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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
6章 白薔薇の娘
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覚醒の一歩


 二日目の軍事演習もそつなく終わらせたレオナルドはその晩、驚きの告白をリーゼロッテから告げられた。


「王印を模擬戦に賭ける……!?」


 ジョルジュ達と共に夜の城下町に出掛けていたレオナルドは、まるで天気の話でもするような気軽さでリーゼロッテはそう口にすると、何でもないことのように目についた露店の花を手に取った。

 リーゼロッテを城下町へ誘ったのはレオナルドだ。

 久しぶりの故郷なのだから、色々と見て回りたいのではないかと気を回してのことだった。

 夜とはいえまだ空は薄めた紺色で覆われていて、市場や酒場はまだ活気に溢れている。

 露店市の発案者がリーゼロッテであることは耳にしていたが、リーゼロッテが市場に姿を現すと一気に人に囲まれて身動きが取れなくなったときには流石にレオナルドも驚いた。

 皆が親しみと敬意を込めて挨拶をしたり、食事を扱う商店の者は商品を贈ってきたりと城内では考えられないリーゼロッテの人気にレオナルドは嫉妬を通り越して呆然としてしまった。

 人の波が一段落し、ようやくのんびりと露店を見て回れるようになった矢先のリーゼロッテの発言。レオナルドは心休まる暇がない。


「いや、そんな簡単に……大事なものなんだよね?」


「そんな心配することがありますか? グレインが優勝しなければ良いだけの話ですよ」


「簡単に言うけれど、グレインは兄様と変わらぬ実力者だ。どうなるかわからない」


「それなら、レオン様が優勝なさればいいのです」


 無茶を平然といってのける。

 リーゼロッテは店先の白い薔薇を一輪購入すると、微笑みと共にレオナルドの髪に差し込んだ。

 踏み荒らされたことの無い雪原のような髪に、同化するように白薔薇が花開いている。レオナルドは特に抵抗する様子は見せず、しかし不満そうな眼差しをリーゼロッテへと向けていた。


