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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
3章 焼けた靴で踊るように
51/112

同じ痛みを抱えるのなら


 イセリナの一件から、どうにも二人の間には距離がある。

 そう感じていたジョルジュであったが、夫婦の在り方に首を突っ込むのもお節介が過ぎると思い特に口出しはせずにいた。

 今日もレオナルドは公務に追われているため、ジョルジュはリーゼロッテにこの国への道中で約束した護身術の指南を提案した。

 動きやすい姿に着替えるリーゼロッテを部屋に残し、ジョルジュは一階層に建設された鍛練場で模擬剣の準備をし彼女が到着するのを待つ。

 勇猛果敢な王の治世に建てられたこの鍛練場は、石材を敷き詰めて作られた円形のステージとそれを囲むように木製の長椅子が階段上に並べられただけの簡素なものであった。

 主に騎士達も暮らしている二階層ならば、吹きさらしにならない屋内の鍛練場もある。

 実際の戦場は整った足場でなく天候の影響も強く受けるのだから、丁寧に造られた鍛練場では己の力は高められない。王の考えがそのようであったため、一階層の鍛練場は国内で最も簡素な造りとなった。

 敷き詰められた石畳もよく見れば所々が意図的にずらされ、まるで山間部のような凹凸のある足場を作り出している。そのため、一階層を出入りする騎士達もあまり好んでは利用しない。常に人気の少ない鍛練場のため、ジョルジュはよく利用していた。

 そもそも、彼は二階層で形のみの鍛練を繰り返すような騎士達と肩を並べるつもりもなかったのだが。


「なんだ、今からレオナルドと手合わせでもするつもりか?」


 人気がないとはいえ、全く利用者がいないわけでもない。ジョルジュのように他者の目を気にせずに鍛練に励みたい者にとっては丁度良い場所である。

 同じように考える者がいることはなにも不思議なことではない。

 ジョルジュは木製の模擬剣を両肩に抱えながら、声の掛かった方向を振り仰いだ。

 石を埋め込み造られた階段を降り、木製の椅子に腰を下ろしたのはヴァインスである。獲物を見つけた狼のような瞳を細めると、ヴァインスは自身の愛用する武器であるランスと盾を脇に下ろした。

 質素だが動きやすそうな木綿の衣服に身を包むヴァインスの姿は、レイノアール王国の第二王子には到底見えなかった。

 ヴァインスにとっては簡素な服装は常であり、必要時でなければ貧乏貴族のような姿が多い。過度な装飾はヴァインスにとって好むところではなく、動きやすい服装が最もだと考えているため、レオナルドに注意されることも少なくはなかった。


「これはヴァインス様。お邪魔なら別の場所に移りましょうか?」


「別に良い。一人よりお前がいた方がいい鍛練になるからな」


 その場に膝を付こうとしたイヴァンを片手で制し、ヴァインスは座ったまま腕を組み石材のステージを見上げた。

 そして、ジョルジュの手にある模擬剣に目を向けると不思議そうに眉を潜めた。


「模擬剣ではまともな訓練にならないだろ。本当にお前はレオナルドに対して過保護だな」


 ローズグレイの瞳に浮かぶ呆れの色は、直ぐ様飢えた獣のものに変わる。


「そんなことより、俺と手合わせでもどうだ? もちろんそんな玩具は使わずに、だ」


 歯を見せて笑うヴァインスは肉食獣そのもので、油断すればその瞬間に首を食い千切られてしまいそうだ。数年前まではこの鍛練場でヴァインスが騎士達と手合わせする姿が見られたのだが、最近はそれもほとんどなくなってしまい一人で剣を振るっていることが多くなった。

 貴族の家に生まれ、命がけで戦わずとも将来の約束されている王城勤めの騎士達では、強さを求めるヴァインスの相手など出来るはずもなかったのだ。

 ジョルジュは数少ないヴァインスの手合わせに付き合うことの出来る人間だった。偶然とはいえ、顔を合わせたのならばついでに手も合わせたいとヴァインスが考えるのは自然な流れである。

