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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
7章 雪は解け、溢れる
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底に沈む前に


 王都から五日を掛けてドランゴット家を訪れたレオナルド達を出迎えたのは、現在の領主であるレイヤードであった。

 薄めた紅茶のような髪にいくつかの白髪が混ざっているため実年齢がわかりにくいが、まだ三十歳を過ぎたばかりで国内の貴族当主たちの中では若い方だ。

 彼はレオナルドに屋敷内で最も上等な客室を用意し、領内の美女を集め最上級の食材で食事会を開き歓迎の意思を見せていたが、その目が常に冷たく細められていたことをレオナルドは見逃していない。

 連れてきた部下達のうち、ジョルジュだけは何とかして同室に移動させた。王子の部屋を他者と一緒にするなど非常識だとレイヤードは拒んだが、レオナルドが強く押し切ったため彼は引くしかなかった。

 ジョルジュも流石に同室で過ごすことに抵抗はあったが、レオナルドが望むのであれば構わなかった。

 南部はほとんどが敵だらけだ。レオナルドとしては信頼できる相手は片時でも離したくない。


「レイヤードの態度は明らかに何か誤魔化そうとしているね」


 豪華な料理に見目麗しい美女たちに気を逸らそうとしているのは明らかだった。

 レオナルドも本格的に動き出す前に警戒されたくはないため、今日はレイヤードの思惑に乗って彼のもてなしに感動した振りをしていたが気分の良いものではない。

 この王子は御しやすいと思ってもらえたなら十分であったが、人を小馬鹿にしたようなレイヤードの口調にこれから毎日付き合うのかと思うと気が重くなった。


「明日からはレイヤード様の弟君が我々に同行するようです。案内役ということでしたが、間違いなく内通者としてですね」


「そうだね。わかっているだけ良いけど……。ところで、リノリアス家との連絡は取れた?」


 レオナルドの問いに、ジョルジュは浮かない顔色のまま首を左右に振った。

 当主は多忙につき、面会の時間を取ることは難しい。何度か書状を送ってはいるが、その回答は変わらなかった。


「彼らには我々がドランゴット家に滞在することは知らせています。そして、今回の件の裏にナタリー様が暗躍している可能性があることも。リノリアス家が心変わりし我々に力を貸してくださる可能性は低くありません。彼らは確かに今の王家を憎んではいますが、これ以上南部の他の貴族が王家と繋がりを強くすることも望んでいません」


「では僕がレイヤードの調子に乗って良い関係を築いているように見せていれば、リノリアス家の動揺を誘えるということだね」


「えぇ。レイヤード様への対応は今日のままで問題ないと思いますよ」


 わかった、と頷きレオナルドはそのまま用意された寝台に勢い良く飛び込んだ。

 行儀が悪い、と嗜めるべきところであったが、部屋にいるのはジョルジュだけで、今日一日気を張り続けたことを知っているからジョルジュは口を閉ざし苦笑を浮かべる。

 本当に大変なのは明日からだ。ジョルジュの前くらいは油断しきったとしても罰は当たらないだろう。




 案内役という名の監視として付けられたレイヤードの弟は、レオナルドよりも三つ年上の青年であった。兄と良く似た紅茶を薄めた色合いの髪と、兄よりも緩い口角を持つあまり良い印象を受けない男だ。

 初めて顔を合わせて挨拶をされたとき、レオナルドは思わず眉をしかめかけたほどに。


「わざわざ王都からいらして、しかも現場を見たいだなんて。王子は熱心な方ですねぇ」


 ヴァインスから借り受けた小隊と共に被害のあった堤防へ向かう隊列の中、レオナルドの隣に馬で並びながらノエルはふぅと気の抜けた息を吐いた。悪意があるわけではないようだが、一緒にいるだけで苛立ちが募る。

