2話 初戦闘と世界の裏側
今、俺の前にはピンク色の生き物がいる。
その生き物はクッション程の大きさで、まん丸の目で俺を見つめてくる。
そんな可愛い生き物にナイフを構える俺。
「…ダブルアタック」
放たれた二発の突きは、なんの抵抗もなくピンク色の生き物に二つの穴をあけた。
しかし、二つの穴は瞬時に塞がり、ピンク色の生き物はまん丸の目を細め俺に襲いかかってくる。
襲いかかってきたピンク色の球体生物に、素早く引き戻したナイフを突き出す。
俺のナイフを突き出す力と、ピンク色の球体生物の突進の力が合わさり、先程の二連撃よりも大きな風穴を開けた。
大穴が空いたピンク色の球体生物は体を震わせると、突然ゼリー状の体が弾ける。
最初は自爆かとビビったが、これがピンク色の球体生物プルンの死ぬ際の動作らしい。
それとゼリー状の体が弾けた後に、ビー玉程のキラキラと輝く石が必ず落ちている。
ゲームで言うところのドロップアイテムだと考え、俺は落ちている石を拾っていく。
既に拾った石は7個、入れているレザージャケットのポケットも膨らみが目立ち始めていた。
「やっぱりノーダメージで倒そうと思うと、ダブルアタックからの素早い一撃が有効か」
対プルンの初戦、SPの温存を考えた俺は通常攻撃のみで戦った。
所詮は子供でも倒せるモンスターと見下した部分があったのか、ファーストアタックで仕留められずに反撃を喰らい、人には見せられない程パニックになってしまった。
反撃を食らった体勢のままナイフを何度も何度も振り下ろし、プルンを撃破した俺。
プルンの体が弾けた後も、ナイフを振り下ろし続けたのは今では良い思い出です。
この初戦での経験を活かし、プルンと壮絶な戦いを繰り広げたのが二戦目。
木陰で転がっているプルンにゆっくりと近づき、ゼリー状の体にナイフを突き刺す。
素早くナイフを引き戻すと、プルンのゼリー状の体は自身の損傷をすぐさま修復して、攻撃してきた俺に対して体当たりで襲いかかってくる。
プルンの体当たりは、小学校の頃に良くやったドッジボールのボールくらいのスピードなので、結構速いが避けられない事は無い。
低い弾道で迫ってくるプルンの体当たりを左に避け、素早くプルンの背後に回り込む。
体当たりを避けられたプルンは俺の残像を突き抜け、慣性の法則に従い止まる事無くしばらく進み続ける。
それを隙と見た俺は離れていくプルンにナイフを突き付けようと、前に出る。
一歩前に出た俺に対して、プルンは方向転換することなく後ろ向きに体当たりをして来た。
プルンの突然の行動に反応出来なかった俺は、鳩尾にプルンの体当たりを喰らってしまう。
「うっ・・・」
息が詰まる。
ダメージは、ドッジボールのボールが鳩尾に当たったのと同じ位のダメージだが、普段ゲーム三昧の俺には強すぎるダメージだ。HPを確認すると、46/50と表示されている。
「このっ」
俺の脚を噛もうとしているプルンを蹴り、距離を取ろうとする。
ぐにゃっとした感触を足に感じつつ、俺はプルンをサッカーボールのように蹴り上げた。
後から考えるとどうして出来たのか不思議なのだが、俺は腰の高さまで浮き上がったプルンの体にナイフを突き刺していた。
プルンの体に突き刺さったナイフは柔らかいプルンの体を支える事が出来ず、プルンの体を切り裂く。
ナイフの拘束から逃れたプルンは地面に着地し、再び体当たりで襲い掛かって来た。
落ち着きを取り戻した俺は、その体当たりを左に避け、方向転換をしつつプルンにナイフを突き出す。
突き出されたナイフは、プルンの背中に突き刺さり絶命させた。
「あ~、びっくりした~」
まさか、背中で体当たりをしてくるとは・・・
予想してなかったから、かなり焦ったぜ。
プルンのドロップアイテムを拾い、プルンとの激闘を振り返る。
今回の反省点は、プルンの体当たりの後を隙だと思い込んでいた点かな?
