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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
5章.広い空の下駆ける想いは
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変化の兆し

 怪鳥狩りが終わると、レイノアールの冬は本格化する。

 窓の外で雪が降りしきる様子を横目に、レオナルドは本日何度目かわからないため息を吐き出した。


「どうしたんです、レオン様。今日はため息ばかりではありませんか」


 側に控えていたジョルジュが苦笑と共に指摘する。

 言われて初めて気がついたと言わんばかりの驚き顔でジョルジュを見上げたレオナルドは、再びため息を吐くと少しも進んでいない戦術書の端を摘まんでページを捲った。

 自分がため息をはく理由に心当たりはある。レオナルドの心は怪鳥狩りからずっと、レイノアールの雪空のように重く曇っていたのだから。


「レオン様が暗いお顔でいると、ぴーちゃんも心配しますよ」


 ジョルジュの言葉に応じるように、彼の服の中からひょこっと薄緑の羽毛に包まれた雛が顔を出す。

 くりっとした丸い瞳でジョルジュを見上げ、甘えるような声でぴいぴいと鳴いていた。

 怪鳥狩りは最後に周辺の怪鳥の巣を探しだし、そこにいる怪鳥の子を仕留めることで閉会となる。例年通りに行う予定であったのだが、リーゼロッテが『オズマン商会は怪鳥を雛から育てることで馬の代わりの運送手段として活用している』という話を聞かされたレオナルドは数羽の雛を生かして王都へと連れ帰ったのであった。

 それにより、馬の番を担当する者達がオズマン商会のタキから詳しい育て方を教わり、試験的に怪鳥の軍用利用が可能かを検討することになった。怪鳥は元々寒い地域に生きる鳥であるため、怪鳥を手懐けることが出来たとすればレイノアール国にもたらされる利益は大きい。

 雛の一羽はレオナルドが引き取り、興味を抱いたジョルジュに世話を任せることにしたのだ。本来であればレオナルド自身の手で育てるつもりであったのだが、自分が親であることを刷り込むために常に側に居ることが必要になるとタキに聞いたとき、さすがにレオナルドでは雛を側に置いていられない状況が多いという話になりジョルジュの元へと渡った。

 幸いにも、ジョルジュは雛を可愛がっているらしい。

 しかし、とレオナルドは頭を抱えた。


「……前から思っていたんだけど、ぴーちゃんって名前はどうにかならないの?」


「可愛くありませんか? ぴーぴー鳴いて俺のことを呼ぶんですよ?」


 仮面の奥の瞳が無防備に緩んでいる。

 久しく目にしていなかったジョルジュの毒気のない笑みにレオナルドも微笑み、ジョルジュが良いと言うのなら構わないと結論付けた。

 

