実験3
リリアとイベリッサ二人ともが羊を知らないという事実に、デンカは二つの可能性を考えた。
一つは二人が知らないだけで、この世界にも羊は――少なくともそれににたような生物は存在し、このゲームが遠い国から伝わってきた可能性。デンカはボードゲームのようなアナログゲームには詳しくなかったので、それが元の世界にも存在したものかは残念ながら判断できなかった。
もう一つは、直感的にこちらが正しいのではないかとデンカは考えていたが、デンカと同じように地球からこの世界に渡ってきた何者かが、自らの知識を使ってゲームを広めている可能性だ。
これらの可能性を考慮したところで、デンカに一つの疑問が生まれた。
「もし羊が存在しないなら、今イベリッサが着てる服とかって何で作られてるわけ?」
そう言ってデンカはイベリッサの服に向けて指を指した。彼女がきている服は、地球でいうところの羊毛の特徴を備えているようデンカには見えた。
「オヴィス・リザードっていう魔獣の毛から作られたはず……この服は。そういえばこの絵の魔獣とモコモコ具合が似てる」
「むぅ、魔獣って言うけど動物は存在しないの?」
「動物……魔法の扱えない魔獣ですか? そういった生物の存在は聞いたことがありません」
「あーそんな感じで翻訳されてるのか。ってかこの世界の生物は魔力が流れてるのがデフォルトなのね」
なるほどと納得するデンカに、リリアも肯定する。
「デンカが暮らしていた世界には魔法が存在しなかったそうですが、動物と呼ばれる生物はその世界にしか存在しないのかもしれません」
「そうだね。そしてこの絵に描かれている動物は間違いなくわたしがいた世界の生物で、このゲームを作り出した人物も間違いなくわたしと同じ世界から来ている。わたしが知らないだけで、このゲームも元の世界には存在したのかもしれない」
可能性として地球に似ているまた別の世界からその人物が来た事もあり得たが、その可能性が小さいことを考え、デンカはあえて説明しなかった。
「そうすると話しておいた方が良いかもしれないね……急速で発展している他の領地の事も」
イベリッサの言葉に、デンカは頷く。
「まず、このボードゲームの出所でもあるのだけど……サイネリラ・エル・デルフィニラスの領。ボードゲームを初め、新しいタイプの音楽とかスポーツとか……とにかく画期的な娯楽が産み出されている。富裕層にも貧困層にも平等に大人気で、これによる収益は莫大。デルフィニラ国に存在した娯楽産業は惨敗してる……ほぼ独占状態にあると言って良い」
「サイネリラさんですか? 酷い目にあったと聞きましたが、娯楽を広めているだなんて立ち直れたみたいで良かったです」
「うん……次はディスレキシア・ラ・デルフィニラの領」
聞いたことのある名前が出てきて、デンカが反応を示した。
「ディスレキシアって一番最初の日にネスタティオと言い争いしてた人でしょ」
「そう。そういえば話しそびれてたね……前に飛空挺で話したとき。――デンカはあの人が何歳に見えた?」
イベリッサのその質問に疑問を感じながらも、デンカは記憶を便りにディスレキシアの姿を思い描いていく。
彼女は身長百六十センチ位の女性で、黒い長髪と黒いドレスが白いはだを際立たせているような、そんな女性だった。外見で判断するならば、年はデンカと同じか少し上くらいだろうか。イベリッサがわざわざ質問する位なのだからもう少し年上なのかもしれないとデンカは考えた。
「てきとうだけど、二十歳とか?」
「不正解……あの人はもう三十近い」
「ハッ?! 若く見えるとかそんなレベルじゃないでしょ……」
「そう、だから色々な噂がたっているの……例えば人間じゃないだとか、処女の血を浴びてるとか。実際彼女の領では行方不明者が定期的に出てる」
「でも何の証拠もありませんよね」
リリアがディスレキシアを庇護するかのように、そう付け加えた。
「うん……証拠はない。でも、ネスタティオはこの国と国民が大好きだから、自らの領民に危害を加えているかもしれないディスレキシアを警戒してる――本当のところはわからないのだけどね。
話をもとに戻すと、ディスレキシアの領では珍しい料理が開発されてて、王都まで広まってる。もともと彼女の所には腕の良い料理人が多かったから、他の国の知識だと断言はできないけど」
「娯楽に料理ね……」
「次で目立っている場所は最後……といっても特定の場所ではなくて北の領地全般なのだけど。ヴァルデア連邦国との国境近くの領ほとんどで新しい宗教が流行っている。信者は十字のシンボルに祈りを捧げてて、名前が確か――」
「キリスト教?」
「そう。知ってるって事はそれもあなたの国から来たのね」
デンカは頷く。キリスト教といえば地球で最も広まっていた宗教ではなかっただろうか。そして、歴史に疎い彼女でもおぼろげに理解している事は、キリスト教が侵略のために利用された歴史もあるということだった。
そして彼女は考えた。
自分以外にこの世界に来ている人間がいるのは間違いない。暫定三人、場合によってはそれ以上の人数が存在し、自分が持っている知識は自分だけのアドバンテージではなくなっている。機械の知識では誰かに遅れをとるとは思はないが、他の事に関してはわからない。彼らがもし他の王族の味方をしていたら……。
難しい顔を作るデンカに、リリアはだが明るい表情で笑いかけた。
「良かったではないですか! もしかしたらデンカの知り合いがいらっしゃるかもしれませんし、元の世界に帰る方法も見つかるかもしれません」
リリアからしたらごく自然な提案だったのだろうが、デンカは首を横に降った。
「お母さんには少し会いたいけど、他に会いたい人は特にいないし、わたしはリリアの騎士だから。少なくともこの継承戦が終わるまで、元の世界に帰ろうとは思ってないよ」
「デンカ……」
「むぅ……二人ともいつのまにかすごく仲良くなってる。少し疎外感感じるかも」
二人だけの世界を作るリリアとデンカの様子に、若干不満の声を上げるイベリッサだったが、それに気づいたリリアが話題を変えた。
「話は変わりますが、実は私の領の人手不足に関して、手を打とうと思っているのです」
「そういえば言ってたね……手紙でも」
「はい。ありふれた手ではありますが、王都の方で移住者の募集をかけようと思っているのです。多少の優遇を付けて。具体的な案をまとめたらワスコに王都に行ってもらう予定ですが、その時に他の世界から来た方々について情報を集めてもらいましょう」
ありふれた手とは効果が保証されているからこそ、ありふれた物と化す。つまりリリアの提案もまた無難な手であり、大きな失敗が起こる心配はごくわずかなのだが、彼女にとっては意外にも、反対の声があげられた。
「……待って」
「どうかしましたか? イベリッサ」
「実は王都に行ってほしいの……ワスコではなく、デンカに」




