盗み聞き
女王ヴァレリアーナはガンと拳を机に叩きつけた。
「何なの?この馬鹿みたいな会話は!?」
「サラディナーサ様もお年頃でございますねえ」
エマーリエがほのぼのと答えた。
執務室の壁に通された穴からは、若い二人の声が響いて聞こえてくる。
「半年の間、あんたと会えないのか?」
「……手紙を送り合うくらいなら可能だろう」
「うえ。俺、字書くの苦手なんだよ」
「そうなのか?では練習しないとな。手紙と一緒に返事用の紙を届けさせるから、頑張って書いてみろ」
「‥‥‥何を書けばいい?」
「なんでも。どんなに拙くてもいいさ。お前の言葉なら」
「とか言って、ここが綴り違う、とか字が汚いとか、めちゃくちゃ直してくるんだろ。なんか見える」
「あははっ、嫌か?王女直々の指導だぞ?」
「指導とかいらない……、……あーあー、わかった。なんとか書いてみるよ。変なとこがあっても笑うなよ?」
「約束は出来ないな、はははっ」
「もう笑ってるし…。それじゃさ、まず王女様が書いて寄こしてくれな。手本だ、手本」
「おや、いいぞ。さっそく今日これから書いて届けさせようか」
「楽しみに待ってるよ。俺の王女様」
「私も、お前の返事を待っている。私の英雄様」
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
ヴァレリアーナとエマーリエはぱっかり開いた穴をそれぞれの表情で見た。
「この部屋、衛兵はいるはずね?」
「もちろん控えておりましょう」
「誰か止めなさいよ!」
「どなたがこの二人の世界を壊せましょう」
「‥‥‥あの男!よくも私の娘を誑かしてっ」
ヴァレリアーナはもう一度机を叩いた。
エマーリエは女王の怒りなど意に介さぬ風に言った。
「あれほど出来た男はなかなか。サラディナーサ様は生まれて初めての外で“アタリ”を引き当てるとは、なんと強運な方でございましょう」
「なにが出来た男よ!あれは誘拐犯よ!
大体、男にアタリなんてないわ!ハズレか大ハズレか特大ハズレよ!」
男運最凶の女王が叫ぶ。
「あの男もすぐに化けの皮が剥がれるでしょうよ。そうなればサラディナーサも私と同じ苦難を味わうの。あの娘が宮殿を出てしまえば私も助けることが出来ない。あの拉致の時のように」
「………」
だったら…、エマーリエは思う。
娘にあんな選択をさせなければ良かったのに。
おそらく、拉致され帰ってきた娘がヴァンのことを好ましい者のように語ったので、どうしようもなく腹立たしくて、何かせずにいられなかったのだろう。
もちろんさっきの話し合い(?)は、この先のことを何も言ってこないサラディナーサに、話を促すためのものだった。
結婚したくないと母に縋ってくるものと思っていた娘が全然来ないから、ヴァレリアーナの方から仕掛けたわけだ。
けれどそれだけなら、ヴァンはいらない。
きっとヴァレリアーナは、ヴァンがどんな男かも見たかったし、いたぶりたかった。
娘を困らせたくもあり、母の怒りも知らしめたかった。
サラディナーサがぽろぽろ泣きながら“殺すなんてできません”と許しを乞い、“そんな甘い事では宮殿では生きていけないのよ”とかなんとか厳しく諭しておしまい。そんな心づもりだったに違いない。
まさかサラディナーサがあれほど強固に母に逆らうとも思ってなかったのだ。
初めて見せられた娘の強い意志と覚悟に、ヴァレリアーナはたじたじになり、思いもよらない形で娘の降嫁が決まってしまった。
「あの娘が、結婚せず生きる道を探すというから、できる限りの教育を施したのに」
エマーリエは頷く。
「サラディナーサ様はほんの小さな頃から、とても真面目な勉強家でいらっしゃいました」
「その真面目がいけないの!私なんか、物心ついた時には貴婦人の棟を抜け出して、あちこち歩き回っては皆を困らせてたのに。あの娘ったら小さい時から言われたことしかしない、いい子ちゃんで」
