開戦のヴォカリーズ(13)
目黒先生のご子息は、長月二週目を過ぎても登校しなかった。
「うーい……」
美術部員の下校と入れ違いに、田端先生が準備室に着かれた。どういう訳だか、目黒先生と腕を貸し合っていた。
「あの博士もどきの説教から、やっとこさ開放されたで……」
「今日こそは、部員との対極に勝ち星をあげようと張り切っておったのじゃがの……」
お疲れ様でした、としか言いようが無い。博士もどきこと学年主任は、話が長いのだ。加えて粘着質である。
「誰かて学校行きたない時ぐらいあるやんか。なんで俺がお宅訪問して引きずり出さなあかんねん。あいつ、不登校を怠けやと思ってるクチや」
そう偏見を持つ者に限って、わが子が家に閉じこもっているのである。身内に対しては例外を適用する。自身で設けた基準に一貫性が無くて、主任を務められるものだ。
「わしは、要約すれば『親の躾がなっていない』と注意されたぞよ」
「男はな、一物に毛が生えたら己で人生歩まなあかんねん。クロエ先生は悪ないで」
私は咳払いをした。ロロが来ていなかったことが唯一の救いだ。
「主任には黙っておったのじゃが、この度転入する息子は、わしの養子なのじゃ」
田端先生は口を大きく開けた。
「血がつながってへんのか。俺らは全然気にならんけど、あいつがいかにも突いてきそうやな」
目黒先生のご判断は正解だった。拘束が二時間で済んだのだから。
「そなた達を信用しておる上で、明かすぞよ。息子の実父は、わしの弟じゃ」
ジゲンⅠの公務記録や『ジゲン見聞録』に、目黒先生のご兄弟は書かれていなかったようだが。
「王位継承の都合ですか」
「良い線じゃな、若造。実の息子は百七人おるが、政治に関心を持っておらぬ。娘らは武芸に熱中して、将軍を志しておる。後継ぎ選びに悩んでおったところに、弟に子を託されたのじゃ」
目黒先生は背を丸めて、私達へ寄った。
「わしと弟は双子なのじゃ。二人で王になるはずじゃったが、慣例が邪魔した」
手足の包帯に、黒いしみが点々と現れた。押し殺していた怒りが、溢れかけている。ジゲンⅠの住人特有の性質だ。
「体が白い者は、王位を継げぬ……馬鹿げておるじゃろう。このジゲンにも、似たものが残っておるようじゃな」
仰る通り、各国で肌の色、職業、恋愛感情を向ける対象などで、生き方を制限している。歴史を繙くと、幼稚な理由ばかりだった。
「わしは先王を討ち、慣例を廃止した。急ぎ弟を迎えに行ったのじゃが、拒まれてしまったのじゃ」
田端先生が唸る。
「向こうにしたら『今さらなんやねん』やろうな」
「我が子だけでも王家に戻してくれ、と頼まれた。弟とはそれきりじゃよ……」
目黒先生は、自身の黒く染まった指先を見つめていた。
「消息は不明なんですね」
王の弱気な表情は、初めてだった。
「分身に探させているのじゃが、さっぱりでの。他のジゲンにもおらぬ。息災かどうか知らせてくれても、罰は当たらぬじゃろう?」
どこからか折り紙の烏賊が、真っ直ぐ飛来した。目黒先生のパンチパーマに引っかかり、各足が揺れ動く。
(湿っぽくなっている時間はおしまいよ、ウグイスダニ、暗君)
跡見さんの言葉が、霰のように頭の中へ降る。目黒先生も受け取っていた。
(ジゲンゲートの気配がしたわ。マイナスの値に近い、人工のオーラ……あなた達も場所を突き止めて)




