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冷血魔姫さまの体温を上昇させる二、三の方法

作者: 氷炭

 冒険者駆け出しの少年、ロビには二つの秘密があった。

 一つ目、ロビは純粋な人間ではない。

 人間と魔族との〝間の子(あいのこ)〟――半人半魔だった。


 ただ、純粋な魔族と違って、角は短いので帽子をかぶっていれば隠せるし、ちょっととがった八重牙は、大口を開けなければごまかせる。感情を高ぶらせなければ、瞳が紅く輝くこともない。

 冒険者ギルドなどの人前に出るとき、ロビは人間のフリをしている。

 人族と魔族は少し前まで戦争していたし、魔族や半人半魔は、やはり人間たちによく思われないから。


 ロビは半分魔族のわりに、腕力も魔力もたいしたことはなく、戦闘はからきし駄目。反面、魔力を感知する敏感さだけは、ずば抜けたものがあった。

 その敏感さを生かし、魔物の存在を察知しつつダンジョンを小器用に立ち回り、屑魔石拾いや薬草集めなどして日銭を稼いでいた。


 そして、二つ目の秘密。

 〝冷血魔姫〟の存在に、たった一人気づいていること。


 今、ロビは、いつものように冒険者ギルドのだだっ広いフロアで、順番待ちしている。

 目の前のカウンターで受付嬢と話している、剣士風のすらりとした冒険者。

 ノクシアと名乗っている、この人こそが――。


 つややかな黒髪を無造作に束ね、その顔立ちは真っ白で、涼しげで、お人形ばりに端正だが、化粧っ気はない。

 軽鎧を着こみ、腰に剣を差し、背にマントといういでたち。

 ぱっと見、美形の青年剣士にしか見えない。

 実際、面と向かっている受付嬢はほんのり顔を赤らめているし、フロアの女冒険者たちの視線が磁石みたいに吸い寄せられたりしている。


 しかし、違うのだ。あれは男装だし……そもそも人間ですらない。

 ロビがじっと目をこらすと、その頭から伸びている立派な角の輪郭が、かすかに視認できる。

 横顔の唇から透明な優美な八重牙が伸び、黒い瞳には真紅の輝きが秘められているのがわかる。


 幻影魔法だった。魔法によって姿を錯覚させ、人間のフリをしているのだ。

 ただし、魔力に人一倍敏感なロビだからこそ、勘づけたのだ。ロビでもその擬態をぎりぎり認識するのが精一杯なので、普通の人間では絶対にわからないと思う。

 あんな見事な幻影魔法は、とんでもない魔力の持ち主である証拠。魔族の中でもよっぽど高貴な血筋に違いない。


 少し前から、冒険者たちの間で、ひそかに囁かれてきた噂がある。

 曰く、魔界の魔王の落胤である魔姫が、この人間界にやってきている。

 数年前、魔王が死去した後、その血なまぐさい跡目争いに敗れ、魔界から落ち延びてきたのだ。

 高貴な姫君ではあるが、氷のような無慈悲な性格、かつおそるべき氷結魔法の使い手であることから、魔界では〝冷血魔姫〟と呼ばれ畏怖されていたという。


 ロビは確信している。この人こそが、その魔姫なのだと。 

 魔姫――ノクシアが、受付カウンターを離れる。

 マントを揺らして出口に向かいながら、視線を振り向けてくる。ロビの方へ。

 その底なしに冷たく、透き通った瞳。

 気づいていたのだ。見られていることに。

 あわてて目をそらしかけた、そのとき。


 ノクシアがふっと微笑んだ……気がした。

 どくん、とロビの心臓が跳ねた。




◇◇◇




 ノクシアの行先はわかっている。

 冒険者ギルドの街からほど近い、初心者向けの低級ダンジョン。

 ゴブリン程度の弱い魔物しかいなくて危険は少ないので、ロビも日銭稼ぎのためによく出入りしている。

 ここしばらく、ノクシアはこの低級ダンジョンに毎日のようにもぐっていて、その姿を何度も見かけていた。

 

(べ、別に、つけ回しているとかじゃないから。たまたま薬草集めに行こうとして、道がいっしょなだけだし、うん)


 ロビがノクシアの後を追い、ダンジョンに入る。

 そこからのノクシアの動きは奇妙だった。マントをなびかせて颯爽と進んでいるように見えて、同じ通路をぐるぐる回っていたり。あるいは、十字路で腕組みしつつたたずんでいたり。

 今も、小部屋に入って空の宝箱を椅子代わりに、足を組んで座っている。


(なにしてるんだろ?)