 しかし、ジョルジュにも先約というものがある。彼にとってもヴァインスと剣を交えることが出来るのならば有意義な時間となるので、可能な限りは引き受けたい。


「申し訳ございません、これからリーゼロッテ様に護身術を教えることになっておりまして。その後でもよろしければお付き合いいたしますが」


 仮面の奥で申し訳なさそうに眉尻を下げ、ジョルジュはゆっくりと首を降った。

 断られたことに対する憤りは見せず、ヴァインスは驚いた様子で目を丸くした。


「護身術? あの虫も殺せないような顔をした女がか?」


「必要なことですからね。ヴァインス様もご自身が結婚されたなら、奥様には武器の扱いを教えると思いますよ」


「俺はそもそも本気で守りたいほどに好いた女を妻に出来るとは思っていないさ」


 馬鹿馬鹿しいと片手を振ると、ヴァインスはつまらなさそうに両手を後ろに付いて空を見上げた。

 今日も変わらぬ曇天は、レイノアール王国の空を等しく覆っていた。

 以前訪れたアカネース国の空は、眩しいほどに青く輝いていた。その曇り無き空に焦がれ、豊かな自然を妬み、侵略という方法を使ってでもアカネース国を欲した先代の想いはわからなくもない。

 和平を結ぶよりも、戦争に勝ってアカネース国を領土とする方がよっぽどレイノアール国の力となる。そう思うからこそ、ヴァインスにとってはリーゼロッテを懸命に守ろうとするレオナルドの気持ちは理解できなかった。


「本気であの姫に惚れたってんならまだ納得はいくが、レオナルドは本当に姫を守ることがこの国のためになると思っているのか?」


 ヴァインスの言葉の裏には、リーゼロッテを利用すればアカネース国を侵略する手段はいくらでもあるのではないかという黒い考えが隠されている。

 彼自身は武器を手に前線に出る方が適しているためその手段まで考え付かないが、レオナルドであればその方法の一つや二つは頭に浮かんでいてもおかしくはない。

 ジョルジュは模擬剣の一本を足元に置くと、手にしたままのもう一本を軽くその場で振り下ろした。言葉の裏に隠された思惑になど気付かないような素振りで、ふざけた声で笑ってみせる。


「いえいえ、案外本当に好きになってしまったのかもしれませんよ?」


 ヴァインスは答えずに、無言でジョルジュを睨み上げた。しかし、仮面の奥の瞳と目が合い、そこに欠片も怯えが浮かんでいないことに気がつくと、ヴァインスは溜め息を吐いて肩を竦めた。

 道化師のようなレオナルドの従者は、ヴァインスを恐れる素振りは見せても本心から恐怖し従うことはしない。それはジョルジュの強さの証明であり、経験の差でもあった。


「それならそれでいいことだ。あの堅い弟が恋に溺れるというのなら、それもまた一興だろう」


 これ以上何を言っても適当にはぐらかされるだけだろう。それをわかっているヴァインスは話を切り上げるために目を閉じた。

 ジョルジュは王城に仕える身であるがレオナルド直属の従者であるため、ヴァインスに対して忠誠を誓っているわけではない。例え命令をしたとしても、ジョルジュの口からヴァインスの望む答えは得られないだろう。

 ヴァインスが目を閉じたのを最後に、二人の間に会話は途絶えた。

 模擬剣を片手で振り上げたジョルジュは、横凪ぎに振り下ろす。女性でも両手なら扱えるだろう。ジョルジュは適度な力で石畳に模擬剣を叩き付けた。石畳を破壊することは出来ず、ジョルジュは安堵の息を漏らす。傷でも付けようものなら、別の物に変えていたところだ。

 しばらくの間、剣の型を確かめるように体を動かしていたジョルジュであったが、軽やかな足音が耳に届くと足を止めてその方向へと顔を向ける。


「お待たせ致しました……あら、ヴァインス様?」


 ゆったりと裾の広がるドレスを、男が着るような白のパンツに履き替えたリーゼロッテが石段を駆け降りる。途中、腰掛けたままのヴァインスに気付き、さっと頭を下げた。

 片目だけを開いたヴァインスは、リーゼロッテを瞳に映すと無愛想に頷いた。すぐに視線を外すつもりでいたヴァインスであったが、彼女の足元が目に入りつい呼び止めてしまった。


