4日目 昼2
キィンと金属音が響き、サラディナーサはそっと目を開けた。
案の定、そこには振り下ろされた刃を刃で受け止めたヴァンの姿があった。
「ちょぉっとひどくないですかー?団長。
王女様は俺にくれるって話だったのに‥‥、よっと」
くっと手首を返すと、レアンドーレの体は剣ごと弾かれ、後ろに下がる。
ヴァンは剣をだらんと下ろし、サラディナーサの前に立った。
「ヴァン!貴様がちゃんと躾ないからだろうが!」
「躾、躾って…。団長的には妻にする女ってのは躾けるものなんです?」
「自分の女くらい、言うこと聞くようにしとくもんだろうが」
「そうなんですね。フッ‥‥‥団長の妻になる女は大変そうだ」
ヴァンが意地の悪い口ぶりで言い、レアンドーレはぐっと喉を詰まらせた。
「お、俺の話じゃない!王女が国の混乱を招くんなら、その前に消す、それだけだ。それが許せないっていうんなら、貴様が言うことを聞かせろ」
「‥‥‥うーん」
ヴァンは剣を持ってない左手で頭をかいた。
「今回ばかしは、俺、団長に従えそうにないです」
「なんだと!?」
ヴァンはここでちょっと真顔になった。
「団長は騎士をなんだと思ってるんです?命令すれば意志なく動くおもちゃの兵隊ですか?回りを見てくださいよ」
ヴァンは左手で部屋を示してみせた。
「ここにいる奴らのほとんどは高潔な志の騎士だと思うんですよ。罪のない王女様を拉致監禁するのが楽しい奴なんていないはずです……たぶん」
「…だから何だ。貴様らは皆、俺の考えに賛同し、忠誠を誓ったんだろう?」
「もちろん。だから皆こうして納得できないまま従ってるわけで。けど今回、団長は命令するだけじゃなくて、もうちょっと説明が必要だったと思うんですよ。これほど騎士の誇りを汚すことをさせるなら」
王女を拉致監禁する非道さも問題だが。
ここにいる騎士全員が謀反罪という最も不名誉な罪を負うところだった。
いや、今だってその恐れは消えていない。
レアンドーレにどれほどの勝算があったのかは知らないが、せめて皆が国の為、主君の為と納得できる説明が必要だった、とヴァンは落ち着いた口調で苦言を呈した。
理解したかどうか、レアンドーレの眉の間に深い皺が寄る。
「‥‥‥だから?何が言いたいんだ?」
「あなたの騎士が離反したとしたら、あなたが人の使い方を知らないからだ」
「貴様っ」
暗に“俺、離反しちゃおっかな”と言われて、レアンドーレが怒りのまま剣を振りかざした。
それを見て、ヴァンの口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「俺を剣で止める気?団長にはちょっと無理だと思うぜ」
「‥‥‥っ」
ヴァンの剣を握ったままの右手がゆっくり上がった時、レアンドーレが切り込んだ。
「ふざけるなっ」
振り下ろされる刃をヴァンはカン、カン、と軽く受けて返す。
「だからー。そんな力任せでは3流しかやれねー、っていつも言ってるじゃないか」
剣の指南をされ、ますますレアンドーレの顔が怒りに赤くなった。
「剣の稽古じゃないぞ!歯向かうな!大人しく刃を受けろ」
「そんな無茶なー」
言いながらヴァンは、邪魔なテーブルを足で蹴ってどかす余裕まである。
サラディナーサはとうに応接セットから避難して、柱の影で二人の決闘を見学していた。
剣が合わさる場面は、これまで女性衛兵の模擬戦でしか見たことがない。
レアンドーレとヴァンのそれは力が違うせいか、迫力がまるで違う。
けれどサラディナーサは怖いとも恐ろしいとも思わなかった。