上手く体当たりを避けて後ろに回り込んだから、プルンの攻撃は反転するまで無いと思い込んだ。
だからプルンが反転せずに、後ろ向きのまま体当たりをしてきた時に反応出来なかったのだ。
つまり、戦闘では何が起こるか分らないから、何が起きても直ぐに対応出来る心構えが必要って事だな。
と、HPが減ったままだったな。こういう時は回復魔法だ。
「癒せ、ファーストエイド」
右手が光り、その光が俺の体に当たるとHPの表示が50/50に回復した。
どうやらファーストエイドの回復量は最低でも4はあるようだ。
「よし、あのプルンにリベンジするか」
俺の視界に入るプルン達の中でも、一番近くにいるプルンを次の標的にする。
そうして俺はプルンを攻撃→体当たりを回避する→プルンを攻撃→体当たりを回避→のヒットアンドアウェイ作戦でプルン達を沈めていった。
4匹目からはアクティブスキル[ダブルアタックLv1]を交え、城門に足を向けつつプルンを倒し行くのだった。
そして城門まで後30メートルと言った距離まで移動した頃、俺は計12匹のプルンを倒す事に成功していた。
当初懸念していた生き物を殺す罪悪感もプルンがゼリー状の生物で、なおかつ死体を残さないからか生き物を殺した罪悪感は、今は無い。
これが動物(?) の形をしているであろうコボルトとかゴブリンが相手だと、殺した罪悪感に苛まれるのかもしれない。
「それにしても、そろそろベースレベルが上がっても良いと思うだけど、まだ上がらないのか?」
レベル1から2に上がる経験値だから、そんなに多くは無いと思うんだが。
まあ、スキルの熟練度から考えると一匹あたり、必要経験値の1%しか上がっていない可能性もあるけど…
「一番の問題は、現在の状態が分らないって事だよな」
スキルの熟練度は確認出来るのに、なんでベースレベルの経験値は確認出来ないんだ? バグか?
特別な方法でしか見れない仕様なのかもしれないが、普通のゲームだと見られると思うんだ。
まあ、αテスト中のゲームだから、多少の不具合は仕方ない。
「そう言えば、モンスターってテイム出来るんだよな」
マスコットモンスターをテイムするのはお約束だから、出来る事ならプルンをテイムしたい。
テスターの特典として貰ったアイテム[知恵の実]を使えば、テイムしたモンスターと会話する事が出来る。
そうすれば、このぼっち生活ともおさらばだ。
12匹も殺した俺が言える立場じゃないが、テイムするなら可愛いモンスターであるプルンが良い。
下手にオークとかテイムした日には、俺は一日泣いて過ごす自信があるぞ。
でも、一番良いのは人型の女性モンスターをテイムする事だな。
ペットにした女性モンスターに、あんな事やこんな事をしてみたい。
彼女いない歴=年齢な俺としては、女の子とラブラブしたいのだ。
「しかし、例によってテイム方法が分らない」
初心者マニュアルには書いてあるかもしれないから、後でマニュアルをちゃんと読んでおこう。
これが現実世界のゲームなら、マニュアルなんて読まないでネットで質問するんだけど。
今すぐにペットが欲しい訳じゃないし、プルンは所詮ゼリー状の球体生物だからペットにしても、話し相手にしかならないだろうし。
それに、ゼリー状の生物だからオスなのかメスなのか分からないし。
テイムするモンスターの最低条件は二つだな。
一つ、見た目が醜悪でない事。
二つ、女の子である事。
この二つの条件を満たしていないモンスターをテイムするつもりはない。
・・・ただ、一つ目の条件は見れば分かるが、二つ目はどうやって判断すれば良いんだろ?
