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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
6章 白薔薇の娘
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小さな勝利


 合同演習最終日を終えて帰ってきたレオナルド達を、城門の前で待ち構えていたのはリーゼロッテであった。


「レオン様っ!」


 レイノアールの部隊を引き連れて先頭を進むヴァインスとレオナルドに駆け寄ったリーゼロッテは、不安そうに二人を見上げる。


「ヴァインス様も、お帰りなさいませ」


「ただいま、リーゼ」


「城門まで出迎えとはご苦労なことだな」


 レオナルドとヴァインスはどちらも疲れきった様子で吐息混じりの覇気のない返事で応じた。

 どちらも出発時は埃一つ付いていなかったというのに、今は二人揃って髪は乱れ服は破け、今日の戦闘の激しさを物語っていた。

 しかし、その表情は明らかに違っている。リーゼロッテは二人の顔を見比べて、小さく笑みを溢した。


「負けた」


 短く吐き捨てたヴァインスにリーゼロッテは頷くと、溢れんばかりの笑顔をレオナルドへと向けた。

 それを受けるレオナルドの表情も、晴れ晴れとしている。リーゼロッテは彼の顔に付いていた泥を手の甲で拭い、人目も憚らずその場で思いきりレオナルドに抱き付いた。


「良かった……レオン様……」


 思いの外強くしがみつかれ、ここが人前であることを指摘するのが無粋であるような気がしてレオナルドは苦笑を溢した。


「正攻法とは言えなかったけどね。でも……何とかなってよかった」


 安堵の息を漏らすリーゼロッテの背中をあやすように叩き、レオナルドもまた緊張の糸が解けたようで体から力を抜いた。

 彼女の側に控えていたイヴァンとスルクは互いに顔を見合わせ、静かに微笑む。朝からずっとそわそわと落ち着きがなく、何度も外を確認しては帰りを待っていたリーゼロッテの姿を見ていた二人としては、今の光景は望むべきものだった。


「あまり長々と立ち止まってやるな。ほら、歩け」


 ヴァインスはレオナルドの肩を叩き、レオナルドもそれに応じてリーゼロッテから体を離すとそっと彼女の腰に腕を回して歩き出した。

 随分と自然に距離を詰めるものだと感心しながら、ヴァインスは今日の戦闘を思い出して溜め息を吐く。


「数の劣るお前たちが勝利するのであれば本陣を叩くしかない。それは俺もグレインも理解していたし、それをさせぬよう互いに手も回したつもりだったが、まさか内通者を用意するとはな」


「出来れば昨日に間に合わせたかったのですが、交渉に二日掛かってしまいました」


 リーゼロッテと共に城下町を回っていたのは、何も彼女のためだけではなかったらしい。

 むしろ、リーゼロッテはカモフラージュで本当の目的はレオナルドがアカネースの騎士達に交渉を行うことだったのだろう。

 レオナルドの交渉に乗ったアカネースの騎士は両軍の合同本陣の場所をレオナルドに伝え、更には誤った情報を流すことでアカネース側の兵力を分散させた。

 それにより、兵力に劣る侵略部隊が本陣に突入出来たというわけだ。


「俺も見事に騙されたしな。今までは部隊を二つにわけてそれぞれにぶつけていたところを、レイノアール側だけにぶつけてアカネース軍にはお前たちの本陣を目指させたわけだが、辿り着いてみれば藻抜けの空。レオナルドは強襲部隊を戦場で指揮し、戻ろうとしたアカネース軍には内通者によって誤った戦闘地域の情報が流される。本来であればレイノアール軍と戻ってきたアカネース軍でお前たち部隊を挟撃出来たところを阻まれてしまった」


 長い長い溜め息と共にヴァインスは眉間にシワを寄せた。

 内通者のことなど、一切考慮していなかった。これが実際の戦争であれば可能性はいくらでも考えられるが、ヴァインスには自分の部隊の人間がレオナルドの内通者として働くことに利があるとは思えなかったし、それがアカネースの人間であれば尚更に説得できる理由が見つからなかった。


「お前、どうやってあの騎士どもを味方につけたんだ?」


 ヴァインスの問い掛けを受け、レオナルドはリーゼロッテへと顔を向けた。

 リーゼロッテは頷くと、ヴァインスに答えるために口を開く。


「レオン様が交渉をした騎士達は皆国境付近に領地を持つ者達です。彼らは今まで他国からの侵略があればそれを迎撃していますが、北のレイノアール以外は更に高い山脈か海に囲まれているため、後は兵力差からレイノアール以外の侵攻というのはそう頻繁には発生していないのです。ですから、国としても北を治める貴族達のことは優遇していますが、その他の地域については軽視する節がありました」


