爪弾きの第一王女
アカネース王都にそびえ立つ灰褐色の城内で、足早に移動しながら周囲を見渡す男が一人。
「どこにおられるんだ、全く……」
短く整えられた赤毛と、翡翠を嵌め込んだ切れ長な瞳が特徴的なその男。焦りが浮かんだ顔は険しく、切れ長な瞳が合わさって話しかけにくい空気を醸し出していた。
なるべく足音は立てないよう、しかし足は止めることなく目当ての人物を探し歩く。
「あら、そんなに急いでどうかしたのかしら?」
探していた人物ではないが無視できない声が横から掛かり、男は足を止めた。
彼に声を掛けたのは、アカネース王国第二王女のミレイニア。
微笑を浮かべて首を傾げた彼女に合わせ、腰まで伸びた黄金色の髪が音もなく揺れる。毛先まで手入れの行き届いた金髪は絹糸のように滑らかで美しく、白い肌は水を弾く張りがある。
宝石のように青い瞳を向けられれば、誰もが息をのみ、彼女との叶わぬ恋を夢見るだろう。
若々しさと華やかさを兼ね備えた第二王女は、この国で一番の美女という評判に違わぬ美しさであり、ある詩人は彼女の前では聖女でさえも嫉妬の心を隠せないだろうと詩にした。
「ミレイニア様、申し訳ございませんが私は用事がありますので」
「もしかして、またお姉様の姿が見当たらないのかしら?」
「……えぇ」
微笑む姿は少女の可憐さを放っているが、男は興味などない様子で視線を外した。しかし、ミレイニアはそれを許さず男の腕を掴む。
「待ちなさいって。急いで伝えなくたっていいじゃない。婚約の話だって、貴方がしなくてもすぐに伝わるわ」
「……そういう問題ではないのです」
「もしかして、お姉様を連れて逃げようとでも考えているの? ……マリンハルト、残念だったわねぇ。あの人はそんなこと望みはしないわ」
ミレイニアの腕を振り払いたい気持ちを抑え込み、マリンハルトは唇を噛んだ。
つい先程まで行われていたアカネース王国とレイノアール王国の和平条約の完全なる締結に向けた会議が無事に決着した。
そう、この国の第一王女の婚姻が決定したのだ。
マリンハルトにとっては幼い頃から仕えてきた唯一の主であり、親愛と敬愛を捧げるかけがえのない王女。
自分の命よりも大切な王女が国のために強引な結婚を強いられる。
そのようなこと、彼に許せるはずがなかった。
「ねぇ、マリンハルト」
美しい顔を冷たく歪ませ、ミレイニアは冷たく微笑みマリンハルトの手を離した。
「あなたもよく知っているでしょう? お姉様の精神は気持ち悪い程に王女なのよ。国のための結婚を望まないわけがないの」
目の前の男が露骨に顔を歪めたことで、愉快そうにミレイニアは口角を吊り上げた。
「この国では誰もお姉様を妻にしたいなんて思わないわ。いくら第一王女とはいえ、後ろ楯がないんだもの。そう思うと、他国に嫁ぐのは案外幸せかもしれないわよ?」
マリンハルトは黙ってミレイニアを睨み付けた。言い返せないのは、従者の失態は主の失態となることをよくわかっているからだった。
露骨に態度に表せばミレイニアを喜ばせるだけだと知っているが、マリンハルトにはもう抑えることができなかった。
ミレイニアは決してマリンハルトに特別な感情を抱いているわけではない。ただ姉の忠実な犬の苦しむ顔が見たいだけだ。
姉は気持ちが悪い程に王女である。ミレイニアは自らそう口にした。
言葉の通り、彼女はいつでも笑みを絶やさない。怒りという感情を表に出さない。
その高潔であろうとする振るまいが、ミレイニアには気にくわなかった。
さらに言葉を続けようと口を開きかけたミレイニアは、天球儀の様に丸く澄んだ青の瞳に映った人物を捕らえ眉根を寄せた。
ミレイニアが口にした嫌みが聞こえていただろうはずのその人は、何事のないかのようにミレイニアへと微笑を向ける。
「こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。こちらには私の部屋しかありませんよ?」
肩甲骨まで伸びた真っ直ぐな琥珀色の髪と健康的な肌を持つ、きらびやかなドレスよりも農村で牛の世話をしている姿の方が似合いそうなその娘。
誰もが美しいと称賛の声をあげるミレイニアと比べ、整った顔立ちではあるがミレイニア程の華やかさはない第一王女。
しかし、どれだけミレイニアが見下そうとしても、彼女の立場はミレイニアが一生掛けても覆すことが叶わない。
「……えぇ。いち早くご結婚のお祝いを伝えたくて参上しましたのよ」
言葉とは裏腹な苦い表情。それも当たり前だろう。ミレイニアにとって、姉は疎ましい者以外の何者でもないのだから。
ミレイニアは友好的とは対極にあるだろう冷たい声を隠すことなく、その名を呼んだ。
「レイノアール王家とのご結婚、おめでとうございます。心から祝福致しますわ……リーゼロッテお姉様」
決して祝福の気持ちなど籠められていない。
爪弾き者にはお似合いの末路だと笑いに来たミレイニアの言葉に、リーゼロッテは顔色一つ変えずに頷いた。
「ありがとうございます。両国の平和の架け橋となれることを光栄に思います」
リーゼロッテには、ミレイニアの突き立てる言葉の剣は刺さらない。
その態度は昔から変わることなく、ミレイニアの心の表面を薄く逆撫でしていく。幼い頃より磨り減らされたミレイニアの心では、最早何故リーゼロッテに冷たく当たるのかさえわからなくなってしまっていた。