モンスター情報とか見れるスキルを持ってないから、相手がオスなのかメスなのか判別方法が分からない。
二つ目の条件を、見た目で女の子と分かる事、に変更するべきか・・・
「この世界、エルフとかいるのかなぁ」
ファンタジー物ではお約束のエルフ。大抵の作品では、美しい存在として描かれている。
もし、そんなエルフがこの世界にいて、なおかつ人間にとって敵であったなら・・・
「・・・エルフをテイム出来ないかな」
まだエルフがいると決まった訳では無いが、既に俺の思考はエルフをテイムする方法でいっぱいだ。
テイムしたエルフは俺のペットって事だから、く、首輪とかつけなきゃ駄目だよな。
それで、ご主人様、なんて呼ばれたりして。
夢が膨らむなぁ。
しかし、夢じゃ腹は満たされない。
ここは一刻も早く、あの城壁までたどり着くのが先決だ。
妄想を振り払い、城壁に向けて足を進める。
途中、何度かプルンを見かけたので、サーチアンドデストロイとばかりに強襲する。
木陰で休んでいるプルンを背後から襲い、一匹で移動しているプルンを背後から襲い、食事中のプルンをやっぱり背後から襲う。
プルンはノンアクティブモンスター、こちらから攻撃しない限り襲ってこないモンスターだ。
だからファーストアタックは絶対に上手く行く。そして背後から襲いかかっているので、プルンも襲われた直後は動けない。
相手の体勢が整わない内に二発目の攻撃をあて、体勢の整ったプルンからの反撃を避け、止めの三発目の攻撃をあてる。
以上が俺の対プルンの戦闘方法だ。
ちなみにこの戦法は一対一が前提なので、プルンが群れでいる時は見なかった事にして先を急ぐ。
二対一でも負けないと思うが、痛い思いをするのは嫌だ。
・・・周りから見ると完全な弱い物いじめだが、それはゲーム世界と言うことで許してもらうしかない。
何事も安全第一が俺のポリシーの一つなのだ。
そんなこんなで、ついにたどり着いた城門。
目の前の城門は高さ約18メートル、横約8メートルはある堅牢な門だった。
ちなみに門のサイズは測った訳では無く、高さは昔見た鎌倉の大仏と同じくらいだし、横の長さは勘で言っただけだ。
「そして、誰もいなかった」
城門は無人だった。
本来ならば大勢の商人で賑わい、役人が忙しなく入城の手続きをするのだろう。
今は無人の詰め所がその名残をとどめている。
いや、この城門が賑わうのは正式サービス開始後だから、名残って表現は適さないか。
「誰かいませんか~」
城門を一人で開けるのは物理的に無理なので、詰所の中に誰かいないか確認してみる。
あわよくば、詰所にあるかもしれない食糧を頂戴出来るかもしれない。
「ようこそ、アルトエルンに」
「うおっ、びっくりした」
詰所の中に足を踏み入れると、突然声をかけられた。
詰所の中には直立不動の衛兵が一人、表情を変えず声をかけてきたのだ。
不気味な事に、その衛兵は全くこちらを見ようとしない。
「あ、あの…」
「ようこそ、アルトエルンに」
「あの…」
「ようこそ、アルトエルンに」
「こ、こんにちは」
「ようこそ、アルトエルンに」
これはNPC特有の、無限ループか。
そう言えば、幼女が言ってたな。テスト用の仮想世界でテストするから、プレイヤーとモンスター以外はNPCの自動人形しかいないって。
そういうことになら、さっさと先に進もう。
NPCと話しても、何か有益な情報が得られるとは思えない。
「唯一分った事は、ここがアルトエルンって事だけか」
それが国の名前なのか、街の名前なのかは分らない。ただ、ここがアルトエルンって場所なのは分った。
…初心者マニュアルのタイトルが『コーラルで生活するには』だったから、普通に考えればコーラル>アルトエルンの順かな?
仮にアルトエルンが国の名前なら、コーラルはこの世界の名前なのかもしれない。
詰所を進むと執務室があったり、装備の保管庫にあったり、牢獄があった。
…途中、保管庫のドアを開けた時にここから装備を拝借しようと思ったが、流石にお上から物を盗む勇気が出ずにそのまま保管庫のドアを閉めた。
下手に物を盗んで変な職業(山賊とか海賊とか)を獲得したら嫌だし、衛兵NPCが犯罪行為をしたプレイヤーに襲いかかる仕様になっている可能性もあるし。
どんな場所に行っても、その社会のルールは守らなきゃだめなのだ。
そして詰所の中を進むと、学校の放送室のような部屋があった。
ファンタジー世界には馴染まない施設だった為、室内に入って設備を調べてみる。
室内には何に使うのか分からない入力装置はあるが、出力装置は見当たらない。
ここで作業をするオペレーターは、どうやって自分の作業を確認するのだろう?
