監禁の終わり
サラディナーサは手で口を押さえて、必死に笑いを噛み殺した。
(この二人、恋人関係なのか?)
あのレアンドーレが。
厳つい体を強張らせ、なんとかリーサに弁明しようとしている。
リーサに嫌われたくなくて必死になっている。
「サラディナーサ!」
リーサを説得できないと悟ったレアンドーレがサラディナーサに怒りの矛先を向けた。
「貴様、何をした!?何を言って二人を誑かしたんだ!」
サラディナーサはこらえきれず、とうとう吹き出した。
「プハッ、ハハハッ。残念ながら兄君の大事な二人は兄君よりも私を選ぶようですね!ハハハッ」
全く全くいい気味だった。
サラディナーサを宮殿から拉致し、自分の権力の為の道具のように扱おうとしたレアンドーレは、今、最も大事に思う二人に捨てられそうになっているのだ。
笑わずにはいられない。
レアンドーレの顔が怒りのあまり赤を通り越し、赤黒くなった。
「この女、殺してやる!おい、誰か王女を引き立てろ!」
「誰も動くなよ?」
ヴァンが鋭く言った。
「俺を敵に回したくないなら」
騎士たちは二人の上司の相反する命令の間で動けなかった。
団長レアンドーレと副団長ヴァン。騎士としてどちらの命令を優先すべきかは明らかだ。
けれどここまでの一連の流れを見ていて、レアンドーレの方に従いたいと思う騎士は皆無だ。
仮にレアンドーレを選んだとして、ヴァンを敵にして生き残れるはずもない。
更に…。
騎士たちはちらっちらっとサラディナーサの方を見る。
王女の前には可憐なリーサが立ちふさがって、騎士たちを睨みつけている。
騎士たちのアイドル、リーサを誰が押さえつけるのだろう。誰だってごめんだった。
今は国の危機でも、王太子の命が危険な場面でもない。
騎士たちは、迷いを捨てて命令に従う必然的を見いだせなかった。
誰も動かない中で、ヴァンはサラディナーサとリーサに歩み寄った。
「二人ともそろそろ部屋に戻ったら?こんな男ばかりのむさ苦しい場所は嫌だろう」
サラディナーサは笑った。
「そうだな。私がここにいては兄君はまともな人の言葉を忘れてしまわれるらしい。獣の言葉に従わなければいけない騎士たちが哀れだ」
ガン、ダン、ゴンと何かが壊れ、落ちる音がしたが、サラディナーサもヴァンもそちらを見なかった。
リーサだけがそっちを見て、
「物に当たるなんて。野蛮ー」
と貶した。
「俺はもうちょっと団長と話す事がある。王女様の意志を無視することはしない。部屋で待っててくれるか」
「あれほど格好いいところを見せてもらったからな。信じてもいい」
ヴァンが目配せをすると、さっきサラディナーサの近くで説明してくれた騎士が進み出て、「こちらへ」と部屋の出口へ導いた。
サラディナーサとリーサは並み居る騎士と王太子の視線を弾くように胸を張って、部屋を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リーサとサラディナーサは部屋に入り、長椅子に腰掛けた。
サラディナーサが思わずふうと息を吐くと、リーサは打ちひしがれた顔でうつむいた。
「レアンドーレ様があんな人だったなんて」
「リーサは兄の恋人だったのか?」
リーサはうつむいたまま黙り、しばらくして答えた。
「恋人ってどういうのを言うのかな?お互いに好きだよって言ったの。でも逢引とかしたこともないし、手を繋いだこともないし」
「ふむ」
「レアンドーレ様は時々わたしの実家に来て、わたしにお土産をくれるの。それからいろんな話をしてくれて。一晩中おしゃべりしてたこともあるの。わたし、レアンドーレ様が来るのが楽しみで、レアンドーレ様がキラキラ光る目で国の未来を語る姿が大好きだった」
「‥‥‥うん」
キラキラした目で国の未来を語る兄とは気持ち悪いな、とサラディナーサは思ったが、口に出さずただ頷いた。
「もちろんレアンドーレ様は王太子様だから、将来一緒になれるなんて思ったことはないよ」
「そうなのか。妃にしてやるとか言われたことはないのか?」
「一回だけそんなことを聞いたけど、信じないよ。だってわたしは平民だし、無理に決まってるじゃない」
「‥‥‥そうか」
いや、意外と本気だったのでは?サラディナーサは思った。
平民を妃にするのは少々細工が必要ではあるが、不可能ではない。第2妃以降でいいなら前列もある。
リーサが王太子妃になったなら……
そう考えたサラディナーサは、嫌な思いつきにぶつかった。
妃になれば、住まうのは貴婦人の棟だ。
王太子といえど、そう容易く関与できない女の宮。
サラディナーサが実質管理する宮である。
そんなところにリーサを置けない。
レアンドーレはそう考えたかもしれない。
(私を拐った理由が、国の混乱を防ぐ為とか、王太子としての地位を高める為とかではなく。好きな女性と結婚する為に私を貴婦人の棟から追い出すこと、だったとしたら‥‥‥)
サラディナーサは頭を振った。
