エピローグ
デンカが処刑を免れてから数日後。
デルフィニラ国、王都、デルフィニラ城の中、一人の中年の男がその長い廊下を駆けていた。
男の形相はそれこそ必死といった様子で、一刻も早く目的を遂げなければならないという強迫観念にも似た使命感が彼の中にはあった。そしてそれ故に、廊下をすれ違う人々から向けられる奇異の目を彼が気にすることも無い。
本来、城の中を全力で疾駆するなど、国王に対する無礼行為にも等しい行いであり、常に城の中を警備している衛兵たちに即刻捉えられてもおかしくない。だが、時折すれ違う衛兵たちも目をしかめるだけで、彼の無作法を咎めようとする者は居なかった。
彼は国王に仕える文官で、国王に即刻伝えなければならない事があるのだと皆が知っていたからだ。
――また、誰かが死んだ。
もう一月ほども前に国王が強行した、王位継承戦という狂気の催しの犠牲者の情報を集め、確認し、報告をする事こそが男の役目であった。そして王位継承戦の性質から、必然的に犠牲者とは国王の子供達の死を意味している。
親に子の死亡を知らせる役割など、誰が請け負いたいと思うだろうか。
その役目を担った男に対し、周囲からは同情の目が集まった。そしていつものように、今日に限って言えばいつも以上に必死に、王の下へ走り続ける彼を止める事のできる者などいなかった。
「陛下、継承戦に進展がございました」
「デレックか、入れ」
豪勢な扉の前で待機していた男――デレックは国王の許可が下りたことを確認し、ゆっくりと扉を開けた。執務室の机の前に座るガウルテリオの前で、デレックは片膝を地面につけ頭を垂れた。
「国王陛下、本日も――」
「挨拶は良い、報告をせよ」
やはりか、とデレックは思った。
ガウルテリオは意味のない行為や意味のない物を嫌っていて、王族特有の仰々しい挨拶を嫌っていたからだ。
だが、これから伝えなければならない事を考えると、デレックはその長々しい挨拶が消えてしまった事に焦燥感を覚えた。なるほど。あの形式的で無意味そうな物にも、緊張を和らげる役割があったのだ。だが、国王に止められてはどうする事も出来ない。
「こちらに犠牲者の名前と詳細が書かれております」
地面を見つめたまま、デレックは一枚の羊皮紙を国王に手渡した。今回に比べれば、今までに報告していた事などささやかな物だ。この事を知り、国王陛下はどのように嘆き、悲しむのだろうか。
――いや。
嘆くならばいい。
悲しむのならばいい。
それは子供をうしなった親として当然の反応であり、デレックにも十二分に理解できる事だ。
だが、目の前にいるこの王は……。
「ほう」
ガウルテリオが呟くと同時に、デレックは顔を上げ、口を開く。
「スタッカート・エル・デルフィニラ第一王子、およびその騎士アーロン・スリカンサの死が確認されました。両名とも体の複数箇所を不自然に切り取られており、同一人物による犯行だと思われます」
「ふ、ハハハハハ!」
デレックの目の前で、ガウルテリオはあろうことか豪快に笑い出した。息子が、それもどこに出しても恥ずかしくないほど優秀な息子が死んだと言うのに、王は笑っているのだ。息子が死んだショックで狂気に陥ったわけでもなく、冷静に、心の底から喜んでいる。
この王は狂っている。
デレックが恐怖に打ち震えていると、ガウルテリオはひとしきり笑い終えた。
「――この国に、その二人を同時に相手取って勝てる人間がいると思うか?」
その問いかけはデレックも疑問に感じていた事で、この場に来るまでに何度も考えていた。そして何度考えても結論は変わらない。
「一対二で同時に、という条件下でならば存在しないでしょう。アーロンは特級の兵士でこの国でも二番目の実力を持っています、そしてスタッカート王子も上級下位の強さです。ラッドクォーツ・カルネヴァルなら可能性として相打ちには持ち込めるかもしれませんが、一方的に勝利する事は不可能でしょう」
