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女王

朝起きたら、空気がひんやりしていた。

ガラス窓から入ってくる日差しも弱い。

もう北の大陸から乾風がやってくる季節なのか、としみじみ思う。


「サラディナーサ様、お手を失礼致します」

侍女頭のエマーリエが寝巻きを脱がせ、肌着、ブラウスに、パンツ、上衣と着付けていく。

この服は、女性衛兵の基本の制服に裾と刺繍を加えたもので、サラディナーサの日常着だ。


エマーリエがあら、と上衣を見る。

「少しばかり、お召し物がお体に合わないように存じます」

言われて、サラディナーサは腕を上げてみた。

確かに少し布が引っ張られるように感じる。

「おや、太ったかな?」

「いいえ、サラディナーサ様。ただお胸が少々…」

「胸か!もう成長は止まったと思ったのになあ」

サラディナーサは眉を寄せて自分の胸を見下ろした。

「後ほどサイズをお測りして、至急新しいものを作らせましょう」

少し考え首を振る。

「…いや。今はいい」

「よろしいのですか?」

「私もいつまで宮殿にいられるかわからないからな。作らせて使わなければ勿体無いだろう」

エマーリエはサラディナーサの腰に帯を巻く手を一瞬止めたが、すぐに作業に戻った。

「左様でございますか」

「うん。まあ、もっと窮屈になったら考える」


王太子と女王が結んだ降嫁の約束は消えていない、たぶん。

たぶんというのは、サラディナーサは何も聞かされていないからだ。

宮殿に戻って4ヶ月。母は一度も結婚について口にしていない。

王太子があれほど大掛かりに仕掛け、一度女王が認めた婚姻話だ。

知らず立ち消えるはずもないと思うが、いつ、どのようにして、何をするのか、さっぱり聞こえてこない。



あの日。

行商人を装う荷馬車に乗って、こっそりと宮殿に戻った。

王の住まいである“奥の宮”の白い床に立っている母王を見て、サラディナーサの足は竦んだ。


迎えを寄越されたとはいえ、それで喜々として宮殿に戻ってきた自分が恥ずかしかった。

決断の剣を届けさせた母の真意は、7割くらいはサラディナーサに自らの死を促すものだったと思う。

そうでなければ、誘拐犯どもに短剣で突っ込んでいくほどの気概を見せるか。

ところがサラディナーサは戦いもせず、死にもせず、宮殿に戻ってきてしまった。

さぞ母は呆れたろう。

今度こそお前など私の子ではない、と見限られるのではないか。

そんな覚悟もしていた。


なのに、サラディナーサを見た母は、黙って抱きしめてくれた。

その腕の強さと暖かさに胸がいっぱいになって、今すぐ死んでもいいと思ったくらいだ。

そして母の横に、一緒に攫われたはずのエマーリエが立っているのを見て、情けなくも涙が溢れた。


母の居室で二人きりになり、サラディナーサは4日間にあったことのほとんどを隠さず話した。

内庭で襲われ馬車で運ばれたこと。

ヴァンという男が何を言い、何をしたか。

リーサという娘が心慰めてくれたこと。

最後の日には王太子がやってきたが、誰も言う事を聞かなかった、ということまで。


母は怒りも呆れも見せず、黙って話を聞いた。

それから、4日間は“奥の宮”にいた事になっているから話を合わせなさい、とそれだけを言った。

そして貴婦人の棟に戻れば、攫われる前と同じような生活が待っていた。

それから四ヶ月。

サラディナーサは先行き不明な身を持て余しながら時を過ごしている。



(ずっとこのままって訳はないよな……。けれど、もう少しは時間があるんだろうか)

