1日目 夕方
ドアの外からおずおずと差し入れられた昼食を三口ほど食べた。
それ以外はすることもなく、サラディナーサは虜囚よろしく椅子にただ座っていた。
窓の外を見れば止められ、部屋を歩くのも見張られるのではそうするしかない。
時間つぶしに、ここから自力で逃げる方法なども考えてみたが、やはり現実的な案などひとつも思い浮かばない。
仕方なく、頭の中でヴァンの顔をナイフで滅多刺しにしていると、そのヴァンがひとりの女性を伴って部屋に戻ってきた。
「俺の妹のリーサだ。あんたの世話役に連れてきた」
その娘は、ヴァンと同じ茶色い瞳に栗色の髪をしていた。
年頃はサラディナーサと同じくらいだろうか。
小柄で、目がくりっとした可愛らしい顔立ちをしている。
裏のない明るさと素直さが一目でわかるような娘だ。
サラディナーサは呆れ果てて、ヴァンを見た。
「お前は馬鹿か。自分が誘拐犯という自覚がないのか」
「へ?」
「お前が犯罪者なのはお前の勝手だが、妹を巻き込むな。見なかったことにするから帰してこい」
「いや、だって着替えとか、髪とか、いろいろ手伝いが必要だろ?」
「私の服や髪と、妹とどっちが大事なんだ」
本当に信じられない、とサラディナーサは思った。
確かにこの男はサラディナーサに“なるべく不自由させない”と言っていた。
けれどその意味するところが妹を連れてきて世話させることとは。
とんだ愚か者だ。
「あの、王女様。わたしなら大丈夫、です。自分で行くって言って来たん、です」
リーサがおずおずと言った。
見た目にふさわしい、柔らかい可憐な声。
サラディナーサは目を細めてリーサを見た。
(私は逃げられなくても、この娘は帰してあげなくては…)
もし女王が動き、ここにいる騎士たちが捕えられる事態になれば、この連れて来られただけの娘も一緒に死刑になる。
貴婦人の棟を任される者として、男の横暴の犠牲になる女を、見過ごす訳にはいかない。
「…ちょっとこっちに座りなさい」
部屋の真ん中に置かれた長椅子に歩いていき、自分も座りながらリーサを手招く。
リーサはおずおずとやって来て、ちょんと遠慮がちに腰を下ろした。
「お前は兄のしていることをわかってるのか?」
「え?大体、聞いてる…と思うんだけど」
尋問のように問われ、リーサは面食らったように答えた。
「なんて聞いてる?」
「王女様を宮殿から攫ってきたって。すぐに帰ってもらうわけにいかないんだって、聞いてます…」
一応兄が誘拐犯だということはわかっているようだ。
「それでどうして、自分で行くなんて言った?」
「え?だって王女様が困ってるから、手助けして欲しいって言われて。お世話する人がいないなら私が行かないと、て思って」
「そうか。私が困ってると聞いて来てくれたのだな、リーサ?」
サラディナーサは微笑み、声を優しくした。
リーサがキョンと丸い目でサラディナーサを見る。
「でも世話などいらない。服なんかこのままでもちょっと不快なだけで、死ぬ訳じゃないんだから。ここにいると良くないことになる。リーサはすぐに家に帰りなさい」
サラディナーサはリーサの手をとって言い聞かせた。
リーサは手を見、サラディナーサの目を見、首を傾げた。
よく聞こえない声でボソッと呟く。
「聞いてたのと違う……」
「ん?」
リーサは首を横に振った。
「うんん、なんでも。でも王女様そのままの格好じゃ…やっぱりお世話する人が必要だよ」
リーサはサラディナーサの乱れた格好を見て、放っておけないと思ったらしい。面倒見のいい質なのだろう。
ヴァンも言う。
「王女様。妹のこと気づかってくれるのはありがたいんだけどさ。もう連れて来ちゃったんだし。とりあえず着替えて、包帯変えて、髪を整えてくんないかな?」
下出に出るように言うヴァンをサラディナーサはじろりと睨んだ。
「…そうしたら、妹を家に帰してやるのか?」
「んー。まー…、考えてみよっかなー?」
全く当てにならない答えが返ってきた。
(悔しい。こんなにも私がままならぬ身だとは)
サラディナーサがどうリーサを説得しようと、この男が諾と言わなければ、リーサは解放されない。
そしてこの男を動かす力がサラディナーサにはない。
ここが貴婦人の棟なら、衛兵にリーサを家まで送らせるのに。
「ね、ねえー。わたしにお手伝いさせて、ね?あ、服はここかな?この服わたしが頼まれて用意したんだよー!」
リーサがわざと明るい声で言い、長椅子から降りて戸棚を開けた。
なんて気の優しい娘だろうと、サラディナーサは悲しくなった。
