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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
4章 羽ばたくもの
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守りたい想い


 観覧席の方向から聞こえたのは、確かに怪鳥の声だった。

 まさか、とレオナルドは青白い顔で観覧席を見上げた。丁度一羽の怪鳥が席目掛けて飛び込む姿だけがレオナルドの目に映った。


「レオナルド! 目を離すな!」


 愛馬の足を止め、意識が戦場から逸れた隙を目の前の怪鳥は逃さなかった。

 鋭利な爪を光らせ、怪鳥はレオナルドの頭を二つに裂くために急降下する。

 完全に反応が遅れたレオナルドは、眼前に迫る怪鳥から逃れるためにソーノの腹を蹴った。ソーノも承知していたのだろう。すぐに怪鳥とは反対方向に駆け出した。


「っ、速い!」


 しかし、ソーノが加速に乗るよりも先に怪鳥の爪はレオナルドを捕らえすぐ目の前にまで迫っている。

 レオナルドは持っていた弓を構えると、身を守るために襲い掛かる爪を受け止めた。

 甲高い金属音が響き、怪鳥が雄叫びをあげる。呼応するように、観覧席からも怪鳥の鳴き声が降り注いだ。

 こんなところで止まっている余裕はないというのに。焦るレオナルドは、徐々に怪鳥に押し負け始める。

 苦しげに表情を歪めたレオナルドの耳に、切羽詰まった様子の声が届く。


「そのまま止めていろ!」


 ヴァインスの叫び声。怪鳥の背後から、こちらへと馬を走らせる兄の姿を目にし、レオナルドは大きく頷いた。

 加速を緩めずに距離を詰めていくヴァインスは、自身の盾を構えそのまま怪鳥の背中へと突進した。

 視界の外から食らう強襲に体制を崩した怪鳥の、力が緩んだ隙を逃さずにレオナルドも爪を押し返しヴァインスの隣へと馬を回した。


「ありがとうございます……」


 内心複雑な気持ちを隠しきれなかったが、助けてもらったことは事実である。

 しかし、ヴァインスはレオナルドの礼など構うことなく騒ぎが広まりつつある観覧席を見上げた。


「構わん。しかし、あそこに怪鳥を招くだなんて頭の狂った真似をよくもまあ思い付くものだな」


「兄様、そのようなことを言っている場合ではありません。すぐに向かわねば……」


「俺は別に急いで助けてやりたいような相手があそこにいるわけではないからな」


 興味無さそうにヴァインスは吐き捨て、レオナルドが何かを言い返すより先にレオナルドの肩を大きな手で掴んだ。


「お前が行け。どっちみち、誰かがこいつの相手をしなければ上の怪鳥に呼ばれて行ってしまう可能性がある」


 ヴァインスの言葉は正しかった。上が襲われているとはいえ、目の前の怪鳥も大物だ。こちらを放っておけば、別のところで被害が出るだろう。

 納得はしたが、レオナルドはヴァインスから目を逸らした。自分が行ったとして、何ができるというのか。

 浮かんだ考えを振り払うように、レオナルドは頭を振った。

 この手で戦うと決めたのだ。自分より強いヴァインスに頼りきりになるわけにはいかない。


「……わかりました。下は任せます」


「あぁ、行ってこい」


 怪鳥に背を向けてレオナルドは走り出す。

 逃げ出す獲物を追おうと怪鳥は巨大な羽を広げたが、ヴァインスがそれを許さずに怪鳥のもとへと肉薄した。

 逃げ出す者よりも近付く者を危険と判断し、怪鳥はレオナルドから目を離し何を考えているのかわからぬ瞳をヴァインスへと向ける。


「そうだ、こっちだ!」


 ヴァインスは自らのランスで肉を食い千切ろうと開かれた嘴を受け止めると、周囲に残された騎士たちを振り返った。


「弓を持つものは距離をとって構えていろ! こいつが飛び上がりそうになったら撃ち抜け!」


「は、はい!」


「他の者は俺に続け! 馬術に自信のある者はレオナルドを追え!」


「承知致しましたっ!」


 怪鳥の嘴が目の前に迫っているというのに、ヴァインスは臆する様子も見せずに的確な指示を飛ばしていく。

 騎士たちはヴァインスの指示通り、近戦部隊と遠戦部隊に分かれヴァインスの援護に回った。

 中には突然の事態に戸惑い動けなくなっている者もいる。若手の騎士などはその典型であった。


「腕に自信のない者はここから去れ! 武器庫から予備を取ってこい!」


 震えていた騎士たちもなんとか頷き、戦場から身を引いてゆく。

 ヴァインスはそれを責めることも、嘲ることもしない。彼にとっては目の前の怪鳥、そして観覧席を襲った怪鳥を倒すことだけが重要なのだ。

 怪鳥と競り合っていたヴァインスであったが、剣を手にした騎士が横から切りかかってきたことで怪鳥が一度後ろに下がり距離を取るようにヴァインスも後退した。

 入れ替わるように別の騎士が武器と共に怪鳥に立ち向かう。平野に両足をついたまま、怪鳥は襲い掛かる騎士たちを固い翼で受け流している。


「ヴァン!」


「兄上? ここは危険だから下がっていて構わない」


 再度攻撃の機会を窺っていたヴァインスのもとへとアレクシスが駆け付ける。

 元々戦力とは考えていなかったアレクシスの参上に、ヴァインスの中では心配する気持ちが膨らんでいく。ノルドも側に控えているため身の危険はないだろうが、それでもこのようなところでアレクシスに何かあっては大問題だ。

