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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
2章 明日から夫と妻となる
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父と娘、王と王女


 アカネース王国13代目国王デュッセルは、5代前の白蘭王ことノアリム以来の男児であった。姉が3人、妹が7人と歴代を見ての多くの姉妹を持つのは、第三妃が男児を産んだことで次こそは自分の腹に宿るのではと期待した正妃や二妃の悲しい努力の末路である。

 結局、デュッセルが15歳となるまでに男児が産まれることはなく、レイノアール侵攻を防ぎ戦果を上げたフォドムス伯爵家に嫁ぐこととなった長女から白百合の掘られた王印の半分を譲り受け、彼は正式に後継者として認知されていった。

 姉は全てどこかの貴族の元へ嫁ぎ、妹たちも4人は何らかの婚姻を結び、2人は城の生活が合わず城下町へと下り、1人は騎士を駆け落ちをした。

 姉妹の行方など、デュッセルには興味のないことだった。

 生まれたときから王としての期待を受け、教育され、応え続けてきた男にとって、多く姉妹がいることは使える手札が多い以上の意味がない。唯一同じ母親を持つ妹が駆け落ちをした際には、少しだけ安堵する気持ちもあったのだがやはり勝手な行動をとる妹の愚かさの方が目についてしまった。

 そして今、デュッセルの目の前には手札のうちの一枚である娘が体の前で右手で左手を包むようにして立っている。害意はないのだと、利き手を押さえつけることで証明しているのだ。


「そう硬くならなくとも良い。別に私も自分の娘を取って食いはしない」


「……はい」


 ここはデュッセルの私室で、周囲には誰もいない。

 明日には隣国へ向かう娘との最後の邂逅になるというのに、デュッセルはほの暗い表情を変えることなく椅子に腰かけたまま深い息を吐いた。


「お前は段々母親に似てきたな」


「お母様にですか?」


「ああ。顔がよく似ている。……親子なのだから当然かもしれないがな」


 デュッセルが懐かしむのは、目の前にいるリーゼロッテではなかった。

 リーゼロッテの姿を通して、今は亡き想い人の姿を見る。

 際立って美しい顔立ちではないが、生命力に満ち溢れ見る者の目を引く華があった。

 デュッセルの前に立つリーゼロッテにその華は見受けられない。しかし、城下町にお忍びで訪れていた彼女を偶然見かけた際には、変わらずに引き継がれていることをこの目で確認しひと安心したものだった。


「性格は全く似なかったがな。あれはお前と違って気が強くて負けず嫌いで見ていて飽きなかった」


 デュッセルがリーゼロッテに母親の話をするのは初めてであった。驚いて言葉を返せないリーゼロッテに目をやり、デュッセルは間の抜けた彼女の姿を鼻で笑ってみせる。


「はっ、この程度のことでそこまで驚くか。見たことのない間抜け面だな」


「そうは仰いますが、まさか陛下のお口から母の話が出てくるとは夢にも思わなかったものですから」


「では、今日ここに呼ばれたこと自体が不思議でしょうがないのだろうな」


 リーゼロッテは黙って頷いた。デュッセルもまさか昔話をするためにリーゼロッテを私室に招いたわけではない。

 ただ、彼女の顔を見た瞬間にかつて愛した女性の面影を追いかけてしまっただけのこと。

 らしくないことをしてしまった。デュッセルは軽く咳払いをすると、いまだに困惑の表情を浮かべるリーゼロッテへと欠片の笑みも浮かべずにこう切り出した。


「出立の準備、中々に手こずっていたらしいな」


 リーゼロッテは答えない。その態度はデュッセルにとっては想定の範囲内で、気にすることなく言葉を続けた。


「……その様子だと、滞りなくは手配できているというところか。まあいい。今日お前を呼んだのはお前に渡すものがあるからだ」


「渡すもの……ですか?」


「ああ。ミレイニアやヴィオレッタの際にも王として贈り物は用意したからな。まさかお前だけにやらんということは出来ないだろう」


 デュッセルの言葉で、納得したようにリーゼロッテは頷いた。そして、形式通りの礼を述べると深々と頭を下げた。

 文句の付けようがない完璧な動作に、デュッセルは思わず嘆息を漏らした。教えたのは自分ではない。教育係も付いていたはずだが、リーゼロッテに対してその責務を果たしていたとは到底思えなかった。

 リーゼロッテの母親は彼女が幼いうちに亡くなっている。王城という世界で長く生きることの難しさを悟った母親が、せめて生きている間にとリーゼロッテのためにひたすらに立ち振舞いを叩き込んだのだろうか。


「……陛下? ご気分が優れないのでしょうか?」


「いや。……リーゼロッテ、お前にお前に礼儀作法を教えたのは母親か?」


「はい。自分も苦労をしたことなので、教えるコツはよくわかると言っていました。それと、自分の教師がとても優秀な人だったとも」


 そうか、と頷きデュッセルは沈黙に沈んだ。

 元は農村出身の娘ということであったが、リーゼロッテの母親は辺境に眠らせておくには惜しい才気溢れる娘であった。側室として抱えられ、デュッセルが教育役として自分の乳母を付けてやった。それだけで彼女は城での生き方を乾いた綿のように吸収していった。

 彼女を選んだ自分が、間違いではなかった証明が目の前の娘だ。

 そう考えると、デュッセルの胸の中には小さく明かりが灯る。蝋燭の炎のように頼りない温もりであったが、リーゼロッテの成長に対して普通の父親のような喜びを覚えた。

 しかし、デュッセルは普通の感慨に耽っている暇はない。話を変えるように一度咳払いをし、不安げに瞳を揺らすリーゼロッテを見上げた。


「ミレイニアたちには誕生花の色に合わせ、髪、耳、首、腕と揃いの装飾品を特注で作ってやった。あれは一つで一生遊んで暮らせるだけの価値があるから、万が一嫁いだ先が没落するようなことがあっても生活には困らぬだろう。それについてはお前も知っているな」


「はい。……ですが、私はそのようなものは……」


「そう言うと思っていたさ。大体、お前の嫁ぎ先が没落などになれば、レイノアールという国自体が危機にあるということだろう。こんな装飾品を売った金でどうにかできるような話ではない」


 リーゼロッテの言葉を遮ると、デュッセルは首を振った。この娘が目先の宝石に価値を見出だすような者ではないことはデュッセルもよくわかっている。

 決してリーゼロッテだけを特別視するわけではないが、デュッセルは彼女には別の贈り物を用意した。和平のために隣国へ一人嫁ぐ王女への、国王として出来る最大限の敬意と厚意をもってその言葉を口にする。


「レイノアール王国はアカネースと違い、次期王は長子を優先とするのではなく王位継承権を持つ者のうちから適正を持った者を選ぶ形を取っていることは知っているか?」


「はい……。話だけはマリンハルトから聞いております」


「そうか。では、今の王家の状況については調べはついているのか?」


 恐る恐るといった様子でリーゼロッテは左右に首を振った。デュッセルの意図を探ろうと、様子を窺っているのだろう。


「これは、レイノアール国に放った間者から得た情報だ。お前にとっては、金よりもよっぽど価値のあるものとなるだろう」


 デュッセルの言葉に、リーゼロッテの目の色が変わる。

 それは昔惹かれた女性と同じ、未来を見据えて光を放つ強かな瞳であった。


「……お聞かせ願えますでしょうか」


 それは問い掛けでもなければ、願いでもなかった。

 リーゼロッテの心はすでに、まだ見ぬ雪国へと向けられていた。


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