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「お父さんはオオカミ男!」シリーズ

オオカミ男の娘

作者: 北郷 信羅

 ちょっと昔のお話。ある山の麓に、1人の女の子がお父さんとお母さんと暮らしていました。他に友達はいないけれど、女の子は山の中で両親と楽しい日々を送っていました。


 そんなある日の夜、女の子はあるお父さんの秘密を知ってしまいます。なんとお父さんはオオカミ男だったのです。お父さんは魔女に呪いをかけられてしまったせいで、満月の夜になるとオオカミの姿に変わってしまいます。そのために3人の家族は町に出られずにいたのです。


 女の子はお父さんにかけられた呪いを解いてもらうために、山の頂上に住む魔女の元へたった1人で向かいました。その道の途中には大きな鬼やずる賢い河童、背筋が凍るような幽霊が立ちはだかります。しかしそれでも女の子は森の中で出会った親切な妖精さんにもらった魔法の杖と小さな勇気で化け物たちを退治し、遂に魔女の元にたどり着きました。


 女の子の頑張りを認めた魔女は、お父さんにかけた呪いを解いてくれました。こうして女の子は元の人間に戻ったお父さんとお母さんと町に出て幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……。



 由美は小さな町に暮らしていた。東を向けば小高い山々が見え、ぐるりと「回れ右」すれば遠方に海が見える町だ。近くに高いビルもなく、大きなショッピングモールもない。この町で大きな建物と言えば、町のほぼ中央に建つ専門学校の校舎くらいのものだろう。その校舎も4階建ての小ぢんまりとした規模のもので、通う学生の数も少ない。それは引き受けられる学生の数が少ないということだけでなく、年々入学希望者が減少しているという事情もあってのことだった。当然と言えば当然だ。特別な実績があるわけでもなく、立地も悪い。そんな所をわざわざ選ぶ若者は少ないだろう。


 しかしこと由美に限って言えば、そうでもない。由美はこの町が好きだった。人が群れる都会は由美の目を回すし、大きすぎるコミュニティーは由美の距離感を狂わせる。その点でこの町の雰囲気は彼女に合っていた。そして何より山が近い。というのは別に由美がアルピニストだからというのではなくて、彼女にとってそこに見える山がとても馴染み深い場所であるからだ。


 そんなわけで由美は10歳の時に両親と共にこの町に住み始め、現在この町の専門学校に通う1年生になっていた。デザインを教えるこの学校の講義は幸いにしておっとりした由美に合っていて、彼女は入学数カ月にして既にめきめき力をつけていた。もっとも、元来素直で真面目な性格の由美は勉強が得意だ。途中から入学した小学校でもすぐに勉強の仕方を会得したし、中学、高校でも高い成績を収めてきた。そんな由美だから、どんな学校に行っても自分なりには学習できていただろう。いずれにせよ彼女は、このステップにおいても確実に知識をものにすることができるはずだ。


 さて、今日も由美はいつも通りの模範的な姿勢で講義を受けてから教室を出た。今日受ける講義はこれで全部だ。家までは徒歩で約10分程度なので途中でスーパーに寄って母親に頼まれた今晩のおかずの材料を買ってから帰っても、十分に日没前には帰宅できるだろう。そろそろ月も満ちる頃合いだ。由美としてはあまり良い思い出のない満月を見ないで済むのなら、それに越したことはなかった。


 校舎を出た由美が買うものをまとめたメモを取り出そうと肩にかけた鞄に手を突っ込みながら校門に向かって歩みを進めていると、前方―――校門の方から、1人の男性が白杖を片手にすたすたと早足で由美の方に向かってきた。

「!」

由美がはっと気付いた時、男性は由美の目の前にいた。

「あっ―――ごめんなさい!」

男性とぶつかって尻もちをついた由美が謝りながら顔を上げると、同じく尻もちをついた男性が周囲を手探りしていた。

(―――もしかして、)

