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魔法的存在者の詠唱は声にならない  作者: 猫ノ毛氈
1章

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5. 貧弱な少年に……訊ねる。

 戦闘訓練前日の放課後、ズィルバーは教室を出る際に「明日は逃げんなよ」とヴァイスに釘を差した。ヴァイスはやはりズィルバーのほうを見つめるだけで、反応を示さない。

 そういうズィルバーのほうも、明日、ヴァイスが仮に自発的に来なくても、強引に連行する手筈は整っていたので、気に留めなかった。


 ところで、ヴァイスは毎日、日が落ちるまで教室に残っている。


 もっとも、長袖を着ているし、日傘もあるから、日が出ている間も外に出ることができないわけではない。それでも、日が出ていないに越したことはなかった。


「あ、ヴァイスくん……。まだいたんだ」


 ヴァイスは声の主のほうを見た。同じクラスのリーベだった。


 リーベは第八席で、女子生徒である。

 また、リーベはゲルト、ズィルバーを除いて、ヴァイスに話しかけたことのある生徒だった。話しかけると言っても、いつも遅くまで残っているヴァイスに対し、「さようなら」と呼びかけるだけなのだが。


「明日、ズィルバーくんと試合って聞いたけど、だいじょうぶなの?」


 リーベはおそるおそるといったようすで訊ねた。それは憐憫でもあった。リーベはどこかヴァイスを自分に重ねていた。意見の弱い自分を、弱い自分を。


 リーベはヴァイスを除けば、ノーブルクラスで次に身体が小さい。これは幼少の頃に身体が病弱だったことに起因していた。

 病気はほとんど克服したが、代わりにブラウンの髪に一筋の絹のような白髪が差しているのはその名残のようなものだった。


 ――その黒い髪、いいな。


 ヴァイスは相変わらず、リーベの顔を見つめ尽くしていた。


 リーベはその視線から変態的なものは感じ取らなかった。年頃の男子が向けるそれとはちがう、ただただ不気味な視線。

 むしろ前者であれば慣れているところもあるからまだマシだとさえ思えた。まるで自分が繙かれて解析されているかのような気分だ。


 ――おそろしい。


 純粋にそう思った。


「な、なに……?」


 リーベは思わずそう突き放すように言ってしまったが、ヴァイスは眉一つ動かさない。


 リーベは、底しれぬ恐怖感がせり上がってくるのを感じた。その身体以上に大きな何かがヴァイスの中には睡っているのだとリーベは直感していた。


 顔色も呼吸のテンポもなにもかもが変化しない。果たして目の前の少年は自分とおなじ生き物であるのか。自分は能くできた銅像に魅入られているだけなのではないだろうか。


 この自分より小さい少年はなにを考えているのか。思っているのか。見つめているのか。


 堪え兼ねて、リーベは思わず口にした。


「ヴァ、ヴァイスくんって話せないの?」


 そう聞くと、ヴァイスの眼はさらに見開いた。瞳孔が揺れた気がした。


 ガタンと席が音を立てた。ヴァイスがすこし姿勢を崩したのだ。その音がリーベを怖がらせた。


「ご、ごめん! 変なこと聞いて」


 リーベは後退るが、それに呼応するようにヴァイスは席から立ち上がって、リーベに近づいてくる。


 リーベは当惑した。ヴァイスはどう見ても自分より小さく細い。体術に自信はないが、それでもヴァイス相手なら、簡単にねじ伏せられると確信している。

 しかし、ヴァイスの背中から伸びる糸杉のような影は異様に長く感じられた。


 ヴァイスとの距離が一歩、また一歩と縮まっていく。不均一な一歩。ヴァイスの歩度は一歩一歩異なっていた。

 そのたどたどしさも不気味に感じられたリーベは、もはやまともに動けず、とうとう尻もちをついた。


 ――こ、殺される!


 現実的にありえなかったが、リーベにはヴァイスが現実のものには見えなかった。


「《ま、守って!》」


 リーベは防御魔法を展開した。しかし、不完全な詠唱だったため、中途半端な魔法壁が展開され、たちまち空中分解した。


 リーベはますます焦った。その焦ってなにもできない最中にも、ヴァイスはさらに近づいた――。が、そのまま彼女の横を通り過ぎた。


「え、え、ええ?」


 気の抜けた声が出た。肩に入った緊張が氷のように溶けていくのがわかった。

 窓の外を見ると、日が落ちていることに気が付いた。


「帰りたかっただけ……?」


 ほっと胸を撫で下ろしたときだった。


「さ、さようなら」


 か細い声が背後から入ってきた。リーベはすぐさま振り返ると、月の光から隠れるヴァイスの姿があった。リーベはその姿が影になるまで、眺め続けていた……。


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