なぜなら、あまりにヴァンが圧倒的だったからだ。素人のサラディナーサから見ても、レアンドーレの剣がヴァンに届くことはあり得ない、と確信できるほどだった。
(なるほど、ヴァンは英雄の名にふさわしい剣の腕を持ってるのだな)
ヴァンの顔は自信に溢れて、誰もこの男の意に反して膝をつかせることはできないだろうと思わせた。
「王女様、大丈夫ですか?」
近くに立っていた騎士が、二人から目を離さないままサラディナーサに尋ねた。
「私は問題ないが。止めなくていいのか?」
数名の騎士たちが二人を囲んで、剣の柄に手をかけているが、入り込みかねている様子だった。
「ご安心下さい。団長は副長に勝てないし、副長は団長を本気で切ったりしないので。こういうことはこれまでもあったんです」
「そうなのか」
二人は部屋を少しづつ移動しながら、剣を打ち合わせている。
カン、キン、と軽快な音がリズムを持って響く。
レアンドーレが気合の声を上げながら、いろんな角度から打ち込んでいくのに対して、ヴァンは刃を受けては流す、受けては弾くの繰り返しだった。
レアンドーレは本気で向かっているようだが、傍から見ればまさに剣のお稽古だ。
だからこそ騎士たちはいざという時に備えながら、手を出さないのだろう、とサラディナーサは思った。
「もしかして、兄君は弱いのか」
騎士がちらりとサラディナーサを見て、また視線を戻して答える。
「とんでもない。右軍で団長に勝てるのはわずかですよ。副長が規格外なんです。同じ人間とはとても思えないほどです」
その口調には、ヴァンへの憧れと尊敬がある。
「ふうん」
なるほど、とサラディナーサはまた思った。
平民出身で、見た目も平凡で、威厳もなさそうなヴァンがどうして騎士を従えられるのだろう、と疑問だったが、誰をも認めさせる剣の腕があるわけだ。
ヴァンは余裕の笑みを崩さず、茶々を入れた。
「団長、もしかしてもうバテてる?勢いが落ちてるけど」
「はあっ、お前、いい加減に、はっ、お前なんざ不敬罪で処刑してやるっ」
「わー。怖ぁ」
(なんだかあの二人、じゃれてないか?)
サラディナーサが思った時、ヴァンがそれまでと違う動きを見せた。
剣を強く弾いたと思うと、そのまま数歩踏み込む。まだ体勢が整いきれないレアンドーレに真正面から切り込んだ。
レアンドーレはなんとか剣で受けたが力に押され、後ろに吹き飛ぶように倒れた。
レアンドーレの剣が重い音を立てて床に転がった時、ヴァンの剣はレアンドーレの喉元に突きつけられていた。
「さて、負けを認める?」
「誰がっ!ふざけやがって」
「えー、まだ続ける?」
ヴァンは困った顔で、突きつけた剣の向きを僅かに変えた。
「そこまでです、副長!」
騎士のひとりが後ろからヴァンに飛びついた。
更にふたり、レアンドーレとヴァンの間に飛び出す。
「これ以上は、範疇を超えます」
ヴァンはそれまで浮かべていた笑みを消して、厳しい目つきで部下を見た。
「‥‥‥お前ら、止めに入るの遅くない?俺が本気だったら、団長とっくに死んでるけど、それでいいわけ?」
「‥‥‥っ、申し訳ありません!」
「団長守るのが、お前らの最優先任務だろ?呑気に見物しててどうするんだよ?」
「はいっ」
ヴァンの腹に響く低い声に、部屋中の騎士が凍りついたようになる。
ヴァンはスッと剣を引き鞘に納めた。
「ヴァン貴様、よく自分を棚に上げて言えるな」
そう言ったのはレアンドーレだ。
床にあぐらをかき、ヴァンを見上げた。
「で?まさか本気で離反しようってんじゃないな?もしそうだってんなら、今すぐにでも王族不敬罪と謀反罪でしょっ引いてやる」
