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魔法的存在者の詠唱は声にならない  作者: 猫ノ毛氈
1章

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12. 匣は……開き出す。

「我々の研究の新規性、いいや、革新性はここにあるのです」

 アイゲングラウは興奮を強めた。

「魔法の無詠唱からの脱却。詠唱は魔法の支柱でありながら、剥き出しであるがゆえに弱点でもあります。それを克服できるかもしれない可能性を帯びているのが、我々の研究なのです」

 魔法の無詠唱化。もしそれが可能であるのなら、魔法使いは充分な魔力を練るだけで魔法が発動できる。詠唱の脆弱性は言わずもがな、詠唱時間もカットできてしまう。

 魔法発動の律速は詠唱にあり、魔力を練るだけなら、詠唱よりずっと早い。もしこの研究が成功し、応用が効くのなら、詠唱を必要とする魔法使いと、しないものとでは歴然たる差が生まれることに贅言は要さない。


「ヴァイスは、不出来と申し上げましたが、研究成果としては成功……、まあ、まだまだ未完成品ではありますが、『無詠唱魔術』の発明としてはひとまず成功と言えるでしょう」

「しかし、なんらかの代償を払ったのだろう?」

 ゲルトは無詠唱魔法には魅力は感じた。だが、なにごとにも裏がある。甘い蜜を手に入れるには、その手前に毒の針をいかんとしなければならない。


 アイゲングラウは深く頷いた。

「その代償が言葉でした。言語を持たない魔法使いは、当然詠唱も唱えることはできません。無詠唱魔法は言語を持たない魔法使いの魔法であると考えました。

 そこで我々はヴァイスを生まれてからすぐに、ぐるりに大人がいない環境に隔離して、言語と音を遠ざけました」


 大方、この後の展開が読めたゲルトは深く溜息を吐く。無言でアイゲングラウに話の続きを促した。


「ただ、唯一の懸念は、自らで言語を形成してしまうのではないかということでした。しかし、その心配もなく、ヴァイスは非言語的な成長を遂げました。

 生後間もない頃はよく泣き叫びましたが、それもすぐになくなり、ヴァイスは野生動物さながら自立した個体になりました。

 こういう生命体という点ではヴァイスは早熟でした。食糧を配置しておけば生後半年足らずで、独力で摂取できるようになりました。

 こうなると、我々がやるべきことは、食糧を用意すること、実験環境の衛生を保つこと、そして、変わらず言語を遠ざけることでした。ヴァイスに気付かれないよう、細心の注意を払い、実験環境の維持に努めました。

 ヴァイスは予測の範囲内で成長を続けました。ヒトとしては小型ですが、異常の域ではなく、実験は続行されました。

 そうして、我々科学者が肝胆を砕いて作り上げましたのが、あの、ヴァイスという個体なのです。

 特に、ヴァイスは自発的に魔法を発現し、齢三のときに、不意に魔法を発動したのです!

 わたくしたちは歓喜にうち震えました。はい、そのとおりでございます。ヴァイスは無詠唱で魔法を発動したのです。

 それからすぐにヴァイスの魔力量や適正を検査しました。三歳にして、すでにその魔法力は宮廷魔術師に匹敵するほどのものでした。

 ただし、この魔法適性と言語隔離の関係は不明瞭ですが、おそらく、ないと思われます。なにせ、ヴァイスと同様に言語から隔離したほかの個体で、あそこまで膨大な魔力を持ったものは現れませんでしたし」

「待て、ほかにも実験された者がいるのか」

「そうではありますが、魔法使いとしてまともに機能できる無詠唱魔術師はヴァイスのみでございます」

 ――この男はずれている。ゲルトはそう思った。

 自分は一度たりとも無詠唱の魔法使いの有用性などは訊ねていない。そもそもゲルトはこの実験に否定的な姿勢を、その態度にも暗に表していたつもりだった。だが、アイゲングラウはまったく忖度しないのだ。


「ただ、この実験の副作用として、身体が非常に弱くなってしまうというものがあります。実験環境の衛生は徹底して保たれますので、免疫の獲得に遅れが生じます。

 それだけでなく、ラディカルな原因はまだ不明なのですが、生まれてから言語に触れられなかった嬰児は、決まって身体機能全体が脆弱になる傾向があるようです。

 当然、栄養管理も徹底していましたが、筋肉や脂肪の付きが悪くなります。個体によりますが臓器不全を起こすこともしばしばあります。

 ヴァイスも例外ではありませんでした。ご覧になっておわかりでしょうが、背が低いのもそうですが、どこを見てもすべてが細い。肺機能は五歳、六歳男児のそれと変わりありません。さらに、ヴァイスの場合は、肌が著しく弱く、直射日光を浴びたところから、皮膚が焼けただれていってしまいます。

 この傾向は、どの個体についても、先天的なものでないことは確認していますが、どうやら言語隔離の実験は遺伝子レベル、それに準ずる深度で、変異を与えているようです。

 これは仮説に過ぎませんが、人間が最初から言語を扶養される前提でプログラムされていると考えるものです。生後しばらく言語が与えられないと、言語で共起される領野が別の領野に引き継がれるか、変異を起こし、体内の全体的なバランスが崩れてしまうのではないかと考えられています。実際に人間のどの部分が書き換えられているのか、それは遺伝子のレベルなのか、判然とはしていませんが、言ってしまえば、究極的には、ヴァイスはわたくしたちとはちがう生命体である可能性があるということです」


