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タイトル未定2024/04/21 18:14

                    はじまり


「親父、そろそろ出かけようよ!」

「わかった。ちょっと待っていてくれ、2階からスマホ取ってくるから」

 今日は、久し振りに息子のヒロシと丹沢の塔ノ岳に登山に行く予定になっていた。最近、歳のせいか出かけるのが億劫になり、登山するなんて7~8年前に高尾山に出掛けて以来だ。50代までは、よく一人で丹沢周辺の山々へ登山に出掛けていたのだが、70歳近くとなった今、めっきり体の衰えを感じ、このままではダメだと思いながらも積極的に動けないでいた。しかし、先週テレビで「東丹沢の手ごろなハイキングコース」の紹介番組があり、よく丹沢へ出かけていたころの思い出が蘇ったのだ。

「久しぶりに塔ノ岳に行ってみるか」

 と思ってはみたが、一人で登山する自信がない。そこで息子のヒロシを誘うことにし、先週の日曜日の夕ご飯の時に、

「ヒロシ、来週の日曜日に塔ノ岳に登山に行かないか?」

 とビールを飲みながらそれとはなしに誘いの言葉を掛けた。

「親父と二人でかよ? いやだな」

 との返事だった。すると、隣にいた妻が助け舟を出してくれたのだ。

「ヒロシ、お父さん、最近ぼーっとばかりしていることが多いから、一緒に行って丹沢のおいしい空気を味あわせてやってくれない。このままだとお父さん、すぐに認知症になっちゃうかもしれないよ。お父さんから誘うなんてめったに無いことなんだから。一人で登山に行ってぼーっとしいて遭難でもしたら、取り返しのつかないことになるわよ。バイトだと思って一緒に行ってよ」

 最後の『バイト』は余計だが、

「お前もたまには良いことを言ってくれるじゃないか」

 と思い、1万円でヒロシの同行を納得させた。

 52~53歳のころまでは、5月の連休を利用して、塔ノ岳へ毎年のように出かけていた。小田急線の渋沢駅から路線バスに乗り登山口の大倉まで行き、そこから歩き始めて雑事場の平、小草平、尾根分岐、天神、金冷シ、そして塔ノ岳頂上、下りは東にルートを変え、木ノ又大日、新大日、大日、行者ノ岳、烏尾山、三ノ塔、二ノ塔、水場、そして自動車道に出てヤビツ峠まで、休憩を入れて8時間ほどの時間を掛けて歩いたものだ。しかし、70歳近い今となってはこのコースを歩き通すことは無理なように思えた。塔ノ岳の頂上から見渡す景色は今でも胸にジーンと来るほど印象深い。頂上の西側には富士山がその雄大な姿を現し、南東方向には厚木や平塚市街が見え、江の島、その奥遠くには伊豆大島まで望める。その景色は日ごろのストレスを吹き飛ばすほどの感動的なものだった。最後のヤビツ峠に着く頃は精魂尽き果てているのだが、それと半比例するかのように心の充実感がつま先から脳天へと広がっていき、何とも言えない満足感に浸ることが出来た。先週、リビングから丹沢の山塊を眺めていた時、

「今度は何時来るんだい?」

 と『丹沢の精』が私に問いかけるのが聞こえたのだ。それがきっかけでヒロシを誘い、妻が助け舟を出してくれたのだが、『丹沢の精』のことは言わないでおいた。


 気が付くといつの間にかバスは終点の大倉に到着したところだった。そこでトイレを済ませ、持ち物のチェックを行った後、午前8時ちょうどに塔ノ岳に向け出発した。薄雲が広がっていたが、5月初めのこの時期にしては暖かく、山歩きにはちょうどいい天候だ。今回はここから標高1,491mの頂上まで4時間ほどかけて登り、ヤビツには抜けないでそのまま来た道を大倉まで引き返すルートにした。休憩を含め往復7時間ほどの歩きだ。帰りは心地よい疲れに浸りながら、明日への鋭気が養えるはずだ。

 登山道に向かう車道をゆっくりと歩き始め、10分ほどで二股に分かれる登山口に出た。ここを左に進むといよいよ塔ノ岳を目指すルートになる。私とヒロシはこれからの厳しい登りに備えるかのように、急ぐことなく一歩一歩確かめるように進んだ。30分ほどして「観音茶屋」、そこからまた30分ほどで「見晴茶屋」に到着した。ここで1回目の休憩を取ることにし、名前の通り見晴らしの良いところに腰を下ろし、持ってきたチョコレートをほおばりながら水で喉を潤した。すると、薄雲がなくなり、相模湾が薄靄の中を漂うように見えてきたのだ。この分なら問題なく頂上を目指せそうだなと思い、先を急ぐことにした。

