1話
その日、我らの国王は英断を下した。
王位の象徴たる御剣を抜き放ち蛮族の住む国への侵攻を宣言した。
蛮族の住む国と国王は長い間、交渉を続けてきた。
しかし、どれだけ時間をかけてもお互いに納得する妥協点は見つからなかった。
国王は苦渋の末、今回の侵攻の宣言となった。
国内の教会もその侵攻に対して好意的で、「神もまたこの行軍を良しとし祝福している」と発言した。
つまりこの国王の決断は、神もまた後押しをする正しい行いなのだ。
軍閥貴族の私もその侵攻軍に参加した。
祖父の代から歴代の国王に忠誠を誓い、国王の剣として祖父も父も奮闘してきた。
私も物心付いた頃から武術を教え込まれ、今回の侵攻が初の実戦となった。
緊張と興奮で心臓が張り裂けそうになりながらも、馬にまたがり行軍した。
各地で発生した戦闘自体は容易なものだった。
圧倒的な兵力差があり、ほとんど障害にはならなかった。
奴らの国の首都、奴らはその手前に最後の防衛線を敷いた。
遠目で見ても今までより明らかに人員が多い。しかし、それらはよく見れば統率が取れているとは言い難い雰囲気を醸し出していた。
その大半が正規の兵士ではなく、かき集められた農民であろうと予想出来る。
それら寄せ集めをもってしてもいまだに数ですら我々が勝っており、更には練度も差が広がる一方だ。
我々の総大将である、皇太子の一声で総力戦が始まった。
ここまでの戦闘ではそれほど良い働きが出来なかった為、私は若干焦っていた。
このままでは父や祖父に合わせる顔がない。何としても武功を上げなければ、家名に傷を付けるわけにはいかない。
私は開戦と共に敵陣に切り込んだ。
予想通り敵の大半は農民だったらしく、私のふるった剣で簡単に倒れていった。
1人また1人と切り伏せながら、馬の歩みを進めた。
必死に突き進み、私と少数の部下は敵陣のかなり奥まで移動してきた。
自軍本陣と少し距離が離れすぎた事を確認した時には、既に包囲されていた。
飛んできた矢が馬にあたり、バランスを崩す。そこに合わせたかのように槍の薙ぎ払いが来て、その衝撃が私を馬上から飛ばした。
ごく一瞬の浮遊感の後、地面に叩きつけられ、その衝撃で気を失った。
親友の彼が志願兵として前線に赴くと言った時、俺は止めた。
敗戦濃厚な戦。そこに兵士でもない農民の自分たちがわざわざ行って、命を捨てる事に何の意味があるのか。
彼はすぐれぬ表情のまま、それでも行く、とだけ反論してきた。
彼の気持ちが全く分からないわけではなかった。
彼の最近は一言でいえば不運だった。もちろん本人にとってはそんな生易しいものではなかっただろう。
彼の幼い息子が病気になった事が最初だった。
村の医者は何とか助けようと必死にあれこれ行ったが、そのどれも効果を表すことは無かった。
日に日に衰弱する我が子を見ていられず、彼は見るからに怪しい旅の医者に頼った。
友人としてはその時に止めるべきだったかもしれないが、彼の必死な形相を見てしまってはそんな事はできそうになかった。
怪しい旅の医者は高額な治療費と共に彼の息子の命を持って行ってしまった。
彼に残されたのは息子を失った絶望と多額の借金だけだった。
彼が今回の志願兵を希望したのも表向きは少しでも金銭を稼ぐためとは言っているが、その本音は多分、息子のもとに行きたがっているのだろう。
これだけ口論をしても彼の意志を変える事は出来なかった。そこで、一つ提案をした。
「じゃあ、俺もついていく」
あまり後先を考えない俺は、白熱する彼との議論にそう言い放った。
妻には随分と泣かれたが、俺は自分の決断が間違っていたとは思わなかった。
そして、戦当日。
俺と彼は横並びで構えて、侵攻してくる大軍に対峙した。
もともと、我々のような農民を兵士として駆り出している時点で、勝敗は決しているようなもの。
敗戦濃厚な雰囲気は、全体の士気を下げて、我々の動きを鈍らせた。
雇われとはいえ、やるべき事はやらなければならない。何よりもやらなければ自分の命が危ない。
迫りくる敵兵に対して槍なり剣なりを各々が振るった。
あっという間に乱戦状態になり、ただ目の前の敵に剣をぶつける事だけに集中していた。
不意に隣からうめき声が聞こえた。その声は親友として何度となく会話を交わした彼のものに間違いなかった。
