実験18
「いち足すいちは?」
「に~!」
今わたしの目の前には、三十三人の少年少女達が原っぱの上に座っている光景が広がっている。年齢は下が八歳ほど、上がわたしより少し年上の十七までと幅が広いが、その全員がわたしに目を向けている。
はい。
王都から戻ってきて一週間ほどたちましたが、わたくし、ウワガミ デンカは何故か教鞭をとっております。
理由は多数あるんだけど、前提として村の人たちの中に数学が扱える人が存在しない。現在この領の中で算数を理解できるのはわたし、リリア、ワスコ、そしてメイドの四人だけだ。そして四人全員が屋敷の住人だって言うね……。
つまり、村にはおよそ数学と形容できる文化が存在しないのだ。村では物々交換が基本だから貨幣もあまり扱われず、数学を理解するメリットが無い。定期的に行商人が村にきて日用品やら何やらを売りに来ているらしいが、そこでの取引は殆どリリアが行っているので関係が無い。
だけど今後村を発展させることを考えると、この状態はわたしにとって喜ばしくない。
今はまだ単純な作業ばかりだから、わたしが的確な説明を出しさえすればその指示通りに動いてくれているけど、これが複雑な作業に入ってきたらわたしの指示の無い状態で動いてもらわなければならない。その時、掛け算ができるかできないかだけでも大きな差が出るだろう。
後、実はデータを取り始めたいって理由もある。
鉄とかレンガとか骨粉とかを作り始めたのは良かったんだけど、この世界の物理法則や化学法則がどの程度地球と違うかはまだ正確に判断できてない。例えば地球では骨粉を使えば作物の収穫が増加するのが一般的だけど、この世界でもそうとは限らないのだ。そこで実験による仮説の検証を行いたいわけだが、一人で収穫のデータを取るのは骨が折れる。
助手が何人か欲しい――そんな私欲もあって村の子供達を借りてくることにした。
「せんせぇ~」
「デンカちゃん先生!」
授業を始めてからまだ数日なのに、生徒の皆は意欲的に質問をしてきてくれる。まぁわたしと同年代も多いからか、あまり敬語を使ったり敬われたりしてないけど。
ちなみに『奇械』で道具を用意してるから、地べたに座る生徒たちと違ってわたしの周りだけ近代的だったりする。なんかごめんね。
「いち足すいちはなんでいちなの~?」
「バカ!お前そんな質問したらまた昨日みたいに……」
九歳くらいの男の子が手を挙げてそんな質問をしてくる。
いち足すいちがなぜいちになるか……小学生で教える範囲じゃないけど、教師として生徒の疑問にできる限り答えてあげないと。
「説明するとしたらワイトヘッドの……自然数の定義から説明するべきかな……まずはゼロの概念について……」
どうやって説明を始めるか考えていると、中学生くらいの女の子が空に手をかざして叫んだ。
「あっ雨だ! 今日は授業は中止だね先生!」
空を見上げれば曇り空が広がり、わたしの額にも冷たい雫が当たるのを感じた。屋根も何もない自然の中の青空教室だから、こうなってしまっては続けることができない。
「恵みの雨だぜ~!」
「いや~残念! ほんっと残念だな~!」
恵みの雨って農家的な意味でだよね? 授業がつぶれてうれしいって訳じゃないよね?
満面の笑みを浮かべた生徒たちはクモの子を散らすように帰ってしまった。
むぅ……もしかしてわたしは教師に向いていないのだろうか。でも、高校では後輩とか同級生とかが勉強一緒にしたいって言ってくれてたんだけどな……。
「マスター、認めましょう。マスターは教師に向いていませんヨ」
教卓が突然しゃべりだした事にとてもとても驚いたわたしは、周囲の『奇械』を消して、リリアの屋敷に戻ることにした。
「おかえりなさいませ、デンカ様」
屋敷の玄関ドアを開けると、すぐ見える位置にワスコが立っていた。手にタオルを持っているあたり、外の雨に気が付いて私が帰ってくることを予想していたのだろう。
一家に一人欲しいな、ワスコ。
「どうぞ」
「ありがと」
あまり髪が濡れてるのとかは気にしないのだけど、せっかく用意してくれたのでタオルを使って乾かしておく。
「ではもうすぐ昼食ができますので、それまでお待ちください」
時間ができた、どうするか。まぁ決まってるんだけどね。
屋敷の中を少し探し回ると、リリアがベランダの椅子で三号を抱いているのが見えたので、すぐ目の前に座ることにした。
最近三号のリリアに対するなつき度が半端ない。三号になりたい。
「デンカさん? ああ、この雨では確かに授業は出来そうにありませんね。本当は教室を提供できれば良いのですけど……」
「いやいや、わたしが勝手にやっていることだから気にしないでよ。それに教室が必要になったら今度自分で建てるし」
「ご自分でですか? わたしデンカさんには驚かされてばかりです……」
少し微笑んでから、リリアは真剣な顔つきになった。人の心を見ただけで当てるなんて出来るはずもないけど、彼女の喜怒哀楽がわかりやすい。
「何かあったの?」
「はい……実は私たちが王都を後にした後で、二人ほど貴族の方が亡くなった――いえ、殺されたそうです。それもそれぞれ別の場所で、全く異なる死に方をしていたそうです」
「つまり少なくとも二組の候補者は殺し合いを始めたってことになるのか」
「あまり驚かれないのですね」
「まぁあの時の広間の様子を考えるとね……」
少し暗い雰囲気になったのを察してか、リリアは立ち上がって話題を変えた。
「そろそろ昼食の時間ですし、食堂に行きましょう。残念ですけどサンゴウさんはお部屋に戻らないといけませんね」
そう言ってリリアは三号をカゴに戻そうとするが、三号はリリアの腕を上るようにもがいて抵抗する。
「キュイ!」
なんだ、この畜生あさましいな。
そう言って引きはがそうとした瞬間、リリアの胸にしがみつく三号の背中から何かが生えたように見えた。
赤い液体をまき散らすそれは、刃の柄。