「実際のところ、名前は今考えている最中でして。ぴーちゃんは仮名ですね」


 嬉しそうにジョルジュは雛の喉を指先で軽く撫でている。兄が弟に向けるような暖かな眼差しに、レオナルドは益々笑みを深めてその姿を見上げた。

 仮面の下に隠された表情はいつも見えないけれど、唯一覗く眼差しが、暖かいものであればいいとレオナルドは願ってしまう。

 ジョルジュに対して、レオナルドが出来ることなどその程度しかない。

 与えられたものをいつか返せればいいと願っているのに、レオナルドにはその力がなかった。


「ちゃんとした名前を付けてあげないとその子にも可哀想だからね」


 再び曇ろうとした心を掻き消すように首を振ると、レオナルドは冗談めいた口調でジョルジュを見上げた。

 気持ち良さそうに目を細めている雛の頭を撫でながら、ジョルジュは微笑む。


「承知しております。……っと、そんなことよりもレオン様です。どうかなさったのですか?」


 今さらジョルジュに対して隠し事をするつもりはない。

 レオナルドは少しだけ言いにくそうに唇を噛んだが、上手い言葉は見付からず結局そのままに言葉を口にした。


「うん……。この間から、リーゼが僕を避けているような気が……する」


「あぁ、確かに……」


 ジョルジュに頷かれ、レオナルドは大きく肩を落とした。

 気のせいではなかった。その事実に落胆を隠しきれない。

 落ち込むレオナルドの姿を見下ろしながら、ジョルジュはどうしたものかと頭を捻らせた。

 彼の目には、決して今のリーゼロッテの状況は悪いものではないように映っている。レオナルドを避ける理由も、大方見当が付いていた。

 だからこそ、レオナルドには心配する必要はないと告げたいところであったがそれではレオナルドは納得しない。しかし、レオナルドを避ける理由を伝えてしまっては二人のためにならない。

 そうなれば、ジョルジュに出来ることは一つしかない。


「リーゼロッテ様にも色々とお考えがあるのでしょう。直接お伺いになるのが一番だと思いますよ」


 とにかく二人の時間を作らせることだ。

 いくらレオナルドを避けているとはいえ、レオナルドが話をしたいと時間を作ればリーゼロッテも逃げ切れないはずだ。

 大体二十歳の娘が今更何を恥ずかしがることがあるのか、と思わずにはいられなかったが、リーゼロッテの生き方を考えると責めるのは酷な気がした。


「……レオン様は、リーゼロッテ様のことをどう思っていらっしゃるのですか?」


「どうって……大切にしないといけないと思っているよ。アカネースの姫だからっていうのも勿論あるけれど、最近はそれ以上にリーゼ自身のことを尊敬する気持ちがあるから、政略結婚とか抜きにして守ってあげたいと思う」


 項垂れていた顔を上げ、レオナルドは痛いくらいに真っ直ぐな眼差しでジョルジュを見上げた。

 希望と決意に満ちた強い瞳だ。ジョルジュには逆立ちをしても真似できない輝きは、日に日に強くなっている。

 幼い頃を知っている分、レオナルドが少しずつ変わっていく様子を見守れることはジョルジュにとって何にも代えがたい喜びであった。いつか本当の意味でリーゼロッテを妻として、恋心を抱いてくれたら良いと願っていたのだが、どうやら想いが育ったのはリーゼロッテの方が先だったらしい。

 この純粋な想いを受けていたのだから、それも当然かもしれないとジョルジュは一人頷いた。損得を考えない、ただ幸せを願いリーゼロッテを尊重し、守ろうとしてくれる。今までリーゼロッテが与えられなかった全てのものを、レオナルドはレオナルドなりに与えようとしているのだ。


「そりゃ、好きになって当然ですよね……」


「え?」


「いえ、レオン様がリーゼロッテ様のことを大切に思っていることは、リーゼロッテ様にも伝わっていると思いますよ」


 そうかな、と首を傾げたレオナルドへと頷いて、ジョルジュは少しお節介かもしれないと思いながらもレオナルドへと問い掛けた。


「レオン様はリーゼロッテ様のことを、好きとは思っていないのですか?」


「え? 好きって……リーゼのことを女性としてって意味で?」


 ジョルジュが頷くと、レオナルドは顔を上げたまま動きを止めてしまった。

 難しい質問をしたつもりはなかったのだが、レオナルドはその質問が予想外だったようで意外そうな顔をしてぽかんとジョルジュを見上げている。


「……女性として好きって、ジョルジュやイヴァンを好きだと思う気持ちと何が違うんだろう」


「色々と違いますね」


 以前も同じような話をした覚えがあり、ジョルジュは苦笑を浮かべた。

 王族に生まれた身として、人を好きになる感情に疎くなってしまう気持ちはジョルジュにもわかる。誰かを好きになったところで、結婚する相手を自分で選べるわけではない。本当に愛した者を妾とする選択ももちろんあるのだが、その女性に大きな苦労を掛けることは目に見えている。