視界の端にとらえた彼はその場に崩れ落ちていった。
そちらに意識を取られた次の瞬間には、胸に衝撃が走る。敵の剣が、形ばかりの鎧の上から打ち付けられていた。
後方に吹き飛び、意識を失う。
そして、今に至る。
意識を取り戻すと同時に、胸から激痛が伝わってくる。
咳き込みながら、何とか体を起こす。
辺りは既に静かになっていた。
戦闘は終了したのだろう。さっきまで嫌というほど響いた金属同士の衝突音や雄たけびや唸り声が今は何も聞こえない。
周りには自軍も敵軍も多数の兵士が倒れている。
俺はさっきの記憶を頼りに彼の倒れた辺りまで移動する。
そこには記憶の間違いは起こっておらず、彼が倒れていた。
彼の胸に深々と突き刺さった剣は、彼が万が一にも自分のように意識を取り戻す可能性が無い事を如実に表している。
「・・・すまない」
それだけ言葉をかけて、彼の首にかかっているネックレスを外し大切にしまう。
本当は彼を村まで連れて帰りたい所だが、まず不可能だろう。
先ほどまで気絶していたので、戦闘が終わってからどの程度時間が経っているかわからない。もしかした、すぐにでも彼らが来てしまうかもしれない。
俺が襲われる心配は皆無だが、それでも無駄な波風を立てる必要は無い。出来れば彼らに出会わずにこの場所を立ち去りたい。
満身創痍の体を起こして、帰り道を確認しようと辺りを見回す。
その時に何かが動くのを視認した。自分以外にも運の良い人間が居たようだ。
そちらに近づいて行くと、詳細が確認できた。
戦場の大部分を占める茶色や灰色といった土色とは対照的な、鮮やかな青い服。
太陽の光を受けて輝く金細工が施された装飾品。
ある意味、場違いとも思えるほど綺麗な服装の少年が倒れていた。
本音を言えば少年を見つけてしまった事を後悔した。
これからこの戦場に訪れるであろう彼らにとっては、最高の獲物だ。もし俺が彼らと同じ立場なら小躍りでもして歓喜していただろう。
だが今回はその立場に居ない。それどころかこうやって少年の傍に居たのを彼らに見られればどのような言いがかりをつけられるかわからない。
自分の軽率な行動で村同士の対立を起こす訳にはいかない。
ざっと辺りを見回してまだ誰にも見られていない事を確認する。
少年の頬を数回叩き強引に起こす。
「おい、少年。生きてるか」
確かにさっき動いていたのだから生きてはいるはず。目を覚ましてくれないと何事もしにくい。
「・・・あ、はっ、敵か」
少年は目を覚ますと同時に、その辺に落ちていた誰かの剣を握りしめこちらに向けてくる。
「落ち着け。周りを見てみろ、戦闘はとっくに終わってる」
こちらの無抵抗な反応と落ち着いた言葉で、少年は冷静になり辺りを見渡す。
「・・・我らの軍は勝利した、のか」
「そう、だろうな。俺もお前と同様に途中で気絶しちまったから、どうなったかはちゃんとは知らない。だがあの勢いだ、奇跡の形勢逆転は起こっていないだろう」
「・・・良かった。やはり神のご加護を受けた我らの国王の軍隊は無敵だ」
恍惚に浸りながら国王と神への感謝と賛辞を贈る少年の行動に少しため息を吐いた。
「そうかい。そりゃあ良かった。ところでだ、あんた怪我の具合は」
「何を言うか。仮に痛い所があったとしても、名門貴族の嫡男が貴様のような下賤の者に状態を伝える訳がないだろう」
口では偉そうに言ってはいるが、片手で胸を押さえているし、足から出血もある。なかなかにやせ我慢している事が冷や汗からもわかる。
「まあ何とか動けそうか。だったらまずはその上等な服を脱ぐ事を勧めるよ」
「何故にそんな事を」
俺の突然の発言に驚きながらも憤慨する少年を無視して、近場に転がっている亡骸から少年の背格好に近い一人を見つける。
「どこの誰だかわからねぇがすまねぇな、あんたの服をちょっと拝借するぜ」
一瞬だけその人物の為に祈った後、服を脱がす。その服を少年の方に投げるも、少年はまだ脱いですらいなかった。
「説明をしてくれないか。なぜわざわざそんなぼろぼろの布切れのような服に着替えなければならないのか」
どうやら状況を呑み込めていないようで、勝手に進めようとしている俺に対して不信感を抱いているようだ。
ため息を一つ付いて、答えた。
「正直言えば、これをさせて俺に益は一つも無い。俺ではなく君自身がこの後、生き延びるか襲われるかの違いだけだ。
