激動のヴォカリーズ(25)
臨時の業務を済ませ、私は旧校舎へ急いだ。かつて社会科準備室であった教室が、私の研究室である。
古いメモを頼りに、外線の番号を押してゆく。二十数年前に置かれたであろう電話機は、携帯電話を持たない私の連絡ツールだ。田端先生にたびたび修理いただいており、最新式に負けずに奮闘してくれている。
「……なんだ?」
相手は不機嫌ではない。常に粗暴な話し方をするのだ。
「鶯谷だ。久しぶりだな、元気していたか」
「お前から連絡してくるとは、珍しい。金だったら、ビタ一文貸さんぞ」
「あのな、腐っても公務員だ。私が困窮していたら、世間全体が路頭に迷っているさ」
鼻息だけの笑いが聞こえた。
「手短に用件を教えろ」
「調べて欲しい物がある」
「仕事の依頼か。遺跡ばっかりで飽きていたところだ。空満市の倉水遺跡は知っているか? バカに広くて、鏡しか出てこん。遺跡の上に建っている大学が……」
「ごめん、あまり時間が無いんだ」
「はいはい、わかった。今、そっちへ行ってやる」
「遠くないか? 職場は内嶺県なんだろう?」
同じ近畿地方だが、特急に乗っても五十分はかかる。
「へっへっへ。ついに、我が考古学研究所にも、異ジゲン枠ができたんだ。優秀な部下にワープさせてもらうんで、待っていろ!」
回線が切れて数秒後に、背中を叩かれた。
「よう、鶯谷」
「相変わらずだな……」
私も人のことを言えないが、彼は身だしなみに無頓着だった。髪と髭は伸ばしたままで、邪魔になれば輪ゴムで縛っている。虫に食われ、擦り切れ、黄ばんだスウェット上下は、
学生時代でも毎日着ていた物だ。
「資料をよこせ」
私は彼に、白い小石を渡した。
「このジゲンでは採取できん鉱物だ。なかなかそそる資料を見つけたな」
「ジゲンⅠの王子から預かったんだ。ジゲンゲートの一部じゃないか、とね」
「各ジゲンに封じられたあれか? お前の研究に付き合わされたわけか」
彼はその場であぐらをかいた。
「若干、個人的な頼みではある。けれども、王子の力になりたいんだ」
「しばらく会わんうちに、丸くなったな。お前が他人のために頭を下げるとは」
私は、手前にかかった埃だらけのブラインドを上げた。
「清少納言の真似か?」
「そこまでウィットに富んでいたら、教師をやっていないよ」
四輪市で見える山は香炉峰ではなく、米盛山だ。
「この雪と関係があるかもしれないんだ」
「やけに明るかったもんだ。一昨日から研究所で徹夜していてな、外の景色が目にしみてきやがる」
町はゆっくりと、着実に白で占められてゆく。受け入れきれない、異なるジゲンの雪によって。
「王子がジゲンの平和を守るために、勇者役を買って出て、お前は便乗して、ゲートの謎に迫る、と」
彼は引き笑いした。
「研究者としてはあっぱれだが、人間としてはクズだな」
「どうとでも言ってくれ」
砂一粒でも調査対象にする彼の目が、私へと向く。
「すっかり名前負けしたな。いろいろ隠しやがって」
反論できない。昔の私は正直さが売りだった。
「遺跡は掘っても、他人の腹は掘らない主義だ。資料は俺の全知を尽くして調べてやる。明後日までに結果を知らせる」
「助かるよ」
彼は右手を差し出した。
「代わりに来月、飯をおごれ。肉だ、焼き肉食べ放題。飲み放題はいらんぞ」
「デザートも付ける」
働き詰めなんだ、好きなだけ食べてくれ。私は、彼の右手にタッチした。
「すぐ取りかかるか。おーい、研究所へワープを……」
彼は周りを見回した後、肩を落とした。
「チクショウ、助手を置いてきてしまった」
「駅まで送っていくよ」
教皇ですら、視界にいない対象をワープさせるのは難しい。マホーは万能ではないのだ。
「財布もあっちだ」
「出してやるから」
彼は切符でないと電車に乗れなかった。最先端の科学技術を駆使する、我が国トップクラスの考古学研究所に勤めているが、生活はアナログ派である。
「にしても」
輪ゴムで三つに縛った髭をランダムに引っ張りながら、彼は首をひねった。
「おかしいな。ジゲンⅠの雪は、黒いだろう。暴走したゲートはジゲンⅠが持っていたのに、なんで白いんだ?」