 アレクシスも自分の実力はよくわかっている。情けないことではあったが、ヴァインスの言葉に甘えて下がっているつもりでいる。

 しかし、アレクシスはそれでもこの国の第一王子。戦うことができないのならば、他の方法でヴァインスに協力したい。


「騎士団長からの伝言だ! 今この状況に対して、騎士団に対する指揮権はヴァインス王子に一任する!」


 アレクシスがもたらした一報によって、ヴァインスに従うことを良しと思わなかった者、または指揮をするのならばアレクシスが適任ではないかと考えていた者たちの反論の余地がなくなってしまった。

 ヴァインスにとっては、これ以上なく有り難い。非常事態とはいえ、騎士団を直に動かす権限はヴァインスにはない。そもそもヴァインスもそこで動きを止めるような者までもを味方としたいとは思わないのだが、独断で動いたのか正式に権限を得たのかでは後から周囲の反応が違ってくる。

 今、目の前に危機があるのだから戦うことが当然だとヴァインスは思うのだが、中にはこれを機に自分の力を知らしめようとしているのではないかと勘ぐる者もいる。

 ヴァインスはアレクシスへと曇りのない笑顔を向けると、自信たっぷりに頷いてみせた。


「助かる! さすがは兄上だ!」


「私にはこれくらいしかできないからね。ハロルドはすぐに何名かの部下を纏めて観覧席の方へ馬を走らせたよ。上にも騎士たちはいるから、しばらく時間を稼いでさえもらえればハロルドたちが到着するだろう」


 しかし、ヴァインスはこの言葉にはいい顔をしなかった。

 ハロルドたちが観覧席に急いだといっても、やや高台にあるため回り道が必須となる。


「いや、おそらく必要はなくなる。レオナルドが先に到着するだろう」


「レオンが?」


 ヴァインスは頷き、先程分かれたレオナルドの姿を探し振り返る。


「あいつの馬ならば、そのまま崖を登っていけるはずだ」


「崖をだって! そんな無茶を!」


 ヴァインスが指差した先、観覧席へと繋がる剥き出しの岩肌をレオナルドの愛馬は器用に飛び移り、安定感のある足取りで次々に岩肌を駆け登っていた。


「レオン……!」


 崖の中でも比較的傾斜は緩やかではあったが、間違っても真っ直ぐに登るような場所ではない。

 アレクシスは真っ青な顔でレオナルドを見上げていた。


「ソノンは草原として名が知られているが、実際のところ山岳部も多いらしい。ああいう山道は普通だからな。純血のソノン原種の馬ならばそこまで問題ではない」


「馬の問題じゃない、騎手の問題だ! レオンが日頃からあんな道を走っているわけではないだろう」


 アレクシスの不安は最もであった。

 ソノンの馬であれば問題のない斜面であっても、レイノアールの人間にとってそれは当たり前ではない。

 遠目ではレオナルドも問題なく駆けているように見えるが、きっと神経をすり減らしていることだろう。


「兄上とレオナルドの間で色々とあったことは知っているが、少し心配性過ぎはしないか? あいつはあれで一人の夫だ。妻が危険とわかればいち早く辿り着きたいのは当然のことだろう」


 誰とは言わなかったが、観覧席に怪鳥を招くよう手引きした者がいるだろうことも、その者が誰を標的としたくてそのような暴挙に出たのかもヴァインスたちには予想がついていた。

