4日目 朝
「まさか、ふたりとも寝てないの!?」
朝、サラディナーサの部屋に来たリーサは驚きの声を上げた。
サラディナーサは寝巻き姿で長椅子の左端に座っている。その瞼は真っ赤に腫れていた。
長椅子の右に座るヴァンは、よれてシワがよった騎士服のまま、疲れ切った顔でうなだれている。
「リーサ、聞いてくれ。ヴァンが約束を守ろうとしないんだ」
リーサは急いで自分のハンカチを水差しの水で濡らして、サラディナーサとヴァンの間に割り込むように座る。
ハンカチをサラディナーサの瞼に当ててあげた。
「約束って。お兄ちゃんが楽に殺してくれない、てことじゃないよね?」
サラディナーサはハンカチを当てられたまま、リーサに顔を向けた。
「なぜ知ってるんだ?聞いてたのか?」
きょとんとした声にリーサは吹き出すのを咄嗟に堪えた。
「夜中にあれだけ大声で騒いでたら、そりゃ心配して見に行くよね!見張りの騎士様たちも一緒に見てたよ。お兄ちゃんが王女様を抱きしめてるとこ!」
実は昨夜、リーサは変な胸騒ぎがして、やっぱりサラディナーサの横で寝かせてもらおうと、この部屋に来たのだ。
部屋の前で見張りの騎士たちに挨拶してたら、部屋の中からヴァンの怒鳴り声が聞こえた。
騎士たちは一気に緊迫した表情になり、一度ノックして返事がないことを確認し、部屋に突入した。
そしてベッドのある方へ走り、仕切りの向こうを見て、動きを止めた。
なんだろうと後ろからリーサが覗くと、泣きわめくサラディナーサをヴァンが抱きしめるところだったわけだ。
きゃーっと叫びたいのを口を押さえて堪え、聞こえてくる会話に耳を済ますと、死ぬだの、やってやるの、物騒な言葉が聞こえてくる。
どうもサラディナーサが自殺未遂をやらかし、ヴァンが止めたらしい、とわかった。
しばらく二人の様子を伺って、これは口出ししない方がいいと判断し、そっと皆で部屋を出たのだ。
お兄ちゃんがついていて王女様を死なすことはないよね、とリーサはそこは心配してなかった。
けど、理由があるなら殺してやる、なんてことを言っちゃって、そこからどう説得するんだろ、と思っていたら、なんと朝になっても説得できていないらしい。
「まさか一晩中話し続けてるとは思わなかったよー」
サラディナーサは、ヴァンを睨んだ。
「お前は見られてたのに気づいてたのか?」
ヴァンは肩をすくめて事もなげに言う。
「‥‥‥仕切りの向こうから覗き込んでるのがいるのは気づいてたけどな。それどころじゃなかったから放っといた」
「王女様は全然気づいてなかったね」
リーサがにまにまして言うと、サラディナーサの耳が、ぽっぽっと赤くなった。
(おおっ、王女様が恥ずかしがってる!)
