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最後の夜

カチ…

ヴァンの耳に、微かな金属音が届いた。


気のせいかと疑うような小さな音に、胸がざわりとし、首の後ろの毛がぶわりと逆立った。


長椅子から立ち上がり、仕切りの向こうへ走り、頭で何を考える余裕もなく、寝台の上にいるサラディナーサに飛びかかった。

体を引き倒し、右腕手首を掴む。

サラディナーサの手のひらから何かごく小さいものが転がっていった感覚がした。


「‥‥‥っ、何を、していた?」

サラディナーサは目を見開き、何が起きたのかわからないという顔をしていた。

ヴァンが目を走らせると、首元に弛むペンダントがいつもと違う形状をしている。

「このペンダントは開くのか…」

蓋が開くペンダントなんて物があることを知らなかったヴァンだが、この状況で推察できることはある。

「毒か?あんた毒を持ち歩いてたんだな?…まだ飲んでないだろうな?」

サラディナーサから応えはない。

押さえつけられたまま、ただ、目をまんまるくしてヴァンを見ているだけだ。

ヴァンは乱暴にその体を揺すり、怒鳴った。

「答えろ!!飲んでないな!?」


サラディナーサはびくりと体を震わせ、

「いたい…」と呟いた。

ヴァンは自分が掴んでいるのが痛めた腕だと気づいて、手を離す。

その代わり頭を後ろからぐっと掴み寄せ、膝をサラディナーサの腹にのせた。

「毒を飲んだか?飲んだんなら吐かせる」

「………」

サラディナーサは小さく首を横に振った。

「本当か?飲んでないんだな?」

「……ま、だ…」

ヴァンは注意深くサラディナーサの様子を観察し、どうやら本当らしいと判断して手と膝を離した。

サラディナーサの頭がボスっと枕に落ちる。


「驚かしやがって」

「………」

ヴァンは憤りを抑えられないで、サラディナーサを上から見下ろす。

そしてその様子のおかしさに気づいた。

サラディナーサは目の前のヴァンが目に入らないかのように、ぼんやりと視線を彷徨わせていた。

「……おい、王女様?」

え?とサラディナーサはか細い声で答える。

「おい、しっかりしろ!」

ぺちぺちと頬を叩いてみるが、反応が薄い。

どこか遠くを見ている視線が帰ってこない。

「私…?あ…、え…?」


これはやっぱ毒、飲んじまってるんじゃ、とヴァンが冷えた胸で思った時、サラディナーサの目が急に見開かれ、はっきりした口調で言った。

「どうして、私は死んでない?」

「………」

「私は頑張って…、覚悟を決めて…、薬を飲もうとしてっ」

ばっと体を起こす。

おっと、とのけぞったヴァンに指を突きつける。

「お前が、邪魔をした!」

「うえ?」

「このっ、馬鹿ぁーー!!」

子どもの癇癪のような叫びに、ヴァンはポカンと口を開けた。


「わ、私がどれほど決死の覚悟で、薬を飲むって決めたか!これを飲んだら全部終わるからって、もう怖いことはないんだって、勇気を出して、やっとの思いで飲もうとしたのに!」

「い、いや、決死の覚悟で自殺とか‥‥‥」

勢いに押され、どうでもいいことを突っ込む。

「この馬鹿者!なんで邪魔するんだ!私、私は死ななければいけないのに!もう一回頑張れと言うのかあぁっ、ううぅっ」


サラディナーサは激しく泣き出した。

「もう、もうできないっ、ううっうっく…」

灯りに照らされた頬に滂沱の涙が流れていく。


(ええええ!?)

なんと王女は、もう一度自殺する勇気がない、と泣いているのだった。

ヴァンは一瞬、頭が真っ白になった。

「そんな理由で、泣くな、おい…」


ううっううっ

サラディナーサは身も世もないとばかりに嗚咽し涙をこぼし続ける。

ヴァンは心臓を捻り潰されるような心地がした。

泣き声に頭がかき回される。

ヴァンはどうしようもなく、サラディナーサを胸に引き寄せた。

その重さのない体は抵抗もなく、ヴァンの胸に落ちてきた。

「泣くなよ…」

「うっうっ…」

「な?頼むよ、泣かないでくれ…」

「ひっく…」

サラディナーサの涙がヴァンの服に染みていく。


攫われてきて、気を失うほどの恐怖の中でも一度も涙を見せなかった王女だった。

怯えを隠していることも、虚勢を張って平気な振りをしていることも察していた。

けれど誇り高い王女は泣いたりしないと思いこんでいた。


(参った……)

ヴァンは奥歯を噛み締めて、震える王女の背中を擦る。

黒髪の一部だけ短くなったところが目に入り、胸をつかれた。

この髪を躊躇いなく切ったのは自分。

そしてあの時、サラディナーサは嫣然と微笑み、

“私がお前のものになる日は来ない”

と断言したのだった。

思えばあの時すでに覚悟を決めていたのだ。

いや、おそらく、拉致された時点で自害を決めていた。

この3日はタイミングを待っていただけ。

首元で毒を温めながら、ヴァンをからかい、リーサを諭し、微笑んでいたのだ。

一体、どんな気持ちで。

ヴァンはどうしたら良かったのだろう。


「王女様、教えてくれ。俺はどうしたらいい?」

「……っ、……ひくっ」

嗚咽が止まらない。

「なー。俺にできることはないか?」

サラディナーサはヴァンの胸元から、もぞっと顔を上げた。

涙を溢れさせたまま。

「なら、お前が私を殺せ」

「……っ」

「お前が邪魔をしたのだから。お前なら一瞬で私を楽にできるだろう?」

サラディナーサは濡れた目を煌めかせ言った。

ヴァンは唾を飲み込む。

(そこまで、どうして…)


そんなに結婚が嫌なのか。

そんなに王女の誇りが大事なのか。

ヴァンにはわからない。

けれど死ぬべき理由がサラディナーサの中には明確にあるのだろう。


世の中、生きることが死ぬことより幸せだなんてことはない。

成人した大人がしっかりした意志で、死を選ぶなら、それを邪魔する権利は誰にもない。

まして彼女が生きていた場所から強引に攫ってきた側の人間が。

部下やレアンドーレを優先して、宮殿に帰してやるという一言が言えなかった奴が。

生きろ、なんて言えやしない。

ヴァンは一度目をぐっと閉じた。


「……わかった」

詰めていた息を吐き出し、ヴァンは言った。

「あんたがどうしても死ななければいけないんなら、俺がやってやる。ただし」

サラディナーサの眦の涙を右目、左目と親指で拭う。

「どうして死ぬのか、俺を納得させてくれ」

サラディナーサがぱちりと瞬いた。

「俺はあんたを殺したくないんだ。けれどどうしてもこれ以上生きる方法がないっていうんなら、やってやる。だから俺を説得してみせろ」


これがヴァンの立場で言える精一杯の悪あがきだった。

(これまで宮殿を出た事もなかった王女様に、生きる方法なんていくらでもあることを教えてやろう…)

彼女が生きてくれるなら、今度こそなんでもする。ヴァンは心に誓った。

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