二日前の夜:パン屋
フラれてしまいました。
『精霊祭』の二日前。予感もなく突然に。
私も商売人だし仕事をしながら時間を作ることの難しさを知っています。異世界が職場の冒険者はなおさらでしょう。
過去に何人か私に好意を寄せてくれた……と思える男の人は居ましたが、ここまで通い続けてくれた人はいませんでした。
だから彼が……毎日私の焼くパンを買いに来てくれたアスランが……
『精霊祭』で私に告白してくれると信じて疑っていませんでした。
何より私に向けてくれた優しいが瞳が……彼の笑顔が……
好きでもない相手に向けるものとは思えなかったのです。
兄弟は居ないし魔力も少ない庶民の私が学校に通えるはずもなく。
年の近い男の人との会話は同じ『火族』の幼馴染と少しあるだけ。それも彼が鍛冶師の見習いになった頃からはどんどん減ってしまって。
ですが、昨年の『精霊祭』が終わり次の『精霊姫』になった途端に世界は変化して。私は次々と男の人に言い寄られるようになりました。
周りの女友達や親友のマリベルはそれに上手く対応していて……
私もどうにかしなきゃって思ってて。でも、何を話せば良いのか全く分からなくて。
出来ることは愛想笑いを浮かべて相手の話を聞き大袈裟に褒めることだけ。
楽しいものではありませんでした。ふと、何をしているのだろうと疑問に思ったりもしました。
それでも、この街で暮らし続けるには『精霊祭』で相手を見つけなければなりません。
だから、なるべく良い人と結ばれるため。多くの人から『精霊祭』で告白されるように。
そう思って毎日……無理にでも笑顔をつくるのでした。
結局、私にとって男の人との会話とは相手の機嫌をとって媚びることでした。
あの日、彼がそんな私を壊してくれるまでは。
アスランが突然『タメ口』で話そうと提案するから。もう、他人行儀で話すのは嫌だと我儘を言うものだから。
私は敬語の方が楽というかそれしか出来ないと思ってましたが……でも、男の人の要望に従うのもやっぱり私でしたので。
だから、慣れない女冒険者風の口調で一生懸命に話してみたのに。それを聞いたアスランが笑うから。
悔しくなってつい「もぅバカにして!」と言ってしまって。怒った感情を見せてしまって。
やってしまったと思い、恐る恐る彼の顔を見ると……そこには満面の笑みがあって。それは、作り笑いばかり上手くなってしまった私にはとても輝いて見えて。
「ほら、本音で話せるようになったでしょ。でも、笑ったのはごめんね」
そう彼が謝るので「ふ、ふん。分かれば良いのよ」と許した自分の言葉が自分でも可笑しくなってきて。
少しの間をおいて……目が合った瞬間に今度は二人で一緒に笑って。私は初めて本心から笑えていて。
それからは、お母さんやマリベルが馬鹿にせず女冒険者口調の練習相手になってくれた日々が思い浮かびます。
上達した口調は確かに少しずつ私を変えてくれました。
相手に合わせるだけだった会話に私の話したいことを含ませることが出来るようになって。演技ではなく本当に気持ちを込められるようになって。
交した言葉達が頭の中を駆け巡っています。
彼との時間が楽しみでした。彼が居ない時も……明日はどんな話をしよう。そう考えては心が躍るのでした。
『精霊祭』で結ばれ結婚して……いつか彼が冒険者を引退する日まで。
こうした日々が続くのだと。幸せだなと……
そう思っていました。
終わりは本当にあっけなく――
「僕も『精霊祭』に参加する予定だよ……」
彼は続けてくれませんでした。『候補』に入れていると。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『煌桜』――
それは告白の舞台となる広場にそびえ立ち大昔から街の発展を見守ってきた大樹のことです。
毎年『精霊祭』の夜に星のように輝く花を咲かせ……舞い散ります。
その大樹の下で行われる『精霊姫』への告白は子供からおじいさんまで未婚者なら誰でも参加可能で――
告白と称して今まで繋がりのあった人達が門出をお祝いをしてくれたり……観光に来た人が記念に挑戦してみたり。
そうした一般の告白者とは違い、精霊の加護を受けた『煌桜』の小枝を胸に挿す資格を得た『告げる者』と呼ばれる人達がいます。
経済力を示す『贈り物』を用意し、精霊様に『精霊姫』への愛を誓うことで相手を幸せにする力と心を認められた男性……
それが『精霊姫』にとって真の意味で『精霊祭』の参加者……
『告げる者』は事前に最大3名の『精霊姫』に対して告白の『候補』に入れていることを伝えます。お互いが相手選びを誤らぬよう。誰かへの未練を断ち切るように。
もしも『告げる者』が『精霊姫』に『候補』の話をせずに『精霊祭』へ参加することを伝えた場合――
それは暗に別の思い人がいることを意味します。
つまり、アスランは私に告白しない。
そう理解した瞬間に私の心を闇が覆い尽くして――
動揺して混乱した挙句に「後悔させてやる」と恨み言を言ってしまって。その直後から発言を後悔して。
なんとか形だけでもいつものように祈りを捧げて彼を見送った後……
ただ、ひたすらに。茫然と立ち尽くしたのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「私、フラれちゃった……」
泣いている私を見つけた母が無言で抱きしめてくれて……その温もりで一言だけ言葉を絞り出すことが出来ました。
仕事を休むよう言われて部屋に戻ったものの……何もやることを思いつかず、眠ることも出来なくて。
ただ、ベッドの上で同じ事ばかり考えていました。
『精霊祭』での告白の作法を知らなかっただけでは――?
アスランは商業が発展したこの街に冒険者の仕事を求めてやって来ました。出身地とは宗派も違うようで精霊教にも詳しくありません。
だけど――
告白されることを疑っていなかった私に『断り』を入れるのは正しく作法に則った対応です。私を次に進ませるための彼の優しさにも思えます。
それでも、知らなかったのでは?
でも――
その思考を繰り返し。何度も何度も繰り返し。僅かでもいいので希望を見つけようと繰り返し。
お昼の食事も忘れて空が暗くなりお母さんに呼び掛けられるまで……ずっと。
「エミリ、時間よ。辛いだろうけど『互助会』には参加なさい。それが、この街で暮らす女のルールよ」
『精霊姫』が集い情報交換を行う『互助会』への欠席は考えられません。
お互いの利害が交錯する状況において……
全員が幸せを掴むために協力するための集いですから。
そのことを知る元『精霊姫』だった者として、仕事は休ませても『互助会』には出席するように言うのでしょう。
それに『互助会』での情報は本当に貴重です。
例えば、アスランが『精霊祭』に参加することも知ることも出来ました。
あの時、私は泣いてしまって。今とは反対に嬉しくて泣いていたのに――
「うん、支度するよ」
少し間を空けてお母さんに返事をして準備を始めます。
お気に入りのフリル付きの白のブラウスに夜の外出なのでスカートではなくワイドパンツを合わせて。
霧を吹きかけた髪を乾かしながら内巻きの流れをつくって。
身なりを綺麗に整えると少しだけ元気が出てきました。
「行ってきます。もうちょっと頑張ってみるね」
まだ、やれることがあるかもしれない――
小さな希望だけど。捨てずに大事にしよう。