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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
1章 望まれぬ婚姻
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清廉潔白の花


 自室に戻ったリーゼロッテを迎えたのは、真っ青な顔をしたアリアだった。

 彼女はリーゼロッテに気付くと掃除をしていた手を止めて、リーゼロッテのもとへと駆け寄った。


「おかえりなさいませ、リーゼロッテ様。あの、先ほど小耳に挟んだのですが」


 言いにくそうにアリアはリーゼロッテの背後に控えるマリンハルトに視線を投げたが、城内に噂が出回ってしまった以上彼を気遣うだけ苦しめることとなるだろうと思いきって口にする。


「本当に、マリンハルトさんを侍従から外すのですか」


「はい。お父様にも承諾いただけたので安心しました」


 なぜ、と問い掛けた言葉は、リーゼロッテの笑顔一つで掻き消されてしまう。

 穏やかであるのに、底の見えないほの暗さをたたえた微笑。まるで夜の海のように近寄りがたく、手が届かない。


「そういえば、アリアは王都とは遠い町の出身でしたよね? 遠くで暮らすにあたって準備しておくと良いものはなにかありますか?」


「え……?」


 普段と変わらぬ穏やかな口調のリーゼロッテを前にして、アリアは返答に詰まってしまった。

 どうして敵国であった隣国に嫁ぐことが決まったのに、欠片も動揺を浮かべずに、模範的な姫の姿を貫いていられるのか。

 行きたくないと言っても良い。嫌だと泣いても良い。

 アリアの前ではそのような姿を見せないとしても、せめてマリンハルトくらいには己の感情をさらけ出しても許されるのではないか。

 過ごした時間は家族と同然なマリンハルトですら、躊躇わずに手を離せるリーゼロッテの心がアリアには理解できない。

 返答のないアリアへと、リーゼロッテは風のない海を連想させる瞳で微笑んでみせた。


「……私のことが、気味悪く見えますか?」


 静かにアリアの耳を打った声は、責めるでも哀しむでもなく、ただ彼女の鼓膜を揺らす。


「そ、そのようなこと……」


 心中を的確に見抜かれ、アリアは慌てて首を振った。しかし、リーゼロッテの海を思わせる微笑みの前では、自分の嘘はあまりにもちっぽけで惨めに思えた。

 アリアは躊躇いがちに頭を下げると、圧し殺すように声を上げた。


「……申し訳ございません。少し、ミレイニア様の仰っていたことの意味がわかる気がしました」


 気味が悪い。ミレイニアはリーゼロッテへとよくこの言葉をぶつけている。

 正しく王女である姿がリーゼロッテの姿は不気味だ、と。


「そうでしょうね。ミレイニアの人を見る目は間違っていないと思いますよ」


 ため息を溢すようにそう口にすると、リーゼロッテは困った様子で肩を竦めた。

 ミレイニアが直接リーゼロッテに辛辣な言葉をぶつける様子はアリアもよく目にしていた。

 当人でないアリアが思い出しても、ミレイニアの温かさのない言葉には体が凍り付く思いだというのに、当事者のリーゼロッテには苦笑程度の些細な問題でしかないらしい。


「なぜ……なぜ、リーゼロッテ様は平気なのですか? 辛かったり、苦しかったり、そういう気持ちだってあるんじゃないですか?」


 アリアの問いに、リーゼロッテは目を丸くした。

 不思議なことを聞かれた様な表情が、ますますアリアの胸を痛ませる。

 彼女には、感情というものが欠落しているのではないか。そう不安にさせられるリーゼロッテの態度。

 再び口を開こうとしたアリアの前で、リーゼロッテはそっと秘密を打ち明けるように人差し指を自分の唇に当てた。


「アリアは私の誕生花を知っていますね?」


 誕生花。それはアカネース王国の伝統的な習慣であり、生まれた子が5歳となった誕生日に両親が子供に贈る花のことである。

 無事に成長してくれたことへの感謝と祝福、そしてこれからの子供の人生に親が願う希望を花に籠める愛の贈り物だ。

 あくまでも内々の祝い事のため、本来ならば他人が自分の誕生花を知ることはない。

 しかし、王族にもなれば誕生花の贈呈は国をあげての祭事となり、その人の象徴としても使われることが多いため知らないものはいないだろう。


「リーゼロッテ様の誕生花は……」


 アリアの視線は、リーゼロッテの琥珀色した髪を彩る白薔薇の髪飾りに向けられる。

 純粋無垢な白と、愛を連想させる薔薇。純潔と尊敬を花言葉に持つ白の薔薇は、そこにあることが当たり前の顔でリーゼロッテを彩っていた。


「そうです、この白い薔薇がお父様が望まれた私の……この国の第一王女の姿です」


 胸に手を当て、リーゼロッテは伏せ目がちに微笑んだ。涙を堪えているようにも見えるのは、アリアがそうであってほしいと願っているからかもしれない。


「白薔薇を持つ私は、清廉潔白で、純粋無垢な心をもち、将来の旦那様となる方に愛と尊敬をもって尽くすことを望まれています。アリアは私に、なぜ平気なのか、と聞きましたね?」


 リーゼロッテは微笑んだ。白薔薇のように、一切の穢れもなく。


「それは私が、白薔薇の姫だからです」


 リーゼロッテの後ろで、マリンハルトが顔を俯ける。正面に立つアリアには、マリンハルトの肩の震えは隠しきれない。

 弱々しい微笑を浮かべるリーゼロッテと、俯き溢れそうな感情を堪えるマリンハルト。二人の姿を目にしたアリアは、言葉に表せない悲しさに胸を掴まれた。

 アリアよりもずっと長い間、マリンハルトはリーゼロッテの側で彼女の生き方に触れてきたはずだ。白薔薇に自分の生き方をなぞらえたリーゼロッテの言葉は、アリアよりも強く胸に響いたに違いない。

 その証拠に、マリンハルトの肩の震えは次第と収まり、短い前髪の間から覗いていた瞳には光が戻り始めた。


「……リーゼロッテ様」


 喉が震え、声が掠れる。それでも、マリンハルトは主の名を呼び、その足元に跪いた。


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