まさか、紙テープに穴を開けて結果を出力するという前時代的な装置なのだろうか?
入力装置のスイッチ類を確認していくと、現実世界のキーボードやマウスのようなポインティングデバイスも存在しない事に気が付く。
・・・現実世界にもレーザーキーボードとかあるから、ここも同じ技術を使用している可能性はある。
だが、この世界はプログラミングが出来ない神様が造った世界だ。
そんな世界に現実の最新テクノロジーと同等の物があるとは思えないから、単純に技術が遅れているのか、科学とは違う技術で造られた装置って事だろう。
「お、気になるボタン発見」
装置の中に[開門]と書かれたボタンがあり、その隣には[閉門]と書かれたボタンがあった。
他に城門を開ける方法は分からないし、このまま詰所を捜索していても有益な発見は無いかもしれない。
一番良いのは、この詰所が城門の向こう側と繋がっている事なんだが、どうやら繋がっていないようだ。
まあ、繋がってたら戦争の時に困るから、常識的に考えて繋がってないよな。
「・・・ポチッとな」
お約束のセリフを言った後、[開門]と書かれたボタンを押す。
押した後に勝手に城門を開けるのはとても不味い気がしてくるが、もう遅い。
ギシギシと歯車が動く音が響いてきた。
どうやら、城門の開門が始まったようだ。
「・・・常識的に考えて、個人で勝手に城門開けるのは犯罪だよな」
現実世界で考えたら、不法侵入、いや不法入国もしているし。
衛兵に見つかって牢屋に連行される前に、とっとと逃げる。
放送室の部屋を抜け出し来た道を戻る途中、複数の人間の慌てた声と走る足音が聞こえてきた。
「どうして城門が開いた!」
「侵入者か!」
「何処の手のものだ!」
このままでは不味い。とっさに柱の陰に身を隠す。
足音は次第に近付いて来て、ついに俺が隠れている柱のすぐ横まで来た。
が、衛兵達は隠れている俺に気が付かなかったのか、そのまま走り去ってしまう。
柱の陰から見た彼等の動きに無駄は無く、一糸乱れぬ連携で走り去っていく。
その動きはおよそ人間らしからぬ連携で、どこか人間では無いような不気味さを感じる。
「…なんで気づかれないだろ?」
隠れていた柱の陰から、走り去っていく衛兵達の背中を見つめ自身が見つからなかった事を疑問に思う。
普通に考えれば見つかると思うのだが、NPC衛兵達は定められた行動のみを定められた通りに行った為、俺は発見されずにすんだのだろう。
「さて、さっさと街に入るか」
詰所を出てみると、入る前は閉まっていた城門が開いていた。
城門の向こう側には街道から続く大通りがあり、その周りを様々な建物が埋め尽くしている。
大通りの先には西洋風の城が見え、城の左側には映画やゲームで見るような聖堂が見えた。
大通りには住人が何人か歩いているのが見えるが、やはりNPCらしく同じ場所を行ったり来たりしている。
「まずは腹ごしらえだな。ゲームだと宿屋とか酒場が定番なのかな? ゲームだと料理出してくれる店もあるし、超リアルを売りにしてるこのゲームなら料理屋くらいあるだろ」
問題は、何処に食事を提供してくれる店があるのか分らない点だ。
辺りを見渡しても、この辺りには食事を提供してくれそうな店は見当たらない。
あるのは巨大な建物と集積所、衛兵達の詰所くらいしかない。
「こういうゲームのお約束だと、街の説明してくれるNPCとか案内板とかがあるんだけど」
…とりあえず、案内板は見当たらない。
ならばと、大通りを歩く住人、感じの良さそうな老婆に声をかけてみる事にする。
現実世界で知らない人に声をかけた経験は無いが、相手がNPCだと思うと気負うことなく声をかける事が出来た。
「あの、すいません」
「ああ、旅人さんかね。ようこそ交易都市アルトエルンに。このアルトエルンは、あのベルガルスト王国首都ボロニアンに匹敵する街さ」
「交易都市アルトエルンに、ベルガルスト王国首都ボロニアン…」
「この城門を抜けて、街道を真っすぐ行けば首都ボロニアン、この城門の反対側の城門を抜けて真っすぐ行けば難攻不落と名高いパルキア要塞、ここから右に行った所にある南門の街道を行けば港町ルファインが、ここから左に行った所にある北門の街道を行けば《大農園》があるよ」
老婆とは思えぬ饒舌な口調で説明してくれるNPC老婆。
話を総合すると、ここから右に行けば南門って事はここは西門って事で、来た道を戻れば首都ボロニアンに行ける、と。
それから東門にある街道の先にパルキア要塞があり、南門なら港町ルファインがあるらしい。
「あの、スイマセン。この辺りに食事を…」