しょっちゅう抜け出すヴァレリアーナに悩まされた側であるエマーリエは、複雑な面持ちになった。
「ヴァレリアーナ様とサラディナーサ様では元々のご気性が違い過ぎます」
「私に似ろとは言わないけど!あんなにおっとりして臆病で泣き虫では、この先宮殿を生き残れるわけがない。
もうどうすればいいのか、悩んで悩んで、悩んでたら…
そうしたらまさか、あんな!」
「陛下」
エマーリエが口元を綻ばせた。
「最良の結果ではございませんか。サラディナーサ様が陛下に反抗してまであの男を望み、宮殿を出ることを自ら決めたのです。きっと外の世界でお幸せになられましょう」
「…本当にそう思う?」
ヴァレリアーナは額に拳を当て、低い声で言った。
「今のうちに二人一緒に死の世界に送ってあげる方があの娘の幸せだと思わない?」
エマーリエはため息をつきたいのを堪えた。
「ヴァレリアーナ様のお心のなんと複雑なこと」
国王妃ヴァレリアーナが、期待されてなかった王女を産む時の苦しみをエマーリエは見ていた。
ヴァレリアーナが乳母も使わず自ら乳をやり、寝かしつけをするのを、エマーリエもつきっきりで手伝った。
気が触れたとしか思えない当時の国王が、何度も娘を殺そうとあれこれ手を打ってくるので、他の誰にも任せられなかったのだ。
産後の体をむち打ち、首の座らぬ我が子を胸に抱いたまま、ヴァレリアーナは自分の持てる全てのものを使い、自分の支持者を集め、謀略を張り巡らせた。
貴婦人の棟から、前王の妃たちを追い出し、男を排除し、女性衛兵の教育にまで手を加えた。
貴婦人の棟を安全な城にすべく奔走したのだ。
ヴァレリアーナが一応の夫を廃し、自分が女王になろうと決めたのもこの時期だった。
それらの戦いをエマーリエは全て見て聞いていた。
気狂いの愚かな王が自室から出てこなくなり、ひとまず息がつけるようになった頃。
母に肌身離さず育てられた赤子は、おっとりとして気が優しく、臆病な娘に育っていた。
可哀想な話を聞いて泣き、怖い絵を見て泣き、泣きながら母のベッドにもぐり込んだと思えば、母が眠れるようにといとけない声で歌を歌う。
ヴァレリアーナはそんな娘を
「かわいいでは生きていけないわ!強くならないと!」
とよく叱った。
ヴァレリアーナの気持ちはエマーリエにもよく理解できた。
王家に生まれた女性は、権力者たちにとって便利な道具だ。
意志のない人形のようにあれこれ使われ、誰かの都合のよいところに売られるように嫁がされる。
降嫁し、婚家に栄誉をもたらし、高貴な血をひく子を産んだあとは、用済みとして打ち捨てられるという話もよく聞く。
姉姫が婚家で自害したと聞かされた日、ヴァレリアーナは娘を抱き上げて微笑み、
「今のうち。可愛く笑っていられる今のうちに殺してあげるべきかしら」
と囁いた。
本当に苦しい想いをする前に、死んだ方が幸せ。
それはヴァレリアーナの経験から来る考えでもある。
あれほど必死に守った命を、早くに摘み取ってしまおうかと悩むヴァレリアーナの矛盾は、けれどエマーリエにはわかる気がした。
やがて女王の地位についたヴァレリアーナは、自分の権力の基盤を固めながら、なんとか娘を強く育てようと躍起になった。
サラディナーサも母の気持ちを受け止め、健気に応えた。
年々女の子であることを捨てていくようなサラディナーサの姿に、その方向で合ってるのか?とエマーリエは疑問にも思ったが、母娘なりの奮闘の結果なので何も言わず見守っていた。
けれど、ヴァレリアーナの不安は膨らむ一方のようだった。
ヴァレリアーナ自身でさえ、どう強くなれば、王女である娘が望むような人生が生きられることになるのかわかっていなかった。
王太子が国王になったら。
自分が亡くなったら。
サラディナーサはどうなってしまうのか。
ヴァレリアーナはたびたびエマーリエにこぼした。