「茶化さないでほしい。リーゼにとって王印というものはそんな簡単に手放せるものなの?」


 守ってほしい、と握りしめた重みを思いだし、自然と口調はきつくなる。

 リーゼロッテは静かに首を降ると、振り返って町の中心部にそびえる王城を見上げた。

 静かな瞳に映る景色は、レオナルドにはわからない。同時に、何を思って彼女があのような話を持ってきたのかもわからなかった。


「茶化していません。本気で、レオン様が勝つのだと信じているんですよ」


 レオナルドへと視線を戻し、リーゼロッテは頬を緩める。

 満開の花束を贈られた女性のような笑顔の前に、レオナルドは言い返すための言葉を飲み込んだ。

 幸せそうな微笑みの前には、レオナルドも頭が上がらない。

 いつのまにここまで惚れ込んでしまったのだろうか。リーゼロッテが信じてくれるのなら、自分にもそんな力があるような気がしてくる。

 ちっぽけな存在でしかない自分が、価値のあるものに思えてくる。

 体の奥で凍り付いていた心が溶けていく。


「……努力はするよ。でも、期待はしないでほしい」


 レオナルドは自分の髪に刺さった薔薇を抜き取ると、リーゼロッテの耳に髪と一緒に掛けてやった。

 自分に付けるよりもよっぽど良い。

 花咲く笑顔を見上げて、そんなことを思った。




 合同軍事演習三日目は最後の平野での訓練である。

 二日間合同軍に負け越している侵略軍に扮したレオナルド達の部隊にはどこか諦めに似た雰囲気が流れ始めていた。

 やる気がないわけではない。

 兵士達は所詮は演習で、自分達が両軍の合同部隊に敵うわけがないとレオナルド同様に思い込んでいるのであった。

 今回の本陣で地図を睨み付け、レオナルドは重い息を吐いた。

 それぞれの部隊の位置を示す黒の石と、レオナルドたちの本陣を示す白の石。白の石を頂点に二等辺三角形を作る形の布陣は斥候部隊の調査の結果である。

 レオナルドの頭の中では、昨晩のリーゼロッテとの会話が繰り返されている。


「……ねぇ、ジョルジュ」


「はい?」


「ジョルジュがこちらの部隊に配属された兵士の一人だったとしたなら、兄様たちの部隊に勝ちたいを思う?」


 隣で地図を眺めていたジョルジュを振り返ることなくレオナルドは問い掛ける。

 何かを決意した横顔を見つめ、ジョルジュは僅かに微笑んだ。


「そりゃ、負けるために戦う人間はいませんよ」


 しばらくの間、レオナルドは瞬きを忘れ地図と向かい合う。

 その横顔は真剣そのもので、ジョルジュは苦笑と共にため息を吐いた。

 おそらく、完全にリーゼロッテの思い通りに事が進もうとしている。

 王印や二人の間の約束についてジョルジュは詳しく知らないが、それを賭けることでレオナルドの心持ちが変わることを知っているのだろう。

 リーゼロッテの物の考え方は自分に似ているとジョルジュは思う。

 だから、リーゼロッテはレオナルドの戦意を煽るためにあのようなことをしたのだと確信していた。

 どれくらいの間、レオナルドは俯いていただろうか。

 勢い良くジョルジュを振り返るレオナルドの瞳には、霞むことの無い炎が燃えていた。


「各小隊長を呼んで欲しい」


「承知致しました」


 一例の後に駆け出すジョルジュの口元は、堪えようとしても浮かんでくる笑みで彩られていた。



 作戦開始前に招集が掛かり、小隊長たちの顔には不安と緊張が見え隠れしている。

 レオナルドは横一列に並んだ彼らへと一通り視線を送った。全員が二十歳前後の若い部隊であり、経験の不足もあってかどこか浮き足立った雰囲気が漂っていた。


「これは命令ではなくて皆の意見を聞きたい。今行っているこの演習、僕ら部隊は見事に負け越しているわけだけどそれについてどう思う? 気にしていない? それとも悔しいかな?」


 隊長達の間に困惑が広がり、彼らは互いに顔を見合わせた。

 レオナルドが責めているわけではないことは承知していたが、突然のことでその真意が汲み取れない。

 彼らは互いの様子を確認し、最年長の隊長が発言権を求めてを挙げた。


「ノクス、話してくれる?」


「はい」


 ノクスは二十六と部隊の中でもずば抜けて年が上の青年騎士だ。

 家柄が余り高くないため、入団してから長いのだが損な任務を押し付けられることが多い。

 本人が出世のためにと成果を上げることに拘っていないため、今回のように年下の多い部隊に配属されても威張ることもなく良好な人間関係を築くことが出来る。地位のある人間からは評価されないが、騎士達の間では人気のある青年であった。


「今回の任務が軍事演習であることから、あくまでも我々は合同軍の相手役として倒されるために組織されていることは理解しております。それでも、やはり負け続けては我々も不満は溜まります」


 ノクスの言葉には他の隊長達も頷いている。彼らの間でも演習について話はしているのだろう。

 理解はしていても、負け続けることに苛立ちは募っていく。


「それなら、例えばだけど、僕が兄様達の部隊に勝ちたいと思っていたら、皆は力を貸してくれるだろうか」


 隊長達の間に動揺が広がった。

 まさか、レオナルドの口からそのような言葉が出てくるとは思えなかった。

 レオナルドには今まで目立った功績は無い。それも積極的に成果を上げるような人間とは認識されていない。

 そのレオナルドが、勝ちたいと口にした。


「このまま無難な攻めを続けていけば合同訓練としては成功に終わるだろう。だけど、これは他国の侵攻を想定した二国の協力関係を見直すためのものだから、攻める側の僕らが遠慮していては意味がないと思ったんだ」


 結局のところ、合同演習は形式的に両国の関係が良好であることを誇示するための催しでしかない。

 だからこそ、アカネース軍もレイノアール軍もどこか気を緩めながら戦っている。ヴァインスについては例外なのだが、彼もこの状況を理解しているため強く出ることが出来ずにいた。

 ヴァインスはもしかしたら、その緩んだ空気を引き締めるためにレオナルドを進行軍部隊の指揮官としたのではないか。レオナルドはそんなことを考える。


「レオナルド様、それは具体的な案があるということでしょうか」


「考えてはいる。だけど、それには皆のやる気と協力が必要だ。この軍事演習は無事に終わりさえすれば目的は達成するからね。皆がそこまで現状に不満がないのであればそこまでする必要もないかと思っていたけれど……」


 そこまでを口にして、レオナルドは皆の顔を見渡した。

 先程までは驚き一色だった顔色が、固い決意で引き締められている。中には、笑みを浮かべているものもいるほどだ。


「……心配はないかな。では今から軍議を始める」


「はい!」


 若く雄々しい返事が響く。

 彼らの熱気に包まれて、レオナルドは言葉に出来ない高揚感に捕らわれていた。


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