二日前の午前:冒険者
ガランゴロンと煩い鐘の音に負け僕は目を覚ます。
太陽は既にかなり高く冒険者としては遅めの起床――けど、いつも通りの時間。
昨夜の酒は最高に美味しくて……金貨を手にしたPTメンバー達は尋常ではない程に飲んでいて。
まぁ、『精霊祭』が終わるまで活動休止を宣言したらそうなるよね。冒険者だもの。そこで自重する人とはPTを続けられる気がしないし。
と、そこまで考えて苦笑した。そう自分はいつも通り起床している。つまり昨日は酒を自重したってこと。
――何故そんな馬鹿な真似を?
決まっている。今日も異世界に行くからだ。
「行ってきます!」
眠気覚ましも兼ね大きめの声で宿屋の主人に挨拶して外へ出た。まだまだ厳しい残暑の中、石畳の上を歩きつつ街がいよいよ『精霊祭』一色に染まっていくのを実感する。メイン会場となる大樹の広場を通り抜け坂道の多い路地に入るとフワリと香る甘い匂い。
それはあの娘のいるパン屋から漂うもの。今日もまた会える――そう感じる彼女の匂い。
「……今日も生きてたのね。おはよう」
微塵の愛想も感じさせない挨拶でパン屋の看板娘のエミリが出迎えてくれた。出会った頃の営業スマイルが似合う女の子はどこか遠くへ行ってしまったけど、彼女の態度の裏にある優しさを知る僕は全く気にしない。むしろ、僕にしか見せない姿を嬉しくすら思ってみたり。
「いつも言ってるでしょ。僕は死なない。おはよう」
彼女に死なないと言って明日のパンを予約する。そんな些細なことが実はとても大切で。
簡単に交わすこんな約束が窮地でも異世界から絶対に帰るって気にさせるのだ。
「死んだら困るわよ、『いつもの』が焼き損になるじゃない」
僕等の「聖銀への旅路」は新人の集まりで一界探索PTだ。
冒険は日帰りなのでパンには保存性を求めない。美味しいもの、それが正義。
僕の好みに合わせたオーダーメイドのパン。三種のチーズの破片を練りこんだ堅めの生地を特大の荒くれ豚の香辛料入りウインナーがブチ抜く。仕上げに栄養価の高い木の実とカレーパウダーをまぶした一品。飽きないように仕入れによって具材や香辛料を変えるけど基本はこれ。
持ち運びが簡単で食べ易い上に腹持ちもいいという冒険者仕様だ。エミリはこれを『いつもの』と呼び、僕は『エミリスペシャル』と名付けた。
「全く……『精霊祭』も近いのにアスランは随分と冒険にご執心なのね」
エミリに噓は吐きたくない。でも本当の事も言えない。彼女は僕が今日PTで冒険に行くと思っている。しかし、現在PTは休止中だ。
「僕も『精霊祭』に参加する予定だよ。あと、ピルロも参加予定。知ってる?軽戦士なんだけど……」
「大体知ってるわよ、あなたのPTメンバーのこと。随分と個性的みたいね。冒険者ギルドの道具屋で働いてるマリベルとは幼馴染なの。だから、冒険者の情報については事欠かないわね」
ドンマイ、友よ。道具屋の店員さんからの『個性的』って評価は多分……厳しい。
昨日ピルロも『精霊祭』で告白するって言ってたけど……お互い相当に頑張らないとね。
「でも、意外ね」
「何が?」
「あなたが『精霊祭』に参加することよ。……正直、冒険にしか興味が無いように見えたわ」
「僕も冒険第一だと思ってたよ、小さな頃からずっと。惚れた子に惚れるまで」
「……何があったのは聞かないわ。でも、参加するなら――」
エミリはそう言って茜色の瞳で僕を真っ直ぐに見つめた。急な視線の攻撃にドキッとしてしまい何も言葉が出てこない。そして、彼女も無言だ。沈黙が支配する空間で僕が一番好きな色をした瞳が何かを訴えている気もするけど――結局、それが何を意味するのか分からなかった。
「知ってるわよね?私も参加する。何度も参加可能な男性と違い……私は今年だけ『精霊姫』になるの。衣装だって母から受け継いだものを完璧に仕上げたのよ」
「え……と?」
「一度は見に来なさいってことよ。後悔させてみせるわ」
「後悔?」
「『精霊祭』の日に女性の美しさは生涯で最も輝くと言われてるの。だから、その日だけ『精霊姫』と呼ばれるわ。聞いたことない?聖書でも有名な話なんだけど……」
本当は今すぐにでも告白したい。けど、それは『精霊祭』に向けて最高の準備をした彼女に対して失礼だ。
僕も同じく最高の準備をして『精霊祭』に臨むことを胸の内で誓う。そう、告白の際に男性から渡す『贈り物』で他の誰にも負けないことを。
「いいよ、見に行く。『精霊姫』となった君を……必ず」
「祈りを捧げるわ。他のお客様が来るから早くして」
ああ、なんという塩対応。今、ちょっと良いこと言ったつもりなのに……
仕方なく片膝をつき僕は祈りを受け入れる体勢をとった。
「†††††††††††††††」
背後に回ったエミリから祈りの言葉は聞こえない。彼女はとてもとても小さな声でしか祈らないから。
一度だけ……興味本位で技能を使い盗み聞いた時のこと。
今では自分が最低の行いをした自覚のある時のこと――
「精霊様……どうか、どうか。彼の冒険を祝福してください。異世界での殺生をお赦しください。PTには信頼を、迷いには真理を、絶望には光を、大いなる貴方の愛を。どうか……どうかお与えください。今日もまたアスランを無事に送り返してください。明日もまた……」
そこで技能を切った。
正直、彼女が祈るのはお得意様に対するサービス程度のものだと高を括っていた。
あんなにも懸命に……僕のために祈ってくれているとはまるで考えてなくて。
盗み聞きを行う僕に対し彼女の祈りは只々ひたむきで……
それが自分のした行為の愚かさを気付かせて。同時に彼女への思いを気付かせて。
おそらく出会った頃から彼女に恋をしていた。
毎日、彼女と会って話をして。異世界の空の下でエミリの焼いたパンを食べ彼女のことを想う。
それで十分だった。幸せだった。
けれど、あの祈りを聞いて自覚した気持ちは際限なく膨張し――
『精霊祭』に参加しよう。この思いを伝えよう。
もう会って話すだけの関係では我慢出来ないから。
好きだから。どうしようもなく好きになってしまったから――
PTですら挑戦していない異世界の二界に独りで挑む。
そこでしか得ることの出来ない素材を用いて最高の『贈り物』を用意する。
誰にも言えない。自殺行為としか思われないだろう。間違いなく止められる。
だけど、僕は……
絶対にエミリと結ばれたくて……彼女以外は考えられなくて……
他の誰かに奪われるくらいなら死んだ方がましで……
告白の際の『贈り物』で1%でも確率が上がるなら――
どれだけ危険でもやるしかない。他に何ができる?
「じゃあ、行って来る」
言葉は震えていない。いつも通りに見えるはずだ。
「いってらっしゃい。気を付けて」
いい感じでおざなりの返事が貰えた。勘の鋭い彼女だけど、これから無茶をすることには気付かなかったみたいだ。
「明日も『いつもの』は必要かしら?」
僕は即答する。エミリに嘘を吐く気はない。異世界からは絶対に戻ってくる。
「勿論。さっきも言ったよね、僕は死なないって。だから美味しいの焼いといて」
行ってきます。二界まで。