 ロビは通路の隅に生えている薬草を引っこ抜きつつ、ノクシアの姿をチラ見する。 

 ノクシアは宝箱の上に座ったまま、動かない。もの思いに沈んだ、端正すぎる横顔、冷たく澄んだ瞳。


(なんていうか、魔姫っていうよりはこう、翼をもがれて地上に墜ちてきた悲劇の天使さま、みたいな……)


 ロビは、夢見がちな少年だった。主にぼっちな境遇のため。

 幼い頃に戦争で両親を亡くし、物心ついたときは人間界の孤児院にいたが、〝間の子(あいのこ)〟の中途半端な外見のためにいじめられた。


 耐えきれずに脱走し、その手の偏見にわりと寛容な冒険者ギルドに流れ着いた。それでも人間だらけの場所なので、居心地はよくない。人間の冒険者とパーティーを組む勇気はないので、ソロで活動するしかない。


 で、魔界を追われたという魔姫――ノクシアに、勝手に親近感めいたものを感じていたのだ。きっとぼっちだろうし、ソロ活動してるし、人間のフリしてるし、僕と同じだ! ……みたいな。

 いや、こんな風にじろじろ見てばっかでは、ばれてしまう。さっきみたいに。


 ロビは顔を振って、通路の壁に寄りかかりつつ、肩掛けカバンから手作りサンドイッチの包みを取り出す。

 かものロースト肉と刻みキャベツを挟んで、塩ダレをかけたやつ。

 ダンジョンに入る前に食べるつもりだったが、あわてて魔姫を追いかけてきて食べ損ねていたのだ。

 あーん、と口を開けたとき。


 びくっ、とロビの身体が反応。複数の魔力を感知。

 そのへんのザコ魔物とは比較にならないほどに強大な魔力が、三つ。

 次の瞬間、黒衣の三人が、風のように小部屋に侵入し、ノクシアを取り囲む。

 三人が目深にかぶっていたフードを脱ぐ。頭部に突き出した角、真紅に輝く瞳――魔族だった。

 

(し、刺客!?)


 ロビは身震いしつつ、忍び足で小部屋のそばへ。

 三人の魔族の、低く押し殺した声が、とぎれとぎれに聞こえてくる。

「もう逃げられませぬぞ」「是が非でも、この場で」「これもすべて魔界のため、ご覚悟を……!」


(そうか、魔姫さまがダンジョン内をぐるぐる回っていたのは、この刺客たちを撒くためだったのか……!?)


 ノクシアは何度も首を横に振っている。

 三人の魔族が発する魔力のオーラが、炎のように燃え上がっている。

 助けに入りたいが、自分なんかでは敵いっこない。


 それなら、と震える右手を、ズボンのポケットへ。

 握りしめたのは、緊急逃走用の煙玉。これで攪乱して……!

 ロビが、一歩踏み出したとき。


「後生ですから、ご帰還くだされ! 魔界の混乱を収められるのは、貴女さましかおりませぬ……!」


「嫌だ。今の私は、ただの観光客なのだ。邪魔するなら、こうだ」 


 ノクシアが手のひらを水色に輝かせ、三人の魔族の身体にすばやくタッチする。

 ぽん、ぽん、ぽん。

 その箇所から、びきびきびき……と氷の厚い膜が広がっていく。三人の魔族が硬直し、声を上げる間もなく氷の彫像と化してしまった。


(アレ?)