「リーゼの話を聞けば地方貴族に不満が溜まっていることは明らかでしたから、今回の演習で僕ら侵略部隊が勝利すればアカネース王家は国境防衛の重要さを再確認するでしょうという方向で協力を依頼しました。グレインも王都を背後に防衛戦を繰り広げることの厄介さを理解すれば、そもそも国に入れないことが一番だと考えるはずですから」


 しかし、最初に交渉をした段階ではまともに取り合ってはもらえなかった。そもそも、レオナルド達が勝てるとは思えなかったのだろう。

 四日目の演習で合同軍を追い詰め掛けたことで、アカネースの騎士達もレオナルドの話を思い出し、考慮する余地があると判断した。

 話を聞き、声を掛けた騎士が複数いることを知り、騎士達の間でも話し合いレオナルドに協力することを決めたという。

 内通者の存在については、アカネース側ではまだ明らかになっていない。

 誤報が流れたのも戦場が混乱していたことが原因のミスと思われているため、処罰の対象となることもないだろう。

 内通者の存在は、当事者以外ではヴァインスだけが知らされている。 


「人を動かす術は俺にはないからな。お前がそうやって色々と考えてくれると助かる」


「僕はただ相手に利益を提示しただけのことです。兄様は多くの騎士達に慕われているではありませんか」


「それでは俺を慕っていない奴は動かせないだろう? お前はそうじゃない。利害の一致から人を動かせるというのは大事な才能だ」


 ヴァインスからの明らかな褒め言葉に、レオナルドは目を丸くする。

 あのヴァインスが、まさか自分を認めるような言葉を口にするなんて。信じられないレオナルドの隣で、リーゼロッテは目を細めてレオナルドの方へと頭をもたれ掛からせる。


「良かったですね、レオン様」


「……うん」


 喜びよりも驚きが勝り、レオナルドは素っ気ない返事しかできなかった。

 ヴァインスはそれに対して気を悪くする素振りも見せず、普段通り険しさの残る顔付きで足を進めた。

 言葉にするのが難しいむず痒さを胸に、レオナルドはリーゼロッテの体をそっと引き寄せた。



 そして翌日から、両国の和平を願っての祭りが催された。

 城下街は飲めや歌えやの大騒ぎ。アカネースの特産品とレイノアールの特産品が街に溢れ、数日を共にすることで友好関係の芽生えた両国の騎士達が朝から酒場で宴会を繰り広げている。

 彼らは午後からの模擬戦には参加しない者達だろう。今日の午後から二日掛けて開催される有志による勝ち上がり方式の模擬戦では優勝者には両国の国旗を模した模様の入った純金の盾と、国一番の美女であるミレイニアからのキスが贈られる。これにはアカネースの騎士だけではなく、レイノアールの騎士も色めき立っていた。


「緊張するな……」


 以前アカネース国を訪問した際に訪れた喫茶店で珈琲と軽い朝食を口にしながら、レオナルドは大きく肩を落とした。

 その正面で、リーゼロッテはふっくらとしたパンケーキにナイフを入れる手を止めて首を傾げる。


「不安ですか?」


「そりゃあそうだよ。リーゼの王印が賭けられているわけだし……はぁ」


 隣のテーブルで朝食を取っていたジョルジュとイヴァンは自信のないレオナルドへと励ましの言葉を掛ける。


「レオナルド様はお強くなられましたよ。並の騎士が相手であれば勝てるでしょうね」


「私もそう思います。最近のレオナルド様は逞しくなったと思います」


 同じ卓に座るスルクも、果物とクリームを挟んだパンを口一杯に頬張りながら何度も頷く。

 リーゼロッテも同じ思いだ。

 ゆったりと微笑み、ナイフを持つ手を動かし始める。


「私はレオン様なら大丈夫だと思ってミレイニアの話に乗ったのです。だから何も不安に思うことはありませんよ」


 パンケーキを口にし、満足した様子で頬を押さえるリーゼロッテ。当たり前のようにリーゼロッテが言うものだから、レオナルドは本当にそうなのではないかという気がしてくる。