「あれは、ヴァンが…っ」
「王女様、お兄ちゃんのことヴァンって呼ぶことにしたの?」
リーサの指摘にハッとサラディナーサは口を押さえた。
「そういえば。……気づかなかった」
気まずそうに視線を彷徨わせる。
(かわいいっ)
リーサは胸がキュンとした。
「それで、お話はどうなったの?もちろん王女様は死んだりしないよね?」
「……リーサはヴァンの味方か?」
「えー、わたしは王女様の味方だよ、当然!」
リーサは温くなったハンカチをもう一度濡らすと、サラディナーサに渡した。
「だから王女様が死ぬとか言うと、すごく悲しいんだよ」
サラディナーサは胸をつかれた顔で、渡されたハンカチを握りしめた。
「なんで死のうとしたの?お兄ちゃんがひどいことした?」
「いや、そんなことじゃない」
「お部屋に閉じ込められてたから、辛くなっちゃった?」
「そうじゃない。ただ、私はもう死ぬしかないんだ」
「どうして?」
「このままではこの男に嫁がされてしまうからだ」
サラディナーサがヴァンを指さした。
ふえええ、とリーサは変な声を上げた。
「どゆこと!?」
振り返ると、兄は生気のない虚ろな目をしていた。
「ねえ、お兄ちゃん!王女様と、……結婚?」
「……たぶん?」
「なんで?なんでそんな話に!?えええ!?」
「そうか、リーサは知らなかったのか」
慌てふためくリーサに、サラディナーサが意外だという顔で説明をした。
「そもそもその為に私は攫われたんだ。で、私を人質にして兄が母を脅迫し、降嫁を認めさせたというわけだな。昨日の使者はそれを伝えに来たんだ」
「コウカ?」
「王族の女が臣下に嫁いで、王族でなくなることだ」
リーサは聞いた話を理解するのに、少し時間がかかった。
「えっと…レアンドーレ様が王女様を誘拐したのは、王女様とお兄ちゃんを結婚させる為だったってこと?は?なんでそーなるの?訳わかんないんだけど!」
サラディナーサはヴァンを見た。
「私が全部説明していいのか?」
「どうぞ…」
ヴァンは項垂れたまま答えた。
まるでこれから裁きを受ける罪人のようだ。
不思議に思いながら、リーサはサラディナーサの話を聞く体勢をとった。
「兄は2つの得を狙ったんだな。ひとつは私を王家から追い出すこと。もうひとつは自分の片腕であるヴァンに身分を与えること」
「王女様を王家から追い出したいのは、一昨日話聞いたから、なんとなくわかる。けどお兄ちゃんに身分?」
「私の結婚持参品はすごいんだぞ。私の夫は栄誉な土地と伯爵位を手に入れ、王族の縁族の立場になる」
リーサはぎょっとした。
「土地と伯爵位っ…。き、貴族になるってこと?その為に、お兄ちゃんは」
「まあ、事情は理解できるさ。宮殿は身分社会だからな。ヴァンは王太子の工作でなんとか副団長までなったのだろうが、それ以上のし上がるのは平民のままでは無理だろう。そして王太子はもっと力のある片腕が欲しい。私は恰好の餌なわけだ」
あまりに身勝手な理由にリーサは信じられない思いで兄を見た。
自分が偉くなる為に、女の子を拉致して無理矢理結婚させようとしている?
そんな卑劣な人間だったのだろうか、兄は。
ヴァンは否定しなかった。それどころか
「なんであんなに世間知らずなのに、ここまで聡いんだ、この王女様は」
などと呟いている。
「さいってー!」
最低なんて言葉では表せないが、それ以上の言葉も思いつかなくて、リーサは吐き捨てた。
「それは死にたくなっちゃうのも仕方ないね、可哀想に、王女様…」
「…兄にこれ以上力をつけさせるのは、お母様の為に、絶対に許せないことだ」
「うん」
「それに結婚したくない。男のものになどなりたくない」
「うん、わかるよ」
「貴婦人の棟に帰りたい…けど、傷物になった私はもう帰れない…」
「き、傷物!?」
リーサは再度兄を見た。
今度はヴァンは即座に否定した。
「してない、誤解だ!王女様が言ってるのはそういうことじゃない!」
「男と二人で一緒にいただけで、私は世間では傷物だ。皆に後ろ指を指される立場だ…」
「そんな…」
確かにそういう考えが世間にあることは、リーサも否定できない。
まして王女という立場では、リーサが想像するよりもそれはとても重いことなのだろう。
「私にはもう生きていく道はない。だから死のうとしたんだ。あと一歩だったのに。邪魔されて果たせなかった。だからヴァンには責任をとって楽に殺してほしい…」
「王女様!」
たまらずリーサはサラディナーサに抱きついた。
「だからさあ…王女様」
