝導率を予想し、材料の体積から最適な調理時間を算出していく。それらを料理しながらも微調整していき、一つの完成品に形作る。
食材が熱によって引き起こす化学反応すらも熟知している彼女の作品に、審査員達が不満の声を上げるはずもなかった。
「素晴らしいな。突然料理人が不足したときはどうなるかと思ったが、これならば大満足だ! 元々いたやつらより良いんじゃないか? ガッハッハ」
「貴族様にお出しできる最低限のレベルを確保しようとしていたのがバカみたいデェス。欲を言えばもう二、三人欲しいですが、彼の腕ならば我々三人でも最悪なんとかなるでショウ。ところでそちらの男は……」
審査員の一人がデンカの隣にいたビショップを指して疑問の声を上げる。彼は料理中デンカの隣で皿洗いをさせられていただけだった。
「この男はわたしの弟子です。まだ実力が身についていないので料理はさせられませんが、できれば連れて行きたいと思っているのです。勿論、給料はわたし一人分だけで結構ですので……」
「ヨロシク御願いするっ……ス」
「そういった理由なら大いに結構だとも。連れていくからには多少仕事はしてもらわなければならんが、皿洗いは出来るようだしな。ガッハッハ」
「文句なんて、アリエマセェン……」
そうして二人の料理人が上機嫌なまま、デンカとビショップの雇用が決定した。料理場を簡単に片づけてから二人がその場を後にすると、まだ呼び出される順番を待っている人々が少し羨ましげな視線を送っていた。
「しかしボスの料理があそこまで上手いとはとは思わなかったっしょ」
「言ったでしょ、自信があるってさ」
そして店を出ようと扉に手をかけたとき、デンカは肩を捕まれた。
「お゛おぉい!!」
デンカが振り返ると、そこに居たのは不審者だった。三十代前半のその男は白い料理人らしい服を着ているのだが、問題は顔に身に着けているものだ。明らかにレンズのぶち抜かれている眼鏡に、どう見ても偽物にしか見えない付け髭を貼り付けている。滑稽なのは彼の髪は黒色の短髪であるのに対し、その付け髭が茶色と金色の混ざった色であることだ。
「お前、若いのに中々見どころがあるじゃねぇか!」
「えっと……ありがとうございます」
不審者に呼び掛けられた事に若干困惑しながらも、デンカはしっかりと男の手を振り払った。
「後、そうだな、おまえ――」
まるで物のついでであるかのように、男は続ける。
「日本人だろう?」
「……一体なんの事でしょう」
「ごまかしたって駄目さ、なんせお前――」
その時、審査員が呼びあげた名前の一つに、男は反応した。
サカキ チョウリ、と。
「俺の番か……丁度いい。お前、俺の料理を見ていけ」
デンカはその場から立ち去っても仕方がないと判断し、その男の言われたとおりに、彼が料理している様子を観察した。そして男がデンカを日本人だと判断した理由について考えた。
今回、デンカは募集の際に本名で登録した。ウワガミ デンカ――日本人が聞いたのならば、日本人であると判断するだろう名前だ。だが、もしチョウリがそれを理由にデンカが日本人であると推測しているのならば、いくらでもいいわけができる。
なぜなら、この世界にも日本人らしい名前を持つ人々が存在するからだ。
名は体を表すと言うが、まるで見た目から名前がつけられているかのように――日本人に近い見た目をしている人々の村や国があり、そこでは日本人のような名前を付けられているらしい。デンカの名前とこの国の人間の名前の響きが異なる事についてどう思っているのか、リリアやワスコに質問した時、そのような答えが返ってきたのだ。
デンカはこの現象がこの世界の自動翻訳と関わっているのではないかと考えていたが、理由は定かではない。だが、原理はとにかく、そう言った人々は存在した。
チョウリはそれを知らずに自分が日本人だと判断しているのだろう。
――その考えは、すぐに撤回される事になる。
「完成したぜ!」
彼が出した料理は、完璧すら超越していた。空中に漂う匂いだけで、その料理がいかに素晴らしいかがわかる。
食材をその細胞の一片までも完全に理解し、どのような手順でどういった組み合わせにするのが最適か本能でわかっている。食材に魂というものがあるのならば、その男は魂と会話ができるのだろう。彼の料理は調味料一粒までもに間違いが無く、その技術は魔法と呼称しても差し支えがない。
神に選ばれたとしか思えない男の才能を目の当たりにし、デンカは思い出す。
ディスレキシア・ラ・デルフィニラの領では、国に影響を及ぼすほどに料理が発展していると。
そして、国王が継承戦を発表したあの日、ディスレキシアの隣にいたのがこの男だという事を。
「理解したか?」
その料理で審査員達を口をきけぬほどに圧倒し、チョウリはデンカに問いかける。
その質問に対するデンカの答えは肯定だ。なるほど、これ程の技術を持っているならばわかるのだろう。食材の取り扱いかた一つから、もしくは調理方法一つから、地球の食文化の面影が。
言葉にしてみればあり得ない事のように見える。だが、デンカは料理を知っているがゆえに、チョウリがその事実に確信している事を認めるしかなかった。
「わかった、私は上神電荷です。あなたは?」
「俺は酒木調理だ! 同じ日本人同士よろしくな?」