「ああ、旅人さんかね。ようこそ交易都市アルトエルンに…」
駄目だ、会話がループした。
この老婆から得られる情報はこの街の名称と、この辺りの地理情報だけだったらしい。
俺は同じ事を話している老婆NPCを無視し、近くにいる主婦NPCに声をかける事にした。
「あの、スイマセン。この辺りに食事を取れるお店はありませんか?」
「聞きました、またパルキア要塞がモンスターの群に襲われたらしいのよ。しかも、その襲ったモンスターの群はシャウエール帝国から来たらしいから、パルキア要塞が無かったらここが襲われたかも知れないって話なのよ」
「はぁ」
「怖いわよね。噂によると領主様が王立騎士団の援軍を求めたらしいんだけど、今はプリスモア皇国との戦争が何時始まるか分らない時期だからって、援軍を断られたらしいのよ」
凄い勢いで話しが進む。主婦NPCの話は、井戸端会議で良く話されていそうな内容だが、この世界の事を良く分かっていない俺には有益な情報だ。
戦争が始まりそうなのが不安だが、何かのイベントが無ければ戦争は始まらないと思う。
…少なくとも、このNPCしかいないテスト期間中に戦争が起きる事は無いだろう。
「そのお陰でお野菜の値段があがって」
これ以上は有益な情報は無さそうだし、次にいこう。
未だに話し続ける主婦NPCをそのままに、次に話しかけるNPCを物色する。
そんな時、住民NPCの中に《案内役》と頭の上に文字が浮かんでいるガタイがいい男を見つけた。
咄嗟にゲーム内のお助け・説明キャラだと判断した俺は、ガタイのいい男に声をかける。
「あの、すいません」
「おや、プレイヤーの方ですね。私はプレイヤーの案内役を勤めております、ガドイと申します」
「あ、ご丁寧にどうも。アレクです」
見た目は肉体労働者のガドイさんだが、話しかけてみると熟練した執事のような印象を受ける。
そのせいか、もちろん俺の偏見もあるのだろうが作業服に安全靴、頭にタオルと言う肉体労働職に就いているように見える人が、とても丁寧な口調で話しているのに非常に違和感を覚える。
「私の仕事は、プレイヤーの方からのこの街に関するご質問に答える事です。勿論、ゲームの設定上話せない機密はお答え出来ませんし、この街に関係無いご質問についてもお答えいたしかねます」
「この世界、いや、この国の一般常識とかを質問しても、君は答えてくれるのか?」
「この街の住人として生活する上で、最低限知っておく必要がある知識についてはお答えする事が出来ます」
これは、この街の住人として生活する為に必要な常識は教えてくれるって事なのか?
今はテスト期間中なので仮想世界でプレイ、生活しているが、本番稼動したら現実のゲーム世界で生活をする事になる。
その前に、最低限知っておくべき事は知っておきたい。
…変に浮いて目立ったら嫌だし。
「そっか、でも先ずは食事を取りたいんだけど」
「この時間帯では一般的な料理店は準備中ですからね、冒険者地区に行くのが良いでしょう」
ガドイが作業服のポケットから出した懐中時計を見せると、その時計の針は14時を指していた。
たしかに、この時間はランチが終わりディナーの準備を始める時間帯だ。開いている料理屋は少ないかも知れない。
「冒険者地区ですか?」
「冒険者が多く滞在しており、冒険者向けの施設が多い為にそう呼ばれている地区です。ご存知かもしれませんが、この交易都市アルトエルンは100年前まではパルキア要塞の後方支援機能を有するだけの、田舎の農村でした。その頃の名残が北門にある《大農園》なのです」
「それじゃ、100年でここまで発達したのか」
辺りを見渡すと、豊富な石材を使用して建てられた巨大な建築物が幾つも並んでいる。
この光景がたった100年で生まれた光景だとは、とても信じられない。
・・・よく考えたら、ゲーム世界だから作成者である神様がてこ入れしたのかもしれないが。
「その通りです。100年前、ここアルトエルンに大迷宮と呼んで差し支えない規模のダンジョンが発見された事で、一気に発展が始まりました。知っての通り、ダンジョンは冒険者にリスク以上の富をもたらします。冒険者が手に入れた富を求め、自然と商人が集まりました。更に20年前のシャウエール帝国との和平と通商条約締結により、アルトエルンは交易都市となったのです」
「和平と通商条約を結んだだけで、ここまでの都市に発展するんですか?」
「まあ、そこはアルトエルンが元々持っていた、パルキア要塞の後方支援機能を有効活用したからでしょうな」
要塞の後方支援機能の有効活用か・・・
後方支援機能って言うと、要塞への補給物資を運ぶとかかな?
