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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
1章 望まれぬ婚姻
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アカネース王国第一王女


 マリンハルトを、解任する。

 それは誰にとっても想定外の要求であった。

 敵国に嫁ぐのならば、幼い頃から付き従ってきたマリンハルトを連れていきたいと考えるのは当たり前だと誰もが思っていた。

 マリンハルトを奪うことがリーゼロッテへの嫌がらせになると考えていたエリザは、またしても出鼻を挫かれてしまった。

 国王だけが驚く様子もなく、相変わらずの無表情で頷いた。リーゼロッテの言葉は王女として当然である。


「それは好きにすると良い。お前の侍従をお前の都合で解任することに私の許可はいらないだろう」


「はい。ですから国王陛下にはわたくしの侍従の任を解かれたマリンハルトに、次の働き先の手配をお願いしたいのです」


「リーゼロッテ様、お待ちくださ……!」


 解任など、マリンハルトも聞いていなかった。

 引き留めようと口を開いたが、視線だけを向けたリーゼロッテに睨まれてはそれ以上の発言が許されない。


「マリンハルトはわたくしが幼い頃よりよく仕えてくれました。しかし、嫁入りをする女が男を連れていけば事実がなくとも余計な噂を立てられましょう。ですから解任するべきと考えておりますが、今までの働きを考えるとこのまま放り出してしまうのはあまりにも礼に欠けた行為だと思うのです」


 リーゼロッテの主張は、第一王女の心構えとしては正しい。本来ならば心細く、気心の知れた相手を連れていきたいと思うところを、自分の感情など削ぎ落として姫として正しい道を選ぼうとする。

 その姿は、本来ならば周囲から尊いものとして歓迎されただろう。

 この方は第一王女として誇らしい。だからこそ、胸を張って他国にでもどこにでも出せる姫だ。

 そう称賛されるべきリーゼロッテの言動は、後ろ楯のない第一王女が持つ性質にしてはあまりにも恐ろしすぎた。

 エリザは眼下で咲く白い薔薇に目をやる。簡単に踏み潰せそうな花なのに、見えない部分の棘がいつもエリザの足を血に染めるのだ。

 第一王女など形だけのもので、実質の最高位の王女は正妃である自分の娘である。そう信じているエリザも、リーゼロッテの一挙一動を目の当たりにする度に根拠のない確信を抱いているだけではないかと不安になる。

 リーゼロッテの母親がただの侍女であったとしても、デュッセルにとってはリーゼロッテが正当な第一王女であることに変わりはないと考えているのではないか。

 デュッセルに嫁いで、人生の半分以上の時間を過ごしている。それでも、エリザにはこの国王の考えていることがわからない。

 エリザにとって重要なのは、自分の子達が王位を得ること。しかし、不運にも子達は娘ばかり。ならば、王となる男を婿に取るしかない。

 現在、最も可能性の高い男は既にミレイニアの夫となった。誰もが次の王を彼だと噂し、王妃はミレイニアに決まっていると口にする。

 このままならば、エリザの願いは叶うだろう。しかし、リーゼロッテがただ目の前に存在しているだけで、エリザは本当は何一つ思い通りになんて事は運ばれていないのではないかと不安になるのだ。

 だから、この国から追い出してしまいたい。


「それくらいの願いなら良いではありませんか」


 エリザはデュッセルを見上げる。

 今も、何を考えているかエリザにはわからない。しかし、リーゼロッテの味方を減らすことができるのならこの機を逃すのは勿体無い。

 デュッセルは一度視線をリーゼロッテに落とすと、確認を取るように周囲へと控えた大臣たち一人一人の顔を見渡す。

 誰一人として反対の意を示す者はいない。再びリーゼロッテと、その後ろで肩を震わすマリンハルトを視界に映し、ゆっくりと首を縦に振った。


「お前の願いは聞き入れよう。マリンハルトには城下に住まいと職を用意する。もちろん、今後も城に勤めたいと言うならば仕事を与えよう。故郷に帰ると言うのならそのための旅費は用意する。他にも入り用の物があるなら言うが良い。可能な限り用意しよう」


