実験19
リリアにしがみついていた三号にナイフが突き刺さり、彼の背中から血が花を咲かせるように溢れ出した。
どこかから投げられた?!
慌てて周囲を確認するが、一階のベランダから見える庭にはいつも通り平穏無事なままだ、草木が何本か生えてはいるが、妖しい人間が隠れられるようなスペースはない。
つまり、敵がどこの誰かすらわからなかった。
でも今はそれよりも!
「ぐッ……」
リリアが苦悶の声を漏らす。
三号に刺さっていた刃渡り十五センチ近くのナイフは完全に三号の胴を貫き、抱えていたリリアの胸にも達していた。三号が間に入っていたから良かったが、彼がいなければ完全に心臓まで達していただろう。
彼女が来ていた白い服は彼女の胸を中心に鮮やかに赤く染まっていた。
「くそッ!」
まずリリアの安全を何よりも先に確保しなくてはならない。
素早く周囲を警戒しながら彼女を抱えて屋敷の中に滑り込み、入った直後にベランダに続くドアを閉めた。ドアや壁に取り付けられた窓から外の様子が見えるが、未だに変わった様子はない。
「リリア、大丈夫?!」
「はい、血は出ていますが傷は浅いみたいです……でも、サンゴウさんが……」
三号は仕方がない、今はリリアが無事でよかった。医学の知識はまるでないが、素人目にもその出血の量であれば危険とは程遠いと判断できる。
だけど、わたし達はまだ安全じゃない。
まだ、これをやったやつがどこかに居る。
誰かがまた、リリアの命を狙ったんだ。
わからない。
本当にわからない。
リリアの命を私利私欲で奪おうとする、人間の心が理解できない。
赤くて黒い。可燃性で粘度の強い。そんな感情が、わたしの全身を満たしていくのを感じる。
リリアを部屋の隅のベランダから最も離れた位置に座らせ、外に続く扉に向けて銃を構える。
その時、窓ガラスが突然割れた。そして、まるで窓から飛び出てきたかのように四センチほどの石が部屋の中に転がった。
おかしい。石を投げて窓を割ったのだろうという事は理解できる、だけど石が窓を割る手前、窓に迫ってくるまでの状態を見ることができなかった。考えられるとしたら――スキル。
「――ッ!」
まるでわたしの考えを証明するかのように、わたし達から四メートルほどの位置に突如ナイフが出現した。だが静止した状態で、ではない。割れた窓の方向から投擲されたらしく、ナイフは凄まじい速度でリリアに向かって迫っていた。
だけど、この速度なら問題ない。
わたしの目は迫りくるナイフをとらえている。手に握った拳銃の銃口をナイフの移動先に合わせ、引き金を引いた。銃弾とナイフは空中でぶつかり合い、ナイフはその軌道上から弾き飛ばされた。
そして部屋に、一瞬の静寂が訪れる。
相手のスキルを考えろ、何ができて何ができないのか。ナイフを出現させる能力ではない、それならば窓を割る必要は無いはずだ……。となるとやはり――
ドアノブがゆっくりと回されていた。
それは奇妙な光景だ。ドアに取り付けられた窓には庭の光景が広がっているだけなのに、まるでそこに何者かが存在していて、その何者かがドアを開けようとしているかのようだ。
ドアノブが最後まで回されると、バン! 勢いよく扉が開けられた。
――あいつのスキルは自分と周囲の物を透明にする力だ。
「仕留める!」
ドアまでの距離は六メートル十五センチ。わたしはドアに向かって一メートル程の距離を踏み込み、手に持っていた短機関銃を正面一体に乱射した。
弾丸が雨のように降り注ぎ、ガラスを割り、扉を貫通し、壁をえぐった。わたしの周囲に攻撃していない場所は無い、だが――
当たった感覚が無い……。
予想されて然るべきだった。わたしは窓から投げ入れられた二回目の投擲を拳銃で撃ち落としている。つまり、敵はわたしの武器の性質を把握していて、その上で再度確認を行うためにドアを動かしたのだ。勢いよくドアを開けたのはきっと自らが安全な位置に下がった事のカモフラージュだろう。
だとすれば、不味い。
先ほどの不用意な攻撃によって、敵にわたしのスキルの有効射程を知られただろう。有効射程はラッドクォーツにも指摘された、わたしのスキルの弱点だ、どんなに強力な武器でも、射程の短い飛び道具というだけで評価は下がる。
わたしはリリアのいる部屋の隅まで後退し、周囲に弾幕を張り続けた。知られた以上隠す必要はない。今すべきなのは透明になっている何者かを近づけない事だ。
「何事ですかな!」
背後の扉が開かれる。騒ぎを聞きつけてやってきたのはワスコだった。
「ワスコ、リリアの治療をお願い! 後ここからリリアを出して」
「むぅ、かしこまりました」
ワスコがリリアを連れて部屋を出ようとしたその時、わたしから距離二メートルほどの位置で弾幕をかいくぐってきたナイフが出現した。
さっきより姿が現れる位置が近い、間違いなく有効射程ギリギリから攻めてきている!
