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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
7章 雪は解け、溢れる
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暗雲


 国境付近のドランゴット領から王都へと届けられた知らせにより、王城の雰囲気は一転して緊張に飲み込まれたものとなった。


「誰の許可を得てこのような暴挙に出ている! 母様か!」


 ドランゴット家の領内にある融雪対策の堤防が、何者かによって破壊された。

 周囲ではアカネースの鎧を身に付けた者の目撃情報があり、レイノアールでは多く出回っていない火薬が使われたという。

 その報をドランゴットの者が王都に届けるよりも先にイヴァンを通して手にしたレオナルドは、真っ先にリーゼロッテの元へと向かった。

 実際のところがどうであれ、現状の報告のままではアカネース国の手の者が手引きし工作を行ったように思える。そうなれば、リーゼロッテの身が保証できない。

 レオナルドが駆け付けたときにはすでに彼女の私室の前で衛兵とジョルジュとが言い争いをしており、リーゼロッテはジョルジュの背に庇われるようにして立っていた。

 一先ずの無事に安堵しつつも、レオナルドは声を張り上げ衛兵との間に割って入った。


「レオナルド様……!」


 レオナルドが現れたことで衛兵たちは躊躇いの色を浮かべたが、彼らも命令があるのだろう。

 きつく唇を引き結ぶと臆することなくレオナルドの前に立った。


「レオナルド様もドランゴット領での一件については既にご存じでしょう。アカネース国の人間による破壊工作であれば、リーゼロッテ様の身柄を拘束することは当然のはずです」


「大した調査もせずに、ただ与えられた報告だけを鵜呑みにしてレイノアール国王子の妻の身柄を拘束しようだなんて随分と横暴なやり方だとは思わないか?」


 レオナルドも一切引く様子を見せない。

 彼らがナタリーの命によって動いていることに疑いはなかった。国王であるブローディアならば、聴取のための同行を命じることはあっても一切話も聞かずに身柄を拘束するような真似はしない。

 このままリーゼロッテを引き渡してしまえば、罪人を捕らえるための地下牢に連れていかれるのは明白である。王場内にありながら光の届かぬ冷たい一室。城内の人間、主に王族に連なる者を拘束するためのその空間は疑いの段階で放り込むことは許されず、地下牢に捕らえられるということは罪が確定しているにも等しい意味を持つこととなる。

 ナタリーはリーゼロッテをそこに閉じ込めることによって、周囲の人間に彼女がレイノアール国にとっての敵であると認識させ、その夫であるレオナルドもこの国の王としては相応しくないと考えさせたいのだろう。

 レオナルドは衛兵たちを見上げ、唇を噛んだ。

 このような横暴がアカネース国の耳に届けば、良い開戦の理由となってしまう。あの国にリーゼロッテを守る意思はないだろうが、レイノアール国に堂々と攻撃を仕掛ける理由は欲しいはずだ。

 本当にナタリーは自身の行動がその後にどのような影響を及ぼすかまで、考えはしない。もしかすると、わかった上でそれらを無視しアレクシスのことだけを考えているのかもしれないが、どちらであってもレオナルドにとっては迷惑以外の何物でもなかった。


「ドランゴット領の件については僕から陛下に判断を仰ぎ対応する。そう伝えろ」


 ブローディアの名を出されてしまえば、衛兵たちも引き下がるしかない。苦々しげに眉をしかめると、謝罪の言葉と共にレオナルドたちへと背を向けた。

 衛兵が去ったことで、レオナルドも大きく肩を落とす。

 正直なところ、ここまであっさりと退いてくれたことには驚きを隠しきれない。今までのような無力な第三王子ではないと周囲の認識が変わってきた証拠なのだろうか。

 しかし、その分ナタリーからの警戒心も強まってしまうのは厄介である。

 この状況をどうすべきか。

 頭を悩ますレオナルドの肩を、後ろからジョルジュがそっと叩いた。


「レオン様、一先ずタキには連絡を取り、城下町のオズマン商会支部で働くアカネースの者には一時的に王都を離れるようスルクから伝えさせました」


「ありがとう。オズマン商会とはいえレイノアールの人間であれば謹慎程度で済むだろうから、彼らにはしばらく身を隠してもらおう」


 現在のオズマン商会では、アカネースの人間とレイノアールの人間が共同で働いている。

 元々はアカネース国の会社ではあるが、タキが中心となり支店はレイノアール国の人間が中心となって回せるようにと運用を回しているためアカネースの人間が抜けたとしても業務に支障は出ないはずであった。

 そもそも、しばらくはまともに機能しない可能性の方が高いが。


「……リーゼ、状況はジョルジュから聞いた?」


 神妙な面持ちで、リーゼロッテは頷いた。自身の置かれた立ち位置の危うさについては、痛いくらいに理解できる。

 まだ詳しい話は入ってきていないが、一つでも立ち振舞いを間違えれば命さえも危うい状況であった。また、二国間の争いを引き起こすきっかけにもなりかねない。リーゼロッテは流石に不安を隠しきれず、目を伏せため息を吐いた。