 立ち尽くすロビ。

 ノクシアがちらっと視線を向けてくる。


「ん? なんだ、お前は?」


 予想とは全然違う展開に、ロビがへどもどしていると。


「その手に握っているものは、なんだ?」


「こ、これは……魔姫さまのためにと」


 ロビが右手の煙玉を示そうとするが、ノクシアがじーっと見ていたのは、ロビの左手。

 かも肉キャベツの塩だれサンドイッチ。緊張のあまり、うっかり握ったままになっていたのだ。自分の間抜けさ加減に顔をかぁっと赤らめていると。

 ノクシアがひょいとサンドイッチをつまみ上げ、ぱくっと喰いつく。


「む、うまいな! ちょうど腹が減ってたところだ。お前、気が利くな」

 

「え、いや……ど、どうも」


 ノクシアはサンドイッチをぱくぱくと平らげると、唇の塩だれをぺろっとなめつつ、ロビをまた見やる。


「で、お前、なんで私が魔姫だとわかった? 完璧に人間に擬態してたつもりなんだが」


「僕は、魔力感知の感覚だけは鋭くて……」


「ふーん、お前の名前は?」


「えっと、ロビです」  


「ロビか。さっきも冒険者ギルドにいたな。それに、このダンジョン内で何回も顔を見かけたぞ。このダンジョンにくわしいのか?」


「よくもぐるので、一応、ダンジョンの構造はほぼ把握してますけど」


「じゃ、ロビ、私とパーティーを組め」


「え゛? ……パーティーを?」


「うん。普通ダンジョンにもぐるときは、冒険者何人かでパーティーを組むんだろ? 別にいらんと思ってたが、気が変わった」


「い、いきなり、そういわれましても……?」


「心配いらん。私は強いのだ。魔界では、親の魔王よりも強いと評判なくらいにな。攻撃役、盾役、回復役、補助魔法役、全部魔界最高レベルでこなせる。だから、お前はポーターをしろ。料理、荷物運び、道案内をするのだ。じゃ、行くぞ」


「ちょ、ちょっとお待ちを!」


 すたすた歩き出すノクシアに、ロビが目を白黒させて聞く。


「あの、この人たちは?」 


 氷の彫像と化した、三人の魔族たち。さっきからぴくりとも動かないが。


「問題ない。動きを封じているだけだ。一、二刻で氷は解ける」


「この人たち、刺客とかでは……?」


「刺客? 全然違うな。まあ、私の熱心な追っかけファンだな」


「お、追っかけファン?」


「私に、次期魔王になってくれとか、余計な運動をしているやつらだ。私は、新しく魔王になりたがってる他の兄や姉より、よっぽど強いからな。ただ、私は強いが、政治とか経済とかごちゃごちゃした話はさっぱりなのだ。で、面倒くさくなって、さっさと逃げてきた」


「な、なるほどー。ただ、刺客を避けているのではなかったら、魔姫さまがさっきからダンジョン内をぐるぐる回っていたのは、いったい……?」


「実はな、迷子になっていたのだ」


「ま、迷子?」


「私は方向音痴なのだ。だから、お前とパーティーを組んだというわけだ。さ、道案内しろ。あと、私のことを魔姫と呼ぶな。人間たちに知られると騒動になるだろ? 私のことは、ノクシアと呼べ」




◇◇◇




 低級ダンジョン、最下層の五階。

 ダンジョンのボス部屋一歩手前の、野営場所。

 ロビとノクシアは、いったん休憩を取っていた。というか、ノクシアはぐっすり寝ていた。


 ロビはここまで、本当に道案内しかしなかった。戦闘は一切なかった。

 ノクシアが威嚇のオーラを発し、魔物たちが蜘蛛の子散らしたように自主的に逃走していたからだ。

 この野営場所に着くと、ノクシアは昼食にサンドイッチを作れといってきた。さっきのが気に入ったらしい。

 パンは残っていたが、かも肉はもうなかったので、保存食の一角兎の燻製肉をスライスし、乾燥キャベツを湯で戻し、パンに挟んで塩だれをかけて作った。うまいうまいと喜んで食べてくれた。


 それから、ノクシアはお昼寝の時間といって、収納魔法を発動してベッドを丸ごと取り出し、軽鎧を脱いでシャツ姿になって、するっともぐりこんだのだった。

 ロビはベッドからやや距離を置き、正座して番をしていた。


 束ねていた黒髪を解いて、すやすやと眠るノクシアの寝顔。

 まったく自分が警戒されていないことに、ちょっと複雑な気分になってしまうが、いや、ここは信頼されているのだと思うことにする……思いたい。


(にしても、聞いてた噂とはずいぶん違うなあ。〝冷血〟っていうよりは、天然というか、不思議系? まあ、だいぶ強引な感じはあるけど)


