実験21
サルカンドロ・エル・デルフィニラスの統治する領、メルカルダ領を位置的に説明するならば、リリアドラス・ラ・デルフィニラの統治する領と王都の中間地点に存在すると説明するのが最も適切で明快だろう。そして見方を変えれば、メルカルダ領は多くの辺境の地と王都を接続する架け橋と説明してもいいかもしれない。
また、サルカンドロの祖父が商人から貴族に成り上がった事実からも推察できることだが、彼の家は代々商人の家系でデルフィニラ国の中でも名の知られた大商人であった。
王都と辺境を行き来する行商人が絶えず、領主自身も商いをおこなっているメルカルダ領の別名は『商人の町』だ。他の貴族の領より段違いに大きく、金があり、物に対する要求も高いこの町では、一部の技術は王都のそれを超えている程であった。
昼間は多くの商人たちが集まり、露店を広げる様子が見られるこの町だったが、今は夜。日が沈みはじめ客どおりが途絶えると、商人たちも店じまいの判断を下し始める。休みを取りたいからではなく、明日の準備を始めた方が効率が良いから。そういった打算的な思考回路を持つ人間の集団がこの町を形成していると言っていい。
そんな明かりが消えて暗くなっていく町の中で、一か所だけ人の減る様子の無い場所があった。それこそが、領主サルカンドロの屋敷。町の中央にそびえ立つ巨大な屋敷の周囲には、暗くなった今でも、何人もの衛兵たちが屋敷を囲むように警護を行っている。
その屋敷の裏口に一つの影が近づいた。
「お待ちください、領主にどのような御用ですか」
裏口を警護していた二人の衛兵たちが、入口をふさぐようにしてその影を呼び止め、その姿を確認する。
それは、美しい黒髪の少女だった。身長は女性の平均より少しばかり高く、軽くウェーブのかかった髪は闇夜に紛れてしまいそうなくらい黒い。来ている服は貴族が家で来るような簡素なドレスを連想させる物で、いかにも高級そうな髪飾りを付けていることから、高貴な出の人ではないかと思わせた。
いかに治安の良いメルカルダ領とはいえ、この年の少女がこのような格好をして夜中に歩くのは危険だ。だが、少女の冷たく揺らぎのない瞳には、何かそうならない力が働いているのではないかと錯覚してしまいそうな強さがあった。
「赤い水晶」
「――!」
少女は衛兵に目を向け、淡々とその単語を口にする。
何も知らない第三者が聞いたならば、それは理解できない単語だっただろう。だが、衛兵たち、その中でも裏口の警備を任されたごく少数の者だけはそれが暗号だと知らされていた。
「代価は?」
「大きな銀貨」
「……どうぞ中へ」
その暗号を口にした者はどのように不審な人物でも屋敷に招き入れるように。それが領主サルカンドロから彼らに下された命令であった。
王位争奪戦が始まる数週間程前から行われているこの行為の結果、衛兵たちは本来ならば絶対に招き入れる事の無いような粗暴な人間を何人も見てきた。だが、今回のように貴族のような人物がこの暗号を口にする事は初めてだったので、衛兵たちも驚きを隠すことができなかったのだ。
だが正しく答えられたのならば何一つ問題は無い。衛兵たちはいつものように怪しげな来訪者を屋敷に入れた、案内を用意する必要はないと命令されているので一人でだ。
魔法照明の働きによってほのかに明かりを維持している屋敷の中に招かれた少女は、慣れたものといった様子で真っ直ぐにサルカンドロの部屋まで移動した。屋敷の三階に存在するその部屋の前に到着すると、彼女は扉をノックした。
「誰だ」
「ビショップ・シューエルが行動困難な状況に陥ったので、代理に報告するために参りました」
「……入れ」
その言葉と声に暫く思案していた様子のサルカンドロだったが、状況の理解が重要だと判断し彼女を招き入れる決意をした。
