二日前の夜~前日の朝:パン屋
夕暮れの街を『互助会』の開かれる集会所に向かいます。
彼の事ばかりを考える私は上手く歩くことも出来ずに。
周りも見ないでフラフラと。酔っぱらったおじさんのようにあちらこちらにぶつかって。
それでも、行かないと。
可能性はまだそこにきっと――
「こんばんはエミリ。ど、どうしたのよ?酷い顔してるわ」
いつの間にか着いていた目的地で。出会ってすぐに親友のマリベルを驚かせてしまいました。
ごめんね、もっとあなたを心配させてしまう。
「………………参加だけを伝えられたわ。」
少しは大丈夫にみせようとしたけれど。
私は上手く言葉が出てこなくて……
どうにか振られたという事実だけを告げました。
覚束ない足取りで現れた私に注目が集まっていたらしく。
周囲の緊張が一気に高まっていくのを感じます。
男性と違い一生に一度しか『精霊祭』に参加出来ない私達は……
絶対にこの機会を逃せません。
そのため、『互助会』で『告げる者』と『候補』について常に最新の情報を共有して。かなり強引な調査も躊躇わず。
全ては同期の『精霊姫』が全員が幸せになるために。誰とも結ばれることなく『背教者』とされないように……
意見はまとまらず。対立を重ねたけれど。
諦めずに話し合いを続けてきて。
そうして、私たちが最後に選んだ方法は――
葛藤がありました。自分を好きになってくれたことは本当に嬉しくて。
そのやり方は好意を突き返すようで……
それでも、『告げる者』も『精霊祭』での告白が成功した方が良いはずと……
何度も自分に言い訳をして。
他に好きな人がいることを。自分には告白しない方が良いことを。
幾人かの『告げる者』に仄めかし、他の『精霊姫』に気が向くように仕向けました。
『精霊姫』同士で際限なく『告げる者』を奪い合うことを避けるために。
……彼を他の『精霊姫』から守るために。
ここにいる『精霊姫』達は多かれ少なかれそのような経験を持ってます。
だから――まだ。
「誰かアスランという冒険者から『候補』にされなかったかしら?参加は確定しているから今日にも指名があったはずだけど……」
これが最後の希望――
私はアスランの一番になれなかったけど……
だったら、一番になった『精霊姫』から譲ってもらう。
酷いやり方だと思います。一生、アスランに後ろめたい気持ちを抱くことになるかもしれない。
でも……どうしても。あなたのことが。
祈る思いで周囲を見渡して――
誰かが名乗り出るのを願います。
ただ、誰もが顔を見合わせるばかりで。
そこには沈黙以外の何もなく。何も……希望も……消え去って。
「またあの教会の子よ!」
「あの『偽りの天使』のせいよ」
言葉を取り戻した皆はこの場に参加していない唯一の『精霊姫』を非難します。
私はその様子を――別世界の出来事のように眺めていました。
ただひとつ、理解して。
この恋が――
終わったのだと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「辛いと思うけど……エミリどうしたい?その冒険者以外の人から『候補』の指名はもらっていたでしょ?今から調整するから」
涙を拭ってくれた親友の声で我に返り、今の気持ちをありのままに。
「ごめんなさい……よく分からないの。彼以外の誰がいいなんて……でも、『背教者』になってしまうのは嫌。私はこれからもこの街でみんなと暮らしたい」
誰とも結ばれなかった『精霊姫』は『背教者』と呼ばれ蔑まれます。
精霊の教えを守らなかった者の末路は悲惨なほど望ましいのです。
「――の告白を受けるということでいいわね」
マリベルの言葉が上手く頭に入って来なくて。
時間をかけてようやく同じ『火族』の幼馴染の名前だと理解できました。
昔は結婚することになるのかな……と思っていた人でした。
私が恋を知るまでは。アスランを好きになってしまうまでは。
「こんな調子だしエミリを休ませようと思うけど……いいかしら?私が家まで送ってくるから『調整』始めておいて」
仕切ってくれるマリベルに申し訳ないな。そう、他人事のように思います。
『精霊祭』の直前に突然の相手変更。『調整』は困難なはず。
本当は私も残って話し合いに加わるべきなのに。
どんな人なんだろう。アスランが選んだ人は。
私と多くの友人の希望を奪って傷つけて。
『偽りの天使』と呼ばれる人は――
そんなことをぼんやりと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
親友に連れられるまま帰宅して、食事にして――
上手くフォークが使えず何度も何度もテーブルに食べ物を落としてしまい。
それでも、お母さんは何も聞かずにただ寄り添ってくれて。
どうにか『精霊祭』に向けて身を清めることだけは欠かさずに。
ベッドの上で布団に包まり……ようやく、自分と向き合いました。
これからのことを決めるために。
彼のことばかりの思考を止めて……
私なりに将来のこととか考えて……苦しいけれど考えて。
花嫁姿を両親に見せたかった気持ちを思い出して。
明日からは私を愛してくれる人を愛そう。
……そう心を決めました。
ですから、精霊様。せめて今夜、眠るまでは。
アスランのことを想っていいですか?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝の開店作業が憂鬱なのはいつぶりでしょうか。
彼のためだけに焼いた『いつもの』パン、彼が『エミリスペシャル』と呼ぶパン。
これで最後――もう特別にパンを焼くことも冒険の無事を祈ることもするつもりはありません。
『精霊祭』でアスラン以外の人と結ばれる。その人以外への『特別』は許されないことですから。
昨夜、彼との出来事をひとつひとつ思い出し。それを心の奥底に沈めていって。
――この関係に終わりを告げる覚悟を決めました。
でも、いつもの時間になっても彼が来店しません。昨日のやり取りが別れの挨拶だったのでしょうか?