 駆け上がるレオナルドから目を逸らし、アレクシスは拳を握りしめ唇を噛み締めた。



 自分の腕に不安はあったが、跨がるソーノの脚力に心配は欠片もしていなかった。

 レオナルドは愛馬と共に斜面を駆け上がり、観覧席を襲った怪鳥の元へと急ぐ。

 会場に不審人物を忍ばせてリーゼロッテに危害を加えようと考える者がいるかもしれないとは予想していたが、まさか怪鳥を呼び寄せるなんて思いもしなかった。

 それはあまりに確実性に欠けた非現実的な計画だ。自分であれば絶対に考えない。

 しかし、起きてしまったことに対して、現実性がないなどと言っていても意味はない。

 ソーノが高く飛び上がり、最後の斜面から高台へと飛び映った。

 半壊した観覧席に、木片の飛び散った地面。人々の悲鳴は大きくなり、混乱と恐怖が身体中にまとわりついた。

 巨大な両翼を広げた怪鳥の前では、細身の剣を構えたイヴァンがその気を引くように怪鳥を相手取っていた。

 レオナルドはソーノの足を緩めず、リーゼロッテの姿を探す。

 イヴァンが怪鳥を前にしているということは、おそらくすぐ近くにいる。逃げ遅れたのだろう。

 その予想は正しかった。

 避難する人の波とは外れた場所に、リーゼロッテはいた。


「リーゼ!」


 地面に転がったリーゼロッテと、その前に立ち斧を振り上げる一人の男。

 叫ぶと同時に、レオナルドは弓に手を伸ばした。が、崖を駆け上がる際に重すぎて邪魔だったため下に置き去りにしていた。


「走れ、全力だ、ソーノ!」


 主人に応じるように、ソーノは気合いの入った鳴き声を上げて駆け出した。

 それでも、間に合うかはわからない。


「レオン様!」


 レオナルドの姿に気付いたリーゼロッテが、希望に満ちた顔をあげる。

 一瞬だけ浮かんでいた諦めの色は瞬時に消え去り、リーゼロッテは近くに落ちていた木片を掴むと男が斧を降り下ろすより先にその顔目掛けて木片を投げつけた。

 咄嗟のことで、男は自分の顔を庇うためにと振り上げていた腕を下ろす。

 それが十分な時間稼ぎとなった。


「そこを、どけ!」


 レオナルドは構えた剣の峰で男の手首へと強烈な殴打を食らわせる。

 斧を取りこぼした男の顎をソーノが後ろ足で躊躇なく蹴り上げ、男は反撃する間もなくその場に倒れこんでしまった。


「リーゼロッテ、無事……だね。良かった……」


 レオナルドはソーノから降りると、転んだままのリーゼロッテの隣へと膝を付く。

 所々に小さな怪我はしていたが、どうやらレオナルドは間に合ったらしい。

 リーゼロッテの手を取り、擦りむいた傷の深さを確認する。痛ましく血の滲んだ手の甲に、申し訳なさで胸が痛む。

 これはおそらく、ナタリーからの忠告だ。これ以上レオナルドがリーゼロッテを庇うようならば、さらに酷い手段を考えるという宣戦布告。

 あのとき、リーゼロッテの旗を取りに行ったのは間違いだったのかもしれない。彼女が蔑ろにされたことに腹が立ったにしても、あまりにも衝動的に動きすぎた。


「……ごめん、僕のせいで」


 絞り出した謝罪の言葉を前に、リーゼロッテは俯きながら黙って首を振った。

 何かを言おうと顔を上げ、しかし、リーゼロッテは結局言葉は口にせず、その代わりにレオナルドへと両手を伸ばした。

 しゃがんでいたレオナルドの体は、弱い力に抱き寄せられた。細い腕が首の後ろに回り、幼子の我が儘のような可愛らしい力に抗うことができずレオナルドは体を固くしてリーゼロッテの背中を見下ろした。

 表情は見えない。震えている体が、どれだけ怖い思いをしたのかを教えてくれる。

 決して口には出さないリーゼロッテだから、小さな震えは見逃したくない。


「……大丈夫だよ、リーゼ。僕が君を守ってあげる」


 恐る恐るリーゼロッテの背中に手を回し、レオナルドはあやすようにその背をそっと叩いた。

 ナタリーに逆らうことが間違いなのではないか。そんな疑問は掻き消される。

 本当に間違いなのは、震えるリーゼロッテをそのままにすることなのだとレオナルドは一人微笑んだ。


「レオン様……、イヴァンが……!」


 冷静さを取り戻したのか、レオナルドに身を寄せたままリーゼロッテは顔をあげる。

 視線の先では、イヴァンが押され気味に怪鳥の攻撃をいなしているところであった。

 イヴァンに加勢したいのは山々であったが、先ほどの暴漢の件もあり出来ることならレオナルドはリーゼロッテのそばを離れたくない。

 どうすべきかと迷っていたレオナルドの耳に新たな馬の蹄の音が届く。


「レオン様! リーゼロッテ様もご無事で何よりです」


 レオナルドよりも少し遅れてやって来たのはジョルジュであった。

 二人の状況を馬上から見下ろし、そして離れた位置で戦っているイヴァンへと視線を向けると、ジョルジュは迷いなく馬首をイヴァンの方へと向けた。


「俺が加勢します。レオン様はリーゼロッテ様を安全な場所へ」


「頼んだ、ジョルジュ」


 ジュルジュは仮面の奥で片目をつむってみせると、お茶目な態度からは想像できない速さでイヴァンの元へと馬を走らせた。

 レオナルドはもう一度、腕の中にいるリーゼロッテの頭を軽く撫でる。


「……本当に、間に合って良かった」


 リーゼロッテが控えめに頷いたのが、動きでわかる。

 ありがとうございます、と小さく吐き出された言葉は、人々の喧騒に掻き消された。

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