扉が開き、ここで少女は初めてサルカンドロの姿を目にした。
サルカンドロの年齢は二十歳ほどで、その金持ち具合を表すかのような姿をしていた。言葉を濁さずに表現するならば、彼は百キロ近くあるだろう肥満体系であった。さらに、全身には高価な宝石の数々を身に着け、あらゆる方法で彼の持つであろう財を誇っている。
その姿を見た少女は、ただ黙って片膝をつき敬礼を行った。
対して、少女を見たサルカンドロに訪れた感情は驚き。
彼女が部屋に入ってから頭を下げ続けているため、残念ながら今は顔を見ることができないが、少女はサルカンドロの知るなかでもかなりの美人だった。そのような美人が貴族殺しのような連中と、どのような関係を持っているのか好奇心がうずいたが、彼はそれを飲み込んで報告を促した。
「何があった」
「その前に、確認しておきたい事がございます」
質問を質問で返されたことに、サルカンドロは苦虫を噛み潰したような顔をするが、その確認も報告に必要な事かと思い、彼は文句を飲み込んだ。
「なんだ」
「サルカンドロ様は此度の王位継承戦で何を目的とされてるのでしょうか」
「そんな事は決まっている! この俺が王となり、さらなる権力と富を手に入れるためだ!」
今更確認する必要のない事だとサルカンドロは憤りを表すが、少女はただ淡々と質問をつづける。
「リリアドラス・ラ・デルフィニラ様の暗殺を画策されたのもそれが理由でしょうか」
「リリアドラス? あぁ、あの序列最下位の女か。弱い者から潰していくのは正攻法だからな。それに一人ずつ殺して俺の地位が上がっていくのを実感したほうが、俺の楽しみも大きいだろう」
「……」
「さっきからくだらない質問ばかりだな。まずは報告を聞か――ッ!」
敬礼を解いて顔を向けた少女の目を見てサルカンドロは絶句した。自分が何をしたのかと自問したくなるくらいに、彼女の視線は怒りで染められていたからだ。そして視認できるほど赤い魔力がその瞳に集まっている。
「お前で間違いないんだな、サルカンドロ! ここで死ね!」
彼女がそう叫ぶと黒い霧が彼女の手を軸とするように渦を巻き、その中心に物体を形成し始めた。
それは黒い箱か何かのようにサルカンドロには見えた。しかし、彼は直感した。まるで子供の積み木玩具のようなその何かには、彼女の怒りと悪意全てが内包されている。あれは自分に危害を加えるためにある。
その黒い何かが火を噴く――その瞬間、二人の間に割って入る第三の人物が現れた。それは髪を全て剃っている、薄茶色の肌をした筋肉質の大男。
ガキン、と。硬い物同士が恐ろしく速い速度でぶつかったかのような音が鳴ったその瞬間、それをスタートダッシュの合図とするかのように大男が少女に詰め寄った。
その距離わずか三メートル。大男が少女までの距離をゼロにするのに数瞬もかからなかった。そして彼は自身の巨体の加速によって生じたエネルギー、その全てを注ぎ込むかのように右足で蹴りを放った。
完全に不意を突かれた形となった少女にそれを回避するすべはない。
サルカンドロの目には、少女が凄まじい勢いの蹴りを食らい、扉を壊しながら部屋の外に吹き飛ばされたかのように見えた。
「やったか!?」
「まだだな、俺の攻撃が入る前にあいつ盾みたいなもんを出しやがった」
大男のその言葉を肯定するかのように、土煙を上げる扉の向こう側から少女の立ち上がる音が聞こえた。
「お前はサルカンドロの騎士、ダズガンザ・カマスだな」
「だったらどうする?」
土煙の向こう側に居る彼女がどのような表所を浮かべているか、室内からはうかがい知れない。
「貴族殺しは別にいい。命令されて請け負っただけだから。だけどそいつを殺す邪魔をするなら――お前も殺す」
だが、煙の中でも爛々と赤く輝く彼女――上神電荷の瞳はサルカンドロにもよく見えた。