仕切りの向こうのベッドの横で、リーサはまずサラディナーサの服を全て剥ぎ取った。
包帯も取り去り、ペンダントやブレスレットも外し、何ひとつ身にまとわない状態にしてから、濡れた布でその体をごしごし拭いた。
「王女様、スタイルすごい綺麗!…ですね」
サラディナーサはくすりと笑った。
「いいよ、リーサ。無理に丁寧に話さなくて」
「…いいの?」
「お前の兄には最初からあんた呼ばわりされたぞ」
この兄妹は二人とも、敬語というものが苦手らしい。
平民とはそういうものなのだろう。
無理なことをさせようとは思わない。
体を拭き終わり、肌着を着せていくリーサに身を任せながら、サラディナーサは尋ねる。
「誰かの世話をしたことが?」
「弟が二人がいるからー。少しは」
「なるほど」
(私を弟と同じように扱っているわけか)
宮でサラディナーサの世話をするものは皆、なるべく肌に触れないように、慎重に繊細に手を動かした。
リーサのようにガッと足を掴み、下着を履かせる者などいない。
「聞いていい?王女様の住む宮には1000人の召使いがいるってほんとー?」
リーサはサラディナーサの肩に何かドロドロしたものを塗りながら聞いた。
「私の住んでいる処に興味があるのか?」
「そりゃあ…」
サラディナーサはふふっと笑い答えてやった。
「召使いという役職はないが。侍女なら8人いるな」
「あれ?意外と少ない」
「小間使いだと80人余りか」
「あ、侍女と小間使いは違うんだ…」
喋りながらリーサは、肩の痛みのあるところに畳み込んだ布を置いて、ぐるぐると強い力で包帯を巻いていく。ずいぶんと手際がいい。
「下女が200人くらい。女官は50くらい。衛兵が120。あとは講師だの楽士だの特殊役が50人くらいいる。合わせて500人いかないくらいだな」
「…なんでそんなにいっぱい必要なの?」
「なんで必要か?リーサは面白いことを聞くな」
サラディナーサは笑う。
きっとリーサの頭の中には、500人にワラワラと囲まれて世話されるサラディナーサが浮かんでいるのだろう。
貴婦人の棟の実態を知らなければそう思うものかもしれない。
話しながら、リーサはサラディナーサの手首にも簡単に包帯を巻き、ばさっと簡易なワンピース型の服を頭から被せた。
そして慎重にアクセサリーをつけ直して、よし、と呟く。
「髪の毛はどうする?あんまり複雑なのは出来ないけどー」
「そうか。では紐でひとつにくくっておいてくれ」
「それでいいの?…あれ?ここだけ短いね。こういうファッション?」
リーサのあまりに無邪気な言葉にサラディナーサは苦笑した。
そうして支度されたサラディナーサは、黒い髪を簡素にくくり、緑の飾り気ないワンピースに部屋履きという、およそ王女とは思われない格好だった。
リーサが不満そうな顔で見る。
「すんごくつまんない…」
仕切りの向こうで着替え終わるのを待っていたヴァンもやって来て、少し離れたところからまじまじとサラディナーサを見た。
「なーんか。もっとこう…着飾らせたくなるな」
「そうそれ!もっと髪を高ーく結って、キラキラなアクセサリーつけて、たくさん布重ねた豪華な服を着てもらいたい!」
兄妹の意見が合致したところで、サラディナーサはひらひら手をさせた。
「ああ、そういうのは面倒だ。着て楽なのが一番。この服はとてもいいと思う。支度してくれてありがとう、リーサ」
サラディナーサは軽く本心を言っただけだったが、リーサはなんとも言えない顔で首を傾げた。
「あのぅ…、王女様は、」
「ん?」
「レアンドーレ様の妹さん、だよね?」
「…は?」
サラディナーサはぎょっとしてリーサを見た。
「あ、違う?それとも王女様っていっぱいいるのかな?」
「…いや。王女は今この国に私ひとりだし、私にはレアンドーレという名の兄がいるが」
「そうだよね!やっぱりレアンドーレ様の妹さんの王女様だよね!……あんまり似てないな、って思ったもんだから!」
リーサはえへへと何かを誤魔化すように笑った。
サラディナーサは顔を強張らせてリーサから一歩後退った。
レアンドーレ。王太子。サラディナーサを攫い陰謀を巡らす首謀犯。
リーサのことをただヴァンの妹というだけで連れて来られた可哀想な娘と思っていたのに。
まさかリーサ自身が王太子と繋がっていたなんて。
「リーサ。一体兄と、王太子とどういう関係だ?」
サラディナーサは男嫌いの反動か、女性に悪党はいないと思いこんでいるところがありそうです。