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爪弾きの白薔薇妃  作者: 橙真
7章 雪は解け、溢れる
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弟たちは苦労する


 雪解けによる水害の想定は例年とそう変わらないため特別厄介な仕事ではなかったが、実質一人で対応しなければならないため仕事量は例年以上であった。昨年はまだアレクシスが協力的だったのだが、今年は人が変わったかのように興味を示さなくなった。

 音楽や観劇に関心を強く持っていることに変わりはないのだが、それでも昨年は乗り気でないにしても仕事はこなしていた。しかし、今年は全てレオンが決めていいよ、の一点張り。

 後継者の選定が近付いていることが原因なのだろうか。昔からアレクシスは口癖のように、自分は王に相応しくないと口にしている。レオナルドには一切理解できなかった。

 各領地で保管されている材木の在庫のリストと現在の販売価格を纏めた資料を抱えてアレクシスの待つ資料室へと急いでいた。

 これから、雪解け水のための堤防の修繕に掛かる費用を試算しなければならなかった。


「レオナルド、丁度いいところで会ったな」


「ヴァインス兄様。珍しいですね、このようなところに」


「あぁ。兄上に用があってな。資料室か?」


 はい、と頷くレオナルドの手からいくつかの紙束を奪うと、ヴァインスは隣に並んで歩き出す。ヴァインス自身も荷物を持っていたというのにだ。

 レオナルドが知らなかっただけで、ヴァインスはさりげなく周囲を気遣ってくれる。言葉にしないからわかりにくく、実際にレオナルドもヴァインスの本質までは知らなかった。

 知らないうちは適当なところの多い腹の立つ兄だと思っていたが、最近はそれが自分の勘違いでしかないことに気付かされた。初めは戸惑いもしたが、今はヴァインスのことを知れてよかったと心から思う。

 だからこそ、レオナルドは心の内をヴァインスへ語ることも出来るようになった。


「……アレクシス兄様は何故自分は王に相応しくないとお考えなのでしょうか」


「さぁな。俺たちからすれば兄上が良いし、兄上が頑張ってくれなければ正妃の目が痛い」


「……本当にそうですね」


 正妃の名が出たことで、レオナルドは重い息を吐いた。

 産みの母親から冷遇されるというのは、王位を得るための駒としか見られない自分とはまた違う苦しみがあるだろう。ヴァインスはレオナルドに気付かれぬよう肩を落とした。どの地位に産まれようと、母親のせいで子が苦労する。それならば王位は長子に固定してしまえばいいと思うが、それはそれで妃同士による子の暗殺が懸念される。実際に長子で固定されていた時代には血塗られた宮廷劇が繰り広げられていたという。


「ヴァインス兄様は……本当にご自身が王位を得たいと考えたことはないのですか?」


 今まで疑問に思っていたことを、レオナルドは口にする。母親から王座を求めることを望まれなかったレオナルドとは違い、ヴァインスは幼い頃から王座を奪い取って欲しいと母親に望まれていた。王座を得るための教育も受けてきただろうに、どうして今はアレクシスが王となることを望んでいるのか。

 今さら、二妃の子であるからといってヴァインスのことを信用していないわけではない。だが、純粋に疑問だった。

 レオナルドの問いかけに気を悪くした様子はなく、ヴァインスは何かを思い出すように顔を上げると視線を遠い廊下の奥へと飛ばした。


「まぁ、昔はそれなりに母親の期待に応えようともしていたさ。だが、いつだったかふと思ったんだ。俺は何のために生きているんだろうなと」


「その時、何のためだと思ったんですか?」


「さあな。それがわかれば苦労はしないさ。少なくとも、母親の地位のためでないことは確かだった」


 ヴァインスの微笑みに寂しさの影が落ちていることにレオナルドは気付いた。レオナルドのように冷遇されていたわけではないが、母親の愛情が欠けているのはヴァインスも同じことであった。


「それに、俺のことを道具としか見ていない母親と俺のことを弟として見てくれる兄上のどちらと共にこの先も生きていきたいかと考えれば迷わず兄上を選ぶ。兄上やお前と共にこの国を守っていくことが出来るのなら、俺はそれが生きる意味で良い」