「おい、ちょっと待て。それはどうした?」


 ヴァインスがリーゼロッテの足元を指差した。いつのまにか台座から降りていたジョルジュも、リーゼロッテの隣に立つとヴァインスの示す先に目を向ける。

 白い裾に赤い染みが飛び散っている。怪我でもしているのではないかと嫌な予感がジョルジュの胸を過ったが、リーゼロッテが平然とした顔をしているためその心配は薄そうであった。


「大したことではありませんので……」


「これ、血だな。大したことでないわけないだろ」


 不躾にもリーゼロッテの裾に手を伸ばしたヴァインスは、指先に付けた染みの臭いを確かめると顔をしかめた。

 戦場に出た経験のあるヴァインスにしてみれば今更血の臭いに不快感を感じることもないのだが、平気な顔をしているリーゼロッテに対しては薄気味悪さを感じずにはいられない。


「本当に怪我とかではなくて……部屋の扉を開けたところに血の入ったバケツが置かれていたのです。気付かずに倒してしまって、その時に裾を汚してしまいました」


「血って……!」


 バケツに溜められた血など、尋常な量ではない。焦りを帯びた様子で声を荒げたジョルジュであったが、ヴァインスは冷静にそれを宥める。


「どうせ鹿でも血抜きしたときの血だろ。俺の母親も昔やられたらしい」


 獣の血など気持ちが悪いだろう。女性に対する嫌がらせにしては質が悪く効果的であった。ヴァインスの母も二妃という立場から数々の嫌がらせを受けていたため、ヴァインスも女性が内に秘める陰湿な思惑は耳にしている。

 ヴァインスの母の話では、血の嫌がらせで最も気持ちが悪かったのは汚れた廊下の掃除を自分自身でせねばならないことであったという。侍女達の多くは正妃の息が掛かっているためあてにはできず、長時間血の臭いを放置するわけにもいかないため、自らの手で掃除をするのが一番早かったのだ。

 それに可能な限り自分が嫌がらせを受けているということは知られたくない。

 城内で働く侍女達もまたより強い者に従い、安穏と過ごしたい。単純な話が、正妃の機嫌を損ねる真似は避けたいと考えているのだ。

 侍女達に掃除を言い付ければ正妃からの嫌がらせを受けていることを自ら明かすことに等しく、侍女達からも冷遇される未来は避けられない。

 母の恨み言を思い出しながら、ヴァインスはリーゼロッテの横顔を見上げた。同じような経験をしているのだと思うと憐れにも思えたが、ヴァインスには関係のないことであった。

 しかし、彼女がどう切り抜けようとするかには興味がある。

 ヴァインスは人の悪い笑みを浮かべ、一切の許可なくリーゼロッテの手を掴む。


「大したことないって顔だな。アカネースでは日常茶飯事だったのか?」


「血を用意されたことはないですよ」


 日常茶飯事であることは、否定しない。

 自分を掴むヴァインスの腕に空いている手を乗せ、リーゼロッテは微笑んだ。

 リーゼロッテの指先が、弱い力でヴァインスの手を外していく。腕を掴まれたことには一切言及せずに拒絶されたため、ヴァインスも何も言えないままで彼女の腕から手を離した。