生き延びたいのであれば、着替えをしながら話を聞いてくれれば良い」
こちらの真剣さが伝わったのか、渋々少年は着替え始めた。それを手伝いながら説明を続ける。
「単刀直入に言うと、そんな派手な格好で此処で倒れていたら彼らの恰好の獲物だからだ」
「彼ら」
「俺たちがさっきまで走り回っていた広大な開けた土地。そこには近隣の村の誰かの畑も含まれている可能性がある。
そしてそんな踏み荒らされた畑で今年の実りを願うのは不可能な事だ。下手すりゃ数年はまともに収穫できなくなる。
そしたらその畑の持ち主は野垂れ死ぬ未来しか残されていない」
「しかし、そのような場合勝利した側から保障として金品が贈られるはず」
「国の蔵から俺たちみたいな村の農民に届くまでに、いったいどれだけの人数が関わる事か。
それらの人が少しずつでも掠め取っていけば、最終的に俺たちに届く頃にはどの程度になるかは予想できるだろう」
「・・・」
「だからこの辺の村々では不文律で、戦場になった場所に畑を持っていた村の住民が一番先に収穫する権利が得られると決めている」
「・・・収穫、どういう事だ」
「畑の上になった成果物の回収さ。武器一式やら金品やら、その見事な服やら」
「・・・そんな、それぞれの国の為に命を懸けて戦った人に対してそんな侮辱するような行いが許されて良いはずが無い」
「死んでしまったら武器も金品も必要ないだろう。それにそうしなきゃ更に死者が増える」
「しかし、」
少年は口で反論しつつも、着替えを終える。少年の来ていた服を、服を脱がせてしまった遺体に無理やり着させる。
「因みに言っておくと、君のこの服や装飾品は飛び切りの獲物だ。もしこんな物を着たままいつまでもここをうろついていれば、彼らに襲われるだろう。
戦いで死にきれなかった君を、改めて殺害してでも奪いたいと思わせるほどの獲物だ。
だから、こうしてここに置いていく」
「・・・」
「さて、話題を変えようか。
今の君の服装であれば彼らに襲われる心配はおおよそ無くなった。
後はその足と体力でどこまで移動できるかの問題だ。君の選択肢は3つ、いや2つかな。
1つ目はここまで侵攻して来た道を戻る事。国境まで距離もあるし国境を越えても休める場所までがどの程度遠いのかも知らないけど、あまりお勧めはしない。
単純に移動距離が長すぎるからね。多分途中で体力の限界を迎えるだろう。
2つ目は逆に今現在、首都に侵攻しているであろう君たちの軍に合流する事。こちらの方が現実的かな。
さっきの案よりは距離が短い、ただ合流した後に自分を証明できないと拠点の中には入れてもらえないだろうね。
ああ、後両方に言える懸念材料として彼らにその変装が見破られて襲われる可能性もあるかもしれない。
人の思いつく事は大体同じだからね」
「一緒には来てくれないのか」
少年は一転して少し寂しそうに聞いてきた。
「おいぼれにこれ以上の無茶をさせないでくれ。君ほど派手に怪我はしていないが、それでもさっきから全身が痛いんでね。
俺は君をここで送り出して近くにある自分の村に帰らせてもらう」
少年は少し悩んだ後、良案を思いついたとでも言いたげな明るい顔で提案してきた。
「では、あなたの村までついていくのはどうだろう」
「・・・拒否はしないが、うちの村は本当に何にも無いぞ。君が来てもベッドぐらいは貸せるが、村の医者だって街中の医者に比べれば知識も備品も心もとない。君が十分に療養するには前進にしろ後退にしろ、どちらにしても君たちの軍に戻るのが一番効率的だろう」
「しかし、見ての通り足を負傷して思うように歩けない。そこを襲われれば対処のしようがない」
少年は食い下がる。こちらはどこまでも気乗りはしない態度を変えない。
「そのためのその変装だ。後はばれないことを祈るだけだ」
「しかし、このままあなたと別れたらあなたに恩を返す機会を失ってしまいます」
少年は色々と理由を付けてはいるが、本心は恐怖なのだろう。本人が言っていたようにもし変装がばれて襲われた時、あの足と胸の負傷では逃げる事も反撃する事もままならないだろう。
俺としても中途半端に助けた以上は少年に生き延びて欲しい。
一つため息をした。
「・・・分かった、君の勝ちだ。村まで案内しよう。ただし本当に何も無い村だぞ」