息子に王位を受け渡した初代女王になぞらえて、早くに王位を王太子に譲るよう促してくる臣下。
退けても退けても、娘への脅迫まがいの婚約申し込みが降ってくる。
ヴァレリアーナがもう娘を守るのも限界を感じ始めた、そのタイミングで拉致事件は起きたのだった。
あの夜、背後から襲われたエマーリエは、気づけば縛られ内庭に転がされていた。
王女の戻りが遅いことに気づいてやってきた衛兵に助けられ、事情を聞かれたが、わかる事は何者かに襲われたこと、一緒にいた王女がいない、ということだけだった。
襲ってきた者が何人だったか、男であるか女であるかさえ、エマーリエにはわからなかった。
駆けつけた衛兵頭リディアは、静かな声でその場の者らに言った。
「王女様のお姿が一時的に見えないことは、広めてはなりません。他に気取られず王女様のおいでになるところをお探しせねばなりません」
リディアの言うことは正しかった。
攫われて行方知らずなどと下手に漏れたら、王女は貴婦人の棟に戻れなくなる。
そしてもうひとつ、女性衛兵の中に裏切りがあったことは状況的に間違いなかった。
限られた人数での内密行動。このためにサラディナーサの救出は出遅れてしまったのだった。
話を聞いたヴァレリアーナの顔からは、サーと表情が抜け落ちた。
しばらく黙ったあと、ふうと息をつく。
「全くあの娘ったらダメね、こんな簡単に攫われてしまうなんて」
この時ヴァレリアーナが何を思ってそんな軽口を叩いたのか、エマーリエであってもわからない。
拉致から2日目、奥宮殿で女王と王太子と内密の面談が行われる直前だった。
サラディナーサの居場所を突き止めたという報告があったのは。
そしてどうやら無事生きているらしいと。
すぐにも駆けつけようとするフランを、何故かヴァレリアーナは止めた。
そして王太子と二人のみで談話室に入っていった。
二人の面談はそれほど長い時間はかからなかった。
自室に戻ったヴァレリアーナは
「あの娘のことはもう諦めるわ」
と言い、手にした黒いものをテーブルに投げ出した。
その紐で括られたものの意味がわからないものは宮殿にはいない。
「つまり、王太子様は…」
王太子レアンドーレがサラディナーサに何をし、何を要求してきたのか。一目でわかる証拠だった。
「王太子は意外と有能だったわね。すっかりやられたわ。
王女が攫われたことを世間に公表する手筈が整ってるし、大官たちを味方につけてきた。
下手したら、私の地位にもヒビが入るかもしれない。
ちょっと打つ手が見つからなくてね。
だったらサラディナーサはそっちにやるわ、て言ったのよ」
「陛下!」
エマーリエは思わず叫んだ。
「名誉を汚した男と結婚するか、逃げて宮殿の外で野垂れ死ぬか。どちらも碌でもないわね。あの娘ならその前に自害を選ぶでしょう」
ヴァレリアーナは気のない様子で言う。
エマーリエは首を振った。
「いいえ、陛下!今すぐにサラディナーサ様をお救い致しましょう。サラディナーサ様さえお手元に居られれば、取れる手はいくらでもあるはずです!」
例え今、一時的に機先を制されたとしても、ヴァレリアーナの女王としての地位と知略、経験は王太子の太刀打ち出来ないものだ。
けれどヴァレリアーナは疲れ果てたように、はあと息をついた。
「王太子がどうこうじゃないの。あの娘が宮殿に戻ってもね、またすぐに同じようなことが起きるわよ。そしてね、また私は守れないの。今回のことでよくわかったでしょう」
エマーリエは言葉を失った。
ヴァレリアーナは娘を守れなかった自分に絶望しているのだ。
16年間守り続けたものを奪われ、たぶん何かが切れてしまった。
でもだからと言って。
今も攫われた先でひどい目にあわされているかもしれないサラディナーサを助けず、自ら死を選ぶのを待つ?
まだサラディナーサは生きているのに!