 しかし、この後が大変だった。次の休憩場所と予定している「駒止小屋」まで続く急登に差し掛かったのだ。そういえば以前ここを歩いた時、膝に力が入らなくなり、一歩も動けなくなったことを思い出した。ヒロシは若いだけあって、荒い息遣いながらも元気に歩を進めている。

「ヒロシ、ちょっと待ってくれ。ここで休憩しようよ」

 私は3mほど前を行くヒロシに蚊の鳴くような声を出して呼び掛けた。ヒロシも後ろの私を振り返り、

「そうだな、こんなにきつかったっけ?」

 と返事が返ってきたが、この急登はヒロシにも堪えているようだ。そういえば、ヒロシがまだ高校生だったころ、二人でこの尾根を途中の「堀山の家」まで登ったことがあった。あいにく天気が悪くてそこから引き返したのだが、ヒロシは確かサンダル履きだったことを思い出した。この急登を二人とも休憩なしに登ったのだから、私も相当に体力があったのだ。それが今はこのありさまだ。この先思いやられるなと思いながら、5分ほどの休憩を終え登り始めた。二人とも大粒の汗を流し、一歩一歩確かめるようにして登り続けた。登山道の周りの木々が直射日光を遮ってくれているのがせめてもの救いた。もうだめだと諦めかけた時、漸く平坦な尾根道に出た。ここでまた一休みだ。山道わきに置かれた長椅子に座り、荒い息を整えた。持ってきた地図を見ると、まだ半分も歩いていないことがわかり、余計に疲れがたまる思いだった。山道には連休を利用して多くの人が同じように歩いていたが、これまでの急登に苦労していたのは私たちだけではなさそうだ。みんな辛そうな顔をしながら通り過ぎて行った。

「親父、これじゃ1万円は安いな。割増料金付くよ」

 ヒロシも大変なのだ。10分ほどここで休憩しまた歩き出したが、「駒止小屋」手前の登り階段はさっきまでの急騰を超えるほどのダメージを二人の体に与えた。ようやくの思いで「駒止小屋」に到着し、少し登ったところにある見晴らしの良いところでまた休むことにした。地図では木々の間にこれから登る尾根の姿が見えるはずなのだが、顔を上げる勇気はなかった。エネルギー補給でゼリーを口にして一息ついたあと、また歩き出した。次の「堀山の家」まではこれまでの急登が嘘のように平坦な道だ。脚に疲れが出ていたが、ゆっくりと周りの景色を確認するようにして歩いた。「堀山の家」の手前、左の木々の間から富士山がその姿を現した。これまでの疲れが吹き飛ぶとは言わないが、心和むその景色に、

「ここに来て良かった」

 と初めて思った。

「堀山の家」では甘酒を買い、手前の広場で腰を下ろし何回目かの休憩に入った。標高は1,000m近くとなり、時々吹き抜ける風は冷たい。周りには同じような登山客がいくつかのグループに分かれてこれまでの疲れを癒していた。ヒロシが静かだなと思って横を向くと、彼はうつむいたまま膝を抱えるようにしていたのだ。

「ヒロシ、どうしたんだい?」

 と声を掛けると、寒気がするという。顔色もよくない。出発を遅らせることにし、ヒロシの様子をうかがうことにした。しかし、回復することはなく、

「俺ここで待っているから、親父一人で頂上まで行ってきてくれないか。バイト代は半額でいいから」

 というではないか。バイト代のことはともかく、ヒロシの体が心配だ。ここで終わりにし戻ろうと提案したのだが、

「おれは大丈夫だから。せっかくここまで来たんだから、あと1時間ほどで頂上だろ。天気も悪くないし、行ってきなよ」

 とヒロシはうつむいたまま、顔を私の方に向けて話した。あと1時間で頂上だというものの、ここからはガレ場やまた歩幅を崩す階段と試練が待ち受けている。

「ここで止めるか、それとも続けるのか、それが問題だ」

 しばらく考え、出した結論は「頂上へ行く」だった。ヒロシには悪いが、ここでゆっくり休んで少しでも回復してもらい、帰り道で合流するということにした。幸い目の前には「堀山の家」があるし、もしもの場合には助けを求めることが出来る。そうと決まると私はヒロシに、

