携帯武器
「はい。分かっています。期限までには必ず」
俺は苛立ちに携帯電話を握りしめた。ギリギリと携帯が軋む音が、相手に聞こえなかったかと心配なる程の力を込めた。
「必ず。必ず間に合わせますので」
これは仕事の電話。いつもの通りの催促の電話。
街中だろうがトイレだろうが、何処にでもかかってくる仕事の電話だ。
実際人通りの多い駅前で、俺は辺り構わず大きな声を出して電話を受けた。
俺は携帯が鳴る度にキリキリと胃が痛む。俺はただの板挟みだからだ。
権限もないのに急かされ、待たされ、怒られ、謝らせさせられる。損な役回り。
これが仕事かといつも自己嫌悪に陥る。
そんな俺が使うのは、折り畳み式の携帯電話だ。
「はい。必ず。御社を最優先でさせていますので。はい。では」
実際はそうでないことを知りながら、俺はその携帯を切った。
残光と空気を挟み込んで、携帯は折り畳まれる。
いや、実際この折り畳み式の携帯に挟み込まれているのは、俺自身だろう。
俺は一応現場に電話をかけて、催促があったことを伝える。返ってきた返事は難しいとの一言だ。
いつもこうだ。
この空気を板挟みにする携帯を開いたら、今度は逆に俺が板挟みに遭うのだ。
また電話がかかってきた。別の会社からだ。
「はい。大丈夫です。期限には間に合わせます。現場には御社を一番最初にと言ってありますので。はい」
俺はさっきの電話と矛盾することを平然と言ってのける。そしてまたキリキリと痛む胃を抱え、ギリギリと携帯を握りしめた。
俺は苛立ち紛れに携帯を折り畳もうとした。
買った時はこの折り畳みが小気味よく、とても気に入っていた携帯電話だ。
俺はこれを武器に仕事を頑張るつもりでいた。
そしてこんなナイフがあったなとふと思う。刃が柄に折り畳まれているナイフだ。
いざとなればさっと開いて、刃を陽光に煌めかせるのだ。
あの刃を拡げる一瞬の動き。学生の頃に映画か何かで見た。あれは随分と印象に残る動作だった。
掌にほぼ隠れているナイフの柄から、軽く手を振るだけで刃が現れるのだ。
まるで能ある鷹がその爪を煌めかせるように。本当は内に秘めた力をわざと隠していることを印象づけるかのように。
俺を怒らせるとどうなるか、分からせてやろうか?
映画の台詞はもう思い出せない。だがいかにもそんな台詞が出てきそうだ。もっと気の利いた一言だったかもしれない。
俺の携帯する武器とはえらい違いだ。
携帯がまた鳴った。
俺は陽光に煌めくナイフを一閃――することもなく、電光を輝かせる携帯を拡げた。
もちろん俺を怒らせるとなどと、こちらも言える訳もない。
俺はいつも通り、今日も折りたたみ式携帯の板挟みに遭った。
俺は街ゆく人々に一人ずつ斬り掛かっていく。右手を一閃させるやその内から現れ出た光で、通行人に斬りつける。
血を噴き出して倒れていく通行人。
俺はこの携帯した武器を振り回し、次々に通行人を倒していく。
悲鳴を上げ逃げ惑う人々。血に塗れて地面に転がる人々。必死に助けを請う人々。
その顔は皆何処かで見たことのある顔だ。
上請けの顧客。無理な目標を立てる上司。助けてくれない同僚。融通の利かない部下。役に立たない下請け。理解のない家族。
俺は一泡吹かせたい相手に次々斬り掛かる。
もちろん俺の武器はこの携帯だ。携帯に斬られていけ好かない人間がやられていく。
いや、やはりそんな訳もなく、
「はい! 大丈夫です! 現場には御社が一番だと言ってますから!」
現実の世界で俺は、携帯を切ることもできずにいた。
「はい! 大丈夫です! 現場には御社が一番だと言ってますから!」
俺は似たような台詞を聞いて、携帯に板挟みになったままふと前を見た。
似たような格好をした男が、目の前で耳に何やらあてて話し込んでいた。
携帯で話をしている俺とそっくりな仕草だ。相手も携帯で電話をしているのだろう。
歳もよく似ている。俺と同じ板挟みに遭っている会社員だろうか。
「俺を怒らせるとどうなるか! 分からせてやる!」
だが俺がどうしても言えなかった台詞を叫ぶや、その男は突然その手を振りました。
こいつも携帯をナイフに見立てて、妄想の世界で鬱憤を晴らす口だったのだろうか。
ついに我慢の限界がきたのだろうか。
だがこの男は俺とは違ったようだ。
俺は男に喉を斬られながらそのことを悟る。
男は折りたたみ式のナイフを携帯に見立てて話していたのだ。
なるほど。逆だったらよかったんだ。
俺も今度があればそうしよう。
俺は薄れいく意識でそう――