白杖の意味を知らない由美でも、その様子を見れば察しはつく。由美は自分の手元に転がっている杖を掴んだ。

「すみません、もしかして目……」

「ん、」

と男性は由美の方を向いた。がその目は閉じられている。

「うん、そう。全く見えなくてね。―――杖をとってもらえる?」

「あ、はい。ここに……」

由美は手にとった杖を男に渡した。と同時に男性が立ち上がるのに手を貸す。

「ありがとう」

男性は柔和な笑みを湛えて礼を言った。

「―――ところで、今時間ある?」

「えっ」

男性の言葉に由美は目をぱちくりさせた。こういう声のかけ方については、母親に聞いたことがある。というか大分うるさく聞かされていた。

「今俺4階の実習室に行くところなんだけど……手伝ってもらっていいかな」

「あっ、なるほど……」

ナンパ、というものではなさそうだ。

「そういうことなら―――」

「ちょっと!」

由美の返事は甲高い女性の声に途中で遮られた。驚く由美と盲目の彼の元に校門から1人の女性がつかつかと歩み寄ってきた。

「ハルト、あんたまた―――」

「ミワコ、ようやく見つけたぞ」

怒りの形相のミワコに対して、ハルトはニコニコと嬉しそうに話す。

「そういうナンパみたいな真似やめなさいよ!……叩くよ!」

「いややめて―――痛ッ」

ミワコは丁寧に叩くことを宣言してから、しかし有無を言わさずハルトの頭を小突いた。

「おい俺は承諾してないぞ」

「そんなことしてたらあんたワガママな社会不適合者になっちゃうでしょうが」

ハルトの不服申し立てをミワコはあっさりと棄却する。

「あ、あの……」

ここで、完全に置いてきぼりを食いしかし何も言わずに去るのも気が引けた由美が小さく声を上げる。

「―――ん、ああ、ごめんなさいね」

ミワコは由美の声に気付いて謝罪した。

「この男のことは気にしなくていいから」

「はあ」

「待って! 待ってくれ!」

とハルトが声を上げた。

「単刀直入に言う! モデルになってくれ!」

「―――え」

唐突な申し出に由美は硬直する。

「気にしないで。こいつ絵のモデル探すために最近この辺りで道行く人に文字通り突撃してる詐欺師だから」

ミワコが溜息交じりにそう説明した。

「ああ、そういう……」

「君は俺が描きたかったものを持ってるんだ!」

「なんでそんなこと断言できんの」

ハルトの訴えに対し、ミワコが冷淡な口調で言う。

「あ、あのそんな……」

由美はふるふると首を横に振った。

「私そんなモデルなんて……背も低いですし」

身長155cmにも届かない由美は、お世辞にも絵になるようなモデル体型とは言えなかった。

「それはぶつかった時に分かった。おおよそのスリーサイズなんかもな」

「こら、セクハラ」

ハルトの真顔のセクハラ発言をミワコがたしなめた。

「それは―――、すごいですね……」

しかし由美が間の抜けた反応を返したのでミワコは思わずずっこけそうになる。

「……そこは引くところだと思うんだけど。敬意を表するんじゃなくてさ」

と言われても、由美はいわゆる天然だった。それは彼女が幼い頃、大がつくほどの自然の中で育ってきたことに由来するものだろう。

「まあ冗談はさておいて、」

とハルトが話を続けた。

「俺が描きたいのは君の外枠じゃなくてさ、今みたいな内の部分なんだよ」

「内……」

いまいちピンとこない由美は、ハルトの言葉をオウム返しする。

「難しく考えることはないよ。ただ椅子に座って、俺と会話してくれてればいい」

「―――ええと、」

「真に受けることないよ。講義の課題とかでもない、ただの趣味活動だし。……上手いのは、確かだけど」

ミワコが肩をすくめて言った。

「うーん……。あの、」

由美はしばらく考えてから言った。

「取り敢えず今日は、晩御飯のおかずの材料を買いたいので帰ってもいいですか?」



 翌日の講義終了後、由美は小さな校舎4階にある「アナログデザイン実習室」にいた。アナログデザイン実習室はその名の通りデザインに関する実習を行う教室で、パソコンを用いたデジタルデザインに対して主にデッサンのために利用されている教室である。絵を描くための画材の他、彫刻を掘るための部材なども揃っている。名称は違うが中学や高校にある美術室を想像してもらってほぼ間違いない。


 しばらくすると廊下からはコツコツと地面を打つ杖の音が聞こえ始めた。それが誰のものかは、いくら天然の由美といえども想像に難くない。

「―――由美ちゃん、いる?」

「はいっ、ここに……」

由美は自分の存在を主張するように右手を挙げてから、その行為に意味がないことに気づいてそっとその手をおろした。

「いつも通りでいいよ」

その行動を知ってか知らずか、盲目の彼はそう言った。

「あ、はい。……遥斗(はると)、先輩」

由美は慣れない感じで、その名前に「先輩」を添える。


 遥斗はこの専門学校の2年生だと、彼女は昨日聞いていた。因みにその遥斗をたしなめていた女性―――美和子(みわこ)は彼の幼馴染であり、この町から隣町の大学に通う3年生とのことだった。昨日校門まで迎えに来ていたことからも分かるように、普段から遥斗の世話を焼いているようだった。