「ありがとうございます」
さっきまでとは真逆に笑顔になった少年は、その勢いで起き上がろうとする。しかし、体の負傷は大きいらしくよろめいてしまう。
それを支えて、肩を貸す。二人で歩き始めた。
「本当に行先は村で良いのか。治療が出来るとは限らないぞ」
「大丈夫です。ここから一人で進軍中の本陣に追いつく事を考えれば、数倍気が楽です」
「・・・そうか」
遅い歩みのまま、村への小道を歩く。
途中で戦場に「収穫」しに行くのであろう村人とすれ違う。
すれ違いざまに村人の血走った目が我々の全身をねめつける。
知らない人だが取り敢えず会釈をする。俺の隣では恐怖からかそれとも本当に痛みの為か、少年が俯いており村人と顔を合わせようとしない。
その村人は我々の姿や状況からおおよそを察知してくれて興味が無くなったらしく、会釈を返してきて通り過ぎた。
村人が通り過ぎた後、その背中を見ながら村人が手にしていた農具が帰りまでに赤く染まらない事を微かに祈った。
ややしてから少年が口を開いた。
「・・・本当だったんですね。あ、いや、信じてなかった訳ではないんですが」
「まああんたら貴族サマに、俺たち底辺の状況を想像しろって言うほうが無茶なのはわかってたさ」
少年に嫌味を言った所で何の解決にもならない事はわかっているが、ついつい口をついてしまった。
「・・・」
少年は俺の軽口を真剣に捉えてしまって、考え込んでしまった。
「冗談だよ、冗談」
「いえ、その気持ちは今後家督を継いで当主となる自分にはきっと理解しなきゃいけない物なんですよね」
何か使命感を持ってそんな事を少年は呟いた。きっと少年も少年なりに色々、問題を抱えているのだろう。
「君みたいに少しでも俺たちの事を思慮に掛けてくれる人が領主なら、その土地は安泰だろうな」
心から思った事を口にした。その一言に少年の表情が幾分か明るくなった。
見た目からおおよそ初陣と思える戦で、見事に死にかけた上に敵軍の農民に命を救われるような体験をした少年は、きっと戦いを嫌い領民にも優しい良い領主になるだろう。そんな未来を予測出来ただけでも十分に少年を救った価値がある。
しばらく互いに黙ったまま、ゆっくり歩く。
ずっと口にしようかどうしようか迷った挙句決心したといった感じで不意に少年が口を開く。
「ずっと考えていたのですが、どうして私を救ってくれたのですか」
「救った理由、か。そうだな。
戦に来ておいてこんな事を言うのは矛盾しているかもしれないが、やはり人に死んでほしくない。
元々今回の戦には親友の付き添いで参戦したんだ。その親友もあの戦場で倒れた」
懐にしまった彼のネックレスを服の上から握る。彼の最後の姿が脳裏に思い出される。
「直後に俺も敵の一撃を食らってしまって気絶。起きてみたらとっくに戦闘は終わっていた。
起きてみれば周りには両軍の数多くの遺体。そんな中で君がまだ生きているのを見つけた。
そのまま君を見殺しにしたら親友に顔向け出来ない気がしてね。本当は親友を生きて連れ帰るつもりだったのに」
「・・・そう、だったんですか」
少年はまた黙ってしまった。
「まあ、こうして君を連れて帰る事が全部悪いわけではない。一度村で応急手当をした後に、君を安全に君たちの軍に連れて行けば幾分かは報酬が貰えるだろう」
少年の驚いて上げた顔には若干の軽蔑の色が見えた。
「そういった目的があったんですか」
俺は笑いながら答えた。
「しかし、君は自らの意思で俺たちの村に来る事を決めたのだろう」
「そうですけど、勝手にあなたの事を過大評価しすぎていました。もっと利他を求める人かと思っていました」
「世の為人の為は美徳だ。とても素晴らしい。しかし、現実は理想だけで生きていけるほど優しくない。
まあどちらにしろ君を軍に連れていくまでの間だけの関係だ。君に嫌われようと俺は気にしないさ」
からからと笑う俺に対して少年は無言だった。
「そう言えば聞き忘れていた。少年、君の名前は」
「ヴァージル。ヴァージル・レミントン」
「なるほど。俺はランドルフだ。短い間だがよろしく。レミントン家のヴァージル君」
「もしかして私の家にまで報酬をねだるつもりですか。どこまでもがめつい」
「冗談だよ」
「・・・」
より一層ふくれっ面になった少年に肩を貸しながら、ゆっくりと歩みを進めた。