二日前の午前③:冒険者
初めて異世界に転移した時はその光景に圧倒され――
『指導役』にぶん殴られた。『探索役』が最初に敵を探知せずに何やっているのかと。観光かと。
転移後は即探知。死にたくなければ絶対だ。
先程までのやり取りで乱れた心は既に完全に落ち着きを取り戻した。静かに……一界への転移が完了する時を待つ。
もう今では百分の一秒すらタイミングを外さない自信がある。
敵探知発動――
周囲に敵はいない。これは幸先がいい。
異世界への転移は場所を選べない。魔物のすぐ横の可能性もある。
転移の瞬間に敵を察知し安全を確保する。それが『探索役』の仕事の一つだ。
実際に転移直後に戦闘に突入する確率は低い。だけど……油断大敵。死ぬのはいつだって準備を怠った者からだ。
現在地の確認――
まず暑いし湿気が多い。木々が頭上の遥か上で太陽の光を遮って薄暗い。どうやら密林エリアだ。
周囲には毒をもつ蟲達が蠢き、遠くからはカラフルな色と大きな嘴が特徴の虹色鳥の不気味な鳴き声が聞こえてくる。
地面の状況から推測すると川が近いようだ。水場の近くは返り血のよう赤い柄の斑紋が特徴である薔薇豹が生息する可能性が高い。
最悪な場所に転移したようだ。ただし、それは一般的な基準において。
「エミリのお祈りのおかげかな」
安堵から思わず心の声が漏れてしまった。探索技能に特化した僕は生い茂る植物に影響を受けずに敵を察知出来る。逆に敵から身を隠すのに大いに役立ってくれるはずだ。後衛職には危険な蟲の毒も身体強化技能でほぼ無効にできる。 まさに僕向けのエリアだ。
魔力感知――
周囲の安全を確認した僕は最後に今回の目的である異界石の魔力を探し始めた。
自分を中心とした円形の感知範囲を拡げていく。
大きな魔力……活発に移動する魔力……
最初の頃はかなり苦労したけど、今では――
うん。きっとこれだ。
早速、異界石の反応を感じ取った僕は、その場所を視た。
二界へ繋がる異界石と元の世界に戻る帰還石の魔力反応はほぼ同じ。少なくとも僕には区別出来ないし、出来る人の話を聞いたこともない。
魔力感知のみでは実際に現地にどちらの石があるかは運次第だ。
だけど、僕なら……
その場所をここから視ることが出来る。
魔力を感知した場所には見上げる程の高さを誇る大樹が“視え”た。葉の一枚一枚が薄っすらと青白い光に覆われていて神々しい雰囲気だ。
これが僕のとっておきの技能である【精霊の瞳】の力。世界に住まう精霊の視界を借りて様々なものを視ることができる。
冒険者ギルドによると、相当なレア技能らしく公にすると精霊を信仰する教会に強制的に就職させられるとのこと。今後も絶対に黙っておこう。
精霊にお願いして大樹の根元周辺を探索してもらう。好奇心旺盛な精霊は輝く葉に興味津々で少し苦労したけど……
どうにか赤黒く輝く異界石が見つかった。
心の中で感謝を捧げ技能を切る。
最後に――
「ステータス」
左手の掌を上に向けて唱えると半透明の硝子板に現れ光輝く文字が浮かび上がった。
アスラン
種 族:人間
年 齢:16歳
性 別:男
レベル:1
到 達:1界
【能 力】
生命力:99%
魔 力:75/81
筋 力:55/55
耐 久:52/52
敏 捷:67/67
器 用:89/89
知 力:81/81
【技 能】
戦 闘:剣 術Lv.1,身体強化Lv.1
冒 険:探 索Lv.3,宝獲得Lv.2,気配遮断Lv.1
特 殊:精霊の瞳、ステータス
【ステータス】とは異世界でのみ発動する技能だ。教会の説明によると異世界は神が人間の成長のため創造した場所であり、その目的を果たすための手助けとして冒険者達に【ステータス】の技能を授けたということだ。聖女様が地上に降臨された天使様から聞いたらしいし間違いないと思う。
ここまで確認を終えるのに数瞬。多少魔力を少し消費しているけど許容範囲だ。転送地点が熱帯雨林エリアだったのも好条件。
後は【探索】と【気配遮断】の技能を駆使して敵を避けて進む。いつものPT行動中の帰路と同じことをするだけ。そのはずなのに。
