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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
2章 明日から夫と妻となる
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その身を守るもの


 ただ笑顔を振り撒くだけの王女様よりも、どこか刺のある女の方が好ましい。それは確かにゴーゼルの持論ではあったが、あくまでも快楽を求める遊びの恋愛に関してだけの話であるのだと、目の前の娘と対峙しながらゴーゼルは確信した。

 綺麗な薔薇には刺がある。それは構わない。刺があることを承知で手を伸ばしているのは男だからだ。そしてそこには、手を伸ばさない自由もある。

 しかし、今は恋愛の場ではない。その上、刺などないという顔をしていた女が相手で、こちらは手を引くことが許されない状況になってしまった。


「申し訳ございません、リーゼロッテ様。ヴィオレッタが道中でリーゼロッテ様から頂いたお手紙を紛失致しまして、彼からお話を伺ったときに初めて耳にしたお話にございました。ヴィオレッタもどうしていいかわからず、私に相談も出来ず発覚がおそくなりまして、本当に申し訳ございません」


 その場で、テーブルに頭が付きそうな程に深々とゴーゼルは頭を下げた。謝罪の気持ちに嘘はないのだと、リーゼロッテに理解してもらわなければならない。

 実際、ゴーゼルの中には罪悪感と後悔が大きく渦巻いていた。

 リーゼロッテの婚約の報がゴーゼルの耳に届いた時、何か入り用の物があれば依頼があるだろうとすぐに手配できるよう在庫の確認や流通網の確認は怠らなかった。

 しかし、王都から戻ったヴィオレッタにリーゼロッテからの依頼がなかったか、確認することはしなかったのだ。

 普段から二人の間に会話が少ないことも理由の一つではあるが、最大の原因はゴーゼルがまさかリーゼロッテがヴィオレッタを通してオズマン商会に依頼をするとは思いもしなかったからだ。

 ヴィオレッタがリーゼロッテを好ましく思っていないことは周知の事実だ。自分に敵意を抱いている相手に頼み事をして、希望通りに事が進むなど普通は考えられない。

 それにまさか、リーゼロッテがゴーゼルを相手に取引の場で優位性を奪いに来るとは思いもしなかった。

 万が一を考えて尋ねておけば良かったと、自分自身の短慮さにゴーゼルは腹を立てていた。今となっては何を言ったとしても、言い訳にしかならないのだが。


「そうだったのですね。ですが、私もそれを仕方がなかったの一言で済ませてしまうわけにはいきません。どうにかならないのでしょうか?」


 柔らかな口調ではあったが、それは間違いなくゴーゼルへの命令であった。

 ゴーゼルは顔を上げると、先程の注文書とは別の書類を机上に並べた。

 そこには、リーゼロッテが依頼した各種鉱石の名称と個数、そして金額が並べられている。


「……ご依頼の品はこちらで合っておりますか?」


 差し出された書類を受けとると、リーゼロッテはさっと字面に目を通す。そして、合計の金額を確認すると微笑と共に書類をゴーゼルへと手渡した。


「ええ、合っております。マリンハルトに確認頂いたのですね」


「はい。それで、今すぐにご提供できる数というのが……」


 ゴーゼルは別の書類を手に取ると、先程の希望商品の一覧の隣にそれを並べた。

 記載されている名称は同様で、そこには赤い文字で個数と金額が記入されていた。


「こちらに書かれている数がリーゼロッテ様の出発に合わせてお渡しできる数になっております。残りを私たちがレイノアール国までお運びする形でのご提供とさせていただけるのでしたら……」


 記載分だけを先に渡し、残りは後からレイノアール国に届ける。その方法をゴーゼルはリーゼロッテに提案したが、彼女は良い顔をしなかった。


「……レイノアール国には鉱山が多くはなく、特に石炭の採れる炭鉱は少ないと伺っております。それ故に、我が国程の工業面が発展がしていないと」


「えぇ。リーゼロッテ様の仰る通りにございます」


「おそらくレイノアール国が今回の和平条約で期待するのはその辺りになるのではないかと睨んでおります。アカネースから石炭などを輸入することもですが、鉱山開拓の技術も得ていきたいと考えているでしょう」


 リーゼロッテの言葉に、ゴーゼルは頷く。それについてはゴーゼルも見込んでいることで、だからこそ今ここで対応を間違えてリーゼロッテを客として逃がすわけにはいかなかった。

 出来ることなら、リーゼロッテにはレイノアール王家との窓口になってもらいたいとゴーゼルは考えている。

 例えリーゼロッテの立場がレイノアール国の中で悪くなってしまったとしても、きっかけさえ与えられればゴーゼルが直接レイノアールの人間と取引を行えばいいだけのことだ。とにかく、取っ掛かりの何かが欲しい。


「ですが、アカネース国から大金で石炭や鉄を買い取ったとしても、上手く活用できるかもわからなければ中々手出しは出来ないでしょう」


「そうでしょうね。何事も初めて手を出す事業というのは失敗の危険と隣り合わせです」


「ですから、私は自分の資産として多くの鉱石をレイノアール国に持ち込みたいのです。包み隠さず言わせていただけば、レイノアールという国に恩を売りたいのです」


 リーゼロッテに言われてしまえば、ゴーゼルは自分の提案がリーゼロッテの望みを叶えるには不適であることを察せざるを得なかった。

 彼女の考えは悪くないとゴーゼルは思う。

 レイノアール国にしてみれば、嫁いだ姫の資産として鉱石が手にはいるのならば得しかない。活用方法を試行錯誤する段階での損失が大きく減り、使い慣れた頃にアカネース国から輸入できるということになる。