 そこまでしてやらなくても、と誰かが呟く声が聞こえた。


「翌週の頭にリーゼロッテにはレイノアールへと向かってもらう。それまでに身の振り方を決めるが良い」


「国王陛下のご恩情に感謝致します」


 感謝の言葉と共に深々と頭を下げるリーゼロッテに続いて、マリンハルトは震える体を押さえきれないまま額が床に付くまで頭を下げた。  

 リーゼロッテが頭を上げても、まだマリンハルトの額は張り付いたまま動かない。


「持参金は先ほどの願いとは別で持たせよう。そちらについては私の方で手配するので気にする必要はない。お前は嫁入りの準備を進め、必要なものがあれば侍女達に命じておけ」


 デュッセルはすでにマリンハルトなど視界には入っていない様で、リーゼロッテのみに目を向ける。


「重ねてのご厚意感謝いたします」


 第三王女嫁入りの際にも、多額の持参金が用意されている。更には、その婚姻を祝って各有力貴族から祝いの品も贈られていた。

 リーゼロッテには他家からの祝いの品は期待できないだろうが、デュッセルが持参金を用意しないということにはならないだろう。

 出発までに入り用の物があれば準備しなければならない。

 リーゼロッテが忙しくなるのならば、マリンハルトはその手伝いをしなければならない。しかし、未だに顔をあげることができないマリンハルトはそこまで頭が回っていなかった。


「……話は以上だ。下がって良いぞ」


 平伏する皆の姿に一瞥も向けず、デュッセルは王座を後にした。

 その背に続くエリザはリーゼロッテの琥珀色の髪に目をやり、王族らしからぬ暗い色味を鼻で笑うとデュッセルの半歩後ろに付いた。

 きらびやかな室内は一転。廊下に足を踏み入れただけで、周囲は一段闇が深まる。

 先ほどのマリンハルトについてはいささか厚待遇なのではないか、そうエリザが問おうと声を掛けるより先に、デュッセルは振り返らずにエリザへと言葉を投げ掛けた。


「お前が今回の婚姻にはリーゼロッテが相応しいと言ったのは、お前の娘たちとは違いあれは全てを捨てて身一つで敵国に乗り込む覚悟を持っているからということで良いのだな」


 否定することを許さぬ痛烈な言葉を向けられ、エリザは言葉を詰まらせた。彼を追う足は止めない。しかし、言葉が男に追い付かなかった。


「私はリーゼロッテを嫁がせることを否定した。まだ一番下の娘が残っていたからな。だが、お前とその他大臣達はリーゼロッテのあの姿を見越していたということでいいのだな?」


 デュッセルの言葉はつまり、リーゼロッテを推した時点でマリンハルトへの処遇は想定出来ていたことなのだから余計な口出しをするなという釘刺しであった。

 エリザはデュッセルには見えぬように唇を噛み、あの第一王女への怒りを募らせる。


「……しかし良かったな。レイノアール家がこちらに婿を寄越すなどと言い出さなくて」


「は……? それはどのような意味でしょうか……?」


 デュッセルの言葉の意味がわからずに、エリザは首を傾げる。嘆息ののちに足を止めたデュッセルは、エリザを振り返ると憐れみの籠められた瞳を向けて彼女の最も恐れていた言葉を口にした。


「リーゼロッテにレイノアール王家の子が婿入りすれば、次期国王はレイノアールの王子だ。危うくこの国が乗っ取られるところであったな」


 冷たく笑うデュッセルの姿に、エリザは身体中の血が沸騰する思いだった。エリザが見上げた国王はもう、興味など失った様子で先を歩み始める。

 デュッセルの中では、母親の地位など関係がなく第一王女はリーゼロッテ。

 それを知ったエリザの中に、恐怖は音もなく膨らみ続けていくのであった。


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