怖い――
仲間がいない。接敵するとまず死ぬ。この事実が僕にとてつもない圧力をかける。心臓の鼓動が鬱陶しい。手には汗が滲み喉がひどく渇いている。
それでも……
震えて制御出来ない足を殴りつけ無理にでも動かそうとする。
エミリに言ったのだから。「僕は死なない」と。だから絶対に生きて明日もパンを買いに行かなければならない。僕はこんなところで終わる訳にはいかない。
下半身よりはまだ自由の効く腕を使い荷物をまさぐる。
勇気をくれるものにはアテがある。
ピリッと効いた香辛料。ジューシーな荒くれ豚のウインナー。
彼女の焼いた……エミリスペシャルだ。
作り置きしないパンにはまだ熱が残っていて……それが恐怖で凍えた僕を優しく溶かしてくれるようで……
心と体が恐怖から解放される。自由を取り戻していくのを実感出来た。
いつだってこうやって乗り越えてきたのだ。格好悪いから絶対に誰にも言えないけど。
猛然と異界石に向かって突き進む。空の虹色鳥からは生い茂る植物で身を隠し、薔薇豹等の地上の魔物達は相手より先に探知して回避する。卑怯猿の群れは樹上を移動する敵の速度の遅さを突いてスピードで振り切った。異界石まであと少し。
ここまでは理想的な展開で……僕もミスなんて一つも犯してないのに。
もう少し……もう少しだったのに。
敵に捕捉されている――
全力疾走中に卑怯猿とは違う魔物の反応を捉えていた。猿達に追われているため無駄に遠回りすることも出来ず。突っ切るしかなくて。
気配遮断スキル頼るかたちで正体不明の魔物の少し横を通過したのだけれど……
ここまでの幸運が裏返ったように敵も【探索】技能持ちだったようだ。しかも、速い――
異界石の付近は魔物が近寄れないため逃げ込みたいけど……無理だ。敵は速すぎる。
この密林エリアで【探索】技能持ちの敵。そして異常な速さ。
間違いないだろう。
追跡者は不可視蜥蜴。透明の姿と高速の動きを駆使した戦法で幾つものPTを壊滅させた魔物。このエリアで……いや、この一界で最も危険とされる魔物の一体。
力や耐久こそ低いけど、空間の揺らぎや移動の度に微かに舞う砂埃から位置を推測しなければならない強敵――
ただし、それは一般的な基準において。
反転一閃。背後から鋭い爪で襲い掛かる敵は勝利を確信していただろうか。
僕の剣があっさりと不可視蜥蜴を斬り裂いた。
「残念でした。僕には“視え”てるから」
不可視蜥蜴、この敵は【精霊の瞳】を有する僕にとってはこのエリアで最弱の敵なのだ。
致命傷を負った敵が程なく霧散するのを確認し戦闘態勢を解く。
「今日はツイてると思ったけど……僕も残念。宝は無しか」
でも、今回は宝が目的ではない。再び駆け出した僕は【精霊の瞳】で事前に周囲を確認していたこともあり容易に異界石を発見することが出来た。
この異界石の周囲は魔物が近寄れない安全地帯だ。近寄らないではなく、近寄れないのだ。物理的に。魔物とその攻撃のみに作用する神の結界によって。
だから当然……冒険者達はここで休憩をとる。僕も今は昼食にしよう。
異世界の大樹に寄り添い彼女のことを想いながらエミリスペシャルを食べる。最高の時間だ。
「なんで『後悔させてみせるわ』だったんだろう?」
彼女の言葉の意味が分からなかった。今、じっくり考えても分からなかった。
自分には女心が理解出来ないことだけが分かった。
それでも悲しくならず幸せな気分になるのはどんな形であれ彼女のことを考えると気分が良くなるからだ。
自覚はある。重度の恋の病を患っている。治すつもりはない。
『贈り物』を渡した彼女が喜ぶ姿を妄想して……その時の彼女の笑顔を思い浮かべて――
勇気が湧いた。二界へ行くための。異界石にはもう魔力を注いでしまった。
足下には赤……まるで血のような色の魔法陣が展開し地面からは不気味な光が蛇のように僕に絡みついていく。
「僕は死なないから」
何度も彼女に告げてきた言葉をくり返し。自分に言い聞かせるようにして――
僕は死地に向かう。