開戦のヴォカリーズ(3)
「会議ん時にツッコミたかったんやけど、この季節で毛糸のとっくりで黒ずくめなんか。傍から見ていてめっちゃ暑いで」
エプロンの腹ポケットに丸めて入れていたタオルで、滴る汗を拭きながら田端先生は言った。
「わしは気に入っておるぞよ。身体が冷えぬからのう」
目黒先生の風貌は、奇抜、の一言に尽きる。パンチパーマと、顔中に羊毛のような質感の髭、厚手のタートルネックにTシャツ、ジャージである。手足に包帯を巻いており、靴は履かない。当然、多感な年頃である生徒に様々なあだ名を付けられる。
「頭がもじゃもじゃのくりんくりんやから、大仏やろ。服の柄が仏教系やから、三蔵法師もじって算数法師もあったなー」
「せめて算学法師にしてもらいたかったのう。算数じゃと、小学校教諭に勘違いされるじゃろ」
今日のTシャツは、行書体の「何似生」がプリントしてあった。ジャージに刺繍されている漢詩は『狂雲集』か。頓知が利いている、失礼、パンチが効いている。
「タバえもんでお馴染みのそなたじゃが、先々週の登校日に新しい通り名ができておった。バタ青龍や」
「なんや、俺は横綱か!?」
尚、タバえもんは、国民的漫画のキャラクターが元となっている。低身長・肥満体と、ポケットに多様な道具を収めていることが共通する。決定打は、エプロンの生地が青く、ポケットが白い点であった。
「そんなんはおいといて、や。俺の部屋で分身にストレッチさせるんは、やめてくれへんか」
乱雑に積まれた段ボールや木箱の上で、複数の黒い棒がゆっくり動いていた。
「二学期が近いのじゃ。通常運転に戻してゆかねばならぬ」
黒江先生の指揮に合わせて、全ての黒い棒が曲げ伸ばしを始めた。腹筋を鍛えるのだろうか。
「兵隊育ててます、みたいに言ってるけど、こいつら、あんたのムダ毛やろ」
「仕事中、堂々と鼻をほじっているそなたに指摘される筋合いは無いぞよ。わしの清浄なる臑毛を論うつもりかのう?」
それなりに成熟している男達が、陳腐な諍いを起こさないでいただきたい。
「ジゲンⅠの王様がお忍びで、田舎に毛が生えたくらいの町の公立中学で教師やってんねんやから。世間は狭いもんや」
目黒先生の本名はクロエ、百戦百勝と謳われている豪傑だ。これまで田端先生は、国際問題になりかねない発言をしてきたが、クロエ王は戯れにいなしている。
「他ジゲンの若者に数学的な思考を身につけさせ、未来の国を支える石垣となってもらう。後々、民が移住または観光の際、不自由な目に遭わずに済む」
「ジゲンⅡやⅣはちゃうとして、このジゲンは腐りまくってんで。あんまり期待し過ぎたらあかんぞ」
目黒先生は、不敵に笑った。
「万が一、衰退の道を辿るのならば、わしがジゲンⅢを買い取ろうぞ。何、この民の性根は、わし達が叩き直す」
大口を叩いて、とは返せない。目黒先生は、かつて千兆以上の国に分かれ、絶えず争っていたジゲンⅠを統一している。ジゲンⅢの矯正なら、一夜も要さないだろう。