 おや、とロビが顔を上げる。

 魔力を感知。一つ、二つ、三つ、四つ……。

 さっきの三人の魔族に比べれば全然大したことないが、数が多い。

 見回すと、通路の影にゴブリンらしき姿がちらほら。


 そして、通路奥の、ダンジョンボス部屋の両扉が、ご、ご、ごと開きはじめる。

 のっそりと現れたのは、巨体のゴブリンキング。頭に金色の王冠をかぶり、手には巨大な鉄棍棒。

 

「なっ!?」


 ゴブリンキングは、ゴブリンの群れを従える首領であり、このダンジョンのボス。本来なら、ボス部屋で待ち構えているはずだが。

 さらに、あちこちから無数のゴブリンがぞろぞろと這い出てくる。通路を埋め尽くす勢いで。数は優に百匹を超えているだろう。

 

(わ、罠か!? さっき魔物たちが逃げ出していたように見えたのは、こうやって待ち伏せするため!?)


 ゴブリンキングが、のっしのっしと向かってくる。目を真紅に輝かせ、いやらしい薄笑みを浮かべながら。

 狙いは――間違いなく、ノクシア。

 

(嫁か? 嫁にするつもりか? 魔姫さまの寝込みを襲って、あんなことやこんなことをして無理矢理に己のものにしようと……!?)


 びりびり引き裂ける音と悲鳴付きの破廉恥シーンが脳裏にちらつき、ロビはわなわなしつつ、火照った顔をぶんぶん振る。


「ノ、ノクシアさま! 敵襲です!」


 むくっとノクシアが起き上がる。

 そこへ、ゴブリンキングがどどどっとまっしぐらに突進してくる。

 ロビが短剣を抜き、半ばやけっぱち気分で、ノクシアをかばって飛び出したとき。

 ゴブリンキングが、ずざざーっと勢いよく土下座。周りのゴブリンたちも、一斉に土下座。 

 

「え……ええっ?」


 目を瞬かせるロビ。

 ノクシアは軽鎧を着て、身支度をさっと整えると、ずいっと前に出ておごそかにいう。


「面を上げよ」


 土下座のゴブリンキングが顔を上げて薄笑みを、いや愛想笑いのようなものを浮かべつつ、「ギャギャギャ」と鳴き声。

 すると、後ろのゴブリンが何匹か腰をかがめながら寄ってきて、手に持った魔石やら魔物の生肉やらを捧げるような仕草。

 ロビが困惑してノクシアを見やると。


「こいつらは、我々を歓待しているのだ。その献上品を、受け取っておけ」


「あ、はい」


 ゴブリンたちが、ロビにもぺこぺこしてくる。

 ロビは献上品を肩掛けカバンに押し込みつつ、なんだか申し訳ない気持ちになって、自分もぺこぺこしまくる。


「すいません、すいません、勝手に勘違いしてました。あの、変な妄想とかしちゃって、ごめんなさい……!」


 ノクシアが、収納魔法を発して空中から金色の扇子を取り出す。


「ご苦労。これは、ささやかな礼だ」


 ゴブリンキングが、うやうやしく金色の扇子を受け取る。


「さて、私は、ボス部屋奥のダンジョンコアに用があって来た。道を開けろ」


 ゴブリンキングとゴブリンたちが一斉に立ち上がって、通路脇に退き、頭を垂れる。

 開けた道を、ノクシアがマントをなびかせて堂々と歩く。


(これが、魔姫さまの威厳……!)