 そう言って微笑むヴァインスの横顔には、もう先ほどの陰りは見えない。

 ヴァインスにとって、アレクシスは疑うこと無く自分を家族として扱ってくれた初めての存在であった。普段の態度からは想像できないが、レオナルドよりもヴァインスの方がアレクシスを慕っているのだ。

 だから、ヴァインスは自分が国政に興味のない王子であるように振る舞っている。野蛮で、知性のない王族として相応しくない第二王子というのは彼の望むべき評判であった。

 しかし、ヴァインスの評判が下がったところで当のアレクシスにやる気がなければ話にならない。


「……もう少し兄上がやる気を出してもらえれば良いとは俺も思うがな。中途半端に俺にも可能性があるから母上も希望を持ってしまう。ま、可能性がなければ母上にとって俺は価値などないんだがな」


「僕とは逆ですね。僕は中途半端に可能性があるから母様にとって邪魔物以外に成り得ないです」


「何故こうも母親という生き物は子を不幸にするばかりなのだろうな」


 ヴァインスを足掛かりに王位を得ることで正妃の上に立つことばかりを考えている母の姿ばかりを目にして来たヴァインスでは、母親というものに対して良い感情が抱けない。だからこそ、自分が妻を取ることにも積極的になれないのであった。

 同様に母親には恵まれないレオナルドであったが、ヴァインスの言葉には頷かなかった。


「そうではない母親もいます。僕はリーゼ見ているとそう思います」


「とはいえ、あの姫の母親は平民で王の寵愛も受けていたんだろう? 俺たちとは少し違うぞ」


「わかっています。それでも、子の幸せを願う母親もいるということが僕には救いでした」


 リーゼロッテの母親が貴族の生まれであれば同じにはならなかったかもしれない。

 レオナルドにとっては、子を愛する親がいるということ事実が救いとなった。正妃の愛を全て得ているはずのアレクシスですら母の愛情を信用しているようには思えなかった。

 親にとっての子とは、自分自身がより高い地位を得るためだけの道具でしかない。それが王侯貴族にとっては当然のことだと諦めていた。将来、妻を迎えて子ができたときに、同じ思いを子に強いるのは避けられたら良いのにと漠然と思っていたくらいだ。

 リーゼロッテならばその心配はもう必要ない。


「……ならば、お前の子は両親の愛情を受けて幸せに育つだろうな」


「そうですね。きっとそうなると思います」


 あっさりと肯定されたことで、ヴァインスは獰猛な瞳を丸くしてレオナルドを見返した。

 視線の意味がわからずに首を傾げたレオナルドに対して、ヴァインスは驚いた表情を変えないまま口を開く。


「何だ、お前子が出来る予定でもあるのか」


「……え?」


「さっきの反応はそういうことだろう?」


 今までのレオナルドであれば、赤面して即座に否定していただろう。しかし、レオナルドは特に動揺することもなく不思議そうにヴァインスを見上げるだけであった。

 ヴァインスとしては、その反応は少々面白くない。

 もう少し動揺してくれなければからかい甲斐というものもない。


「……お盛んなことで」


「そういう言い方はやめてください。確かに、出来る限り早めに子は欲しいと思ってますけど」


「そうなのか? それは意外だな」


「意外ということもないでしょう? リーゼの立場や年齢を考えれば早い方が良いに決まっています」


 本当に可愛くない返事をするようになった、と心の内で嘆息を漏らすとヴァインスは無言でレオナルドの頭を撫でる。

 武骨な手は不馴れな様子で、しかし確かに愛情の籠った手のひらにレオナルドは僅かばかり頬を朱に染めた。まるで、アレクシスのような温もりを感じる。


「折角だ。女の喜ばせ方の2つや3つ教えてやろうか」


「……結構です」


「今ちょっと悩んだだろ」


 ヴァインスの手を頭に乗せたまま、レオナルドはそっぽを向いた。

 拗ねたように尖らせた唇。閉ざされたままの唇は、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「……そういうことも知っていた方が、リーゼも嬉しいんでしょうか」