あ、ただ要塞に運ぶって言っても、食料とか武器を生産した街からバラバラに直接要塞に運ぶのは無理だから、一度この街に集めてから要塞に補給していたのかもしれない。
そうなると一時的に補給物資を集めておく施設があっただろうから、そこが今は貿易物資の集積施設になっているのかも。
それに、整備された街道は迅速な軍の派遣に役立つから、あの街道は元々貿易用に作成したんじゃなくて、戦争用に造られたのかもしれない。
「要塞用の補給物資集積施設が貿易品の集積施設になったり、戦争用の街道が今では貿易用になってるって事ですか?」
「ご認識の通りです。戦争用の全ての施設が貿易用の施設に生まれ変わった訳では無いですが、それでも半分は貿易用の施設として有効活用されております」
そりゃまあ、戦争用の施設全てを貿易用施設として活用する事は出来ないだろう。何時また戦争になるのかも分からないし。
そういう意味では最低限の戦の備えをしつつ、貿易で力を貯めているって所か。
「それで、冒険者地区というのはどの様な場所なのです?」
「おお、話しが逸れてしまいましたな。冒険者地区は100年前に見つかった大迷宮の入り口の近くにあり、その周りに冒険者を相手にした宿屋や武器屋、防具屋などの商店から冒険者ギルドの支店があります。流石に100年前からあった神殿を移動させる訳には行かなかった為、神殿は冒険者地区には無いですが」
お、やっぱり冒険者ギルドはあるんだ。
まあ、ファンタジー物のお約束だからね。
「冒険者ギルドですか」
「おや、冒険者ギルドに興味がおありのようですね。このアルトエルンの冒険者ギルドは主に、冒険者の登録や管理、クエストの仲介やモンスタードロップ品の買い取りや販売を行っております。皆様が想像される冒険者ギルドは街の運営にまで手を出している事が一般的ですが、そのような街は冒険者ギルドの勢力が最も強い、迷宮都市ダン・ルエくらいしか無いのです」
現実世界から来た俺には、冒険者ギルドが街の運営をしているなんて考えは無いんだが、ここの住人には、冒険者ギルドが街を運営しているのが一般的なイメージらしい。
「それにしても、アレク殿は冒険者志望なのですか?」
「はい。なので料理屋の後は冒険者ギルドに、その後は転職をしたいので神殿に案内して頂けますか?」
「お安い御用ですが、アレク殿のベースレベルをお伺いしても宜しいでしょか?」
ここでベースレベルを聞くってことは、冒険者になるのにレベル制限でもあるのか?
もしくは、転職(就職?)するのにレベル制限があるのか?
