進軍のヴォカリーズ(12)
教員は科目毎に、職員室とは別に、準備室を与えられている。校舎増設に伴い、新校舎を利用するようになったのだが、私は旧校舎を使っている。同僚には「埃がこびりつき、黴臭い部屋に居たがるとはなんと物好きな」とある時は包み隠さず、ある時は遠回しに言われる。無駄口を叩いて騒々しくさせるあなた方と離れて、ジゲンの研究に没頭するためであるのだと知らずに。
「ただいま、ロロ」
職業柄、聞き取りやすい音量で呼びかけたのだが、ロロは床に正座したまま、文献を凝視していた。
「冷えるよ、座布団を敷きなさい」
「わたくしめは平気です。真坊ちゃんがお使いくださいませ」
私は、彼女の脇の下を失礼して抱き上げた。足で座布団を引き寄せ、座らせる。
「……坊ちゃん、そのようなことをご婦人になさっては、平手打ちをされてしまいますよ」
受けてみせよう。もっとも、私を殴れる気概がある異性とのご縁は早々無いがね。
「君が自己を蔑ろにする時は、心が傷ついているんだ」
ロロは激しくかぶりを振った。
「目を背けたい文が書いてあったのか?」
「違います……」
小さな掌が、そばの文献を示す。
「『ジゲン逸話篇』でございます。ジゲンⅠとジゲンⅡについて記されていました」
ロロが淑やかに本文を朗読した。
黒き世界のはみ出し者
他所の世界にて王にならむと欲す
はみ出し者が狙いしは
慈しみの黄色き世界
黄色き世界を治めし者
はみ出し者の望みを聞きて
魂の病を癒さむと
涙ながらに御手を出す
はみ出し者は此れ好機
治める者を呪ひけり
持てる力と優しき誉れ
いずれも剥ぎ取る呪ひなり
治める者は苛みながら
黒き世界の王を召す
旧き友が為に王
太き剣を握り締む
王とはみ出し者相対し
剣と呪を交わし合ふ
語りきれぬ戦の果て
はみ出し者の首が落つ
治める者は呪ひ解け
王の勇気を讃えけり
黄色き世界の領る所
黒き世界に与へけり
六連目を読んだ後、ロロはこちらを見上げた。どんぐり眼が「続きがつらい」と訴えている。
「ありがとう、この先は私で読むよ」
ロロは深々と礼をして、逸話篇を譲ってくれた。
王は知らず
同胞を切りたることを!
王は知らず
同胞に想ひ寄せられたることを!
世界同じうしながらも
想ひ届かず 別れゆく
君よ 胸に刻むべし
世界はままならぬことに満つ