 ロビが感嘆の面持ちでついていく。


「えー、ちなみに、あのゴブリンキングは、ノクシアさまの家来なので?」


「いや、全然知らん。が、魔物は自分より強すぎる相手にはすすんで服従する性質があるからな。まあ、よくあることだ。それより……」


 ノクシアがふわぁーっと生あくび。

 

「まだ寝足りん。もう一回、昼寝し直すかなー?」


「え?」


 さっきもかなり寝てたのに。とロビは思うが、露骨には口にしがたい。


「あの、やっぱり慣れない異国の地で、夜は寝付けなかったりですか?」

 

「いや、ぐっすり寝てるぞ。魔界に比べて、人間界はどこも平和で静かだしな。ただ、私はお昼寝が大好きなのだ」


「で、でも、ダンジョンでの昼寝はちょっと危険なような……?」 

 

「そうか? 竜は好きな時に、好きな場所で昼寝するだろ? 邪魔するやつなんていない。で、私は竜なんかより百倍強いしな」


「な、なるほどー」




◇◇◇




 ノクシアとロビは、空っぽのダンジョンボス部屋を素通りし、その奥の正方形の部屋へ。

 中央の台座に、七色に輝く大きな水晶のかたまりが浮遊している――ダンジョンコア。このダンジョンコアこそ、迷宮を生成して魔物を召喚する根源だった。

 壊せば、ダンジョンが崩壊するが。


「ロビ、水晶に手を当てろ。先に進むぞ」


「え? これ、壊すのでは?」


「私はダンジョンを攻略しに来たのではない。ダンジョンコアは転移装置としても機能するのだ。ほら、手を貸せ」


 ノクシアが、ロビの手を取って水晶に当てさせ、自分もそこに手を重ねてくる。

 真っ白で柔らかい手のひらで、ひんやりと冷たい……ロビがどぎまぎしていると。

 ノクシアが魔力を注ぎ、ダンジョンコアの七色の光が、さらに強烈に輝く。


 輝きが失せたとき、二人はまったく違う場所に転移していた。

 ロビが見回すと、洞窟の中らしい。壁一面が鉱石らしく、ぎらぎらと発光している。そしてものすごく熱い。全身から汗が噴き出してくる。

  

「……ここは?」


「地底火山城だ。火竜の巣という別名もある。ああ、熱いからバリアをかけてやろう」


 ノクシアが手のひらに魔力を帯びる。分厚い水色のオーラがロビを覆う。とたんに涼しくなる。

 が、ロビはどっと冷や汗が噴き出してくるのを感じる。


「ち、地底火山城って、あの伝説の? 魔王城をはるかに上回る、最悪最難関のダンジョンっていう……?」


「お、知ってるな。じゃ、行くぞ」


「ちょ、ちょっとお待ちを! なぜ、そんなトンデモな場所に!? っていうか、なんであの低級ダンジョンから来れちゃったんですか!?」


「招待されたからな、この城の主に。で、普通のやり方でここに来ようとすると、やたらめんどくさいのだが、あの低級ダンジョンからであれば転移一発で来れるから楽、という話でな。普通、低級ダンジョンからこんな地の底に直行できるとは思わないだろ? が、灯台下暗しとかいうやつで、そういう仕掛けなのだ。この城の主は、人をからかって喜ぶような悪趣味な面があってな……」


 ノクシアはいいながら、一枚の地図を取り出す。すさまじく複雑な迷宮構造が描きこまれている。


「ふーむ、今の転移地点がここだな。で、ボス部屋が……どこだ?」 


「あの、地図の上下がさかさまみたいですが」


 ノクシアが地図をひっくり返す。


「ほんとだ、よく気づいたな。お前、鋭いな」


「……えっと、地図は僕が見ますね」


 ノクシアが前、地図を見るロビが後ろで、洞窟内を進む。

 ほどなく切り立った崖のような細道になり、左右にはぼこぼこと泡立つ灼熱のマグマの河が流れる。

 そして、道の先には、凶悪無比の外貌の火竜が何匹も。

 が、信じがたいことに、火竜たちはノクシアを一目見るや、脱兎のごとく逃げ出していく。まるで低級ダンジョンでのゴブリンみたいに。

 ノクシアにすれば、ゴブリンも火竜も似たようなもの、みたいな感じっぽいが。


(今さらながら、自分、とんでもない人のお供になっているのでは……?)