ただ、彼は「明日も買いに来る」と言ってくれました。
約束は守る人のはず。別れを受け入れてもそこは信じています。
不意に石畳を駆ける音が聞こえてきて、ドクンドクンと心臓が騒ぎ出し。
深呼吸をして彼を迎える心の準備を整えます。
きっと……最後になるだろうから。別れ以外にも伝えたいことは残さずに。
お店の扉が勢いよく開かれて――
けれど、現れたのは思い描いた人ではなく。
「マ、マリベルどうしたのこんな時間に?道具屋の勤務中でしょ?」
大きく肩で息をしている彼女は重要なことを伝えるべく急いで来たのでしょう。
昨夜の『調整』でまた大きな問題が発生した?
驚きはしましたが、とにかく彼女を椅子に座らせ飲み物でも出そうとしたところで――
意を決したのか、マリベルが赤薔薇色の瞳を向けてきます。
「色々と迷ったけど、やっぱり伝えるべきだと思って。あなたを振った……と思われてる冒険者だけど。一人で異世界に行ったきり戻って来てないわ。昨日、衛兵に『贈り物』のため二界に向かうと伝えたきり」
駆け出して。言葉を聞いてすぐに教会を目指していました。
涙で滲む視界も気にならず。ただ夢中で走って、走って――
そうして、倒れこむように精霊様の像の前に跪いて。
彼のこと考えることを――
彼の無事を祈ることを――
彼を愛することを――
止める?
無理だよ。そんなの絶対無理。嫌だよ。明日も彼のためにパンを焼きたいよ。
どうして、そんな無茶をしてまで『贈り物』をしようとしたの?
私なら……私なら要らないのに。
アスランと交わした言葉、過ごした時間、その全てが宝物で……それだけで幸せで……
どんなに素敵な『贈り物』でも彼の安全と引き換えなら要らないのに。
彼がそば居るだけで、私を見ていてくれるだけでいいのに。
一緒に生きてくれるだけでいいのに。
どうか……どうか精霊様……
アスランを守ってください。
アスランを生きて帰してください。
ふと、祈る私の背後から声がかかります。知り合いのシスターとは違う、透き通るように美しく胸に響く声が――
「そのままで……精霊はありとあらゆる場所に存在します。この世界だけではなく異世界にも。想像なさい。異世界を、二界を、暗い暗い水と洞窟の世界を。その世界に住まう精霊を。そして祈りなさい。その精霊に向けて。」
声の主の手が私の背中に触れました。そこから暖かい何かが私の体に伝わってきます。
言われるがまま私は二界の精霊に向けて祈り――
その瞬間に体から何かが抜けるのを感じ――
「我慢なさい。私の技能で少しでもあなたの祈りが届くよう繋げたから。その分、魔力を消費するから辛いと思うけど――」
それでアスランが助かるなら――
祈りを捧げます。その度に扱えないはずの魔力を放ちながら――
何度も、何度も。
祈ります。
いくらでも。祈ります。
何度も、何度も。
「魔力切れね……」
そこで私の記憶は途切れました。
おそらく『偽りの天使』と呼ばれる人に抱きかかえられながら。