現れたナイフに急いで銃口を合わせ、撃ち落とす。
その時、リリアの背後にある壁の天井付近がドンと蹴られる音がした。まるで何者かが壁を蹴って跳躍したかのように。
「マスター!」
『奇械』が警報を鳴らす。
音の方向に振り替えればその理由はすぐに判明した。
リリアの頭上一メートルほどの位置に、ナイフが出現している。
撃ち落とすのは間に合わないッ――!
「ぐっ……」
頭上から投擲されたナイフが肉を裂き、辺りに血をまき散らした。だが、命中したのはリリアにではなく、わたしの左腕にだ。
「デンカさん!」
リリアが血を流すわたしの腕を見て悲鳴を上げた。
腕は……大丈夫だ、動く。傷は大きいけど骨や神経は無事みたいだ。
だけど、そんな些事より重要な事がある。
今、あいつは確かに『音』を立てた!
わたしは『それ』を作り出し、出来るだけ大きな音で一度拍手をした。
「『奇械』! あいつの場所を特定しろ!」
髪飾りの形状を模したその機械の機能は、集音と時間の計測。
音の速度は敵が透明の状態でも音が出せるなら、当たった音の反響にかかった時間で方向も距離も割り出せる。
「前方右二十度、距離約六メートルでス」
今度は逃がさない。
機械が計測した通りの方向に距離を詰め、短機関銃を乱射した。
「ぐあッ!」
今回は確かに相手を撃ち抜いた手応えがあり、予想していた位置より少し離れた場所で、うめき声が聞こえた。わたしが近付くのに気付き、逃げようとしたが間に合わなかったのだろう。今度は機械に頼るまでもない。その方向に銃を向けてとどめを刺そうとすると、一人の男が姿を現した。
そこにいたのは、髪にワックスか何かを塗っている様子のチャラチャラした男だ。彼は手を挙げた状態で座り込んでいる。
「待った待った! 降参するっしょ! だから命だけは取らんでくれ~」
わたしの弾丸はそいつの脚のモモを貫いていたみたいで、逃げるのを諦めて降参することにしたようだ。
まぁこれだけしておいて命乞いなんて許すわけないけどね。
再び銃を向けようとすると、リリアがわたしを制止する。
「待ってください!」
「どうして? こんな人間は生きていてもろくな事をしないよ」
わたしの言葉に男は顔を青くする、そしてリリアは少し険しい顔をした。
「それでも、無抵抗なら殺す必要はありません。それに、聞かなければならない事もあります」
「なんでも答えるっしょ! だから命だけは~」
「……武器を捨てて。リリアがそう言うなら殺さない」
男は見苦しく命乞いをしながら、全身のベルトを外してナイフを床に置いていく。凄い量だ、数十本はあるだろう。
「質問の前にワスコ、デンカさんの傷を治療してください」
「かしこまりました」
ワスコがわたしの腕をとると、彼の手がほのかに赤みを帯びた。確かワスコは上級治癒魔術師と言っていたが、劇的な速度で怪我が回復しているわけではない。あくまでゆっくりと、でも確かに傷が癒されていく感触があった。
それを確認して安心した様子のリリアが男に向き直る。
「あなたは誰で、なぜこんな事をしたのですか」
「俺の名前はビショップ・シューエル。スキルは『透化』。貴族殺しのメンバーだ。んで、こんなことをした理由ってのはサルカンドロの坊ちゃんに雇われたからさ。今王族同士で殺し合いしてるっしょ? 俺達もそれよそれ」
その名前を聞いてリリアは苦い顔をする。
「サルカンドロ……彼が私を狙っているのですね。貴族殺しは後何人いるのですか」
「俺たちは四人だったから後はボスだけっしょ。まぁボスはサルカンドロの騎士とかになったらしいから攻めに使うってのは無いとは思うがね~。あ、ボスのスキルは俺にはわからないんでヨロシク」
聞きたいことを聞き終わったらしいリリアは、ビショップを縛って牢屋に入れるようにワスコに指示した。そして彼女は三号の死体を大切そうに抱きかかえながら、わたしの前に来て涙を流した。
「ごめんなさい……デンカさん。わたしのせいでこのような怪我を負わせてしまいました。それにサンゴウさんはもう……」
「リリアのせいじゃないよ」
そんな言葉を口にしただろうか。
でも、わたしの心はどこかもっともっと遠いところにあった。