「1時間半ほどで戻って来るから、待っていてくれ!」

 という言葉を残し、出発した。

 長めの休憩となったこともあり、足取りは幾分軽くなった。しかし、待っていたのは歩きにくいガレ場だった。足もとに注意しながら少しずつ歩を進め、歩幅の合わない階段にも苦労しながら何とか、「花立山荘」の広場前にたどり着くことが出来た。ここで休憩を少し取り、山頂までの最後に力を振り絞ろうとしていた時だった。それまで穏やかな天気で風も気にならないほどだったが、頂上付近の雲行きが怪しくなってきたのた。薄雲が灰色に変わり、その奥のほうから黒雲が張り出してきた。しかも、風も急に強く吹きぬけるように周りの木々をゆらし始めた。気温も低くなったようで、すぐにウインドブレーカーを取り出し、帽子をかぶって飛ばされないようにあご紐をきつく結び付けた。すると、今まで周りにいた登山客が誰もいないことに気が付いた。たぶん先を急いだか、「花立山荘」に駆け込んだのだろう。風がますます強くなってきて、もう他人のことなど気に掛けることもできなくなっていた。ここで登山を中止することもできるのだが、あと少しで頂上に着くことが出来る。頂上には「尊仏山荘」があり、そこにたどり着くことしか思い浮かばなかった。休憩もそこそこに、最後の登りに取り掛かった。しかし、その直後、雨が降り出したのだ。それも横殴りの強い雨だ。念のために持ってきていたゴーグルを取り出し、座り込んで顔に取り引けた。雨風はいよいよ強くなり、山道脇にある藪に入り込み、しばらく様子をうかがうことにした。しかし、雨は弱まるどころか増々その勢いを強め始めた。私は、リュックのバックルに備え付けられているホイッスルのことを思い出し、近くに誰かいないかと思いバックルの吹込み口に唇を付けて大きく息を吹き込めて鳴らしてみた。

『ピイー』という高音が発せられたが、すぐに風の勢いにかき消されてしまい、何度か試してはみたものの効果はなかった。あきらめて山道に戻りまた歩き始めた。「金冷シ」まで来ると山頂まで600mという道標が目の前に現れた。

「まだ、600mもあるのか」

 とがっかりしたが、最後の力を振り絞って歩き続けた。周りは雲の中に入った様に数メートル先しか見えない。ルートを見失わないように、足元を確認しながら風で飛ばされないように細心の注意を払いながら進んだ。どのくらい歩いただろう、

「少し平らになったかな」

 と思っていると、目の前にかすかに「尊仏山荘」のシルエットが見えたのだ。私は、

「助かった!」

 と思い、猛烈な雨風に立ち向かいながら、山荘の入口へと向かった。やっとの思いで入口を開けると、山荘の従業員が驚いたように私に駆け寄り、

「こんな悪天候の中、大変でしたね」

 とねぎらいの声を掛けてくれ、

「さあ、ストーブの前に来て温まってください」

 と、私をストーブ前の長椅子まで案内してくれた。私は両肘を膝の上に置き、うつむいたまま、

「ありがとうございます」

 とお礼を言うことしかできなかった。


「親父、遅いよ、何しているんだよ。スマホはリビングのソファに置いてあるじゃないか。何ぼーっとしているんだよ。早く行こうよ」

 ヒロシのその言葉で、私は我に返った。頭を持ち上げ、周りを見回すとそこは私の2階の部屋だったのだ。壁時計は6時45分を指している。リビングのテレビで40分までのニュースを見終わり、スマホを取りに2階に上がったことを思い出した。ということは、これまでの出来事は5分以内に凝縮された出来事だったことになる。

「親父。お母さんが言うように、やっぱ認知症はじまったんじゃないか?」

 ヒロシは、冗談とも本気とも取れるようにそう言い放った。私は、

「このことはお母さんには黙っていてくれ!」

 加えて、

「バイト代2倍出すから、塔ノ岳に登ったことにしてくれないか?」

 とヒロシを説得した。その後、寝ている妻を起こさないように静かに家を出て駅に向かい、鶴巻温泉駅で降りてゆっくりと日帰り温泉に浸かった。昼は豪華なランチを堪能し、土産物屋で妻に秦野産の落花生の詰め合わせを買い、午後4時過ぎにヒロシと口裏を合わせておいた、疲れ切ったような顔をして帰った。


                    完


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