 やや後ろを進むノエルにレオナルドの表情は見えていないことが救いだった。珍しくレオナルドは不機嫌を顔に浮かべている。


「そういえばノエル様、昨日お隣にいらした女性は婚約者様ですか? とてもお美しい方でしたね。羨ましい限りです」


「あぁ、そうなんだよ。美しいだろう? 領内の農村の娘なのだが、あまりの美しさに一目で気に入ってしまってね」


 顔を見なくともレオナルドの苛立ちがわかるジョルジュが話を逸らすよう口を開けば、ノエルはレオナルドのことなど忘れたかのようにその話題に乗った。

 単純で結構。ジョルジュは表面上だけの微笑を浮かべてノエルの話に相づちを打っていた。

 レオナルドはノエルから渡された地図と進行方向を確認する。彼は案内役としての仕事は全うするつもりらしく、遠回りするような小細工もなく真っ直ぐ現場へ案内していた。

 ただし、真っ直ぐとはいえ道にはまだ雪が残り代わり映えのない白い世界か続き、地図を見ながらでも慣れない地域では迷ってしまいそうだ。

 レイノアールに住むレオナルドですらそうなのだ。アカネースの人間が堤防まで辿り着くことが出来るのだろうかと疑問がある。

 現在、両国間で貿易が行われ始めたとはいえ、地図のように互いの国の情報を得られるものについては取り扱いが行われないようになっている。オズマン商会については貿易のための交通路のみ確認できる地図を自身で作成しており、それについてはレイノアール国でも確認の上使用の許可は出されていた。

 当然、オズマン商会の地図にこの地の堤防の記載はない。現状から、堤防の場所を知るためにはレイノアールの人間の手引きが必要なことは紛れもない事実であった。

 問題は手引きした者を洗い出す方法だ。そのためにもまずは、これがレイノアール国内の問題であることを明らかにしなければならない。


「そろそろ見えてきますかね?」


 間延びした声と共に、ノエルが首を伸ばして前方を確認する。木々の間から前方には崖が見え、そこから雪解け水を防ぐための堤防が一望できた。

 木製の堤防は無惨にも破壊され、辺りには大小様々な木片が飛び散っていた。川は上流が凍りついているため水の気配が無いが、このままではあと一月もしないうちに周辺は雪解け水に飲み込まれるだろう。


「……なぜ、破壊された堤防をそのままにしている? このままでは周辺が飲み込まれてしまうよ」


「手配は進めているのですが、中々人手が集まらず……。周辺の村にも声を掛けているのですが、若者が少なく難しいのですよ」


 それが言い訳でしかないことは明らかであった。

 国からは堤防の修繕費を出すことが約束されているのだから、すぐにでも工事に取りかかるべきであった。

 十分な費用は手配している。その知らせも出したはずだ。なぜ、まだ着手していない。

 色々と言うべきことはあったが、ここでノエルを責めても意味はないだろう。

 レオナルドはきつく唇を噛むと、崖に沿いながら崖下へと馬を進めていった。




 堤防付近の村で聞き込み調査が行われた。

 レオナルドたちは村長の家へと通され、聞き込みは部下に任せれば良いとノエルは提案したが、レオナルドは首を縦には振らず自身も村の者たちへと声を掛けた。


「確かに鎧を着た人なら見かけました。私にはそれがどこの国の鎧かはわかりませんけれど、レイノアールの兵士様達のものと違ったものだということは覚えています」


「ありがとう。参考になったよ」


 赤子を抱いた母親はレオナルドの微笑みに安堵の息を吐くと、頭を下げて逃げるように来た道を戻っていった。

 一瞬、その視線はノエルへと注がれていたようだが、一瞬のこと過ぎて気のせいなのかもわからない。


「話を聞き直しても、アカネースの兵士を見たという証言に変わりはないでしょう? もういいではありませんか」


「今のはアカネースの兵士を見たのではなく、レイノアールの兵ではない者を見たという証言ですよ? このような僅かな認識違いを洗い出すために我々はここまで来たのです」


 レオナルドに付いて歩くノエルは辟易とした様子で肩を落とした。やや刺のあるジョルジュの言葉の半分も、彼の耳には届いていないだろう。

 探られたくないことがあるからレオナルドを引き返させようとしているのではなく、単純にノエル自身が面倒臭いから帰りたがっているように見える。真意が掴み取れないという意味では油断ならない相手であった。

 レオナルドは他にも話を聞けそうな相手がいないか周囲を見渡した。痛んだ木々で組み立てられた家屋。雪に覆われた道は人々が踏みしめ固く平たく伸びている。活気があるわけでもない。外を歩く人は少なく、レオナルドに限らず部下たちも聞き込みに苦労していた。