 ゲルトは剥き出しの人の業というものを垣間見た気がした。こんな実験が科学の世界では許されているのだろうか。いいや、科学ではなく、人間の世界で、だ。


「これが、ヴァイスが話すことができない深い理由となります。ただ、いくら無詠唱で魔法が使えるとはいえ、言語がまったくわからないというのも困ります。これではいつ爆発するかわからない爆弾とおなじですから」


 アイゲングラウはそれとなく応接間にある本棚に注意を向けた。ゲルトは初めてこの応接間がすべて本棚で囲まれていることに気が付いた。


「ここの本棚にあるすべての本が、ヴァイスのための学習データになります。魔法は発現しましたが、我々研究グループはまだ話し言葉の獲得を恐れていました。

 しかし、言葉を教えなければ、魔術師としては役に立たない。当時は研究グループ内でも侃侃諤諤の議論が日夜、紛糾したものです。三日三晩論争したような記憶もひとつふたつではありません。あれは大変でした。

 話し言葉を仕込んでも良いだろうという人から、これからも隔離し続けていくべきだという人までいましたが、結局、それを折衷するような形を取って、書き言葉だけを教えるに留まりました。

 書き言葉は、特に古典を中心に、複数の言語を選定しました。複数の言語を選んだのは、ヴァイスによる言語の最適化を期待したためです。

 ヴァイスは目覚ましい速度で書き言葉を習得していきました。もともと言語のための脳の領域が空っぽでしたから、当然の帰結とも思えます。

 それから五年様子を見て、わたくしたちははじめてヴァイスと直接コンタクトを試みました。

 当然、話し言葉は通じませんから、我々は筆談を試みます。最初は、ヴァイスは差し出された文字を凝視するだけですが、次第に応答を示すようになりました。

 ヴァイスはたしかに言語を習得していましたが、それと無詠唱魔術は両立していました。我々は目的を達成した……、と思われました。


 ここにおいて問題があったのです。ヴァイスの示した応答はすべて、この本棚の中にあったのです。

 ヴァイスの応答はヴァイスによって生成されたものではなく、読んだ書物の中から応答を抜き出していたのです。

 ここで、言語と無詠唱魔術はトレードオフである可能性が浮上します。これではいくら無詠唱魔術が使えたとしても、魔術師としてはぼんくらです。啞の魔術師を操縦するための操縦士が必要ですが、人が人を操縦するときに使うのは言語です。

 しかし、ヴァイスに言語は通じません。筆談はできているように見えますが、はたしてヴァイスの応答はセマンティックなものであるかが不明、いや、意味は孕んでいないでしょう。このままでは、戦いでヴァイスを使うに際して、細かい作戦はもとより、敵味方の判別もまともにつかない可能性があります。

 実際、我々が本棚の書物にない言葉ばかりで文を作ったり、意味は伝わるが、構造として不自然な文章を見せたりすると、ヴァイスは注意は示しますが、応答を示しません。

 また、文字には文字を返してくれますが、行動は返してくれません。わたくしたちが紙に『炎魔法を発動せよ』と書いて渡すと、たとえば『炎よ、我が手にやどれ』と紙に書きますが、ヴァイス本人が魔法を使うことはありませんでした。

 ヴァイスは時折、魔法を自発的に発動させますが、そのトリガーがわかりませんでした。おそらくヴァイスにとって魔法とは吃逆とか、欠伸とか、そういう生理的現象に近い類のものではないかと推察されました。

 そこで、我々研究グループはヴァイスの魔法発動のトリガーを外部から与えることにしました。

 動物実験の動機づけでもっともオーソドックスである方法、生命の危難に迫られたときの反応を利用する……」


「まさか、攻撃魔法を!」


 アイゲングラウは目を見開いて答えた。


「ゲナウ! まさしく。

 知性を持たない人間というものは、どれだけ姿形を似せても動物でしかありません。いいや、動物であれば調教など方法はありましたでしょうが、ヴァイスは動物としても不完全でした。

 そのため、もっと原初に立ち返って、我々は動物、いや、生物の死を回避する行動を利用することにしたのです。生物は命の危険がわかれば、闘争か逃走のいずれかの反応を示しますからね。


 そして、これは功を奏しました。


 何回目かの実験で目論見通り、ヴァイスは反撃してくるようになりました。闘争反応を示したのですね。

 ただ代わりにこうなると、今度はヴァイスを止める方法がありませんでした。そのせいで最初の反撃があった実験で、魔術師であり研究者でもあった仲間二名と、制止を試みた軍属の協力者が三名、殉職いたしました」

 アイゲングラウはそのときの始末書をゲルトの前に差し出す。それを披見してみると、ヴァイスに殺害された魔術師の詳細とその遺体写真が順に載せられていた。そのどれも、人であった原型をとどめていない。戦場でもこんな死に方にはふつうはならないはずだった。

「この二名は……」

「ええ。このときばかりは研究が打ち止めになるかと思いました……。なにせその二名が本研究のヘッドでございましたから」

 アイゲングラウが述べた研究者であり魔術師でもあった男女二名。その苗字には、ヴァイスとアイゲングラウと同じゅうする「ノインツィッヒ」とあった……。

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