王女と従者
アカネース王家の五人の姫のうち、未婚もしくは婚約者のいない姫は二人しかいない。
一人は先日20歳となったばかりの第一王女リーゼロッテ。そして、もう一人はまだ13歳と幼い第二妃の娘ミリーナである。
しかし、幼いとはいえ現在の王妃も13歳で国王デュッセルへと嫁いできたことを考えれば、どちらが選ばれても不思議ではなかった。
自室に戻ったリーゼロッテは淡々とそう口にしたが、長年彼女に仕えてきたマリンハルトには納得がいかなかった。
「これはどう考えても、リーゼロッテ様を体よく追い出したいだけです! 大方、エリザ様が上手いことでも言って話を転がしたのでしょう」
一人掛けのソファに体を沈めたリーゼロッテは、憤りを露わに部屋の中を歩き回るマリンハルトへと困ったような微笑を向ける。
「マリンハルトはどうにも妄想が過ぎるようですね。エリザ様はこの国の王妃ですよ? ただ私が嫌いだというだけで婚約を決めるようなことはないと思いますが」
「いいえ、あの方はそれをやります! あの女は貴方の母だけではなく、俺の……!」
足を止め、マリンハルトは声を荒げる。しかし、続く言葉はリーゼロッテの伏せられた瞳の前で形となることなく消えた。
リーゼロッテもマリンハルトも、共に母親を亡くしている。その元凶となった者が、この国の正妃だ。そして、マリンハルトの母親の死はリーゼロッテへと向けられた刃の身代わりだった。
「そう……ですね。確かに貴方のお母様は私をあの方から守り亡くなりました」
リーゼロッテの表情を曇らせたのは、自分自身の短慮な言葉。
彼女が母の死に対して責任を感じていることは、マリンハルトにもわかっていたのに。
マリンハルトは痛いほどに乾く喉から、絞り出すような声で謝罪の言葉を吐き出した。
「申し訳ありません……! あれは、私の母は……」
「……謝るのは私です、マリンハルト。オリビエは、私の力が足りないばかりに……」
久しぶりにリーゼロッテの口から母親の名を聞いた。オリビエが亡くなったその日から、リーゼロッテが意図してその名を口にしないようにしていたことはマリンハルトも知っていた。
マリンハルトは俯いたリーゼロッテの元へと足を向け、その視界に身を映すようにと彼女の足元に膝を付いた。
涙の溢れそうな碧い瞳は、海が落ちてくるようで怖くなる。
彼女に触れることのできないマリンハルトは、その海ごと受け止めようと真っ直ぐにリーゼロッテを見上げていた。
「私の母にとって、リーゼロッテ様のお母様はかけがえのない親友だったと聞いております。例え王の寵愛を受けようとも、その関係に変わりはなかったと。ですから、謝ることはありません」
リーゼロッテの母親とマリンハルトの母親は、丁度同時期に城に仕え始めた同僚であった。
歳も、性別も、地方の決して裕福ではない家の出身であることも同じであった二人はすぐに意気投合したという。
オリビエにとって、リーゼロッテは大切で愛しい親友が遺した娘だった。ただの仕えるべき主以上に大切な存在だったのだ。
「結果としては、母が命を懸けてリーゼロッテ様を庇ったことになりますが、本当に守りたかったものは親友との友情だったと思います」
俯いたままのリーゼロッテへと、マリンハルトは必死で言葉を紡いだ。
まだ、二人が十歳にも満たなかったある日のこと。
ミレイニアの食事に微量ではあったが毒が混入するという事件があった。
その時に、疑われたのがリーゼロッテであった。ミレイニアの食事に混入していた毒による症状をもたらす野草が、リーゼロッテの部屋から見つかったのだ。
「それでも、やはり今でも思ってしまうのです。私にもっと力があって、知恵があれば、オリビエを救うことも出来たのではないかと……」
リーゼロッテの部屋から見つかった野草は周辺の野山でも簡単に採ることのできるありふれたもので、子供たちは見かけても絶対に触らないことと親にきつく教えられている。
手に入れることは何も難しいことではない。ただ、幼いリーゼロッテが自由に城を出て野草を摘むというのは常識的に考えても有り得ないことだった。
当時から既に従者として仕えていたマリンハルトは、リーゼロッテがいつも居場所のない様子で部屋に籠っていることは知っていた。そして、誰かがリーゼロッテを陥れようとしていることも、その誰かが正妃であるかもわかっていた。
あの時、自分にできることがあったのではないか。リーゼロッテのその言葉は、マリンハルトの胸をきつく絞り上げた。
「違います! 母の死は……俺が……!」
当時、リーゼロッテの部屋掃除を任されていたのはマリンハルトであった。
母親のオリビエ同様にリーゼロッテの侍従となり、ようやくオリビエから部屋の清掃だけだが一人での仕事を任された矢先の出来事だった。
あの時、マリンハルトが隠されていた薬瓶を見つけることが出来ていたのなら、オリビエがリーゼロッテの代わりに自らミレイニア毒殺未遂の罪を被って死罪となることはなかっただろう。
オリビエの死はリーゼロッテのせいではない。すべて、マリンハルトの責任なのだ。
「いいえ、違います。そもそも、私自身にそのような細工をさせる隙があったことがいけないのです。従者を守れないような主であった私に責任があります……」
いくらマリンハルトがそう口にしてもリーゼロッテは決して首を縦には振らない。彼女は頑なに自分を責め続けるのだ。
「ごめんなさい、マリンハルト。でも、貴方だけは何があっても死なせたりはしませんから……」
「私はリーゼロッテ様を守るためだけに生きているのです。お願いですから、そのようなことを口にしないでください……」
二人の間に沈黙が落ちる。
俯く女性の頬に触れることさえ出来ずに、マリンハルトは彼女の前に膝を付いていた。




