姉様の相手は僕が決めますよ?
「おやすみなさい。お父様、お母様、……リュイ」
敬愛する家族に挨拶をして、自室に戻った。
そっと自室の鏡に映る自分を見た。
淡い青色の髪。
冬の夜空のように澄んだ黒い大きな瞳。
雪のように白い肌。
十五歳の令嬢。
貴族の学び舎のセントリア学園に通っていて。来週から新学期が始まる。
貴族の令嬢としてしっかりとした礼儀作法、しぐさ、言葉遣いを身につけていて。
お母様がとても厳しくしてくださったから、学園でも優秀な子と評価いただいている。
心を落ち着かせないと。
取り乱してはダメよ。令嬢としてそんなこと。はしたないわ。
「いってまいります。お父様。お母様」
「ええ。いってらっしゃい」
「行ってきます」
弟のリュイも同じ学園の生徒で。
無事新学期。一緒に登校している。
「姉様」
「なにかしら」
「なにかあったのですか?」
「……え?」
「なんだかそんな風に思ってしまって」
……。
お父様とよく似た顔立ちの弟にまっすぐ見つめられると、目をそらしたくなってしまった。
「……なにもないわよ」
「ならいいのですが」
……。
とてもよく見ている子。
そう。
リュイはとても姉想いの子。
優しくて穏やかで。
学業も上位にはいると聞いている。
「今日、少し先生とお話があるのですが、待っていていただけますか」
「ええ。もちろん。図書館で待っているわね」
登下校は一緒。
だから周りからも仲睦まじい姉弟として認識されている。
「ありがとうございます」
にっこりと笑うリュイに、熱い視線を向けている女子生徒が視界に何人か入った。
……もしかして。
そこからリュイが私を教室まで送ってくれて。
その間、リュイに向けれている視線にあれと思った。
今まで何も思わなかったけれど、この視線は……。
「では姉様。また放課後」
「ええ。ありがとう」
……。
うん。気のせいではない。
リュイへの視線。
あれは確実に色恋のもの。
「……どうしましょうか」
あの子自身気づいているのかしら。
まあその気持ちわからないことはない。
姉として弟の幸せを願うけれど、彼女ができたら少し寂しい。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
仲良くさせていただいている令嬢。
「フィリア様。リュイ様と相変らず仲睦まじいようで」
「ええ。ランカ様」
「私の兄など、私のエスコートはしてくれませんでしたわ」
ランカ様には五つ上のお兄様がいらっしゃる。
とてもよく似ておられる兄妹で。
「私の兄もそうであればもっと令嬢たちの評価も上がるというのに」
ぷくっとほほを膨らませておられるから。
「ランカ様のお兄様とは何度かお話をさせていただいたことがありますが、とてもお優しくて、お話しやすい方でしたわ」
「それはフィリア様が優しいからだわ。兄は相手によって態度を変えるところがあるのよね。困った方だわ」
兄のことをそんな風に評するとは。
まあ。ランカ様は歯にきぬ着せぬ表現をされる方ではあるけれど。
そういったところが他の令嬢からはあまりいい顔をされないようで。
私は気にしたことがないけれど、ランカ様とのお話は楽しい。
「今日もリュイ様と下校されるのかしら」
「ええ。……少し予定があるようで、待つと伝えていますわ」
「そう。いいわね」
にっこりとほほ笑まれた。
一週間かけて整えたおかげで、いつもの気持ちで学園生活を送れている。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
図書館で宿題をしながら待っていたら、声をかけられた。
顔を上げると、風紀委員の。
「テア様」
「リュイ様を待っているのかな」
この学園では、けして家名では呼ばない。
あくまで学生同士の関わり。
家の上下は、はさまない。対等であるということで、学年性別問わず、みな、様と敬称する。
「ええ。弟と下校いたしますわ」
「そうか」
……なんだろうか。
「気をつけて帰るように」
「はい」
それだけいって離れていかれた。
……なんだったのだろうか。
「姉様。お待たせいたしました」
少し息を切らしてリュイが迎えに来てくれた。
「先ほど、だれかいたようですが……」
「ええ。テア様が」
「風紀委員の?」
「ええ」
驚いた顔をした。
なにかあるのかしら?
「何かお話されましたか?」
「……? いえ。とくには。リュイを待っているのかとだけ。気をつけて帰るようにと」
「……。そうですか」
「リュイ?」
「いえ……。珍しいなと。テア様とはよくお話されるのですか?」
……どうしたのかしら。そんな質問。
「ときどき声をかけていただくわ。決まってリュイを待っているときね」
そうね。以前からその程度の話はしたことはある。
「そうですか……」
?
