8. 白痴は……眼を剥く
「へぇ、本格的だね、ジャミングなんて」
ルージュは感心して言った。
「現代でもジャミング魔法は使われるんですか?」
「使わないね。ジャミングは詠唱内容の隠匿が目的だけど、最近は詠唱を工夫ってのが流行りだからな。ジャミングなんてもはや熊鈴程度でしかないさ」
魔法は詠唱によって発動させる。そのため、魔法は音によってその兆しを察知され、詠唱内容が筒抜ければ、発動魔法が予測されてしまう。これは魔法の不可避な弱点だ。
これを隠すための手段として、ジャミング魔法がある。
周囲の空気を魔力で刺戟し、術者の詠唱をかき消すことで、魔法の内容を隠蔽することができる。
ただ、代わりにジャミング魔法特有の音が出てしまうので、魔法詠唱をしているということ自体は隠せない。
「でも、禁止にしておけばよかったね。あれじゃなにを詠唱しているかがわからん!」
ルージュは肩を竦めた。ゲルトはルージュの無責任さに一抹の不安を覚えつつ、また、ふたりを見守った。
ヴァイスの周囲には魔法の光が散り、杖に嵌め殺された大きな水晶も相俟って、ある種、荘厳な雰囲気を身にまとっていた。
その中心に不安定ながらも直立した小さな魔術師が、大きな目を拡げ、敵をその虹彩という名の黒い環に呑み込まんとしていた。
「やっとその気になったか?」
ズィルバーは自分の血が沸騰するのを感じた。やっとヴァイスがこちらを敵視したのを感じて、気分が亢進していた。
「《水流よ、渦巻き、縺れ、敵を呑噬せよ》」
四本の水柱が湧き出し、互いを絞め殺すように螺旋を描きながら、槍のようにまとまり、空気を貫きながら飛沫を散らす。
大蛇のような水の槍は、渦巻きながらヴァイスへと向かい、何倍にも大きく口を開き、牙を生やし、獰猛に咬み付いた!
魔法がヴァイスを噛み砕いたその刹那、いや、正確にはその一瞬間前、彼を襲う大蛇はガラスが粉々に割られるように、水飛沫として霧散した。
「なっ!?」
これにはさすがのズィルバーも驚きを隠せなかった。
魔法を防がれるのではなく、逆になんらかの攻撃魔法を当てられて消滅させられたからだ。
《水流連鎖》は簡単な魔法ではない。ズィルバーも出力を高めて放ったのだ。それを後出しの魔法で瞬間的に消されてしまった。
ヴァイスの魔法力はこの時点で自分を凌駕しているとズィルバーもわかっていたはずだった。
――要するに、ここで降参するのがもっとも賢明と言えた――
「は! これが首席さまってことか!」
しかし、ズィルバーは杖の先をヴァイスに合わせる。そういう意味でズィルバーは冷静ではなかった。
「《白霧立て、世を覆え》」
濃い霧が立ち込めて、ズィルバーの姿を隠す。それと同時にズィルバーは走り出した。
霧隠れの魔法を用いたのには、ふたつ理由があった。
ひとつは、照準をあわせられないようにするため。これは、攻撃魔法は術者が標的を定めなければ、発動できないからだ。
もうひとつは、ヴァイスに放った《水流連鎖》がたちどころに消されたためだ。
あのように《水流連鎖》を消せるとしたら炎魔法か風魔法で、炎魔法であれば、ヴァイスの魔法力は尋常ならざることの証左となる。
風魔法でも強力なことに変わりはないが、より危険なのは炎魔法のほうである。すこしでも威力を弱めるために霧の壁を張った。
また、ズィルバーの杖がドルヒであるのに対し、ヴァイスのそれはファッケルである。
ここで、攻撃魔法というものは術者が標的を意識しないと放てない。厳密に言えば、標的を見据えずに詠唱することは可能ではあるが、どうしても精度を大きく欠くこととなる。
ところがその弱点をドルヒであれば補うことができる。ドルヒは標的の代わりに杖の延長線上に魔法を放つという意識で魔法の展開を補助する。そのための志向性のある魔法石が埋め込まれているのだ。
ファッケルのように大魔法を展開するのには不向きだが、一対一の戦闘や魔法の撃ち合いではドルヒのほうが優れている。
さまざまな点において、この霧隠れの魔法は有効であった。ズィルバーの選択は戦略的に正しいと言えたが、しかし――。
ズィルバーは霧の世界の中を走りながら詠唱を開始する。
「《水流よ、海のように唸り、早瀬のように奔り、敵を呑め……」
。
魔力が体内を駆け巡るのを感じる。血が湧き踊るのを感じる。もはや殺傷性の有無など考えていなかった。詠唱を結ばず、魔力を更に練る。
「……求むるは濫れなり、……》」
霧の中だったが、ズィルバーが違反となる規模の魔法を唱えていることに、ルージュは気付いていた。
杖を構え、ズィルバーがいるほうへ向ける。ゲルトを一瞥したが、自分を止める気配はない。ルージュは拘束魔法を放とうとした――。
その時だった。
転瞬倏忽として視界が晴れる!
軽い水滴の、弱い結合による重々しい霧の層は、影すら見えなくなり、見えたのは自身より大きい杖を構えたヴァイスのみ。
見上げれば、相手のズィルバーは天井に張り付かん高さまで打ち上げられていた。
「なんだいまのは!」
さすがのルージュもこの事態には追いつけていなかった。想定もしていなかった。
――魔法そのものは、《旋風》のように見えたが、しかし、……規模が大きすぎる!
ルージュの洞察は正しかった。ヴァイスは標的を「霧全体」に定め、風魔法《旋風》を展開していたのだ。
ただし、本来《旋風》という風魔法は単一の術者を吹き飛ばすための、局所的な効果を持つ魔法だが、ヴァイスのそれは規模からして尋常と異にしていた。
ヴァイスにとっての「局所」は尋常にとっての「領域」だった。
気疎く漂っていた分厚い霧の塊は嘘のように消え、その内側で駈けていたズィルバーの身体は、巨大な《旋風》によって大きく宙に打ち出されたのだった。
《旋風》で打ち上げられたズィルバーは、内臓が浮かぶ感覚を覚えながらも、なにが起きたのか把握できていなかった。ただ、急に闘技場の天井が視界を覆っていたのだ!
その視界の異常を、大脳が処理を開始し、その寸刻あと、自分の身に何が起きたかを理解した。
即座に、身を捻り、地面の方に眼を向けると、ヴァイスがこちらに魔法水晶を向けている。
――まずい!
ズィルバーの心臓が弾指されたように跳ねた。はっきりといま、自分が生と死の際にいることを感じた。
「《盾よ顕現せよ! 我を守り、罪を防げ!》」
ズィルバーは急速に魔法障壁を展開する。しかし、それよりも早く、ヴァイスの魔法が彼の周囲を取り囲んだ。
ズィルバーの周囲には火球が散らされていた。そのひとつひとつが爆発系統の魔法だった。
「嘘だろ……」
――なぜ、俺の防御魔法より早く、爆発魔法を多段展開できる……!
すべての火球が一斉にズィルバーを見た。まるで、そのひとつひとつがヴァイスの気色の悪い眼球のように思えた。
そして、火球は収縮しながら、赫いて……。
「や、やめろ!」
ズィルバーはその悲鳴もろとも光度の強い爆発に呑み込まれてしまった……。