「巻き込んでしまってごめん。でも、リーゼに危害は加えさせない。約束する」


「レオン様、私は大丈夫です。私の身を守ることよりも、この状況を好転させることだけをお考えください。それが、私を守ることにも繋がるでしょう」


 不安に押し潰されそうなのはリーゼロッテの方なのに、彼女は気丈に微笑むとレオナルドの手を取り励ますように握りしめる。

 絡まる指先の熱に触れ、レオナルドはほっと息を吐き出した。自分が思う以上にレオナルドは緊張していたらしい。

 強張っていた体から力が抜ける。レオナルドは何度か呼吸を繰り返し、リーゼロッテの手を握り返すと一人頷いた。

 彼女の言う通りだ。リーゼロッテを守るには、広い視野で状況を判断しなければならない。彼女を守ることだけを考えていれば、足元を掬われてしまうだろう。


「……わかった。辛い思いをさせてしまうだろうけど、僕がリーゼを想う気持ちに嘘はない。それだけは信じて」


 言われなくとも、とリーゼロッテの瞳は語っていた。それでも、言葉にしたいのだ。

 口にするだけで、実行する力が沸いてくるような気がした。気休めのようなものだ。わかっているから、リーゼロッテも敢えてそこを口にはしなかった。

 二人の間には指先の温もりさえあれば十分だ。それ以上に心を通わせようとするのは全てが余分で、その余分さを二人は大切に抱えている。


「リーゼ、少しの間イヴァンを貴方の護衛から外させてもらう。今は少しでも情報が欲しい。代わりにジョルジュ、その間リーゼを頼む」


「俺は構いませんが、人手は足りますか? 俺もそちらに回った方がいいと思いますが……」


「リーゼの身を守ってくれることが一番重要なことだよ、ジョルジュ」


 レオナルドの言葉を受け、ジョルジュは目を見開き申し訳なさそうに頭を下げた。

 背後を気にせずに戦えることがどれだけ重要なことか、ジョルジュもよく知っていた。今のレオナルドが自由に動き回るために、最も重要視される条件であることに間違いはない。

 この条件が崩れるだけで、レオナルドは全ての手を塞がれてしまうだろう。それを、ナタリーも承知しているはずだ。

 些細にも見えるこの任は、実は何よりも重い。


「レオン様、一つだけよろしいですか?」


「うん?」


 歩き出そうとしたレオナルドの袖を掴み、リーゼロッテは意外にも強い眼差しでレオナルドを見つめた。

 この状況下、リーゼロッテも黙って流されていくわけにはいかない。彼女もまた自分の頭で考え、勝機を見つけ出さねばならない。


「まずはヴァインス様にお会いになってください。おそらく、今回の事件は私よりも、ヴァインス様を狙っている可能性があります」


 ヴァインスの名が出たことで、レオナルドは僅かに首を傾げる。

 確かにヴァインスもナタリーにとっては邪魔物の一人だ。だが、今回の件はアカネースの人間が領内で破壊工作を行ったというもの。どうヴァインスに繋がるのか。


「……今回の件はアカネース国の仕業ではありません。そもそも、アカネース国はレイノアール国の風習を知りません。この時期、融雪の対策で目が回るほどに忙しいというのであればアカネース国は積極的に冬の終わりを狙って侵攻したでしょう。それをしなかったのは、この国を知らなかったから。だから、アカネース国の仕業ではないのではないでしょうか」


「そうだ、だからアカネース国のせいだという濡れ衣を……」


「そう考えるものが現れたとします。では、これが濡れ衣だとしたら、誰が、手引きしたことになるでしょう?」


 この事件を手引きしたものがいたとすれば、それはリーゼロッテ。それがナタリーの筋書きだと思っていたレオナルドだが、そもそもがアカネース国のせいではないとなればそれは国内の人間のよるものとなる。

 そこまでを言葉にされ、レオナルドは目を見開きリーゼロッテを見つめ返す。

 今回使用された火薬は、レイノアール国ではまだ普及していない。オズマン商会を通して、試験的に国営製鉄所で使用が始まったばかりだ。

 製鉄所。

 その名が上がれば、ヴァインスが話の中心に引きずり出されることは明確だ。

 当然、オズマン商会との付き合いもある。アカネースの人間の仕業と見せかける工作を行うことも難しくはないだろう。


「……レオン様はアカネース国に濡れ衣がかかれば、きっと私のことを最優先に考える。ナタリー様は、そう考えるのではないでしょうか。それは、もう一人の邪魔者であるヴァインス様を排除するのに良い機会なはずです」


 リーゼロッテの発言は理にかなっていた。

 レオナルドは片手で頭を抱えると、忌々しげに舌を鳴らし髪を掻き上げる。


「あの人のことだ、それくらいは有り得る……! くそ、それなら状況次第でどちらか好きな方を嵌めることができる!」


 自分の母親でなければ口汚く罵ってやりたいところであったが、リーゼロッテの手前そのような醜態は晒したくない。

 恨み言は心の内だけで抑え、レオナルドは王座に向かおうとしていた足をヴァインスの居城へと向けた。一手でも遅れればヴァインスの身柄も拘束され、話をすることもままならないかもしれない。


「ジョルジュ、くれぐれも彼女のことを頼んだよ!」


「承知しました!」


 ジョルジュがリーゼロッテの肩に手を置き、部屋へと彼女を戻す姿を見届けた後、レオナルドは足音が響くのも構わずに走り出した。

 アカネース国の人間による堤防の破壊。

 そして、その繋がりを足掛かりにヴァインスまでも排そうとする。

 それが血の繋がった母親の企みであるのなら、レオナルドは止めなければならない。

 守るべき者がいる。笑って欲しい人がいる。

 それだけで、自分にも何かできるのではないかと信じられた。自信がないなどとはもう口にしない。


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