 さらには、リーゼロッテはゴーゼルのようなアカネース国の人間に繋がりがあるのだ。両国間での貿易が開始されるようになれば、彼女の存在は必要となるだろう。

 自身の考えを一通り述べ、リーゼロッテは一度口を閉ざした。真っ直ぐに向けられた蒼の瞳は雲一つない空のようで、見つめられ続けてしまっては息が詰まりそうだ。

 しかし、ここでのゴーゼルの対応がこの先のオズマン商会とレイノアール国の命運を握っているといっても過言ではない。


「リーゼロッテ様の仰ることは最もだと思います。最初のインパクトというのは大切ですから、後から小出しでは印象も薄れてしまいます。そうですね、それでは……」


 顎を撫で、思案げに首を傾げて見せるゴーゼル。

 ゴーゼルが最も避けたいのは、リーゼロッテが仕方なくゴーゼルの提案を受け入れるという形を取られることであった。欠品のある状態で渋々了承を得る形となってしまえば、ゴーゼルはリーゼロッテに借りを作ることになってしまう。

 これがレイノアール国を背後に持つリーゼロッテとの初回の商談であることを考えると、今回で対等の取引が出来なければ尾を引くことは明らかである。

 ゴーゼルは微笑みを讃えたまま、頭を回転させる。真っ直ぐに見つめるリーゼロッテの瞳が、引き下がるタイミングを見計らうようにゴーゼルへと縫い付けられていた。彼女を逃がさぬようにその瞳を捉えたまま、ゴーゼルは余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせた。


「……北に一つ、小さな鉱山があります。年間の産出量もうちで所有する鉱山の中では低い方ですが、我が領地からそれほど遠くないことと、石炭、鉄、稀に銀が採れることもあり決して悪くはない山です」


 思い至った一つの可能性を口にする。眉一つ動かさず、動揺の色は浮かべずに、ゴーゼルはゆっくりと言葉を続けた。


「この金額で、山を一つ買われてはいかがでしょうか?」


「山を、ですか?」


 丸く見開かれたリーゼロッテの瞳には、隠しきれない驚きが浮かび上がる。この娘は本当に驚くとこんな顔をするのか、と頭の片隅に思い浮かべながら、ゴーゼルは糸のように細い瞳に曲線を描く。

 彼女を敵に回すつもりは毛頭ないが、ゴーゼルは十も下の娘の良いように転がされてやるつもりも初めからなかった。

 国内外まで商人として名を知られた男が、後手に回ったとはいえ商談で負かされることはあってはならない。


「リーゼロッテ様が大量の鉱石を背負ってレイノアール国に入国するということは叶いませんが、紙切れ一枚でも大きな武器になると思えませんか?」


 リーゼロッテは指先でそっと唇に触れると、瞼を落としてしばらく押し黙っていた。考える時間はどれだけ与えても構わない。ゴーゼルは黙って彼女が再び口を開くときを待ち構えた。

 手応えは、ある。リーゼロッテの瞳が彼女の提示した鉱石のリストから離れないのがその証拠だ。

 ゴーゼルは余裕のある曲線を目元に浮かべ、懐の広さを見せつけるように急かす言葉の一つも掛けない。

 それは待ちくたびれるには短い時間であったが、ゴーゼルにとっては胃が痛む程に長い時間に思えた。


「……その話、詳しくお聞かせ願えますでしょうか?」


 慈悲深い天使のような柔らかな微笑みを浮かべるリーゼロッテが、ゴーゼルの目には悪魔のようにも映っていた。彼女はアカネースの城の奥で、爪弾き者として生涯を終えさせるのが国のためだったのではないかと思ってしまう。

 天使のごとき慈悲深さを仮面として心の内に持ちながら、悪魔を思わせる冷徹さを胸の内に隠し持つ彼女が、アカネースという枷を外されたときにその悪魔をこの国に向けないという保証がどこにある。彼女に少しでもこの国を恨む心があったのなら、レイノアールという国に荷担したとしてもおかしくはない。

 しかしそれは、ゴーゼルが気に病むことではない。

 彼はアカネースという国の未来よりも、オズマン商会の長として部下や家を守ることを最優先に考えていれば良い。そのためには、リーゼロッテと鉱山の取引を成功させる。

 仮に彼女が敵に回るようなことがあったとしても、アカネース国内の一領主としてではなく、頼りになる優秀な商人としてリーゼロッテに認識されることができれば、彼女の刃が向けられることはないだろう。

 リーゼロッテとはゆっくりと顔を合わせて話す機会は今日が初めてであったが、商人として多くの人間と顔を合わせてきたゴーゼルには彼女が信頼における人物であると判断できた。

 その人となりはよく知らないが、少なくともリーゼロッテは感情ではなく損得や立場で物を考えられる人間である。恋人としてのお付き合いは遠慮だが、取引相手としては申し分ない。


「承知いたしました。お話しさせていただきます」


 頷く彼女の表情に、ゴーゼルは成功を確信し、正確な資料を用意するために立ち上がった。


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