 ロビは額に手をやりつつ、はっと気づく。

 二人の足下の地面に、魔力反応が。

 そして、地面に濃紫色に輝く魔法陣が現れる――魔力起動の罠だ。

 

「あ、危ない……!」


 ロビが、手前のノクシアを突き飛ばす。

 とたん、魔法陣から放射される輝きに包まれる。

 ロビの意識が一瞬飛び、ぱっと光景が切り替わる。


「……?」


 ロビがきょろきょろする。

 直前までとは、全然別の場所。ノクシアはそばにいない。離れ離れになってしまった。

 強制転移の罠……?

 広壮な部屋の中だった。

 一面に、緻密に彫刻された壁画。金銀財宝が山のように積まれている。


 そのまばゆいばかりの山の上に、巨大な竜が寝そべっている。

 赤黒の分厚いうろこ。大木のように野太く湾曲した角。巨大ルビーさながらにぎらつく真紅の目玉。全身に燃え立つ業火めいたオーラ。

 正面にいるだけで気が遠くなりそうなくらいの、圧倒的な魔力量。


 それは、ロビが子供のころ、おとぎ話の絵本で見たことのある、竜族の頂点に立つとされる――伝説の〝王火竜〟そのままの姿だった。

 ロビは察した。目の前にいる巨竜こそ、この地底火山城の主なのだと。

 つまり、ロビはいきなりボス部屋に強制転移させられてしまったのだ。


――なんだ、貴様は?


 王火竜のうなり声とともに、ロビの頭の中に言葉が流れこんでくる。


――魔姫を転移させたつもりだったんだがなあ。


 ロビは、ぎりっと奥歯を噛みしめる。そのうなり声だけで意識がかき消されそうになる。


――魔姫はどこだ?


 ロビは、おとぎ話の一節を思い出す。

 はるか太古の時代、魔族と竜族は〝竜魔の戦い〟なる世界を滅ぼすほどの凄惨ないくさを繰り広げたという。

 そして、その竜族を率いた大ボスこそ、この王火竜。

 魔族を率いる魔王家の魔姫にとって、天敵中の天敵なのだ。


(そうだったのか。魔姫さまは、こいつを討ち果たすために、古来から続く因縁に決着をつけるために、ここにやってきたんだ……!)

 

――貴様、魔姫の手下か。魔姫の居場所を吐け。さもなくば……。


「い、いうもんか!」


 ロビが怒鳴る。精一杯の虚勢を張って。


――ほう、こしゃく……!


 王火竜が、火山の噴火めいたオーラを燃え立たせたとき。

 背後で、轟音。

 ロビが振り向くと、部屋の巨大扉が吹き飛んでいた。凍結して粉微塵になりながら。

 そのダイヤモンドダストめいたきらめきの中、つややかな黒髪とマントをなびかせ、抜身の剣を片手に颯爽と進み出てくる、ノクシアの姿。

 ノクシアはすでに人間の擬態を解き、優美な角と牙をさらし、目を真紅に燃え輝かせている。

 

――来よったか……!


 王火竜が巨体を起こす。雄大な翼を全開にし、熱風を巻き起こす。

 ノクシアは涼しい表情で動じず、歩みを止めない。

 ロビがごくりと唾をのむ。全身に鳥肌が立つ。


(今再び、神話のごとき竜魔の決戦の火蓋が切って落とされ……って、アレ?)


 ノクシアは剣を鞘に納めると、王火竜にぺこりと頭を下げる。


「お久しぶりです、おじさま。お元気そうで」


 王火竜も、翼をばたつかせてうなずく。


――おう、ノクシアのお嬢もな。こんな地の底まで来てくれて、ありがとうよ。


 ノクシアが収納魔法を発し、空中から特大のガラス瓶をどかどかと取り出す。


「お土産です。おじさまの好きな、魔界産の地酒をいろいろ」


――いやー、助かるわい。ここじゃ、これくらいしか楽しみがなくてなあ。ところで、ここまでの道のり、大丈夫じゃったか?