疲れきった声が上がる。
「王女様が宮殿に帰れるように、なんとかレアンドーレ様を説得するから。結婚の話もなかったことに…」
リーサに抱きつかれたまま、サラディナーサは鋭い口調で言い返す。
「母が一度認めたことを取り消すものか!もう決まってしまったんだ。この話を無くすには私が死ぬしか…」
「待て待て。……もし結婚の話が無くならないとしても…」
「私は絶対にお前の思いどおりにはならないぞ!攫われて言うこと聞くなんて馬鹿みたいじゃないか」
「馬鹿みたいって言っても…」
「男が妻になった女をどう扱うか、私は知っている。お前に頭を押さえつけられるのは、耐えられない!」
「だからその知識は偏ってるっての!世の中そんな男ばっかじゃないし、俺は違う!」
「誰が信じるか、ケダモノ!あのケダモノの片腕の癖に!」
激しい罵倒を浴びたヴァンは言葉を詰まらせ、情けない顔でリーサを見た。
“ずっとこの調子なんだ。お手上げだ。助けてくれ〜”と目で訴えてくる。
リーサは呆れ果てた。
なにか事情があるにせよ、サラディナーサをここに閉じ込めていたのはヴァンだ。
それが原因で自殺までしようとしたサラディナーサに、“俺を納得させられたらやってやる”なんてその場しのぎの誤魔化しをして。
結局、朝までサラディナーサがこの先生きられる方法を示せないどころか、自分のやったことを責められて頭を抱えている。
(我が兄ながら、まじアホンダラ!でもなあ…)
体を離して、サラディナーサをじっと見る。
(王女様もどうしていいかわかんなくて、困ってるんだろうなあ)
そうでなければ、ここまで感情的になって文句ばかりを並べないと思うのだ。
リーサは少し考え、尋ねてみた。
「王女様は行けるところが無くて困ってる感じなの?」
サラディナーサは目を見開き、少し考えて頷いた。
「そう、なのかもしれない」
リーサはにっこり笑った。
「だったらさ、わたしと一緒に暮らそうよ!」
ん?とサラディナーサは首を傾げる。
「一緒にお針子になる?二人で働けば充分生活できるよ。で、夜は一緒に寝よう?毎晩楽しくおしゃべりしながら、気づいたら寝ちゃってるの、きゃー、楽しそ!」
突然始まったリーサのハイテンションにサラディナーサは目を白黒させた。
「わたし、王女様に似合う服いっぱい作る!王女様はちゃんと宮殿クオリティのアドバイスしてね?そしたらわたし絶対、今をときめくお針子さんになっちゃうから!
で、そのうち二人のお店を出すの。服屋もいいけど、美味しい料理を出すお店とかもいいかも。王女様はどっちがいい?」
意見を求められて、サラディナーサは混乱しながらなんとか返す。
「‥‥‥私は縫い物も料理もできないが」
「だったらうちのお母さんに教わるのはどお?
お母さんはすごく料理が上手だよ」
「……それは素敵な母君だ」
「でね、わたし王女様を囲むお茶会がしてみたいの!お友達いっぱい呼びたい!本物の王女様から女王陛下や宮殿のお話聞けたら、みんな大興奮だよ」
リーサが満面の笑顔で腕まで振り回しながら言うので、サラディナーサもつられて口角が上がった。
「ね?楽しそうでしょ?」
サラディナーサは目を細める。
「楽しそうだ。……夢の世界の話のようだ」
現実的ではないと、やんわり言う。
リーサは首を横に振った。
「全然、夢じゃないよ。お兄ちゃんがどうにかしてくれるでしょ」
「……何故ヴァンが?」
訝しげなサラディナーサにはっきり言ってやる。
「お兄ちゃんは王女様がしたいことなんでもしてくれるよ。なんたって王女様にべた惚れだから!」
「うえっ!」
後ろから変な声が聞こえた。
サラディナーサが驚きに言葉を失い、それから何かを考え、それから何かに納得した顔になるまで、10を数えるほど。
「ほお…」
意地悪そうな、どこか嬉しそうな顔でヴァンを見るサラディナーサに、
(この反応、さすが王女様だなー!)
とリーサの胸がキュンキュンした。
その時、扉がトトンとなった。
ヴァンがホッとしたような顔で立って、ドアに向かう。
そして一言二言話してすぐに戻ってきた。
「団長が、レアンドーレ様が、こっちに向かってるってさ。王女様、どうする?行く?」
「……私が決めていいのか?」
ヴァンは長椅子に座るサラディナーサの前に屈んだ。
「行っても行かなくてもいいさ。あんたの自由に動いていい。何かあっても俺が守ってやるから」
サラディナーサはじっとヴァンを見て、それからフッと笑うと立ち上がった。
次回、噂のレアンドーレ襲来。