 何気なく、いつでもリーゼロッテはレオナルドの背を押す。根拠などなくとも自分を信じてくれる他人の存在が、こんなにも心強いものだったなんてレオナルドはリーゼロッテに出会うまで知らなかった。


「……ジョルジュも参加してくれれば安心なのにな」


「止めてくださいよ。俺はそんな目立つような真似はしたくありませんので」


 わかっている、とレオナルドは溜め息を吐いた。半分は冗談であったが、ジョルジュも出るのであればレオナルドが敗退したとしても不安に思うことはない。

 ヴァインス以上に信頼できるのだが、怪しい仮面のジョルジュを確かに大勢の観客の目に晒すのは憚られた。


「珈琲のおかわりはいかがでしょうか?」


「是非、お願いします」


 空いていたカップに気づいた店主が声を掛けた。

 店内にいる客はレオナルド達のみ。今日は祭りで人が溢れている中、レオナルド達がいるからという理由で他の客の入店を断るのは店側としては大きな不利益となるだろう。

 それでも、この店主は快くレオナルド達を受け入れた。リーゼロッテの母親がまだ一般市民でしかなかった頃、お世話になっていたのがこの店主だという。

 リーゼロッテのカップを受けとると、まるで父親のような暖かな眼差しで頷いて奥へと戻っていった。


「本当にリーゼは市民の人気は高いよね」


「母が平民であったから、自然と市民達の期待が集まったのでしょう。私自身が特別何かをしたというわけではありませんよ」


 本当にそうであれば、街に出る度に人に囲まれ歓迎を受けることはないだろう。

 しかし、レオナルドは口に出すことはせず静かに頷いた。リーゼロッテに対しては、彼女の言葉を否定することに意味はない。レオナルドがそうでないと思うのであれば、その心を信じ言葉ではなく態度で示していくことが大切だった。


「……まぁ、ヴァインス兄様もいるからレイノアールの人間が優勝するということ自体は難しくないかなと思うよ」


「レオン様、私はレオン様に勝っていただきたいのです。そんな、他の誰かがいるから大丈夫だなんて考えないでください」


「……優勝したらミレイニア姫のキスも貰わないといけないんだっけ?」


「……それは、辞退頂ければと思っておりますが」


 流石にそれは受け入れられないらしい。拗ねた様子で唇を尖らせたリーゼロッテはふいっと顔を背けてしまう。

 ちょっとした意地悪のつもりだったが、思いの外リーゼロッテが真に受けてしまったためレオナルドは苦笑と共に謝罪を口にする。


「ごめん。ちょっとからかってみただけだから」


 リーゼロッテは黙ったまま、顔を上げた。

 決して怒っているのではなく、責めるような眼差しにレオナルドは思わず息を呑んだ。

 冗談であっても、他の女性に触れないでほしい。彼女の瞳には明確な独占欲が滲み出ていた。

 心臓を直接に鷲掴みされたような衝撃に、身体中が爪先から震え上がった。リーゼロッテが、自分に対して強い感情を向けている。

 その事実で、寒気がするほどの嬉しさが身体中を駆け抜けていった。


「……リーゼ、可愛い」


 リーゼロッテは驚いた様子で目を見開き、みるみるうちに頬を朱色に染めていった。

 返す言葉が浮かばぬようで、リーゼロッテは口を開いたが、すぐに唇と噛むと顔を俯けてしまった。


「……レオン様、狡いです」


「そうだよ、僕は基本的に正攻法で勝てるような力がないからね」


「そういう意味ではありません……」


 わかっているくせに、と溢してリーゼロッテは赤い顔を隠すように両手で顔を覆った。

 例えば、グレインやミレイニアは今目の前にいるリーゼロッテの姿を想像できるだろうか。長い間側にいたというマリンハルトは、リーゼロッテが頬を染めて照れる姿を知っているだろうか。

 きっと、知らない。

 この国の全ての人間が、リーゼロッテの本当の表情を知らないだろう。

 赤い頬も、拗ねたように突き出た唇も、嫉妬の乗った瞳も、全てがレオナルドのためにある。

 愛しい彼女のためならば、いつも以上の力も出せるような気がする。自分にはできないと、卑屈になるのはもうやめだ。


「リーゼ、応援していて。貴方がいれば僕は何でもできそうな気がする」


「……はい」


 顔を上げ、リーゼロッテははにかんで笑う。

 赤い頬も、緩く弧を描く唇も、細められた瞳も、全てがレオナルドの胸を掴んで離そうとはしなかった。


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