 それならば、と初めから感覚を鈍らせ、人を好きになるという気持ち自体を鈍化させた方が楽だ。

 ヴァインスも程度の差はあれど同様の思いを抱いて生きている。

 しかし今、レオナルドは少なからずリーゼロッテに好感と敬意を抱いている。ならば、固まっていた心が溶けても良いのではないかとジョルジュは期待している。


「リーゼのことは好きだよ。お互いに政略結婚だったけど、リーゼは文句一つ言わずに僕の隣で生きようとしてくれている。自分一人で何とかしないといけないって気持ちが強すぎるけど、最近は僕のことも頼ってくれるようになって。それって僕のことを信用くれたってことだろう? それは凄く嬉しかったし、絶対に守ってあげたいって思った」


 首を傾げながら、レオナルドは心の内を素直に告げた。

 レオナルドには自分の心に名前を付けることが出来なかった。

 ジョルジュもイヴァンも、アレクシス達兄弟も、レオナルドにとっては等しく大切で守りたくて、好きだと思う人たちだ。

 リーゼロッテだけが違うというのは、レオナルドにはピンとこなかった。


「ジョルジュは結構女性と一緒に居るけれど、あれは毎回好きになるの?」


「俺の話を参考にしてはいけませんよ。俺は本命相手では上手く行きませんからね」


「何となくそういうことなのかなとは思っていたけれど。ジョルジュでも本当に好きな相手と一緒に居ることは大変なんだ」


 女性人気の高いジョルジュが、特定の相手を作らないことをレオナルドは知っていた。

 彼の心にいる女性が誰かはわからないが、噂になる相手がそうではないことは気付いている。しかし、レオナルドはジョルジュに深く追求することが出来なかった。

 自分自身が恋というものを知らないため、何を聞けば良いのか見当も付かなかったのだ。


「……ジョルジュはその人のこと、どうして好きになったの?」


「どうして、ですか?」


 ジョルジュは再び雛の頭を撫でると、レオナルドの問いに答えようと昔を思い出していた。

 昔から当たり前のように側に居たイヴァンを、愛しいと思うのは自然なことのように思う。誰よりもジョルジュを理解しているのはイヴァンで、誰よりもイヴァンを理解しているのはジョルジュ。

 最近は少しずつ誤差も生まれてしまったけれど、それも全て互いが一番だと思いあっている故であった。

 好意を抱いたきっかけは、ジョルジュにもわからない。

 強いて言うのならば、とジョルジュは口を開く。


「そこにいたのが彼女だったからです」


 曖昧な答えに、レオナルドは怪訝そうに眉を潜めた。

 はぐらかされているわけではないとわかっているから、益々言葉の意味が理解できない。


「レオン様もその時になればきっとわかります。以前お話ししましたよね? 恋は衝動的なものだ、と。でも決して、だから悪いわけではないのです。俺は出来ることなら、レオン様には人を好きになる喜びも知ってほしいと思っています」


 レオナルドは躊躇いがちに頷いた。

 自分にその時が訪れるとは思えない。しかし、ジョルジュの想いを無下にもできない。そのような思いが滲み出ている。


「レオナルド、いるか?」


 二人の話を遮るように、ノックと共に部屋の扉が開いた。

 レオナルドが返事をするよりも先に扉を開けたヴァインスは、部屋の中にいるのがジョルジュだけであることを確認すると躊躇なく部屋へと入ってくる。

 ヴァインスについてはいつものことのため、レオナルドも特に文句を言う気は起きなかった。


「どうしたんですか、兄様。なにか問題でもありましたか?」


「いや、お前にちょっと頼みたいことがあってな」


「頼みですか? 兄様が?」


 ヴァインスの口から『頼み』などという言葉が出てきたことが珍しく、レオナルドは驚きながらも話を聞くために本を閉じた。

 話を聞く姿勢を見せたレオナルドに歯を見せて笑うと、ヴァインスはレオナルドの肩を叩き誰もが予想できなかった言葉を口にする。


「お前、新婚旅行に行く気はないか?」


「……は?」


 大きな口を開けて戸惑うレオナルドを、ヴァインスがにやにやと笑っていた。


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