エマーリエは焦りと怒りと悔しさと、あらゆる感情が爆発しそうになりぷるぷると震えた。
「サラディナーサに決めさせて下さい!」
声を上げたのはそれまで黙って話を聞いていたフランだった。
ヴァレリアーナにエマーリエがいるように、サラディナーサにはフランがいる。
ヴァレリアーナが幼い娘に選んだ、武の家系の娘。
「陛下はサラディナーサが自害を選ぶだろうって決めつけて、陛下に守られないとサラディナーサは駄目だ、て決めつけてます。
けど、陛下はいつもサラディナーサの意志が大事って言うのに!サラディナーサがいないところで勝手に決めないで下さい」
女王に対してかなり無礼な言い方だったけど、フランを娘の次に可愛がっているヴァレリアーナは、困って眉を落としただけだった。
「あの娘の意志ねえ…」
「攫われて辛い目にあってるだろうサラディナーサに、きっとこれからも同じ目に合うし、なんなら降嫁認めちゃったし、陛下はもう守る気ないよ、て伝えてみればいいんです。
それで自害しても、それでも生きて戦うんでも、サラディナーサが決めることじゃないですか」
「………」
「サラディナーサがまだ生きてるんなら、それはサラディナーサが戦ってるってことです。その意志を聞いてやって下さい」
フランの主張に、ヴァレリアーナは頬に手を当て、気弱な声で言う。
「……サラディナーサは貴女みたいに強い娘じゃないわ」
「けどそのかわり頭が回って、努力家で、人を動かす方法を知ってます。それに根性もあります。陛下が育てたように」
「……そう?」
「だったら試してみてください。もし死を選ぶなら陛下の予定どおりでしょう?でも違う選択をするなら、私が連れ帰ります」
そうしてフランはその翌日の早朝、決断の剣を託されて他数名の女性衛兵たちと宮殿を出た。
更にその翌日の夕方、見事にサラディナーサを連れ帰った。
サラディナーサは傷ひとつなく、頬は紅色だった。
抱きしめる母王の胸でサラディナーサは
「私はこの上なく大事に扱われていました」
と報告した。
その後聞いた話で、サラディナーサが自害するのを、ヴァンという騎士が危うく止め、一晩かけて説得したのだと知り、エマーリエはそれはそれは感謝したものだった。
そしてそれを語るサラディナーサの少女らしい表情に、近い未来に訪れる祝事を予感した。
もし本当に今日、ヴァンが殺されるようなことがあれば、身を張ってでも止めるつもりだった。
(ああ、出番がなくて、本当に良かったこと)
エマーリエはヴァレリアーナと共にサラディナーサを育ててきた。
きっと愛情は同じくらいと自負している。
けれどエマーリエはヴァレリアーナとは考えが違う。
サラディナーサには生きて幸せになって欲しいのだ。
そしてずっと思ってた。
サラディナーサは争いを好まず、気が細やかで愛情深い娘だ。
優しく頼もしい男性の元に嫁ぎ、愛しまれて暮らすことがこの娘の幸せではないかと。
ヴァンは今日見た感じでは、エマーリエの思い描いていた理想に近い。
「きっとサラディナーサ様はお幸せになれましょう。わたくしは感無量でございます」
ハンカチを出して目元を押さえた。
控えの部屋と繋がる穴からはもう何も聞こえて来なくなった。
四ヶ月ぶりに会い、これから最低でも半年間会えない恋人たちの逢瀬としてはあまりに短かったのではないかと、エマーリエは思った。
「サラディナーサ様は自ら道を選ばれました。どんなに歯がゆくとも、巣立とうという雛を見守るのが親の役目でございましょう」
「私の雛が…男なんかに」
きっと本当は言われずともわかってるだろう。
いつだって、娘の意志をなによりも大事にしてきたヴァレリアーナだった。
エマーリエは今こそ諫言が必要だと感じた。
「サラディナーサ様はヴァレリアーナ様が立派に育てられました。これからはもう一匹の雛に目を向ける時ではございませんか?」
「なに?まさか王太子のこと?」
「王太子様もれっきとしたヴァレリアーナ様のお子様でございます」
ヴァレリアーナは、はっと笑った。
「今更?あれとは血が繋がってるだけで親子ではないわ。王太子もそんなことは望んでないでしょうよ」
「ですが‥‥‥」
「あれは我が子ではなく、ただ我が跡を継ぐ者でしかない。だから私はあれを叩いて叩いて鍛えているの」
そう言ったヴァレリアーナは、あ、と何かに気がついたように手を叩いた。
「そうね。もうひとり“娘”を作ってもいいかもしれない」
「……と申されますと?」
嫌な予感がして、エマーリエは恐る恐る尋ねる。
ヴァレリアーナは目を細め、真っ赤に染めた唇をにんまりとさせた。
「うまく使えれば、王太子があのようなおいたを二度としなくなるかもしれないわ。まあ、執着の度合い次第でしょうけど」
「……陛下、もしや」
「まずその娘を直接見てみたいわ。ちょっと誰かに攫わせてきましょう、そのリーサって娘」
エマーリエは今度こそため息をついた。
「どうしてもと仰るのでしたら、せめてお連れして下さいませ。ですがわたくしはおすすめ致しません。男女のことにくちばしを突っ込むと碌な事にならないと、古来より申しますよ」
暴露話、のはずがちょっと違う感じになりました。
理解しがたいお母様の行動について、説明できているといいんですが。
サラディナーサが攫われた時の騒ぎや、どうやって居場所をみつけたのか、など思いつくことをつらつら書いていったら、なんと2万字近くなってしまい、切って切って切りまくりました…
次回完結。たぶん短いです。