自分の為にもリーサの為にも。そこまで私欲にまみれた愚かな王太子ではない、と信じよう。
「王女様?」
「なんでもない。それで?一緒にはなれなくても、もう少しだけ側にいたいと願っていた?」
「‥‥‥うん、王女様は鋭いね」
「まあ、恋話には詳しい」
サラディナーサが知っている話は、全て最後は悲惨な形で終わるのだが。
「でも、わたしレアンドーレ様が王太子様だって本当にはわかってなかった。普通の人とは考え方が違うんだって。語ってた未来は力づくで人を犠牲にして作るものだったんだ」
「‥‥‥そうだな」
「立場は遠くても、心は通じてるって思ってたのに、急にレアンドーレ様が全然理解できないものに変わっちゃったみたい‥‥‥」
慰める言葉などサラディナーサは思いつかない。
できることなら、あの愚兄との記憶を消してあげたいくらいだが。
「それよりも、リーサ」
サラディナーサは顔を上げて、…目を見開いた。
「王女様?どうかしたっ‥‥ムグ」
何者かが長椅子の後ろに影のように立っていた。
サラディナーサがその存在に気づくと同時に、それは後ろからリーサに絡みつき、布で口を塞いだ。
「‥‥‥っ、‥‥‥っ」
咄嗟のことにリーサは自分に何が起きたかもわからず、固まるしかない。
それを驚いて見ていたサラディナーサは、フッと表情を和らげると、あろうことか笑い出した。
「なんだ、お前、その格好!ハハッ」
え?、とリーサは動けないまま目を丸くした。
サラディナーサはリーサに向かって、安心していいよと言うように微笑み、後ろにいる者に命じた。
「リーサはいい子だ。離してやりなさい」
リーサの耳元で低い女性の声が囁く。
「静かに。できる?」
リーサはコクンと頷いた。すると何者かがリーサからふっと離れていった。
リーサは涙目で後ろを振り返ってみる。
そこには茶色の髪をひとつに縛り、騎士服に青いマントをつけた見知らぬ騎士が立っていた。
(なんで騎士様が。……違う!騎士様じゃない、髪の色が違うけど、この顔は…)
人の顔を覚えるのが得意なリーサは気づいた。
「女王陛下の使者様‥‥‥!」
凸凹コンビの使者の大きい方!
驚きに喉を詰まらせるリーサの前で、サラディナーサが平然とした様子で問う。
「フラン、何しに来た?」
フランと呼ばれた使者も平然と返す。
「迎えに来た」
「なんでこのタイミングなんだ?お前3日以内に来るって言ってなかったか?」
「ごめん。私はもっと早く迎えに来たかったんだけど、陛下がさ」
「お母様?お母様の御意向なのか……、まあ、いい。後で聞かせろ」
ポンポン進む二人の会話をリーサは声を出さないよう口を手で押さえて聞く。
フランは長椅子を回ってきてサラディナーサの前に立つと、手を差し伸べ言った。
「今この邸の警備は、全部王太子殿に向かっている。抜け出すなら今が楽だ」
「おやおや、ヴァンにも抜かりがあったな。お前いつからここに入り込んでた?」
「企業秘密」
サラディナーサは拳を口に当て、少し考えたあとフランを見上げた。
「私がこのタイミングで宮殿に戻るのもお母様の御意志なんだな?」
「もちろん。私の独走じゃないよ。外にリディアもいる」
サラディナーサはひとつ頷く。
「そうか、では帰るとしよう」
フランの手に手を乗せ、スッと立ち上がった。
(えっ?)
リーサが目を丸くしてサラディナーサを見る。
(帰るの?こんなにあっけなく?)
攫われたサラディナーサに、助けが来たのだから、宮殿に帰るのは当たり前。喜ぶべきことだ。
けど、サラディナーサが躊躇いもなく帰ると言ったことに、リーサはショックを受けてしまった。
(もうこれでわたしたちと王女様の関係は、おしまい?)
リーサが口をもごもごさせると、サラディナーサはちらりと見て言った。
「リーサ、一緒に来るか?」
「え?」
サラディナーサは手を差し出した。
「貴婦人の棟に興味があっただろう?連れてってやるぞ」
微笑んで言うサラディナーサに、リーサは驚き、慌てて首を横に振る。
「う、ううん。わたしはお兄ちゃんに王女様は宮殿に帰ったよ、て伝えなきゃ。二人急に消えたらお兄ちゃん泣いちゃうよ」
「そうか」
サラディナーサはあっさりと頷いた。
「ではな、世話になった」
「‥‥‥こちらこそ。王女様と仲良くなれて嬉しかったよ」
あんまりにつまらないお別れだと、リーサは思った。
四日間の終わりが、こんなにあっけなく。
フランが無言で扉へ歩いていく。
リーサに背を向けたサラディナーサはそれに付いていった。
扉が開いて先、二人がどうやって邸を出ていったのかは、リーサにはわからない。
(王女様、お兄ちゃんに一言も残さないなんて、冷たい…)
そう思った。
もちろんこれで関係はおしまいにはなりません。
女王と王太子が結んだ降嫁の約束があるので。
次回、舞台は宮殿へ。
全体的に書き直したところがあります。
特に『最後の夜』あたりはすこーし内容が変わってますので、興味があればご覧下さい!