足元の白薔薇
大輪の白薔薇を模した髪飾りと肌の色が透ける黒いレースの羽織物だけで身を飾ったリーゼロッテは、王座の前で頭を垂れて父王の参上を待った。
王座の間に呼ばれたのはリーゼロッテだけではない。
第二王女ミレイニアとその婿グレイン。そして既に嫁いでおり、レイノアールとの停戦を理由に王都を訪れていた元第三王女のヴィオレッタ。双子の第四王女と第五王女は妹のミリーナだけが姿を見せている。姉のハネットは堅苦しい場が苦手なため、姿を現さないのは単純なさぼりだろうと誰もがわかっていた。
王女の他にも、国内の政治の中枢を担う大臣たちも顔を揃えている。
その全ての視線がリーゼロッテに注がれている。後ろに控えているだけのマリンハルトの方が緊張で胃が痛くなりそうだというのに、リーゼロッテは顔色一つ変えずに目を伏せていた。
誰かが息を呑む音と共に、重苦しい足音が広間に響き渡った。
ゆっくりと進むその足音は、リーゼロッテの頭の上で動きを止める。
「……リーゼロッテ、顔を上げよ」
腹の底に響く重低音が、リーゼロッテに降り掛かる。ゆっくりと顔を上げたリーゼロッテは、王座の前に立ち自分を見下ろす国王デュッセルと正妃エリザへと微笑んでみせた。
国一番の美女と名高いミレイニアの母親である彼女もまた、一度目にしたら忘れられない美しく利発そうな顔立ちをしていた。
愛らしさはミレイニアが勝っていたが、エリザは娘にはない色香を纏っており妖しげな美しさを醸し出している。
彼女は心情を一欠片も掴み取れないリーゼロッテに内心で舌打ちをしながら、その美しい唇に笑みを張り付かせてデュッセルへと身を寄せた。
「相変わらずの質素な姿ね。王の御前だというのに、もう少しマシな格好は出来なかったのかしら?」
何をしたところでどうせ嫌味は言われる。アリアの言う通りとなり、マリンハルトは俯いたまま、誰にも気付かれぬように表情を歪めた。
しかし笑顔に毒を含ませたエリザの前でも、リーゼロッテの様子は何一つ変わることなく困ったように目を細める。
「申し訳ございません。着飾る時は今ではないと思ったものですから、急ぎ参上することを優先させていただきました」
言い訳にもならないリーゼロッテの言葉は、この場にいる者達に自分は婚約の話を知っているのだと知らしめるには十分であった。そして、知った上で王座の間に姿を現しているということは了承の意以外の何物でもない。
リーゼロッテが婚姻に対して積極的な姿勢を見せてしまえば、周囲は余計な口出しが出来なくなる。多くの嫌味を考えてきただろうエリザも、不服そうに眉間にしわを寄せていた。
デュッセルだけが、静かに頷きリーゼロッテに言葉を掛ける。
「わかっているのなら良いが、形だけでも命じさせてもらうぞ。……リーゼロッテ、お前にはレイノアール王家へと嫁いでもらう。この国の未来のために、引き受けてくれるな」
質問の形を取った王の命令に、リーゼロッテは深く頭を下げた。白薔薇の髪飾りだけが目を逸らすことなくデュッセルを見上げている。
「喜んでお受け致します。このリーゼロッテ、両国の恒久の平和のために力を尽くしましょう」
模範的な返答だと、その場にいる誰もが思った。だからこそ、付け入る隙がなく彼女を貶めたい者達は苛立ちを募らせる。
少しでも抵抗するようなら。快く思わないようなら。
王女としての自覚が足りないと、国のための婚姻に不服があるのか、と非難することが出来たというのに。
「……何か聞いておきたいことはあるか?」
デュッセルの問いに、リーゼロッテは目を伏せたままはっきりと首を振った。
「いいえ」
リーゼロッテの口元に浮かべられた微笑が気に入らず、エリザは棘のある口調でリーゼロッテに言葉を投げた。
「本当にいいのかしら? 誰が相手となるのかとか、婚姻はいつになるのかなど知りたいことはあるのではなくて?」
リーゼロッテは疑問などはないと首を振る。
しかし、一瞬の間を置いてリーゼロッテは控えめに口を開き、不安そうな瞳をデュッセルへと向けた。
「……叶うのなら、一つ我儘をお許しいただけますでしょうか?」
「申してみよ」
リーゼロッテが何も知りたいと望まないのはきっと、知ることに意味がないと悟っているからだろうとマリンハルトは思った。
誰が相手でも、いつ婚姻を行うことになろうとも、リーゼロッテが変わることは何一つない。彼女はただアカネース国の人質としての使命を全うするだけなのだろう。
そんな彼女だからこそ、国王に対して直々に願い出るとは非常に強い願いということになる。彼女の願いなど、マリンハルトには想像も付かなかった。
リーゼロッテの願いに見当が付かないのは周囲の人々も同じことで、それぞれが興味深そうに彼女の次の言葉に意識を集中させている。
全ての視線を受けたリーゼロッテはデュッセルの顔を見上げ、胸の中につかえるものを全て吐き出すようにただ一つの願いを口にした。
「婚姻を機に、マリンハルトをわたくしの侍従から解任させようと考えております」