「ジョルジュ、この件はレオナルド様に報告する必要はありません」


「しかし、リーゼロッテ様……」


「この程度のことでレオナルド様にご心配を掛けたくはありません」


 強い口調で言い切るリーゼロッテの瞳には迷いがない。ジョルジュは眉を潜め、責めるような視線をリーゼロッテへと向ける。

 この程度とは言うが、獣の生き血を部屋の前に仕掛けるというのは十分悪質な嫌がらせだ。男のジョルジュでも不快に感じるのだから、女性であれば尚更だろう。

 それでも大したことないとリーゼロッテは言う。それが強がりからか、本心からか、ジョルジュには判断が付かなかった。


「貴方はイセリナ様の件もレオナルド様にお伝えしておりませんよね? 第三王子の妃に暴行を企てた罪は、軽くはありませんよ」


 イセリナは所詮アレクシスの婚約者。正式な妃ではない彼女では、リーゼロッテが告発すればアレクシスとの婚約が解消される可能性もある。

 だからこそ、他人を利用してリーゼロッテを貶めようとしたのだ。

 実際に手を下さなければ、証拠は見つかりにくい。リーゼロッテがレオナルドに事実を告げたとしても、確実な証拠が出てくるかはわからなかった。


「私の発言だけでイセリナ様の罪を立証することはできないでしょう」


「確かにそうかもしれませんが、レオナルド様でしたら必ず罪を証明してくださります」


 レオナルドの下には自分もイヴァンもいるのだ。その他にもレオナルドに協力をする者はいる。

 リーゼロッテの発言のみでは立証できないとしても、レオナルドの耳に入れば証拠を集め罪を暴くことは難しくない。


「……いいえ、それでもここは黙っておくべきだと思います」


 ジョルジュの言葉に、リーゼロッテは首を横に振った。


「私がレオナルド様にイセリナ様の件をお伝えしたら、あの方の立場は悪くなるでしょう。追い詰められた人間が何をするかは予測が付きません。レオナルド様御自身にも危険が及ぶかもしれないのです。嫌がらせ程度で済んでいるのなら、何一つ問題はありません……」


 静かに告げ、リーゼロッテはジョルジュから目を逸らした。片手で口元を押さえると、リーゼロッテは口を閉ざした。

 言葉が過ぎたと後悔するように、それ以上は何も言わずリーゼロッテは俯いてしまった。


「……レオナルドがお前を気に掛ける理由、少しわかったぞ」


 今まで静かに二人のやり取りに耳を傾けていたヴァインスが、椅子から立ち上がるとリーゼロッテを見下ろしてニヤリと笑った。

 俯く彼女の顎を掴み強引に顔を上げさせると、リーゼロッテの沈んだ瞳に自身の獣じみた獰猛な笑みを無理矢理映す。


「お前はディオンに似ている」


「ディオン……?」


「俺たちの従兄弟で……レオナルドが特によくなついていた男だ。何年か前に反逆罪で一族ごと処刑されたがな」


 リーゼロッテの瞳が大きく見開かれた。アカネース国を出る前に、リーゼロッテがデュッセルから聞かされていた話に一致する。

 王位争いに巻き込まれ、命を落としたと思われる王弟一家。その息子とレオナルドが懇意であったとなれば、レオナルドがリーゼロッテを守るために力を尽くそうとする理由にも納得がいった。

 レオナルドは、身近な人間が王家の策謀に巻き込まれて命を奪われる悲劇を繰り返したくはないのだ。

 その痛みを、リーゼロッテは知っている。身近な人間が、自分のせいで命を落とす。無力感と絶望に押し潰される痛みは、リーゼロッテの胸にも深く傷を作っていた。


「レオナルド様も同じ……」


「ん? なんだ」


 唇の端から零れ落ちたリーゼロッテの言葉は、小さすぎてヴァインスには届かなかった。

 驚きに見開かれていたリーゼロッテの瞳が、ゆっくりと閉ざされる。再び目蓋が持ち上げられた時、リーゼロッテの瞳から迷いは消え失せていた。


「ジョルジュ、始めましょう」


 顎に触れたヴァインスの手を両手で包み退けると、立ち尽くすジョルジュをそのままに石材のステージへと飛び乗った。

 そのままにされた模擬剣を手に取り、握り心地を確かめるように両手で柄を握り締めた。


「レオナルド様ばかりに負担を掛けることは出来ません。私も気合いを入れないと……!」


 両手で振り上げた模擬剣を重力に従い振り下ろす姿は、多少は剣術の心得がある者の動きであった。

 ぼんやりと見上げていたジョルジュは我に返ると、急いでステージの上へと飛び移る。その背中を眺めていたヴァインスは、機嫌が良さそうな笑い声を上げて二人を見上げた。


「ジョルジュ、終わったら俺と手合わせをするのを忘れるなよ」


「承知しておりますよ」


「では私も見学させていただきます」


 一瞬だけ視線をヴァインスへと向けると、リーゼロッテは模擬剣を握り直しジョルジュに向き直った。


「ではリーゼロッテ様、相手の斬撃を受け流す方法をお教えします。貴方は敵を倒すことよりも、生き延びて時間を稼ぐことを最優先に考えてください」


 リーゼロッテの晴れ渡る眼差しの先には、レオナルドがいる。

 その事実に緩む頬を仮面に隠して、ジョルジュもまた模擬剣を構えた。


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