「リュイ? 何かあるのであれば言ってちょうだい?」
「……いえ。姉様が何もないのであれば大丈夫です」
……確実になにかありそうな声色なのに、いつもの穏やかな笑みを向けてくれた。
「そう……」
リュイの優しさなのか。
はたまた、私には言えないなにかなのか。
結局、帰路もいつもの学園であったことの話だけ。
帰宅しても、いつもの様子で。
弟が気にする何かがあるということのようだけれど……。
私としては、私の事よりも、リュイに向けられていた視線のほうが気になっている。
「そうよね……。リュイ。きっとあの子のことを想う子がいてもおかしくないわよね」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。アラン様」
ランカ様のお兄様。
「新学期になっても妹と仲良くしてくれているようで。妹に言われたよ。君のところは弟君がきれいにエスコートしているとね。俺にもそれを求められたよ」
自嘲されている。
「きっと私が頼りないからですわ。リュイは心配で側にいてくれるのだと思います」
私はあの子ほど何かできるわけではないから。
一人にするのが気になるのかもしれない。
我ながらだめな姉だと思う。
「頼りないというのは違うと思うけれど。しかい、いい弟君だね。女性にたいしてしっかりとしている。……だからだろうね。女子生徒の評判もいい」
……それは聞き捨てならない。
「あの……。リュイは……その……」
言葉を選ぶ。
何と言ったらいいのかしら。
「女子生徒評判というのはどう意味なのですか?」
「そのままだよ。想いを寄せている生徒がいるということだ」
あっけらかんと言われた。
……やっぱりそうなのね。
「姉としては気になるところかな?」
「……そうですね。あの子がこの方がいいという方なら、私は何も言うことはないですわ。リュイの意思を尊重します」
「信用しているんだね。弟君の事を」
「ええ」
「姉様!」
え?
声がしたと思ったら、リュイが走ってはないけれど、かなりの速度で私のもとに来た。
「リュイ。どうしたの?」
「これはこれは……。弟君」
「アラン様。ごきげんよう」
少しだけリュイの声が低い気がする。
「ごきげんよう」
にやにやとされているアラン様。
「教室にいったらおられなかったので。図書館かと思って向かっていたところ、お姿をみつけたので」
「あら。ごめんなさい。今日は先生が早く上がられたの。リュイは授業だと思って、図書館に本だけ返しにいこうかと」
すぐに教室にもどるつもりだった。
たまたまアラン様にお声掛けされたから、お話をさせていただいたけれど。
……リュイの空気がなんだかいつもと違う気がする。
「姉君が大切なんだね。教室まで迎えに行くなんて」
茶化したような口調。
「僕が一緒に帰りましょうと言っているので。迎えに上がるのは当たり前かと」
「突然声がしたから驚いたよ。そんな声が出るとはね」
「……失礼いたしました。姿が見えたので思わず」
「姉の姿に駆け寄ってくるとは」
「いけませんか」
「いや? 悪いことではないな」
……。
なんだろう。
空気が違う。
私と話をするときの二人ではない。
冷たくて、ピリピリしている。
「アラン様。申し訳ありません。リュイが参りましたので、私たちはここで失礼いたします」
すっと間にはいって、礼をした。
「……ああ。気をつけて」
「失礼いたします」
二人で頭をさげて、アラン様は私たちを見送ってくださった。
「姉様。なぜアラン様が?」
「お声掛けくださったの。ランカ様のお兄様でしょう? 以前から何度かお話したことがあって。ランカ様が私たちのことをお話されたらしく。そのことを」
「ランカ様ですか……。姉様が親しくされている令嬢ですね」
「ええ。仲良くしてくださっているの」
「アラン様は他になにかおっしゃっていましたか?」
……。
「姉様」
少し怖い。
と思ってしまった。
そんな声で呼ばれたことがないから。
「……数日まえから気になっていたの」
素直に話そう。
「リュイに向けられている視線というのかしら。そういったもので、なんだか女子生徒からの思いがあるように思えて。……それでもしかしてリュイのことを慕っている子がいるのかしらって。私が思っていて。ランカ様がね。リュイが私を教室まで送ってくれることについてお話されようで。そのことについていい弟だと。それでそういう方がいてもおかしくないわねって私が思っているの」
「……それだけですか?」
「ええ……。アラン様もランカ様も高く評価されていたわ」
正確には違うけれど、言えないわ。
弟の女性人気を他者の言葉できくなんて。
「僕に思いを寄せている女性だなんていませんよ。そういった話はきいていません」
きっぱりと言い切るリュイ。
……多分言えないだけだろうなぁ。
「リュイ」
「はい」
「あなたが側にいてほしい。側にいたいと想いを持つ方なら、きっとお父様もお母様も認めてくださるわ」
「だから。僕にそんな人はいません」
……。
「そう」
それ以上聞かないことにした。
リュイがそういうのならそうなんでしょう。
まったく……。
姉様にどうしてこうも声をかけてくる男が多いのだろうか。
テア様といいアラン様といい。
確かに以前から声をかけてきた人ではある。
少しだけ姉様が変わられた気がしたから、誰かそういった方ができたのかと思ったけれど、そういうことではないようで。
それは安心したのだけれど。