「―――あの、先輩……それで私どうしたら」

「そこに座ってもらえる?」

遥斗は手際よく絵の具やカンバスを準備しながら、部屋の窓際を指差す。由美はその指示に従い、指定された場所まで椅子を運ぶとそこに腰を下ろした。


 座ったまま窓の外に目をやると西に傾き始めた日の光に目を刺され、由美は思わず目をギュッと瞑った。それから俯きがちに薄目をそっと開けると学生たちが行き交う校門前の通りが目に入った。講義を受けに来た、或いは受け終わった学生の姿が盛んに見られる。


 「―――うん、いいね」

遥斗が言った。彼の目に由美の姿は映っていない。しかしそれでも彼には西日に照らされた由美の姿が視えているのだろう。由美は遥斗の方を向いて、ただ「ありがとうございます」とだけ言った。

「それじゃあ、由美ちゃんのことを教えて」

遥斗はカンバスに向かって絵筆を掲げながら言った。

「あ、えと……。髪は黒い、です。多分長い方だと思います。それでそのままだとちょっと暑いので1つに束ねて―――」

「違う違う」

遥斗が由美を制止した。

「そうじゃなくて……由美ちゃんの内面の話。昨日も言ったでしょ、描きたいのは外枠じゃないって」

「あ、そうでした……」

と由美は応えたが、後が続かない。

「……あの、ちょっと何を話したらいいのか分からない、です」

「そっか。―――そうだな、」

遥斗は1つ頷いてから言った。

「質問が悪かった。―――由美ちゃんのとっておきの話をして」

「え……え??」

由美はますます困惑する。

「とっておきなんて……」

「ない? ウソだ、君は『とっておき』を持ってる」

遥斗は何故かきっぱりとそう言った。

「え……と、」

「人に話してないこと、話したくないこと、話せないこと、―――あるでしょ」

「……」

「君にはもう1つの姿がある気がする。だから、俺は君をモデルに選んだんだよ」

遥斗は自信たっぷりに、そう言った。それこそ、目がよく見えている健常者以上に、彼は自分の「見立て」に自信を持っているようだった。

「―――あの、」

由美は、彼が「見える」と言った自分を信じてみることにした。

「私にも、見えるものがあるんです」

「ふうん……どんな?」

遥斗はそう訊いた。その声に、茶化すような色は全くない。それで由美は、思わず吹き出してしまった。

「笑ったり疑ったりとか……しないんですか?」

「ウソなの?」

遥斗は由美を見つめて言った。いや正確に言えば彼の目は閉じられたままだから、顔を向けただけというのが正しい。しかし由美にしてみれば、目を見て強く問いかけられたように感じられたのだ。それで由美も、本気の言葉を返した。

「いえ……ウソじゃ、ありません」

「それなら教えて。―――君には何が見えるの?」

遥斗の問いに、由美は再び窓の外に視線を投じた。日は遠い海に沈み始めて、空をオレンジ色に染め始めていた。彼女はそこから視線を落として、校門前の通りを見つめる。

「……」

しばらくの間、部屋の中は沈黙に包まれた。それは由美が自分に見えるものを探している時間であると同時に、遥斗がその答えが見つかるのを真摯に待っていることを証明している時間でもあった。

「―――鬼が、見えます」

由美がようやく口を開く。視線の先には、通りを1人歩く男性の姿がある。

「どんな鬼?」

と、遥斗が問いかける。彼女が見ているものを疑うような間もなかった。

「周りからバカにされて、傷ついて……それで、手もつけられないくらい怒るんです。―――でも本当は、心では、傷ついて痛い痛いって涙を流してる。そういう鬼が、見えます」

「へえ……」

遥斗は興味深そうに呟いた。そしてその手に握られた絵筆も、高ぶる気持ちを抑えられないというようにカンバスの上で踊った。

「もっと聞かせて」

「あ……はい」

遥斗の言葉に由美は頷いて、再び自分に見えている、自分にしか見えない世界を探し始めた。


 2人が、世界を共有していく。

「河童の兄弟が見えます」

「河童の兄弟か。彼らは何をしてるの?」

「綺麗な水が流れる川を探してるんです。でも、どこにいっても汚い川しかなくて……。それで、2人身を寄せ合って励ましあって、―――汚い川に住む仲間たちからは離れていってしまったんです。だから今は、2人ぼっち」

