開戦のヴォカリーズ(11)
「私もここに来て四年目です。だから、地域の事情は分かっています。就ける仕事が限られていることだって……」
明鏡中学校における卒業後の進路は、進学が三割、残りは就職または家事手伝いである。
進学といっても、望まない妊娠をした・させたで中退、高校卒業まで漕ぎ着けても大学へは金銭・学力面で難しく、就職を選ばざるを得なくなる。
中卒の就職組も、日雇いの仕事を転々とするか、家業を継いでかさむ一方の負債をひたすら返して腹を空かせる日々が待っている。
「まだ、希望がある方ですよ。前の学校は、生徒に夢を持つ余裕さえなかったんです。保護者が子どもに稼がせようとするんですよ!? ひどい場合は、体を」
「そこまでにしましょう。共感しては疲れますから」
目白先生は、カーディガンの袖を引き伸ばした後、再び顔を上げた。
「私達では、生徒の未来を明るくできないし、細々した仕事をこなすので精いっぱいなのは、受け入れています。ひとりひとりを教え導くなんて、砂のお城みたいな理想です」
緩く巻かれた長い髪を振って、目白先生は「だけど!」と声を張った。
「希望はわずかにあることを、私達の立ち居振る舞いで示せますよね!?」
私は、胸が痛んだ。先生の考えは否定しない。だが、社会に通用させるには、余りにも無力だった。
「鶯谷先生は、ここのOBでしたよね。強い意志で、教師になられました。ひとかたならぬ努力をされたから!」
田端先生が口を滑らせたか。そうだ。母を働き詰めから解放させ、かつ、私の過ちで失踪させた父を連れ戻す方法を調べる時間を確保するため、この職を選んだ。
「私も……先生ほどじゃないですけど、ひとりで生き抜くために寝る間も惜しんで勉強して、学校の先生になりました。みなしごの私でも、夢を夢で終わらせなかった!」
重い背景を持っていたのか。胸の更に深い所が、鈍く痛む。
「周りの助けを借りながら、やっと辿り着けたんです。世界は冷たくなっていくばかりだけど、自分を理解してくれる温かい心を持った人は、消えていない。頼れる大人がいるんだ、って、生徒に伝えたいんです」
熱意に満ちた姿に、既視感があった。だからこそ、私は目白先生に酷なことを告げる。
「やめるべきだ。どれほど時間をかけても、生徒に響きませんよ」
勝手に裏切られた気にならないでいただきたい。
「彼と彼女達は、自ら天井を低くして、窮屈な人生に甘んじている。努力をしても状況が良くならないと決めつけて、思考をめぐらしもせず、口を開けて呆けています。伸びる余地が、どこにありますか?」
「先生は、生徒の可能性を信じていないんですか!?」
本当なら、あなたの志をへし折りたくなかった。
「理想に酔ってはなりません。生徒の生活・教育レベルに関わらず、すべき業務にのみ目を向けなさい」
「はい…………」
賛同を得て、結果に傷つき、後悔するよりも、余程ましだろう。神仏すら、誰一人として救えないのだ。
「働き続けたいのなら、教職の限界を認めきってください」
目白先生の横を通り抜けようとするも、気迫に足止めされた。諦めない眼差しに、私が揺さぶられている?
「鶯谷先生だけは……私の味方でいてくださると思っていました」
良心の呵責を感じて、どうする。耐えろ、彼女には、私と同じ道を辿らせたくないのだ……。
「違う、今のはだめ。私ひとりが期待して、求めていた反応じゃなくてつらくなっていたの。まさかなんですけど、先生は、私のために叱ってくださったんじゃないですか?」
伊達に国語を教えているわけではなかったか。
「目白先生がそうだと考えるのなら、そうなのでしょう」
「じゃあ、良い方に考えておきます」
お先です、と目白先生は、軽やかな足取りで職員室へ帰っていった。
先程の既視感が何だったか、ようやく分かった。別の形で二度見せられるとは。
「他人は自己を映す鏡、か」
目白先生は、若手だった頃の私だ。