ヴァンはレアンドーレを真っ直ぐに見下ろした。
「俺があなたから離反したいなんて思ってると思います?ただ俺にも大事なものがある。それを壊せと言われるなら、離れざるを得ないだけだ」
「‥‥‥大事なものって何だ。騎士の誇りとやらか?」
「とりあえず今俺は、王女様が大事ですね」
「……は?」
とうに王女の存在を忘れていたレアンドーレは、訳がわからずヴァンを見て、それからあぐらのまま振り返って柱の前に立つサラディナーサを見た。
視線を受けたサラディナーサは、笑顔で拍手をした。
「ヴァン、すごいな!格好良かったぞ!」
「それは俺の剣技が?それとも言葉が?」
ヴァンが平然と問う。
「どっちもだ」
「それは頑張った甲斐があった。格好いいは、男を喜ばせる言葉だな」
「ではもう一度言ってやろう。格好いいぞ!」
「貴様ら‥‥‥」
レアンドーレがガン、と床を蹴った。
「ヴァン、貴様あんな小娘に誑かされたのか!?」
「誑されるって、最近聞いた言葉だな……ああ王女様か」
「何ブツブツ言ってやがるっ」
「……王女様を俺の嫁にって言ったのは団長でしょう」
「誰が恋人ゴッコしろと言った!俺が言ったのは、あいつの名誉を貶めて、できれば孕ま…」
「団長」
ヴァンが低い声で遮った。
「俺はあんまりうら若い女に、品のない言葉は聞かせたくないんだ。王女様にも、妹にも」
「………妹?」
レアンドーレが目を見開く。
「リーサ!もう来てもいいぞー!」
ヴァンが遠く響く声で言うと、部屋の入り口からリーサが走ってきた。
「王女様!」
リーサは騎士に囲まれたレアンドーレとヴァンには目もくれず、サラディナーサの元へ一直線に向かった。
「王女様、大丈夫だった?怪我はない?」
サラディナーサの手をぎゅっと握って見上げるリーサに、サラディナーサはにこりと微笑んだ。
「全部見ていたんだろう?怪我するような場面はなかった」
「見ててすごく怖かったよ!お兄ちゃん!王女様のあんな近くで剣を抜くなんてっ」
リーサは離れたところにいる兄を睨んだ。
「あー。悪かったよ。王女様が上手く離れてくれたから助かった」
「ああいう時は速やかに逃げろと、教えを受けている。リーサ、何も恐ろしいことはなかった。お前の兄はすごいな」
サラディナーサがリーサの頭を撫でて言った。
「リーサ、なんでここに‥‥‥」
レアンドーレが唖然と問う。
リーサは一気に表情を険しくした。
「レアンドーレ様…まさかあなたがこんな人だとは思ってなかった」
レアンドーレはばっと立ち上がった。
「…リーサ、聞け。これはこの国にとって必要なことだったっ」
「‥‥‥こんな素敵な妹さんを酷い目に合わせて、殺そうとまでするなんて。国にとって必要って、便利な言い訳」
「ちょっと脅そうとしただけだ。実際ヴァンが止めただろう」
リーサはサラディナーサの左腕にぎゅっと抱きついた。
「脅しには見えなかったよ。それに王女様がこの4日間どんなに辛い想いをしたか。全部レアンドーレ様のせいなんだよね?」
「リーサ、お前までそいつに誑かされてるのか?そいつは王女でありながら‥‥‥」
「聞きたくない。あなたの言うことは何も信じられないから。‥‥‥レアンドーレ様が女性や奥さんについてどう考えてるのかもよーっくわかったし」
「リーサ、違う!話を聞け‥‥‥」
「幻滅だよ!」
レアンドーレは衝撃を受けたようにふらついた。
あと5〜6話で完結させるつもりです。
ですが来週忙しすぎるので、一週間〜十日ばかり更新をストップします。
誤字脱字報告ありがとうございます!