「はい、迷いました。こちらの者――ロビが道案内してくれたのですが、突然、いただいた地図といっしょに消えてしまい」


――む、ノクシアのお嬢のことだから、どうせまた迷うだろうと思って、直接ここに飛ぶ転移罠を仕掛けておいたんだが、裏目に出ちまったのう。


「幸い、おじさまの魔力を感じて、だいたい方向だけはわかったので、一直線で壁を破壊しまくって来ましたけど」


「あいかわらず、お転婆よなあ。修理が大変じゃわい、まったく……」


 和気あいあいと談笑する、ノクシアと王火竜。

 その隣で、がくっとうなだれ、肩身狭そうに小さくなるロビ。

 話を聞いていると、ノクシアと王火竜は旧知の仲で、魔王家と王火竜の一族は家族ぐるみの付き合いらしい。争っていたのははるか大昔のことで、今はすっかり友好的な関係、というわけだ。

 今回、ノクシアは人間界への観光旅行ついでに、寄り道で「おじさん」に挨拶しに来たのだとか。


(また変な勘違いしちゃってたかー。これじゃ荷物持ちじゃなくて、ただのお荷物だぁ……)


――にしても、お供嫌いのお嬢が、お供とは珍しいのう。


「なかなかの働き者ですよ。道案内もできるし、料理もできるし」


――じゃ、からかっちゃって悪かったかな? ぱっと出てきたかと思ったら、必死にお嬢を守ろうって感じで、健気な子犬みたいでな。つい悪ノリしちゃったわい、ふぁふぁふぁ……!




◇◇◇




 地上に戻ってくる。

 帰り際、ロビは王火竜に、からかったお詫びだとその爪先のかけらをもらった。王火竜からすればお駄賃感覚のようだったが、加工すれば最高級の武器になる超希少素材なので、かなりのお金に換えられるだろう。

 ただ、ロビはどよんとした顔のまま。


「ん、どうした?」


 ノクシアが小首をかしげる。


「おじさんのお芝居に引っかかったのを気にしてるのか?」


「……そういうわけでは」


「おじさんはお前に好感を持ってたと思うぞ。おじさんは勇敢なやつが好きだからな。まあ、子犬みたいだったらしいが」


 ロビが「うぅ」とうめき声。

 お姫さまと騎士じゃなくて、お姫さまと子犬じゃあな、とますますどよんとしてしまう。


「いいじゃないか。私は、子犬は大好きだぞ……子犬みたいなやつもな」


 ノクシアがずいっと寄ってきて、ロビの頭をぽんぽんと叩いてくる。

 不意打ちにそんなことされて、びくっと硬直してしまうロビ。


「ん、今度はほっぺが赤くなったぞ? 熱でも出たか?」


「い、いえ、これは、その……」


 ノクシアがどれと指先を伸ばしてきて、ロビの頬に触れる。ひんやりした感触。

 ノクシアの端正な顔に浮かぶ、無邪気な笑み。

 その笑みに、やさしさ以外の感情がちっとも含まれていないことに、ロビはつい複雑な気持ちになって、伏し目がちになってしまうが。


(でも、なんだかんだ、やさしくて気さくな人だよな。全然〝冷血魔姫〟なんて感じじゃ……あばっ?)


 突然、ロビの頬が凍結しはじめる。


「あばばばばっ!?」


「あ、すまん」


 ノクシアがぱっと指先を離す。


「私は、極度の冷え性でな。触ったものが何でも凍ってしまうのだ。おかげで、昔から周りの者に怖がられてなあ」


 やっぱり〝冷血魔姫〟という異名は本当だったらしい。物理的に。 


「さて、私はまた別のダンジョンに行く。須弥山しゅみせんダンジョンというところだ。その山のてっぺんの雲の上に、知り合いの邪神の別荘があるのだ。挨拶しに行くんだが、また道に迷いそうだ。お前、ついてこないか?」


 どくん、とロビの心臓がはねた。

 正直、今の自分と魔姫さまの間には、無限に近いくらいの距離があると思う。

 けど、千里の道も一歩から。一歩ずつでも近づいていければ、いつかは……。

 とりあえず、今回のダンジョンで、魔姫さまが好きなものをいくつか発見した。

 手作りサンドイッチ、お昼寝……あと、子犬と子犬みたいなやつ。

 

 まずは、子犬から騎士へのランクアップを目指すぞ、と。

 ロビががんばって返事する、半分凍り付いた唇で。


「……ふ、ふぁい!」

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