実験23
その一部始終を見ていてにもかかわらず、サルカンドロには何が起きたのか理解することができなかった。戦いは圧倒的にダズガンザが有利だったはずなのに、突然ダズガンザが目を抑えて苦しみだしたのだから。
「うそだ……」
無意識に、サルカンドロの口から言葉がこぼれる。
大金をかけて雇ったプロの殺し屋が、こんな少女に倒されるはずがない。
だが現実に、彼の目の前でダズガンザは殺されようとしている。
信じがたい光景を前にサルカンドロの脳裏に浮かんだのは、死。
「いやだ!
死にたくない……。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!」
その恐怖にとらわれて硬直したサルカンドロの体だったが、岩盤を砕くような音と目の前に広がる血の海に反応して動き出した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
笑いながら人を殺す人間をサルカンドロは見たことが無かった。恐怖に震えながら、彼はデンカから距離を取ろうとする。だが、腰を抜かしながら、つまずきながら移動する彼の速度は、貫かれた腹を抑えながら歩くデンカのそれより遅い。
空気が破裂するような音が鳴った。
それを聞いたサルカンドロの頭が真っ白になる。あの音が鳴ると何かが破壊されるのだ。今度は一体何が――。そして彼は気付く、自らの足首に穴が開いていることに。そこから血が溢れていることに。溶けた鉛を押し付けるような痛みを感じることに。
「あ゛あ゛あ゛!!」
足を動かせず逃げる事ができなくなったサルカンドロは、地面に座り込みながら振り返る。彼の後ろにいた人物は、眉一つ動かすことなくゆっくりと彼に歩み寄った。
「やめろ! 殺さないでくれ!」
「やだ」
「誰に雇われた! 金なら倍払う! いや、いくら払ってもいい!」
「お前が死んでくれればそれでいい」
サルカンドロが何を言っても、目の前の女はそれを聞き入れる様子が無かった。そして彼が思いだしたのは、王位継承戦が始まる直前のダズガンザの言葉だ。
『坊主、よく聞け。俺たちは金で雇われた殺し屋だ、金を受け取った以上、俺は全力を尽くす。だけどな、警戒しろ坊主。
金ですべて解決してきただろう坊主には今一つ理解できないかもしれないが、金で動かない人間ほど厄介なものはねぇぞ』
彼にその言葉の真意は理解できなかった。だけど金で動かない人間というのは間違いなく目の前の女の事だと彼は思った。瞳には怒りの炎を灯し、顔はわずかだが微笑んでいる。それはサルカンドロを殺す事を心待ちにしていた。
もう、自分が殺される事は避けられないのだろう。
そう考えたサルカンドロの中で、絶望は理不尽に対する怒りに置き換わった。
「お、俺を殺して無事で済むと思うなよ! 許されない事をしてるって理解してるんだろうな!?」
その悲鳴はサルカンドロにとって最後の命綱だった。
あらん限りの勇気を振り絞り、ようやくひねり出した脅しの言葉。
それを聞いてデンカは立ち止まり――笑った。
「いつもいつも、コレだ……。 許す? 誰がわたしを許すんだ? お前か、それとも国王か、それとも神か!?」
半ばあきれるように、半ば激怒するように彼女は叫ぶ。
「わたしは別に、誰かに許しを請う為に生きてるんじゃない! わたしはわたしの為だけに生きている! 正しい事の為じゃなく、わたしの為に!」
それはサルカンドロに向けてではなく、他の誰か、或いは彼女自身に対しての主張だったのかもしれない。
「ここで死ね、サルカンドロ。 そうすれば、わたしの怒りも収まるから」
乾いた音が響き、サルカンドロの額に穴が開いた。どさりと音がし、サルカンドロの体はその場に崩れ落ちた。
「……」
動く者のいない部屋の中で、デンカは目的の達成を実感し、微笑んだ。瞳からは怒りの色が消え、ゆっくりと元の黒色に戻ってゆく。
そして彼女もまた、床に崩れ落ちた。
腹部からの激しい出血により意識がもうろうとし始める中、彼女が最後に見たのは衛兵たちが彼女を取り囲む姿だった。