どちらにしろ、飯食って冒険者になって転職するってプランが崩れそうだ。
「ベースレベルは1なんですけど、何か不味いですか?」
「冒険者ギルドに登録するのは問題ないですが、戦闘職に転職するにはベースレベル3以上が条件ですので」
「と言うことは、俺は当分無職と言う事ですね」
「普通、アレク殿の年齢ならば、普通なら2、それなりに努力していれば3、かんり努力していれば4はありますので」
俺はここでは落ちこぼれか…
現実世界では平均をキープしていた俺が…
まあ、プレイ開始直後だから仕方無い。
大事なのは、本番開始前にレベル2以上なら良いのだ。
「それじゃ、まずは料理屋に、その後に冒険者ギルドに案内してくれ」
「かしこまりました。それでは、こちらになります」
ガドイの案内でアルトエルンの街中を進んでいく。
大通りを真っすぐ歩いていくと、また城壁が見えてくる。
城壁の向こうには西洋風の城が見える為、この向こう側は政治的に重要な建物があるのかもしれない。
「この城壁の向こうが官庁街、領主ハートルレイ侯爵様のお屋敷や、領主軍の司令部、神殿などがあります」
「それじゃ、転職する時はこの官庁街に入る必要があるんですね」
「その通りです。一般人が官庁街に出入りできる時間は決まっていますので、神殿に用がある際は注意してください」
官庁街を囲む城壁の外側を時計回りに進み、北門まで歩いてくる。
北門に近付くにつれ、辺りの建物は家屋が増えてきた。中にはアパートのような集合住宅もあるようだ。
そして北門を通り過ぎると、次第に通りの雰囲気が変わってきた。
何が変わったのか辺りを見渡すと、原因が直ぐに分った。歩道の清潔さが今までの歩道とまるで違う。
今までの歩道はゴミ一つ落ちていなかったのに、ここには食べ残しと思われる残飯や酒瓶などが歩道の端に転がっているのだ。
そして、今までの住民は立って歩いているNPCばかりだったのに、ここでは軒先で寝ているNPCの姿もあった。
「ここは何だか今までと雰囲気が違いますね」
「ああ、ここは冒険者地区の近くですからね。他の場所と比べれば、少しばかり荒っぽい人や柄の悪い人が多いのです」
「…治安は大丈夫なんですか?」
「彼らも神の祝福を受けた冒険者ですからね。喧嘩やスリなどはあっても、殺人や強姦、誘拐などの重罪は犯しません。まあ、絶対に無いとは言い切れませんので、十分にご用心を」
ガドイが言う神の祝福を受けた冒険者が殺人などの重罪を犯さないのは、別に神の祝福を受けた聖人だからと言う訳ではない。
ただ、デメリットの方が大きいから重罪を犯さないだけだ。
マニュアルにも書いてあったが、この世界で重罪を犯した者は神から強制的に[山賊]や[海賊]などのマイナス要素がある職業を装備させられてしまう。
勿論、職業である以上はレベルがあり、能力値とHPのプラス補正はあるのだが、それ以上のデメリットがあるのだ。
その一つが、赤カーソルだ。この赤カーソルは[山賊]や[海賊]を装備していない人物に見える表示で、相手が[山賊]や[海賊]なのかを一目で見分ける事が出来る。
この他にもレーダーのように[山賊]や[海賊]を監視するスキルや道具もあるらしく、騎士団や自警団などの警察組織は常に[山賊]や[海賊]が街に入り込まないかを監視している。
冒険者も荒事で飯を食べているとは言え、街中で文明人として生活している事に変わりは無い。
その為、下手に重罪を犯して街を追われる訳には行かないと、理性が彼ら冒険者の重罪を防止しているのだった。
「あの、この柵で囲まれた広場は何なんです? 鉄の檻が見えますけど」
冒険者地区に入って武器屋や防具屋、酒場などが目立ってきた中、木の柵で周囲を囲まれた広場が目に入った。最初は広場と言う事で公園を思い浮かべたが、このような場所で子供を遊ばせる親がいるとは思えない。
「ああ、ここは奴隷市場ですよ。主に借金の形に売られた奴隷や、犯罪などで奴隷に身を落とした者が売られる場所ですよ」
「ここって奴隷制度があるんですか?」
「ええ。この大陸にある国では、奴隷制度が無い国の方が珍しいのでは無いでしょうか? このアルトエルンのようにダンジョンがあり、冒険者が一定数集まる街には必ずあります。特にアルトエルンのダンジョンは大陸有数の大迷宮であり、交易都市としての顔もある為、奴隷市場の規模も大陸でも有数です」
