雪肌の兄弟(3)
「お待たせいたしました。珈琲をお持ちいたしました」
一人語り続けるアレクシスを止めたのは、健康的な肌色をした、短い琥珀色の髪を持つヴァインスと同じくらいの歳の娘だった。
おそらく、この喫茶店の看板娘なのだろう。彼女の笑顔は、この国の暖かな太陽のように眩しく、見るものを安心させる。
笑顔が眩しいのは彼女に限った話ではない。この国の人々には生き生きと笑う者が多いとレオナルドは感じていた。
「ああ、ありがとう」
頷いたアレクシスに微笑んで、娘は珈琲をそれぞれの前に配った。鼻先を掠めた珈琲の香りが心地よく、レオナルドは思わず頬を緩める。
「見たところレイノアール王国の方々のようですが、先程お話しされていたのはこの国の歌人ではありませんでしたか?」
「はい。戦争が激化する以前に取り寄せていた歌集ですから、最近の流行りからは遅れてしまっているかもしれませんが」
「まあ。レイノアール国の方にも親しんでいただけるだなんて、とても嬉しいです」
珈琲を配り終えた娘はトレーを胸に抱えると、嬉しそうに両手を叩いた。
停戦条約が結ばれたといっても、両国間の怨恨は根深い。レオナルドたちは普通に街を歩いているが、向けられる視線には冷たいものが多かった。
彼らの腰に下げられた剣と護衛の視線がなかったら、襲い掛かった者もいたはずだ。
護衛たちは店の外で待たせているため、女の目にはレイノアールの商家の子息にでも見えたのだろう。特に臆する様子もなく、微笑を浮かべている。
「彼が唯一歌った悲恋はとても素晴らしかったです。結ばれないのなら一緒に死んでしまいたいというあの感覚は我が国にはないものです。アカネース国では普通なのですか?」
まさか、と娘は首を降る。
「普通ではありませんよ。さすがに、思いを秘めて諦めるというのが一般的でしょう。ですが、気持ちはわかります」
「そうなのですね。やはり、私にはわからない感覚です。ですが、あの悲痛な歌には心を惹かれました。芸術を素晴らしいと思う気持ちは国の違いなんて関係ありませんね」
「あの歌は、何代か前の王子が平民の娘と東にある泉に身投げをしたという話が題材になっているのです」
それこそ先ほどヴァインスが口にした女どもの好きそうな悲劇であった。つまらなそうに欠伸を噛み殺すヴァインスを横目に、アレクシスは興味深そうに頷いた。
「そうなのですね。しかし、この国では后に迎え入れるのに身分は重視されないと伺っております。題材となったお二人が結ばれることは叶わなかったのですか?」
意外にもアカネースの内情に詳しいレオナルドに驚きの表情を浮かべつつ、娘は言いにくそうに片手で口許を隠した。
「仰る通りなのですが、身分を重視しなくなった理由がそのお二人なのです。どういうことかアカネース王家は女性が産まれることの方が多く、数少ない王子を失わないための苦肉の策だそうです」
「それはまた大変な……。レイノアールでは平民の后など考えられませんが、 跡継ぎが産まれなくて苦労したという話も聞いたことはありませんね」
現在、レイノアール王家の直系はこの場にいる四名で、うち三人は王子である。歴史を振り返っても、今まで王子が産まれなかった代はない。
アレクシスの言葉に耳を傾けながら、レオナルドは湯気を立てる珈琲にたっぷりのミルクを落とし、口元に運んだ。
一口含んだだけで、香ばしい香りと舌触りのいい苦味が一瞬で広がった。レイノアールにも珈琲はあるが、広がる風味も豊かな香りも全然違う。
レオナルドはアレクシスのように、芸術的な感性で二国間の繋がりを感じることは難しい。しかし、この珈琲が美味しいものであることはレオナルドにもわかる。
「……すごく、美味しいです」
ぽつりと溢れた言葉は、娘の耳にもはっきりと届いていた。彼女は照れた様子で微笑むと、申し訳なさそうに肩を竦めた。
「きっと、豆がいいからですね。マスターが今日は私に淹れさせてくれたのですが、マスターと同じ美味しさにはまだまだ届きません」
返事があったことに驚きつつも、レオナルドはそんなことはないと首を降る。
「マスターの珈琲は知りませんが少なくとも僕は、今まで飲んだ珈琲の中で一番美味しいと思います」
空の青さを美しいと思う心も、温かな珈琲を美味しいと思う心にも、きっと国境などはないのだろう。
レオナルドは再び王城に視線を向ける。
今、城内では両家の婚姻についての会議が行われていることだろう。
アカネース王家には現在、姫しかいない。必然的にレイノアール王家の王子達の誰かに白羽の矢が立つこととなる。
第一王子であるアレクシスにはすでに婚約者がいるため、犠牲となるのはヴァインスかレオナルドのどちらかになるだろう。
どちらになるのか、レオナルドにも予想が付かない。
正妃の子でありながら、王位から遠い自分となるか。
それとも、継承権第二位を持ちながらも側室の子であるヴァインスとなるか。
アカネースから迎える姫など、王位と遠い王子に押し付けたいのがレイノアール王国としての気持ちだろう。しかし、仮にアレクシスが王とならない未来が訪れた場合に、二人のどちらが王位を継ぐことになるのかははっきりとはわからなかった。
戦争がない日々が続いてほしい。もう、両国の間で戦争など起きてほしくない。北に構える帝国の脅威に屈することのない国を築きたい。
それはレオナルドの本心であったが、今回の婚姻に対しての生け贄という印象は拭いきれなかった。