王族の婚姻にはそれなりに準備が必要なはずだが、サラディナーサの知らないところで進んでいるのだろうか。


「………」

サラディナーサは窓を見た。

その向こうに見える塀と、窓枠の四分の一ほどのどんよりした空を。

「エマーリエ。私は外に出かけることが許されてるんだろうか?」

髪を編んでいたエマーリエの手が止まった。

「無理ならいいんだが」

「……サラディナーサ様が、宮殿の外に、お出ましに?」

呆然とした声でオウム返しされた。

外に出たいなんて言うのは、生まれてはじめてだから、驚かれたようだ。


「外に出てどうするんだ?もしかしてまた攫われたい?」

「フラン、冗談でもやめろ」

会話を聞いて、護衛に立っていた赤毛の衛兵が歩み寄ってきた。

「外が危険だなんて、知ってるだろう?」

「お前が側にいても?それなら諦めるよ。攫われるのも閉じ込められるのも、二度とごめんだからな」

サラディナーサはあっさり返した。

エマーリエの手が動き出し、髪結いが再開した。


「どこに行きたいんだ?」

「女性ギルドの所長が、是非一度おいで下さいって。他にも私が経営に関わっている工場とかをいくつか見てみたい」

「そんなこと今まで一度も言わなかったのに」

「それはまあ、この間のこと(・・・・・・)があって。話を聞くだけと直接見て聞くのでは違うのだなあ、と思ったんだ」

「……へえ」

「それに、今のうちじゃないと。

私がまだ貴婦人の棟の王女であるうちじゃないと、出来ないことがたくさんある。そうだろう?」

サラディナーサは静かな口調で言った。

フランは複雑そうな顔をしながらも頷いた。

「……そういうことなら、外出は無理ではないと思うよ。準備は必要だけど」

「そうか。手間をかけるな」

エマーリエの手によって黒髪が綺麗にまとまると、サラディナーサは化粧台前から立ち上がり、フランを振り返った。


「……そ、それとな、フラン。私は他にも行きたいところがある」

言いながら、サラディナーサの耳が赤くなった。

本当はこんなことを言うべきではない。

私欲に塗れた要望を述べるのは、はしたないことだ。

けれどどうしても行ってみたいところがある。


もじもじするサラディナーサの滅多にない様子に、フランが警戒を見せた。

「……どこに?どこでも行けるって訳じゃないと思うけど、一応言ってみて」

サラディナーサは俯いて言った。

「あのな。首都にな…」

「首都?」

「美味しい料理屋があるらしいんだ…」

「……っ」

フランと、エマーリエまでが息を飲んだ。

サラディナーサは恥ずかしくて手で赤くなった耳を隠す。

美味しい食事を食べたい、なんてあんまりに自分本位で、獣のような欲望だった。

「や、やっぱりいい…」


フランがサラディナーサの肩にガッと手を置いた。

「サラディナーサ!」

「フラン?」

サラディナーサが顔を上げると、フランの顔には深い憐れみが浮かんでいた。

「とうとう気づいたんだな、貴婦人の棟の食事の不味さに……」

まるでとんでもない味音痴のように言われ、サラディナーサは顔を顰めた。


「……気づいてなかった訳じゃない。ただ、どんなひどい味でも涙と共に飲み下さないといけないのが食事だと思ってたんだ。

けどあの邸から戻ってから、時々耐え難いような気持ちに襲われて…」

貴婦人の棟の料理をしている下女たちに文句を言いたい訳じゃない。

ただ、あの美味しいという経験をもう一度してみたいだけ。


フランはぐっと目を閉じ、何かを堪えるような顔で言った。

「貴婦人の棟しか知らないお前にいつかは!美味しい食事ってものを教えてやりたいと、幼い頃からずっとずっと願ってたんだ!

料理屋とやら、是非行こう!私が全て手配する!絶対行こう!」

「……そ、そうか」

予想外過ぎる展開に、サラディナーサの顔が引きつった。

横を見れば、エマーリエは感動に目を潤ませ両手を組んでいた。

(そ、そんなに…?)



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



その日、サラディナーサは母王の暮らす奥宮殿“奥の宮”に呼ばれた。

突然の呼び出しで、呼ばれた理由もわからない。

サラディナーサはとりあえず普段の服のままで、侍女のエマーリエ、護衛としてリディアとフランを連れて、奥の宮に続く回廊を抜けた。


広々とした白大理石の床、深い紺と金で装飾された壁と、それを照らす巨大なシャンデリア。

奥宮殿は非常に男性的な宮だ。歴代の王のほとんどが男性だったのだから当然だが。

しかし通路を行き交うのは、女性衛兵に、侍女に女官と貴婦人の棟に負けず劣らず女性ばかり。

奥宮殿を警護する男性騎士は、宮の外回りに回され、中は女性衛兵が守っている。

女王が自分の居住空間で、どれほど男を側に近づけたくないのか、見せつけるようだ。



女王の執務室前に着いて、サラディナーサはおや、と思った。

なんだか空気がピリピリしている。

「何かあったか?」

尋ねるも、部屋を守る衛兵は恭しく頭を下げただけで答えなかった。

「陛下がお待ちでございます」

開かれたドアの前でそれ以上聞けず、サラディナーサは顔を伏せ部屋に一歩入り、挨拶を述べた。

「お召しと聞き参りました。お母様、御用でしょうか…」

顔を上げ、息を飲んだ。


奥の執務机に座る女王。

その机の前に10名以上の女性衛兵たちが立っていて、彼女たちはひどく険しい表情だった。

衛兵のひとりは剣を抜いていて、その剣の先にはうずくまる何者かがいた。

男だ。後ろ手に縛られ、跪かされている。


「侵入者!?」

サラディナーサは焦って母を見た。

母王はホホホと楽しげに笑う。

「違うわよ、サラディナーサ。それは侵入者ではなく、誘拐犯」

「誘拐犯…」

サラディナーサの顔が強張った。


「招待状を送ってはみたけど、逃げもせず本当に来るとは思わなかったわ。のうのうと。自分のしたことの自覚がないのかしらねえ」

(まさか)