「ならばどんな可能性を考える?」
「実際に殺したのは一人だとしても、他に協力者がいると考えるのが妥当でしょう。それ以外には考えられません」
「そうだろうな。そう考えるだろうな、普通は」
意味ありげに頷いたガウルテリオは机の中から一束の書類を取り出し、無造作にデレックに向けて放り投げた。突然投げられたその書類を、デレックは慌てながらもなんとかつかみ取り、その一枚一枚に目を通してゆく。
その紙の束を一枚一枚と読み進めるにつれ、彼が紙をめくる速度は速くなり、彼の表情は硬くなっていった。百枚近くあるその紙の束の半分程を読み進めたころには、デレックは王の真意を完全に理解した。
「それは王位継承戦に参加している王族と騎士の名簿だ。騎士の選出には時間をかけて良いと言ったが、思っていたより早く全員が騎士を選び抜いたと言うわけだ」
「これは……」
「誰が誰を選んだか、なかなかに面白いぞ? 誰もが特級上級のスキル持ちを選ぶかと思えば、下級スキル持ちや下級の兵士を選んだものもいるからな」
「ですが……まさかこんな事が――」
「どうした?」
わざとらしくガウルテリオは問いかける。
この書類の何がおかしいか一目見ればすぐわかる。デレックが仕えている王は、そのような事が理解できない愚か者ではない。この書類、さらに言えば選出された騎士たちは――
「身元不明の者ばかりではないですか! この国の人間だとわかる者など半数にも満たない! 名前と姿しかわからない者まで居ます! なぜこんなことが……」
そう。
王族同士の戦いにおいて、共に戦う騎士は命綱ともいえる存在であり、だからこそ国王も時間をかけて選び出すことを許可した。当初このルールについて知ったデレックは、国の兵士たちの中でも上位に位置する者は殆ど勧誘を受けるだろうと予想していた。だが、現実は全く違う。国王の下に提出された名簿を見れば、王族の多くがどこの誰ともわからない人間をパートナーとして選んだことは明白だった。
「余もこれを確認したときは驚いたものだ。殆どの人間が安易に兵士たちを勧誘すると思っていたが、我が子供達は『向上心』にあふれている」
「どういう……事です?」
「この国の兵士の強さを知らない王族など居ないだろう、三人の特級、そしてそれに続く形で上級が数十人。だが、最も強い兵士たちは既に仕える主を決めてしまっている。ならば残った兵士の中から出来る限り強い者を選ぶか?」
その言葉の意味をデレックは理解し、息をのんだ。
「否だ! それは勝利をあきらめた怠惰な愚者の発想だ。 相手の持っている手札より弱い手札を選ぶ理由が無い、たとえ出目が分からなくとも、勝利するためには何かを賭けるしかないのだ!」
「それがこの結果ですか」
「そうだ。そしてさっきお前はスタッカートを殺したのが複数人しかありえないと言っていたが、考えが変わっただろう」
デレックは先ほどまで目を通していた書類の内容を思い返し、自分の中で考えが変わっていくのを認めた。あれほどの人数がいるのならば、もしかしたら、今までの常識を覆すほど強力な人間がいてもおかしくはないと、そう考える王の気持ちがよくわかる。
「もちろんスタッカートを殺した人数について決めつけるつもりは無い。だが確かな結果として、スタッカートを殺めたものは存在するのだ。あれほど王に相応しいと称賛され、力でも知恵でも圧倒的な才能を見せつけたスタッカートを。誰かが超えて見せた!」
ガウルテリオは再び満面の笑みを浮かべ、まるで誰かに誇示するかのように宣言した。
「余は間違っていなかった! この戦いがどのような形で終わろうと、最後に頂点に立っている者はこれ以上なく相応しい王になるだろう!」




