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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
1章 望まれぬ婚姻
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女好きの第二王子


 アレクシスは喫茶店の娘を気に入ったらしく、珈琲が冷めるのも構わずに彼女にアカネース王国で人気のある物語や彼女の好きな絵画の話で盛り上がっていた。


「最近は戦争があったから、歌も大切な者を失った嘆きの歌ばかりだ。それは確かに美しいし、胸を打つ。だが、哀しい歌は幸せな歌に混ざっているから輝くのであって、溢れかえってしまうのでは駄目なんだ」


「現状はアカネースも大差ありません。この国も戦争の哀しみに支配されています。だからこそ、今回の停戦は長く続くものであってほしいと願ってしまいます……」


 娘も適当に切り上げてしまえばいいところを、アレクシスの話に付き合い中々卓を離れない。

 本来なら彼女も仕事に戻らなければならないのだろうが、幸いにも喫茶店にはアレクシス達以外の客はいない。それはおそらく、入り口の前に立つ護衛のせいなのだろうが。


「……兄様、珈琲が冷めてしまいますよ」


 しかし、さすがにいつまでも拘束してしまうのは悪い。そう思ったレオナルドはアレクシスへと角砂糖の入った小瓶を差し出した。

 瓶の蓋には薔薇が絡まっているような彫刻が施されている。今にも花を咲かせそうな生き生きとした造りは、それなりの値がするのだろうと推測される。


「ありがとう、レオン……と、これはずいぶんと素敵だね」


 小瓶を受けとり、落とさぬように両手で包むと、アレクシスは興味深そうに小瓶を掲げて様々な角度から見回し始めた。芸術に関心の強いアレクシスの興味の対象は、彫刻にも及ぶ。

 レオナルドが思った通り、小瓶はアレクシス好みの意匠だったようだ。


「では、失礼いたします。またご用の際にはお声掛けください」


 完全に自分から興味が逸れたと判断した娘は、微笑と共に軽い会釈をしテーブルを離れようとした。

 しかし、今度はヴァインスが彼女の退席を許さない。彼は娘の手首を掴むと、膝下までの黒いスカートから除く健康的な足と、きっちりと首元まで閉まったシャツの上からでも大きさのわかる胸に目をやり、にやりと笑った。


「なあ、あんたうちにはいないタイプの女だな。今夜、暇か? よかったら俺の相手をしないか?」


 ヴァインスの悪い癖だった。

 少しでも気になる女がいれば、それが誰であっても簡単に手を出す。


「兄さ……っ!」


 諌めようと立ち上がり掛けたレオナルドの足を、ヴァインスはテーブルの下で思いきり踏みつけた。


「もちろんタダとはいわないさ。一晩俺の相手をするなら、こんな店で働いていたらバカらしくなるくらいの金だってくれてやる」


 今にも噛みついてきそうな獣の笑みは、王子でありながらどこか粗野な雰囲気を持つヴァインスにはよく似合っていた。

 レイノアール国民に特徴的な雪色の肌にと色素の薄い雪空の瞳は兄弟達ともよく似ているのだが、4人の中で彼だけが目を引くはっきりとした黒髪を持っていた。肩に掛かる長さまで伸びた黒髪を結い上げることもせず下ろしていることが、ヴァインスを野性的に写すのだろう。

 獣のように鋭い瞳も、兄弟の中では一段と濃い色合いのローズグレイ。仄かな赤みが、白い肌にはよく映える。

 その強引な態度と強気な口調が雰囲気に相まって、彼の誘いに生じる娘は多い。城下町はもちろんだが、貴族の娘達もまた彼との遊びの恋に心を燃やしているという。

 それを自国の中だけでやっている分には構わない。レオナルドにはその楽しさが理解できないが、どのような噂が立とうが自己責任で済む話なのだから。

 しかし、今はこれから友好を結ぼうとしている他国にいる。自分達の血が強い意味を持つ自国と同じ感覚で、女遊びに耽っていいわけがないのだ。


「兄様! いい加減にしてください、失礼ですよ!」


 レオナルドはヴァインスの腕を掴むと、立ち上がって代わりに娘へと頭を下げた。


「申し訳ありません、私の兄が無礼な振る舞いを。兄に代わって謝罪します」


「そんな、顔を上げてください。レイノアール流の冗談の一つでしょう?」


 娘は慌てて手を振ると、頭を下げたレオナルドの肩を軽く叩く。

 そんな冗談があるはずがない。おそらく、彼女もそんなことはわかっているだろう。それでもレオナルドを気遣って微笑む姿に胸が痛んだ。


「お誘い頂き光栄です。ですが、こういうものはもう少し冗談とわかるように言わなければ、余計な誤解を与えてしまいますよ?」


 娘は真っ直ぐにヴァインスを見返すと、落ち着きのある楚々とした笑みを浮かべてはっきりとその誘いを拒絶する。

 何事もなかったかのように頭を下げると、トレイを胸に奥へと姿を消した。

 自分よりもやや年上の、それこそヴァインスと同じ年頃の娘だ。すでに婚期は迎えていて、遅くても婚約者はいるのではないかと思われる。

 そのことを考えると、見知らぬ彼女の恋人にも申し訳なくなってしまう。レオナルドは上げていた頭を再び下げ、申し訳なさそうに席に着く。


「レオンは真面目だね」


「本来なら、アレクシス兄様がヴァインス兄様を諌めるものだと思いますが」


「私はダメだよ。だって、ヴァンが本気で言ってないとわかっているからね」


「本気でなくても、良識の範囲を越えている時は止めてください」


 苛立ちを隠しきれないレオナルドに対し、アレクシスは余裕の笑みを浮かべてようやく珈琲に口を付けた。


「……うん、美味しい。美味しいよ、レオンもどうだい?」


「美味しいのは承知しています。……はあ、もう何でもいいですよ」


 再び口に運んだ珈琲はすでに冷めてしまっていたが、広がる香りと苦味は相変わらずで美味しかった。


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