 雪解け水でなくても、通常の雪にすら潰されてしまいそうな村だ。このままでは村は地図から消えてしまうだろう。


「ノエル、この辺りの村は大体このような雰囲気なのかな?」


「え? まぁそうですね。人の多さという意味でしたらどこも同じようなものですよ」


「活気がないのも変わらない?」


「えぇ。つまらないでしょう?」


 ノエルの言葉には頷かず、レオナルドは再び辺りを見渡した。

 村中に蔓延する息苦しさは、まるで湖の底に閉じ込められているようだ。生きているはずなのに、既に水に押し流されている。レオナルドは自身の考えを振り払うように首を振った。そして、小さな露店を開く男性に声を掛けた。




 ドランゴット家の屋敷に戻ってきたのは、日が暮れて隣の人の顔も全く見えないほど夜の闇が深まった頃であった。

 馬が三歩進むごとにため息を吐くノエルのせいで、レオナルドには無駄な疲労が溜まっていた。

 その上で出迎えにやって来たレイヤードがレオナルドのために今日も細やかな宴を用意していると声を掛けてきたときには、思わず断ってしまいそうになった。


「お疲れの様子ですね、レオナルド様」


「意外にも距離があったものだから。せっかく僕のために用意してくれたのに、浮かない顔で申し訳ないね」


 細やかというだけあり、昨晩とは違い部屋にはレイヤードしかいなかった。テーブルには昨日と同様に豪勢な食事が並んでいる。

 これを用意する金はあるのに、破壊された堤防はそのままなのか。その言葉を飲み込むように、レオナルドは香辛料の効いた肉を飲み込んだ。

 傍らに控えるジョルジュも同様の感想を抱いているのだろう。仮面から覗く口元は固く結ばれている。


「どうでしょう、有益なお話は聞けましたか?」


「報告とそう大差はないかな。君も大変だね。領内で厄介な事件が起きてしまって」


 何も知らない呑気な王子の顔で、レオナルドは微笑んだ。

 リーゼロッテの無実のために動いていることは耳に入っているだろうが、まさかレオナルドに何かが出来るとまでは思っていないだろう。

 出来る限り油断を誘う。それは自分達が動きやすくなるために必要なことだ。


「こうして王子にわざわざおいでいただくのは本当に心苦しいところです。我々が不甲斐ないばかりに……」


「そんな、レイヤードはよくやっているよ。僕はただ、自分の手で真実を見つけ出したいだけなんだ」


「奥様のため、ですか?」


 レオナルドは黙って微笑む。

 愛という形のないものを愚かにも信じる馬鹿な子供にでも映れば良い。そう思われていた方がレオナルドもずっと楽だ。


「レイヤード、堤防の修繕が中々進まないと聞いたけど大丈夫? もし良ければ、鉄製の堤防を作ってみるのはどうか僕から会議に提案してみようか?」


「え? 鉄製……とは?」


 レオナルドは以前ヴァインスから話を聞いていた鉄製の堤防についてレイヤードに説明する。

 木製と違い劣化しにくいため、初期費用は掛かるが維持費は軽減され、管理の負担も減るはずだ。

 今回のような件が再発する不安も解消できる。そのようなことを口にしたが、レイヤードの顔色は浮かない。


「もちろん試験的な側面が強いから、初期に設置する地域についての費用は国から負担するよ」


「それは有り難いお話ですね。ですが、中々人手が……」


「それについてもこちらで負担するつもりだよ。まだ前例がないから、すべての負担をさせるわけにはいかないと思うからね」


 やんわりとレイヤードの逃げ道を塞いでいく。

 無邪気な笑みを浮かべるレオナルドと正面から向かい合い、レイヤードは苦笑を浮かべた。


「……ですが、鉄を使うとなればアカネースの人間たちも我が領内で作業するということでしょう? 流石に今の状況でそれは受け入れられません」


 そこでようやく、レオナルドは「そう」と頷いた。

 否定する理由としては最もであり、レオナルドはこれ以上同じ話を続けることは止めにした。

 レオナルドの目的は十分に達せられた。今の話で、レイヤードも積極的にあの堤防を直すつもりがないことは目に見えている。

 わからないのはその理由だ。そこに少なからず手がかりがあるだろう。

 あの周囲を沈めたい理由でもあるのだろうか。しかし、ただの村が複数ある集落にしか見えなかった。

 レオナルドは表情を変えぬまま、微笑みの仮面と共に食事を進める。既にレオナルドの頭の中は目の前のレイヤードのことよりも、離れたリーゼロッテへと向けられていた。

 彼女に、会いたい。

 その想いだけが、今のレオナルドを支えていた。

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