自由度が高いゲームだし剣と魔法のファンタジー世界だから、もしかしてと思っていたが、本当に奴隷市場があるとは。
…将来的に可愛い女の子を買って、自分好みのメイドさんに教育するのも良いかも。
いや、現代人として奴隷を買うなんて…
彼らにも人権が…
いやいや、ここは郷に入っては郷に従うってことわざもあるし。
「奴隷には大きく分けて兵奴隷、労働奴隷、性奴隷の種類があります。この種類は奴隷を買った主人が、買った奴隷をどのように扱うかで決まりますので、特に種類を分ける判断基準はありません」
「労働奴隷と性奴隷は何となく分るけど、兵奴隷って?」
「主に冒険者がダンジョン内での荷物持ちや囮、壁などに使用する、ある程度の戦闘能力を求められる奴隷です。戦時の場合は国などが大量購入する例もあります」
そっか、ハウジングスキルが無い場合は必要な道具を持って、ダンジョンに入る必要があるのか。
それに当然、モンスターのドロップ品も持って歩く必要がある。
冒険者一人が持てる量は限りがあるし、荷物を持っていれば戦闘力が落ちて生存率が下がってしまう。
そこで奴隷に荷物持ちをさせるって事ね。ついでに荷物持ちは緊急時の囮や壁になるって事か。
「でも、奴隷に荷物持ちとかさせて大丈夫なんですか? 持ち逃げとか?」
「奴隷の首輪には呪いがかかっていて、主人の命に背くと苦痛を与えるのです。さらに主人は首輪の力で、奴隷の命を何時でも奪えるのです」
「しかし、殺人は重罪なのでは?」
「自分の服を破いて捨てても、それは罪では無いのと同じ理屈です。自分の奴隷には何をしても許される、これがココの法です。それを象徴するデータとして、冒険者に買われた奴隷の7割は冒険者のストレス発散の拷問やスキルの実験台となって命を散らすそうです」
何だろう、この世界に来て初めて異世界に来たんだって思う。
俺も思春期真っ盛りの男だから、女の子といちゃいちゃしたいとか、女の子にちやほやされたいとか、女の子にご奉仕されたい欲求とか欲望はある。
でも、なんかコレはレベルが違い過ぎる。
「さて、あそこが冒険者向けの24時間開いている料理屋です」
奴隷市場のインパクトに負けていた俺だが、ガドイが案内してきた店を見た瞬間、さっきまでとは違う意味で固まってしまった。
「…梅屋?」
「ええ、丼物から定食、カレーなども提供しているお店です。早い、安いがコンセプトですので、駆け出しの方にはお勧めです」
「ええ、私も故郷でお世話になっていました」
学校からの帰り道、休みの日など、良く友人と食いに行った店だ。
個人的には松○の牛めしより、吉野○の牛丼の方が好きなんだが。
まあ、豚汁は松○派だから総合的には、どっちでも良いんだけどね。
「後は、ここの角を左に曲がれば冒険者ギルドがありますので。それでは、私はここで失礼致します」
「案内ありがとうございます。あと、日用雑貨が売っているお店ってこの辺りにあります?」
「物によると思いますが、何かお探しで?」
「トイレットペーパーなんですが」
食事出来る場所が分った。なら、次は食事の後の生理現象を気にする番だ。
幸い、その為の施設はあるのだが、快適に使用する為の消耗品に限りがある。
「…トイレットペーパーですか。失礼ですが、それはどのような用途に使用する物なのでしょう?」
まさか、トイレットペーパーがこの世界には無いのか?
いや、呼び方が違うだけの可能性もあるから、まだ慌てる時間じゃない。
「排泄した後、お尻を拭く紙です」
「ああ、なるほど。それは冒険者地区では売っていませんね」
「売って無いんですか?」
「ええ、冒険者は性奴隷に舌で掃除させるのがステータスですから」
…ふぅ、異世界は日本と文化が違い過ぎる。
自信満々のガドイの顔を見つつ、俺は日本とこの世界の常識のあまりな違いに、目の前が暗くなるのを感じるのだった。
本日のテスト報告
ゲーム内の常識と人間世界の常識が乖離している模様。テスターに奴隷制度について拒否反応が見られた。日本で購入した資料が偏っていた可能性あり。対応については調整会議の議題とする。
ちょっと今回は悪乗りしました。
しかし、オリジナル物は固有名詞を考えないといけないから、大変ですね。
ちなみに、今回出てきた固有名詞の大半はハム・ウィンナーつながりです。