彼女の言葉が紡がれる度に、彼の絵が浮かび上がってくる。そんな二重奏(デュエット)が続く。

「あれは妖精、ですね。人知れず誰かを支えてる、そんな素敵な妖精さん」

「寂しくないのかな」

「寂しいです。だから人に見えない自分の存在が嫌で、自分が居られる自分の居場所を探してるんです」

彼女の温かくて冷たい、強くて弱い言葉は、彼の絵筆を伝って色になる。

「幽霊も見えます」

「その人は生きてるのかな? それとも死んでる?」

「生きてるけど、活きてないです。自分が選んだ道の先に希望があったはずなのに、道の先で希望に裏切られちゃったんです。それではっきりしない何かを憎んで、同じ道を行ったり来たりしてるんだ……」



 日は遠い海の向こうに消えていき、辺りは静かな闇に包まれ始める。由美と遥斗がいる実習室も、明かりを点けていないために暗闇の中に沈んでいく。通りを歩く人も少なくなり、その姿も闇に隠れて捉え難くなっていた。それで由美は、窓の外にやっていた視線を部屋の中に戻した。


 明かりが点けられないのは遥斗にとって明かりが無用のものであるという、ある意味当然の事実を語るものだった。しかし由美はそのことを、今になって本当の意味で感じさせられていた。

「……」

部屋は、沈黙で満たされていた。由美も遥斗も言葉を口にしない。ただ遥斗がカンバスの上で踊らす絵筆の微かな音だけが、許されたようにフラットな音を奏でていた。


 いよいよ完全に日が没し部屋も暗闇だけが占拠する頃になって、由美は手の止まった遥斗に控えめに声をかけた。

「―――あの、すみません。私そろそろ帰らないと……」

「……うーん」

と、遥斗は由美の言葉に曖昧に応える。

「あの……」

「―――帰したくないなぁ」

そう、遥斗がぼやいた。その様子がまるで駄々をこねる子供のようで、由美は思わずクスッと笑いがこぼれてしまう。

「そんなワガママ言ってると、魔女が来てオオカミ男にされちゃいますよ!」

「へぇ! 魔女か……そりゃあいい」

遥斗の止まっていた筆が再び躍動し―――、そして満足げにパレットに舞い降りた。

「うん……できた」

「え、描けたんですか?」

遥斗が頷くのを見て由美は椅子から立ち上がり、彼の元へ駆け寄った。

「―――!」

そこに描かれていたのは由美のようで、しかし別の誰かの姿だった。夕日に照らされたその女性は静かな微笑みを浮かべて、どこか遠くを見ている。その目はどこか寂しげで、そのために彼女の姿からは温かさも冷たさも感じられてしまう。その不思議な感覚は、まるで魔法でもかけられたかのようだった。

「―――なんか、不思議な感じがします」

由美はドキドキと高鳴る胸の鼓動を落ち着けるようにそう言った。

「これが、もう1人の由美ちゃんだ」

遥斗は満足そうに呟く。

「凄いですね……。なんか、なんかまるで―――」

「まるで魔法使いね」

不意に部屋の外から声がした。

「え、―――あっ」

由美が声のした方を振り返ると、部屋の出入り口にいつの間にか美和子の姿があった。

「美和子か。全然気づかなかった」

遥斗の言葉には特に応じることもなく、美和子は2人の傍に歩み寄る。コツコツと、小気味いいヒールの音が響き渡る。

「ね、魔法使いみたいじゃない?」

と、これは由美の方を見て美和子は言った。

「そうですね。……私もそう思いました」

由美は美和子の目を真っ直ぐに見てそう答える。

「魔女みたいなのはお前だけどな」

遥斗が茶化し気味に言う。それに対して美和子は静かに笑っただけだった。

「さ、そろそろ帰るよ! 由美ちゃんも帰らないと、でしょ?」

「あ、はい!」


 満月が昇り始めた夜道を、由美は2人の先輩たちと歩く。苦手な満月の下もこの人たちと歩けば恐くないと、由美はそんなことを思いながら帰途に着くのだった。家に帰れば今夜もきっと、温かい夕飯と家族が待っているはずだ―――。


【完】

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