「ん? まぁな。お前だって気持ちいい方が良いだろう」


 レオナルドは俯いたまま頷かなかった。おそらく、知りたい気持ちはあるのだろう。しかし、教えて欲しいと口に出せない恥ずかしさがある。

 そんなレオナルドの内心を理解してか、ヴァインスは愉快そうに笑みを深めてレオナルドの銀糸の髪を乱暴に乱す。


「兄様! やめてください、みっともないです」


「はは。そう固いことを言うな。俺は以前よりもお前のことが好きになったぞ」


 それはどうも、と言い放ちレオナルドはヴァインスの腕を頭からどかした。

 空いている手で簡単に乱れた髪を直すと緩めていた歩調を早めた。ヴァインスは難なく隣へ並ぶと、毒のない笑みでレオナルドを見下ろした。

 何か言ってくれれば良いのだが、ヴァインスは黙ってにやにやと自分に視線だけを向けている。居心地の悪さを覚えながらも、それが不快ではないことにレオナルドは自分自身驚いていた。


「……はい。僕もヴァインス兄様と共にアレクシス兄様を支えていけたら、と思うようになりました」


 顔を上げたレオナルドへ向けられるヴァインスの眼差しは柔らかい。

 獣のようだと称されることの多い男が、他者を慈しむような表情が出来ただなんて誰が思うだろうか。


「兄様?」


「お前、雰囲気が変わったな」


「え?」


「丸くなった」


 溢れ落ちた笑みと、口元に除く形の良い白い歯。噛みつくような笑い方が、今はライオンではなく猫のようだ。

 レオナルドの雰囲気が変わったというのなら、それはきっとヴァインスも何か変化があったからなのだろう。そして、それはきっと良い変化だ。

 変わった、という言葉が特別なもののように胸に響くのは、レオナルド自身でその原因を理解しているからだ。


「そうだ、レオナルド。水害対策の一つとして鉄製の貯水所を建設するのはどうだ?」


「鉄、ですか」


「あぁ。やっと生産量も安定してきたからな。試験的にやってみるのもいいじゃないか? その話がしたくて兄上のところに行こうと思っていたんだ」


 今まで、雪解け水を塞き止めるための堤防には木が使われてきた。貯水所を建設したこともあったが、豪雪地域になると貯めた水が塞き止めの木々を破壊してしまうため被害が拡大してしまった。

 そのため、毎年堤防を改修するしか対策が取れず、例年この時期になると作業を行う領民にとっても大きな負担となっていた。


「鉄で堤防や貯水所を作ることができれば、その後の維持管理に掛かる負担は激減しますね」


「ああ。木のように腐って毎年作り直す必要もない。もし貯水所が上手くいけば、雪解け水を利用することも出来る」


「しかし、鉄の加工となると」


「当然、アカネースの……いや、オズマン商会の協力が必要だ。そこについては話は付いているから心配はないが、あいつらの手を借りると色々と煩いやつらがいるからな。どうしても兄上の許可がほしい」


 乱暴に髪を掻き上げたヴァインスに頷いたレオナルド。ヴァインスの提案は魅力的であったが、確かに反対する者は多そうだ。


「僕の方で鉄を使用した場合の今後の修繕費について試算しておきます。父様ならば利益を示せば賛成してくださるでしょうから」


「頼む。いい加減、感情で否定する輩は消えてほしいものだな。別に俺たちはアカネース国から技術を学んでいるだけであって、間接的な侵略を受けているわけではない」


「難しいでしょうね。今でも共存より支配を望む者達はいますから」 


 国の未来を想うのであれば、現在のレイノアール国に不足する技術は積極的に取り入れていくべきだとレオナルドは考える。しかし、人の感情は単純に割り切れるものでもなく、難しいのが現状であった。

 簡単にはいかないことは理解していた。

 それでも、レオナルドの心が変わったように、人々の中にあるアカネース国への敵意も溶けていけば良いのにと願わずにはいられなかった。


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