サラディナーサは衛兵たちをかき分けるようにして男の横に行った。

そしてしゃがんでそのうつむいた顔を覗き込み、息が止まりそうになった。

「ヴァン…」

哀れなヴァンは口に布を噛まされ、喋ることもできないまま、茶色の目にサラディナーサを映した。

サラディナーサは反射的にヴァンを解放してあげようと手を伸ばしかけ、ハッと気づいて止めた。

母の前で勝手は出来ない。


「……陛下のお召しに応じない者などいるでしょうか?それでこのような扱いを受けては可哀想です」

女王はサラディナーサを驚いたように見た。


「可哀想?まあ、サラディナーサ。貴女はこの男に仕返しをしたいとは思わないの?貴女もこのようにされたのでしょう。同じことをしてあげたつもりだったのだけど」

なるほど、とサラディナーサは思った。

このヴァンの惨めな姿は、あの日の自分の姿の再現なのか。


サラディナーサはゆっくり立ち上がり、余裕の口ぶりを作って答えた。

「…そのようなこと、私はとうに忘れておりました。仕返しと申されましても困ります、お母様」

「あら、そうなの」

母はどうでもいい、というように手を振った。

「やられたらやり返す、が鉄則と思うけどねえ。貴女が望まないのなら、構わないわ。別にその為に呼んだ訳じゃないの」

「……はい」

だったらヴァンの縄は解いてあげて欲しいと思うが、ひとまず母の要件を聞かねばいけない。


「今日は何故なにゆえのお召しでしたか?」

母はふうと息を吐いた。

「そろそろ決めてほしいのよ。貴女は降嫁するの?しないの?」

え?とサラディナーサは目を丸くした。

「それは…、私が決めて良いのですか?」

「何を言ってるの。私はいつだって貴女のことは貴女が決めるように言っているでしょう?」

母の言葉にサラディナーサの心臓が早鐘を打つ。

もう結婚は回避出来ないものと思い込んでいた。

けれどまだ、決まっていなかったらしい。

まだ、サラディナーサの意見を聞いてもらえる。なら…


サラディナーサは口を開こうとして、ふと、縛られたヴァンを見る。

彼はうつむいたまま、身動きひとつしない。

サラディナーサが結婚しないと言えば、或いは結婚すると言えば、彼はどうなるのだろう。

母がヴァンをどうする気なのか、サラディナーサには読めない。

読めないからこそ、正直に自分の気持ちを答えるしかない。


サラディナーサは背筋を伸ばし、顎を引いて母を見て、きっぱりと答えた。

「選んで良いと仰るなら、私は結婚致しません」

「どうして?貴女はまだ外が怖いの?」

「いいえ。前はそうでしたけれど…」

サラディナーサは首を振った。

「私はまだ、お母様のお側で、貴婦人の棟で、出来ることがたくさんあると思っているのです」


皮肉にも、攫われて外の世界を知ったからこそ気付いた。

決して他の者は代われない、特別な自分の立場を。

貴婦人の棟にいる王女だからこそ、できることがある。

母に多くの教えを受け、女性のあり方を考えて生きてきた自分だから。

たくさんの憐れな女たちの為に。

そして未来の王家女性たちの為に。

今のサラディナーサだから出来ることがあることに、気づいたのだ。


「もし許されるのでしたら、私はまだ宮殿にいたい。ここで私だけが出来ることをしたいのです」

サラディナーサはこの四ヶ月で漠然と考えていたことを、自分なりにまとめながら丁寧に伝えた。

「もう外や男が怖い訳ではありません。この男の元に行くのが嫌なわけでもないのです」

付け加えたのは、ヴァンを少しでも庇う意図からだ。


全て聞くと、母は頷いた。

「貴女のこんなに強い意志表明を初めて聞いたわ。成長したこと。母は嬉しいわ」

母の満足げな言葉に、サラディナーサは天にも登る気持ちになった。

“強い”と“成長”、は母の最高の褒め言葉だ。

サラディナーサの想いは母に認められたのだ。


喜びに頬を赤らめた娘の頬を見て、微笑んだ母は言った。

「貴女がそういう考えなのなら、これからもずっと貴婦人の棟にいればいいわ。簡単よ。その男を殺せば、婚姻の話は無くなるから」


今回、びっくりするほど文章がまとまりませんでした。

ひとまずアップ。後でうまく手直ししたいです。


【蛇足の裏設定】

貴婦人の棟の王女と、小間使いや下女たちの食事は別です。

貴人の食事は厨房に伝わるレシピで作りますが、口頭で伝えるのでかなり適当。しかも下女たちは高価なスパイスの使い方を知らない。

なので時々転げ回りたくなるひどい料理ができるし、基本あまり美味しくありません。

サラディナーサがその気になれば、改善の余地はあるはずですが。

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