何のために、一緒に登下校していると思っているのか。
姉様は自覚がないようだけれど。
弟だからではない。そんなひいき眼などない。
純粋に姉様は、とてもきれいで、笑うととてもかわいらしくて、空気が澄んでいて。
いつまでも一番近くで見ていたいと思う方だ。
僕の事をとても気にかけてくれて。
僕の周りの男子生徒には近づかないように牽制しているけれど、先輩方は無理だ。
だから姉様を一人にしないようにしているのに。
しっかり見ていないと。
ほんと姉様はどこまでも純粋無垢である。
「リュイ?」
「はい」
「……一緒に帰るのはいつもの事だけれど。なんだか最近迎えに来る時間が早いような気がするの。前までは友人とお話したりしていたのでしょう? 授業が終わり次第こちらに来ているのではなくて? もっと友人との時間をとっていいのよ? 私はいくらでも待つわ」
「姉様……」
そうなの。
前までは、教室でしばらく待つ時間があったのに。
「……ご迷惑ですか?」
「そういうことではないわ。……私のせいで、リュイの交友関係が変わってしまうのは申し訳ないと思って」
「変わるような方とお付き合いなどしていませんよ」
ここでもきっぱりと断言されてしまって。
「そう? ……リュイがいいのならいいのだけれど」
姉としては心配である。
……よほど私は頼りないのかしら。
だめね。ちゃんとしないと。
「姉様。僕が側にいるのは困りますか?」
「違うわ。リュイ。私は、リュイと一緒が嬉しいわ」
「なら問題ないです」
「……。リュイ……」
「何でしょうか」
私に向けられるリュイの声も顔も。
いつだって優しくて、やわらかくて、あたたかい。
「そんなにも私は頼りないのかしら……」
……。
あの日。
リュイが言っていたこと。
私の相手はリュイが決めると。
お父様とお母様が私のもとに来ている縁談についてお話をされていた。
それに対して、リュイが言ったこと。
……リュイがこの家を継ぐ。私は外に嫁ぐ。
だから、いつまでもリュイに甘えられない。
「姉様……。違うんです。頼りないのではなくて」
「私のもとに来ている縁談についてどう思っているの?」
まっすぐに見つめた。
……リュイの瞳が揺れている。
「どうしてそれを……」
「お父様とお母様から聞いたわけではないけれど。……たまたまお話されているのを聞いてしまったの。あなたが。リュイが私の相手を決めると」
フルフルと首を横に振っている。
「姉様。確かに僕は、姉様の相手は僕が決めますよ? と言いました。でもそれは、姉様にふさわしいか見るためです。姉様には幸せになっていただきたいのです。姉様の側にふさわしい方でないと」
「私の事よりもリュイ。あなたよ? 当主として家を継ぐのだから。それこそ。あなたが想いを寄せる方がいるのであればその方を。想いを寄せている女性の気持ちに応える方が優先だわ」
「そんな人いません。僕を思っている人はいません。僕が思っている人もいません。そもそも姉様のような方でないと僕は嫌です。姉様のように、きれいでかわいらしくて、透明な方が。だから僕はいいんです。僕の幸せは姉様が幸せであることです」
「リュイ……。私が頼りないばかりに……。あなたにそんな思いをさせていただなんて」
私がダメな姉だから。
相手さえもリュイが見極めたいと思うほどだなんて。
……情けない。
「違うんです姉様。……どうして伝わらないのですか……」
「リュイ」
「……はい」
涙目になっている。
「少しお互いの時間を設けましょう。私はリュイに甘えすぎていたわ。リュイがいてくれるから何もしない自分ができていたわ。だから……」
「ダメです。……そんなこと絶対にできません。……姉様? 僕が改めますから。だからどうかそのようなこと言わないでください……」
「リュイ……」
私に懇願するリュイ。
……。
…………。
「……わかったわ。リュイ。これだけ伝えるわ」
「はい……」
「あなたのことが嫌だから。なんて思ったことは一度もないの。大好きよ。だからこそ。あなたに頼らない。あなたが安心できる姉でありたいの。だから。……私を想ってくれているのなら」
「わかりました」
「リュイ……」
よかった。伝わったのね。
「姉様の側にふさわしい方を決めます。見つけます」
……。
伝わってなかった。
「リュイ……」
……仕方ないのかしら。
こんなにも想ってくれている。
それは嬉しい事。
こんなにも私の事を考えてくれている。
「姉様……」
うるんでいる瞳……。
ああ。それはずるいわ。
「……わかったわ。ただ。私も意見するわよ」
「もちろんです。姉様が良いと思う方であることが大前提です」
よかった。
……危なかった。
姉様のことが頼りない?
そんなこと考えたこともない。
姉様は完璧なんだ。かけなんて一つもない満月のような人なんだ。
だからそんな姉様にふさわしい人でないと。
姉様の横にいると自分がそうなれたようで。
それが嬉しくて。
さらにそうなれるようにって頑張れた。
姉様の横にいたいという思いでここまで来た。
今の僕があるのは姉様がいるから。
ああ。
まただ。
姉様にまた話しかけているあの男。
いい加減やめてほしい。
お前なんかが姉様と並んでいるだけでダメなんだ。
釣り合ってないんだ。
ああ。
そんな相手に対しても姉様はとても丁寧に対応されている。
とてもきれいな笑顔だ。
「ごきげんよう。……姉様」
ハッピーエンドとは何か。
私はこれもそうだと思いますが、皆さまにとってはどうでしょうか。